第一話「没落と出会い」
父の破産により、全てを失った巫女アザリア。
神殿から言い渡された「聖地巡礼」は、事実上の死刑宣告だった。
場末の酒場で雇った護衛は、無愛想な傭兵メルベル・ボム。
法力使いと呼ばれる古い戦士の末裔。
二人とも、生きて帰れるとは思っていなかった。
だが、命を捨てるつもりで始めた旅は、
やがて千年王ギシュガルとの決戦へと繋がっていく。
聖火を宿す巫女と、闘の法力を操る戦士。
相容れないはずの二人が歩む、運命の巡礼路。
イシュタル・アザリアという女性の運命が決定的に変わったのは、父の破産が神殿に知れ渡った、あの秋の日であった。
名門巫女家系の血を引くアザリアにとって、父の商業的失敗は単なる経済問題ではなかった。それは彼女の社会的地位そのものの崩壊を意味していた。神殿における巫女の序列は、家系の格式と経済力によって厳格に決められている。父の没落は、アザリアを一夜にして「後ろ盾のない巫女」という最も不遇な立場へと突き落としたのである。
「聖地巡礼の任務を授ける」
神殿長老の言葉は、表面上は栄誉ある使命のように聞こえた。しかし、アザリアには、それが事実上の島流しであることがよく分かっていた。近年、優秀な巫女には複数の神殿戦士が護衛として付けられ、万全の体制で聖地巡礼が行われている。一方で、彼女のような没落した家系の娘には、そうした支援は一切与えられない。
「一人で行けというのですか」とアザリアは尋ねた。
「ガードを雇うがよい。それが伝統であろう」
長老の冷たい返答に、アザリアは全てを悟った。これは聖地巡礼という名の処刑宣告なのだ、と。
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商業都市ウルの場末の酒場で、アザリアは店主に声をかけていた。この酒場は、正規の神殿戦士たちが決して足を向けることのない、荒くれ者と失業した傭兵たちの溜まり場であった。
「護衛を探しているのですが」
アザリアの声には、かつての貴族的な響きがまだ残っていた。しかし、その瞳には深い諦めの色が宿っている。店主は、目の前の巫女装束の女性を値踏みするような視線で見た。
「正式な護衛なんて、この店にはいませんよ。お嬢さんみたいな身分の方が来るような場所じゃ...」
「ちゃんとした人じゃなくていいの」
アザリアは懐から小さな革袋を取り出し、数枚の銀貨を店主の手に押し付けた。わずかな蓄えの中から搾り出した金である。
「とにかく、聖地まで案内してくれる人がいれば」
店主は銀貨の重みを確かめてから、困ったような表情を浮かべた。
「そりゃあ...一人だけ心当たりがありますが...異教徒の戦士でして」
「構いません」
アザリアの即答に、店主は驚いた。普通の巫女なら、異教徒という言葉を聞いただけで顔をしかめるものだ。
(どうせ死ぬのです)
アザリアの心の中には、もはや恐怖すらなかった。雇った護衛に途中で襲われて殺されても、それはそれで構わない。むしろ、聖地で野垂れ死にするよりはましかもしれない。そんな自暴自棄な気持ちが、彼女の判断を支配していた。
父の破産、神殿での屈辱、そして今、この薄汚れた酒場で命の値段を銀貨数枚と値踏みしている自分。かつて聖女アジョラに憧れ、いつかは自分も同じような栄光を手にしたいと夢見ていた日々が、遠い昔のことのように思えた。
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店主が奥から連れてきた男は、アザリアの予想を裏切る存在だった。
確かに身なりは整っていない。武器も古風な剣と、時代遅れの革の防具である。近代化された神殿戦士の法石武器とは比べるべくもない装備だった。しかし、その瞳には、単なる荒くれ者とは違う何かが宿っている。おそらく法力使いと呼ばれる古代武術の使い手なのだろう。
「メルベル」
男は短く名乗った。声は低く、愛想というものが微塵も感じられなかった。
「イシュタル・アザリア。聖地巡礼の任務を受けております」
アザリアもまた、簡潔に自己紹介した。
メルベルは、目の前の巫女を一瞥すると、何も言わずに酒場を出て行こうとした。その後ろ姿に、アザリアは自分と同じような諦めの色を見た気がした。
「待って」
アザリアの声に、メルベルは振り返った。
「頼めないか」
「金が足りん」
メルベルの返答は素っ気なく、交渉の余地など一切ないといった調子だった。
「これでは?」
アザリアは残りの金貨を全て取り出した。20枚の金貨。彼女に残された全財産である。
メルベルは、その金額を見て苦笑いを浮かべた。聖地巡礼という自殺行為の対価としては、確かに安すぎる。しかし、彼にも選択の余地はなかった。法石技術の普及により、古典的な戦士への需要は皆無に等しい。この仕事を断れば、次にいつ収入を得られるかも分からない。
「いつまでだ」
「聖地巡礼が終わるまで」
「生きて帰れるか」
「分からない」
二人の会話には、妙な率直さがあった。互いに死を覚悟している者同士の、飾り気のない交渉である。
メルベルは金貨を受け取った。
「メルベル。法力使いだ」
「よろしく」
アザリアが手を差し出すと、メルベルは少しためらってからその手を握った。それが二人の旅の始まりであった。
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酒場を出た二人は、ウルの街を歩いていた。夕日が建物の間から差し込み、二人の影を長く伸ばしている。
「明日の朝、街の東門で」
メルベルの言葉は短く、事務的だった。
「分かりました」
アザリアは頷いた。これから始まる旅路は、おそらく帰還の見込みのない片道の道程となるだろう。しかし、この瞬間、アザリアの心には久しぶりに小さな安らぎがあった。
少なくとも、一人で死ぬことはない。




