第百二十五話「自分探しの巡礼」
セラフィナは、アザリアを城から逃がした後、奇妙な虚無感に包まれていた。裏切り者の裏切り者。アンデッドを裏切り、今度は人間側に協力した。もはや、どこにも居場所はない。
各地に隠してある資金は莫大だった。若い頃、裕福な実家から持ち出した財産、そしてルカヴィとして蓄えた金。使い切れないほどの額だが、それが何だというのか。金はあっても、生きる目的がない。これを生活と呼べるのだろうか。
だが、アザリアとの対話が、彼女の中で何かを変えていた。あの若い巫女の、メルベルへの純粋な愛。自分がかつて求めて得られなかったもの。そして、自分が巫女だった頃に憧れていた聖地巡礼。
(馬鹿げているわね。今更、聖地に行きたいだなんて)
セラフィナは自嘲した。だが、その思いは日に日に強くなっていった。キシュの森、シッパルの山。かつて、三つの聖火しか持たない自分には、決して踏み入ることのできなかった場所。
下級巫女の服を手に入れたのは、ほとんど衝動的だった。薄汚れた古着屋で見つけた、継ぎ接ぎだらけの巫女服。それを着た時、奇妙な懐かしさを覚えた。
(これが、自分探しの旅、というものかしら)
皮肉な笑いが漏れた。いい歳をして、今更何を探すというのか。だが、他にすることもない。死ぬまでの暇つぶしと思えば、悪くはない。
そして出会ったのが、メルベルだった。
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シッパルの山へ向かう街道を、二人は歩いていた。セラフィナの口は、朝から止まることがなかった。
「ねえ、あなたの出身はどこなの? 都? それとも地方?」
「......西の辺境だ」
「へえ、辺境! 私も若い頃、一度だけ行ったことがあるわ。あの時はね、父が商談で連れて行ってくれて、それはもう豪華な旅だったのよ。馬車は金で装飾されていて、護衛も二十人はいたかしら」
メルベルは苦笑した。アザリア以上に喋る女だ。だが、不思議と不快ではなかった。アザリアとの旅で、女の長話には慣れている。
「そうか」
「あら、つまらなそうね。じゃあ、あなたの話も聞かせてよ。その剣、随分と使い込んでいるみたいだけど」
「別に大した話じゃない」
「遠慮しないで。旅は退屈なんだから」
セラフィナは楽しそうだった。久しぶりに、心から楽しんでいるような表情だった。
日が傾き始め、野営の準備を始めた。メルベルは手際よく火を起こし、干し肉と固いパンで簡単な夕食を用意した。薄い野菜スープも作ったが、味付けは塩だけだ。
セラフィナは、その粗末な食事を前に、なぜか目を輝かせていた。
「美味しそうね」
「こんな飯のどこがいいんだ?」
メルベルは首を傾げた。金持ちだったという彼女には、こんな食事は拷問のようなものだろう。だが、セラフィナは嬉しそうにスープをすすった。
(本当の巡礼って、こういうものだったのね)
彼女は内心で呟いた。かつてのガードは、野営でも豪華な天幕を張り、料理人まで連れていた。絹の寝具、銀の食器、香辛料をふんだんに使った料理。それは巡礼ではなく、単なる豪遊だった。
「金持ちになると、かえってこういうのが新鮮なのよ」
セラフィナは本心を隠して答えた。メルベルは納得したような顔をした。
「変わってるな」
「あら、褒め言葉として受け取っておくわ」
焚き火の炎が、二人の顔を赤く照らしていた。夜の闇が深まる中、虫の音が響いている。セラフィナは、こんな静かな夜を過ごすのは何年ぶりだろうと思った。
「ねえ、メルベル」
「なんだ」
「明日は、どのくらい歩くの?」
「日が昇ってから沈むまでだ。山道は険しいから、ゆっくり行く」
「楽しみね」
セラフィナは本心からそう言った。苦しい山道さえ、今の彼女には新鮮な体験だった。かつて踏み入れることのできなかった聖地。そこに、ルカヴィの身でありながら向かっている。
(馬鹿げた話よね。でも、悪くない)
彼女は夜空を見上げた。星が無数に輝いている。都では見えない、澄んだ星空だった。
メルベルは黙々と装備の手入れをしている。剣を研ぎ、革鎧の紐を締め直す。その手つきは慣れたもので、長年の経験を感じさせた。
「あなた、いい護衛ね」
「......仕事だからな」
素っ気ない返事だったが、セラフィナは微笑んだ。この無愛想な男が、なぜか心地よかった。下手な愛想を振りまかれるより、よほどいい。
夜は更けていく。明日には山道に入る。聖地への道のりは、まだ始まったばかりだった。セラフィナにとって、これは贖罪の旅なのか、それとも単なる気まぐれなのか。




