第1話 銭湯を救う?
更新順を間違えまして、訂正いたしました。
夜の銭湯は、静かな湯気に包まれ、温かな水音が周囲に響いていた。そんな穏やかな空気を切り裂くように、突如として巨大な白銀の影が姿を現した。
「――ホワイトドラゴン!」
その美しくも威厳ある姿は、まるで伝説の魔獣が現れたかのようだった。龍の鋭い瞳が浴槽を占拠する河童たちを見据えると、彼は咆哮を上げて水面を蹴散らした。泡沫と共に水しぶきが舞い上がり、驚いた河童たちはあわてて四方へ逃げ散っていく。
「ち、ちょっと待て! ここは俺たちの場所だ!」一匹の河童が水中から叫んだが、もはやその声は届かなかった。
騒ぎは瞬く間に近隣へと広がり、銭湯の経営者は頭を抱えていた。
***
翌朝、朝比奈沙紀は大学の図書館で課題に追われていた。集中しなければならない時期だというのに、スマートフォンが震え、霊庁からの緊急連絡が届く。
「沙紀さん、近所の銭湯で河童の騒ぎがあるとのこと。女湯もあるので、あなたにも協力をお願いしたいのです。」
沙紀はため息混じりに頷き、バッグを肩にかけた。
「わかったわ。蓮真に連絡して、一緒に向かう。」
***
現場に到着すると、銭湯の前には困り果てた経営者と、迷惑そうな近隣住民たちが集まっていた。
「この河童どもが、綺麗な水だからと銭湯の浴槽を占拠してしまって……もう困っているんですよ。」
沙紀と蓮真は銭湯の中へ足を踏み入れる。そこには、のんびりと湯に浸かる河童たちが、まるで自分たちの家のように振る舞っていた。
「ここは俺たちの場所だ。水が綺麗だから譲れないんだよ。」
一匹の河童がそう言い張る。
沙紀は丁寧に説得を試みた。
「河童さん、近所の人たちも困っていますし、銭湯は皆が使う場所です。別の水場を探してみませんか?」
だが、河童たちの理屈は独特で、譲る気配はまるでない。マイペースに話す河童たちの言葉に、沙紀の焦りは増していった。
「蓮真、どうしたら……」
蓮真は冷静に助言する。
「無理に押し通すより、彼らの主張を尊重しつつ折り合いを探ろう。だが、無理がある時は俺たちの力も使わざるを得ない。」
蓮真に悟られて沙紀は対話を続けてみることにした。
「だからなぁ、ここの水は特別なんだよ」
湯船に肩まで浸かりながら、緑色の皿をきらきらと光らせた河童が胸を張る。
「山からの湧き水、塩素なし! おまけにお湯の温度が我ら河童にジャスト! こんな場所、手放せるかってんだ!」
「……いや、ここ銭湯なんで。営業妨害なんで。お客さん、いや河童さん、他のお客さん困ってるんですよ」
沙紀は腕を組み、低めの声で諭す。だが河童たちは、むしろ逆に勢いづいた。
「お客さん言うな! わしら常連だ!」
「そうだそうだ! 先週も来たぞ!」
「代金払ってないけどな!」
後ろから茶碗を持った別の河童が茶々を入れ、浴槽内にどっと笑い声が広がる。
沙紀はこめかみを押さえた。
(何この論理のブレンド……まともに会話が成立しない……)
「じゃあ、ほら、川に帰ってもらえませんか? 川だって綺麗な水ですよね」
「川は今、工事中で濁ってるんだ」
「だったらプールにでも行けば」
「塩素が目にしみるだろ!」
「温泉」
「遠い!」
返事の一つひとつが、堂々とした無茶苦茶ぶりだ。
蓮真が背後から小声で「深呼吸しろ」と促すが、沙紀の眉間の皺は深まるばかり。
「……あなたたち、何でそんなに銭湯に執着するの?」
「決まってる! ここはわしらの楽園だ!」
「お湯加減も完璧だ!」
「そして何より、女湯のほうからいい匂いがする!」
「おいそれは言うな!」
蓮真が横で頭を抱える。藤原は完全に呆れ顔だ。
沙紀の我慢のメーターは、カチカチと針を振り切りはじめていた。
(ああもう無理。こんな生き物たちに正論ぶつけるだけ時間の無駄じゃん……)
彼女はゆっくりと呼吸を整えた――かに見えたが、目は笑っていない。
「……わかった。平和的解決は、諦めます」
口調は落ち着いているが、背後に冷気が漂った。
「出てってくれないなら――強制退去です」
河童たちは一瞬「?」と首を傾げたが、次の瞬間、天井を突き破るような白光が浴場を満たす。
「出でよ――シルヴァリオン!」
轟音とともに、白銀の鱗を輝かせた巨大なドラゴンが湯気の中に現れる。
河童たちは一斉に悲鳴を上げ、慌てて浴槽から飛び出す。
「ひぃぃぃ! 冷たいのは苦手なんだよぉ!」
「皿の水がこぼれるー!」
四方八方に散って逃げていく河童たちを、シルヴァリオンが容赦なく追い立てる。
沙紀は腰に手を当て、にやりと笑った。
「はい、これにて営業再開です」
事態は収束し、蓮真は沙紀に優しく諭した。
「力に頼るだけじゃいけない。時には根気強く対話も大切だぞ。」
沙紀は照れくさそうに「はーい」と答え、少しだけ顔を赤らめた。ペロっと、舌を出す仕草が愛らしい。
その様子を見ていた藤原は、呆れたように苦笑した。
「まったく……お嬢様はいつもそうなんだから。」
こうして、またひとつ沙紀の陰陽師として事件を解決(?)したのだった。