第百二十二話「残飯と施し」
都の裏路地は、昼間でも薄暗く湿っていた。石造りの建物が密集し、太陽の光はわずかな隙間から差し込むばかりである。その狭い通路の奥、食堂の裏手には、残飯を入れた木樽がいくつも並んでいた。
メルベルは膝をついて、その樽を漁っていた。隣では、歯の抜けた老人と、片足を引きずる若者が同じように残飯を探している。三日前なら、こんな真似は死んでもしなかっただろう。だが、空腹には勝てなかった。
「カタギの仕事......か」
彼は苦笑した。まともな商人は、素性の知れない流れ者など雇わない。特に今の自分のような、薄汚れた敗残兵の風体では。信用という最も大切なものが、自分には欠片もなかった。
樽の中から、比較的まともそうなパンの欠片を見つけた。カビは生えていない。上出来だ。それを懐に忍ばせながら、メルベルは深い溜息をついた。
「せめてあの時、城で華々しく散っていれば......」
情けをかけられて生き延びた屈辱よりも、こうして残飯を漁る惨めさの方が、よほど耐え難かった。鉄嵐流の使い手が、浮浪者と肩を並べて残飯漁りとは。父ガレスが見たら、何と言うだろうか。
汚い裏稼業なら、まだ仕事はある。盗み、恐喝、用心棒。この界隈では、腕の立つ者はいくらでも需要がある。だが、アザリアの顔が脳裏をよぎるたびに、そんな真似はできなくなっていた。彼女のガードだった自分が、そんな下劣な仕事に手を染めるわけにはいかない。
「いっそ出頭して、牢屋で飯を......いや、まさか飯など出るものか」
処刑台が待っているだけだろう。それとも拷問か。どちらにせよ、ろくな結末ではない。かといって、このまま路地裏で餓死するのも、戦士として余りにも情けない最期だ。
「どうしたものか......」
顔を上げた時、視界に奇妙な姿が映った。
薄汚れた巫女服を着た女が、路地の向こうに立っていた。青白い肌、虚ろな目。どこか生気のない、死人のような佇まい。メルベルは目を細めた。
「......そう言えば、アザリアも最初はあんな格好だったな」
あの日、酒場で初めて会った時のことを思い出す。ボロボロの巫女服、絶望に満ちた表情。あの時の彼女も、今の自分と同じように、どん底にいたのかもしれない。
女の顔をよく見ると、どこか見覚えがあった。青白い肌はルカヴィ特有のものだ。普通、下っ端のルカヴィは夜の女や犯罪者として人間社会に紛れ込む。巫女服など着るはずがない。
「待てよ......」
メルベルは記憶を辿った。夢で見た光景が蘇る。月明かりの夜、アザリアを連れて城から脱出させた女。青白い肌の女。まさか。
「おい、あんた」
メルベルは小声で呼びかけた。女はゆっくりと振り返り、胡乱げな目で彼を見下ろした。警戒と軽蔑が入り混じった視線だった。
「なんだい、浮浪者」
「あんた、巫女服なんて変わってるな。お前らは普通、もっと別の格好をするものだろう」
暗にルカヴィであることを見抜いていると告げると、女の表情がわずかに強張った。だが、すぐに肩をすくめて見せた。
「別に。あんたには関係ないでしょう」
冷たい声だった。メルベルは開き直った。どうせルカヴィ相手だ。遠慮することはない。
「ここで騒ぎになりたくなければ、少し金を恵んでくれ。もう三日食ってない」
恥も外聞もなかった。生きるためなら、敵にだって頭を下げる。女は周囲を見渡し、面倒くさそうに鼻を鳴らすと、懐から小銭を取り出して投げてよこした。
銅貨が三枚、石畳に転がった。メルベルは慌てて拾い上げた。
「......本当にくれるとはな」
彼はにやりと笑った。思わぬ収穫だった。これで今日の食事にはありつける。
「ずいぶん慈悲深いな。お前らが巫女の真似事をするとはね」
皮肉のつもりだったが、女は動じなかった。
「元巫女よ。ちょっと思うところあってね」
女は自嘲的に笑った。
「元々は金持ちだからね。慈善事業であんたみたいなのには、ずいぶん世話してあげたわ。炊き出しの金を出してやったりとかね」
皮肉めいた口調だったが、どこか懐かしむような響きもあった。
「今じゃこの有様だけど、昔は施しをする側だったのよ。皮肉なものでしょう?」
その言葉に、メルベルは複雑な表情を浮かべた。金持ちの巫女がルカヴィになる。それがどれほどの転落と裏切りを経た結果なのか、想像に難くない。
二人の間に、奇妙な沈黙が流れた。落ちぶれた戦士と、堕ちた巫女。どちらも、かつての栄光を失い、今は暗い路地裏で生きている。




