第5話 能面が覗く屋敷の謎を追います(前編)
大学の昼休み。購買のパンをかじっていた沙紀の耳に、聞き捨てならない単語が飛び込んできた。
「ねえ知ってる? 駅裏の古い屋敷、夜になると窓から白い女の人が覗いてるんだって」
「やだ~、しかも真夜中にピアノの音がするって。あれ、もう誰も住んでないはずでしょ?」
沙紀はパンを口に咥えたまま、隣の席の友人に視線を向けた。
「……それ、完全に仕事案件じゃん」
「え、何が?」
「こっちの話」
幽霊騒動。しかも大学近くの古い屋敷。
いかにも霊的な何かがありそうで、放っておけば面倒なことになる予感しかしない。
案の定、午後の講義が終わったころ、スマホに霊庁からの通知が入った。
【案件】○○市××町の旧藤村邸にて心霊騒動発生。調査および対応を依頼する。
ため息をつきつつアプリを開くと、依頼概要と現場写真が表示された。
築百年以上の和洋折衷の屋敷。ところどころ壁の漆喰は剥がれ、門の鉄柵も錆びている。夜の雰囲気は確かに怪談の舞台そのものだ。
沙紀はすぐに蓮真へメッセージを送る。
「今夜、幽霊屋敷調査。行ける?」
返ってきたのは即レスではなく、少し間を置いてから。
【蓮真】悪い、今日は会議と夜間巡回がある。藤原を代わりに——あ、無理か。玖珂真宵が空いてるはずだ。
「……は?」
思わず声が漏れた。
その直後、霊庁から追加連絡。
【霊庁】玖珂真宵を補佐に任命。今回の件は彼女の初現場となります。
「初現場って……よりによって私と?!」
沙紀は額を押さえた。
九尾戦のときから何かと突っかかってくる真宵。学内で会えば、遠回しにマウントを取ってくるあの性格。
もちろん優秀なのは認めるが、息を合わせて現場をこなす姿は……どうしても想像できない。
けれど仕事は仕事だ。行かなければ、幽霊騒動は広がる一方だ。
「はあ……これはもう、幽霊より相棒のほうが怖いパターンだな」
夕暮れのキャンパスを歩きながら、沙紀は頭を抱えるのだった。
ーーーー
午後の曇天が、その古びた屋敷の瓦屋根をさらにくすませていた。外壁は色褪せ、ところどころ亀裂が走り、窓は煤けて中の様子を隠している。門をくぐった瞬間、ひやりとした空気が肌を撫で、背筋をぞくりと冷たい感覚が走った。
「――これが、屋敷の見取り図と由来の資料よ」
真宵が懐から取り出した封筒を、わざわざ沙紀の目の前に差し出す。その表情は、まるで「こういう事前準備ができてこそ一流」という無言の圧を放っていた。
「へぇ、ありがと」
沙紀は受け取りながら、淡々とページをめくる。そこには手描きの簡易な見取り図と、古びた文字で書かれた屋敷の歴史が記されていた。
――明治初期、この屋敷は名のある茶道家の邸宅として建てられた。だが戦中の空襲で一部が焼け落ち、その後は人の出入りが途絶えたという。そして十年前、屋敷の相続を巡る騒動の最中、持ち主の一人が屋敷内で不審死した――。
「廃墟になってから、勝手に灯りが点くとか、夜中に足音が響くとか……。そういう噂が絶えないみたいね」
真宵は淡々と説明しながらも、その金茶色の瞳は屋敷の奥を警戒するように細めている。
敷地内は、静かすぎた。鳥のさえずりも、風の音すらもない。ただ、湿った土と古い木材の匂いが鼻をつく。
屋敷の玄関を踏み入れると、重たい木の扉がきしむ音が響いた。
……同時に、空気が変わった。
外よりもさらに冷たく、重く、澱んだ空気。沙紀は足先からじわりと冷気が這い上がるのを感じ、反射的に霊力を練った。
「感じる?」
「うん……何か、いる」
廊下の奥、かすかな気配が揺れる。視界の端で、ふと障子の影がゆらりと動いたように見えた。だが目を向けた瞬間には、何もない。
真宵が小さく呟いた。
「……付喪神ね。百年近く残った家具や道具には、感情が宿ることがある」
その言葉を裏付けるかのように、古い柱時計が唐突に時を告げた。
――ボーン……ボーン……
止まっているはずの針が、勝手に動いている。
そして。
二階から、ゆっくりと……だが確実に……足音が近づいてきた。
ぎ……ぎ……ぎ……。
人の歩く速さではない。間隔の不自然な、軋む音。
沙紀の胸が、どくん、と高鳴った。
(……これ、普通じゃない)
次の瞬間、屋敷全体の空気がびりりと震えた。廊下に置かれていた古い花瓶がカタカタと揺れ、天井裏から低くうなるような音が響く。
「来るわよ」
真宵が結界符を握り、視線を階段の影に向けた。
沙紀も、無意識に呼吸を整える。
何かが、階段の向こうから――こちらを覗いている。
午後の沈んだ光の中、階段の影でその能面がじっと覗き込んでいた。最初はただの飾りかと思えたが、じわりと表情が変わり始める。笑顔だったはずの「小面」の口角がゆっくりと下がり、瞳は鋭く光を帯びていく。
沙紀は息を呑み、目を逸らすと同時に、ふと気づいた。能面の距離がいつの間にか近づいているのだ。まるで、こちらをじっと見据え、何かを伝えたがっているかのようだった。
「沙紀……これ、付喪神だわ」真宵が声を潜めて言った。
その能面の付喪神は、静かな声で語りかけてきた。
「この屋敷に潜む悪しきものを退けてほしい。私たち付喪神は、長き時を経てこの家を守ってきた。だが今は、邪悪な霊や妖怪が棲みつき、平穏を乱している」
沙紀は頷き、静かに決意を固めた。
「わかったわ。あなたの頼み、必ず叶える」
廃屋の奥深く、異様な静けさのなかで沙紀は慎重に足を運んだ。能面の付喪神が示す言葉を頼りに、彼女は屋敷内に散らばる痕跡を見逃さずに拾い集めていた。
壁に残された古い墨跡、床に刻まれたかすかな爪痕、ひび割れた窓の隙間から差し込む微かな光。これらすべてが何かの意味を持っているように感じた
「この屋敷の幽霊騒動は、過去に起きた事件と妖怪の仕業が絡んでいるのかしら」
隣で真宵が用意した資料と文献を読み込みながら言った。
「そうね。付喪神の言葉も忘れずに。彼らは屋敷を守ってきたけど、今は異変を訴えている。どこかに原因が隠されているはず」
沙紀は頷き、慎重に部屋の隅を調べる。ふと、古い書棚の背後に不自然な空間を見つけた。押し込まれたように置かれた古書の一冊が、埃をかぶっていた。
「これは……?」
沙紀が手に取ると、そこには屋敷で起きた過去の事件の詳細な記録が記されていた。相続争いの最中に起きた不審死、そしてその裏で蠢く妖怪たちの影。
「妖怪は、この混乱に乗じて力を増したんだわ」
真宵もページをめくりながら、
「付喪神が守りきれなくなったところに、幽霊騒動が起きたのね。沙紀、どう思う?」
沙紀は資料を閉じ、険しい表情で答えた。
「でも、変ね、この遺産相続についても相当昔の話よ、なんで今になって幽霊騒動になったのかしら」
沙紀の疑問に真宵も首を傾げる。
「そうね、言われてみれば、陰陽術の符や結界も使いながら進みましょうか、霊的な力が強い所に妖怪がいそうよね。」
沙紀は、玖珂と少しだけ連携できるようになってきたなと感じた。
(やれば出来るじゃん、わたし)
少し真宵への苦手意識は低くくなっているようだった。
屋敷の闇に潜む真実を追い求めて歩みを進めた。




