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第百十九話「憎悪の炎」



城の大広間で、アジョラは錫杖を高く掲げて勝利を宣言した。


「我らの勝利だ!神殿軍は敵の拠点を制圧し、ルカヴィどもを撃退した!聖なる炎が再び悪を照らしたのだ!」


神殿戦士たちからの歓声が響き渡る。だが、その喜びも束の間、伝令が駆け寄ってきた。


「聖女様!アザリア様の救出に成功いたしました!本陣でお待ちしております!」


アジョラの表情が一変した。メルベルの行方も分からないまま、せめてアザリアの無事が確認できたことに安堵を覚える。


「すぐに向かう。馬を用意しなさい」


---


本陣のテントに向かう道中、アジョラの心は複雑だった。勝利の喜びと、メルベルへの心配、そして何より、自分たちが彼にしてきた仕打ちへの深い後悔。


テントの入り口で、アジョラは一瞬足を止めた。中から漂ってくる気配が、いつものアザリアとは何か違っていた。より重く、より濃密で、そして...どこか危険な匂いがする。


「アザリア、無事でよかった」


アジョラがテントに入った瞬間、目の前の光景に息を呑んだ。


そこにいたアザリアの表情は、まるで別人のようだった。普段の聡明で気の強い美しさではなく、氷のように冷たく、そして燃えるような憎悪に満ちていた。その瞳の奥で、何かが静かに、しかし激しく燃えている。


「ルカヴィのような...」


アジョラは思わず後退しそうになった。アザリアの表情があまりにも険しく、まるで敵を見るような憎悪の色が浮かんでいたからだ。


アザリアの脳裏には、自分の忠実な友であり、命をかけて守ってくれたガードを侮辱されたことに対する激しい憎しみが渦巻いていた。神殿という組織、そこに属する全ての人間への不信と嫌悪が、心の奥底で黒い炎となって燃え上がっている。


誰も信用できない。頼みの綱であったメルベルは、敵と戦った後に捕縛を恐れて逃げたのか、あるいは戦場で死んだのか、それすらも明らかではない。


「メルベルはどうなったの」


アザリアの声は低く、抑制されていたが、その奥に激しい感情が渦巻いているのが分かった。


「なぜ彼にあんなに辛く当たったの。なぜ彼を一人にしたの」


目上であるはずのアジョラに対して、まるで尋問するかのようにきつく問いただす。その物言いの激しさに、周囲にいた神官や神殿戦士たちも驚愕の表情を浮かべた。


「アザリア様、そのような口の利き方は...」


一人の神官が諫めようとしたが、アザリアの視線が彼を射抜いた瞬間、言葉を失った。その眼差しには、人を殺せるほどの冷たい怒りが宿っていた。


アジョラは顔をぐっと苦悶で歪め、深く項垂れた。


「本当に...なんと言ったらよいのか」


その時、アジョラは恐ろしいことに気づいた。アザリアの中に宿る聖火の炎の揺らぎと輝きが、いつもとは違っているのだ。清浄で温かい光ではなく、どす黒く、力強く、そして破壊的な力を秘めているように見える。


メルベルの言っていた微睡の魔王への片鱗。アザリアが絶望によって変貌する可能性。それがまさに、一歩を踏み出したのではないかと思わせるほどの変化だった。


「彼は...王との一騎打ちの後、いなくなってしまいました」


アジョラの声は震えていた。


「きっと、まだ冤罪のことを知らないのでしょう。彼になんとか連絡を取って、誤解を解きます。すぐに、すぐにあなたの元に返します」


アジョラは必死にアザリアを宥めようとしたが、アザリアの表情は変わらなかった。


「そう...」


アザリアの声は静かだったが、その静けさがかえって不気味だった。


「信用できるかしら、その言葉を」


内心で、アザリアは冷たく思っていた。もう誰も信用などできない。神殿の人間など、全て敵かもしれない。メルベルを陥れ、自分を裏切る者たちかもしれない。


「きっと見つかります。必ず」


アジョラは懸命に言葉を続けたが、アザリアの心には全く響いていなかった。


テントの中に重い沈黙が流れた。勝利の祝賀ムードなど、どこにもない。あるのは疑念と不信、そして静かに燃え続ける憎悪の炎だけだ。

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