第百十一話「汚名と混乱」
夜風を切って馬を駆らせながら、メルベルは苦々しい表情を浮かべていた。
「これで俺もお尋ね者か...」
己の境遇の皮肉さに、思わず自嘲の笑いが漏れる。つい数時間前まで聖女の庇護の下にいた身が、今や逃亡者として追われる立場になった。だが、それも運命ならば受け入れるしかない。
夢で見た風景を思い出しながら、メルベルは城の方角へと馬を向けた。月明かりが照らす荒野の向こうで、時折炎の光が上がっているのが見える。神殿軍とアンデッド勢力の戦いが、あちこちで繰り広げられているのだろう。
「せめて、アザリアが脱出しやすいように...」
メルベルは決意を固めた。自分一人で城に乗り込み、大暴れして敵の注意を引く。その隙にアザリアが逃げる時間を稼ぐのだ。夢で見た光景が正しければ、必ず彼女は助かる。
最初に遭遇したのは、廃墟の村で交戦中の小部隊だった。神殿戦士三人がルカヴィ一体に苦戦している。メルベルは躊躇することなく戦場に飛び込み、短刀でルカヴィの背中を突き刺した。
「なっ...誰だ貴様は!」
神殿戦士たちが驚愕する中、メルベルは素早く馬に戻って次の戦場へ向かった。彼らが状況を理解する前に姿を消すのが得策だった。
---
一方、野営地の本陣では、騒ぎを聞きつけたアジョラが血相を変えて駆けつけていた。
「一体何があったのですか!」
集まった兵士たちの報告は混乱を極めていた。
「メルベルという男が突然暴れ出して...」
「神殿戦士二人を殴り倒して逃走しました」
「異教徒の血が騒いだのでしょう」
アジョラは眉をひそめた。メルベルがそのような乱暴を働く理由が思い当たらない。
「負傷した者たちの容態は?」
「軽傷ですが、まだ意識が朦朧としています」
アジョラは天幕の中に入り、床に横たわる神殿戦士の一人に声をかけた。
「何があったのか、詳しく聞かせてください」
男は顔を青ざめさせながら答えた。
「あの異教徒が...いきなり襲いかかってきたのです。私たちは何もしていないのに...」
だが、その話には不自然な点が多すぎた。なぜ二人同時に天幕にいたのか。なぜ真夜中にメルベルのもとを訪れたのか。問い詰めるごとに、男の話は支離滅裂になっていく。
「おかしいですね」アジョラの声が冷たくなった。「あなたの話には矛盾があります」
男の顔が土色に変わった。
「い、いえ、その...追いかけます!すぐに追いかけて捕まえます!」
男は慌てたように立ち上がり、アジョラの制止も聞かずに天幕から走り去っていく。
「待ちなさい!」
アジョラが呼び止めようとしたが、男の姿は既に夜の闇に消えていた。
「なんということ...」
アジョラは呆然として立ち尽くした。全てが悪い方向に転がっているような気がしてならない。メルベルの身に何が起きたのか、そして自分はどう対処すべきなのか。
天幕の外では、他の兵士たちが騒然と話し合っている。
「あの男、やけに慌てていたな」
「確かに様子がおかしかった」
中には疑問を抱く者もいたが、大多数の兵士たちは単純な結論に落ち着いていた。
「異教の夢遊病者が錯乱して兵士を殴ったのだろう」
「やはり異教徒は信用できん」
「聖女様も甘すぎる」
そんな声がアジョラの耳に届く。彼女は深いため息をついた。
「皆、落ち着きなさい」アジョラは威厳のある声で命じた。「まずは逃走した者を追いかけ、事の真相を確かめましょう。部隊を編成して、メルベルの行方を追います」
「しかし聖女様、あのような危険人物を...」
「私の命令です」
アジョラの一喝で、兵士たちは黙り込んだ。だが、その表情には明らかな不満が浮かんでいる。
夜が更けていく中、新たな混乱の種が蒔かれていた。真実を知る者は少なく、誤解と偏見だけが野火のように広がっていく。
アジョラは馬にまたがりながら、暗い予感に胸を締め付けられていた。この騒動の背後には、きっと更なる陰謀が潜んでいるに違いない。




