第百二十四話「意外な依頼」
都の宿屋の一室で、メルベルは久しぶりにまともな食事を口にしていた。温かい羊肉のシチュー、焼きたてのパン、薄めた葡萄酒。三日ぶりの食事は、涙が出るほど美味かった。
セラフィナは向かいの椅子に座り、綺麗になったメルベルの顔を眺めていた。髭を剃り、髪を整え、新しい包帯を巻いた姿は、先ほどまでの浮浪者とは別人のようだった。
(なかなか可愛い顔してるじゃない。まあ、そう思ったから使おうと思ったのだけど)
彼女は内心で呟いた。路地裏で初めて見た時から、この男には何か惹かれるものがあった。単なる浮浪者にしては、どこか品がある。戦士としての矜持が、まだ完全には失われていない。
「随分と人間らしくなったな」
セラフィナが皮肉めいて言うと、メルベルは苦笑した。確かに、髭を剃って清潔な服を着れば、それなりに見られる姿になった。側から見れば、下級巫女とその護衛といったところか。誰も、つい先ほどまで残飯を漁っていた男だとは思うまい。
メルベルは食事を終えると、真剣な表情でセラフィナを見つめた。
「悪いが、期待してる仕事はできないぞ」
「何が?」
セラフィナは首を傾げた。メルベルは声を落とした。
「お前らの手下になって、殺しや詐欺の片棒は担げないってことだ。薬の受け渡しも、さっきのが最後だ」
断固とした口調だった。いくら金に困っていても、譲れない一線がある。セラフィナは一瞬きょとんとしたが、すぐに笑い出した。
「あはは、そんなことを期待してたわけじゃないわよ」
彼女は手を振った。
「私がしたいのは、もっと別のこと。キシュの森と、シッパルの山にある聖火の場所に行きたいの」
メルベルは目を見開いた。
「なんで?」
アンデッドが聖火の場所に行くなど、前代未聞だ。普通なら、生命エネルギーの奔流に耐えられずに消滅してしまう。セラフィナは遠い目をした。
「少し昔を思い懐かしんでいるのよ。この姿になって長いから、たまには変わったこともしたくなる」
彼女は自嘲的に笑った。
「けど、ちょっと道に詳しくなくてね。都合のいい道案内を探してたってわけ。その点、あんたなら都合がいい」
セラフィナはメルベルを見つめた。
「で、できるの?」
メルベルは内心で驚いていた。これは渡りに船だ。キシュの森もシッパルの山も、アザリアと共に踏破した場所。道は完璧に覚えている。危険な場所も、安全なルートも、全て頭に入っている。
「金を払ってくれるなら」
努めて冷静に答えた。セラフィナは考えるような顔をした。
「相場ってどんなものなの?」
「前の依頼人は金貨二十枚だった」
アザリアのことを思い出しながら答えた。実際には、彼女からきちんとした報酬を受け取ったことはなかったが、村々からの報奨金を合わせれば、それくらいにはなっただろう。
セラフィナは懐から革袋を取り出した。
「とりあえず、前金で」
金貨が十枚、テーブルに並べられた。メルベルは息を呑んだ。こんな大金を一度に見るのは、いつ以来だろうか。
「ありがたい。だが、きちんとしておこう」
メルベルは立ち上がった。
「店の主人のところに行って、契約書を作ってもらう」
セラフィナは意外そうな顔をした。
「そういうものなの?」
「傭兵の世界では当たり前だ。口約束じゃ、後で揉める」
二人は宿屋の主人のところへ向かった。主人は渋い顔をしたが、銀貨を握らせると羊皮紙と羽ペンを用意してくれた。
メルベルは慣れた手つきで契約内容を書き始めた。護衛期間、報酬、双方の義務。セラフィナは興味深そうにそれを眺めていた。
「あんた、字が書けるのね」
「父が教えてくれた。戦士も、契約書くらい読めないと騙される」
「へえ、立派な父親だったのね」
セラフィナの言葉に、メルベルは少し誇らしげな顔をした。父ガレスのことを思い出すと、背筋が伸びる。
「それで、いつ出発する?」
「明後日でどう? 準備も必要でしょう」
「構わない。装備を整える時間が欲しかった」
契約書に双方が署名し、取引は成立した。メルベルは前金の金貨を大切に懐にしまった。
「ところで」
セラフィナが何気なく尋ねた。
「前の依頼人って、どんな人だったの?」
メルベルは一瞬言葉に詰まった。アザリアのことを話すわけにはいかない。
「......まあ、変わった巫女だった」
「ふうん」
セラフィナはそれ以上追及しなかった。互いに深く詮索しない。それが、この奇妙な関係の暗黙のルールだった。
夜が更けていく。都の喧騒も、徐々に静まり始めていた。落ちぶれた戦士は、新たな仕事を得て、わずかながら希望を取り戻していた。そして堕ちた巫女は、何か秘めた目的を抱いて、聖地への旅を計画していた。




