第二章 現実という鋼の束縛
監督官ギュンターの冷酷な視線にさらされながら、俺とアーダが支え合いながら家を出た。
小屋から一歩外に出ただけで、無慈悲な白い悪意に満ちた太陽が、俺の弱った眼球を刺す。前世の俺は
遮光カーテンで薄暗い部屋に慣れたのに、異世界の純粋で暴力的な太陽光は、俺にとって一種の苦痛だった。視界に広がるのは、見渡す限りの田んぼで、区画に分割され、遠くの地平線にぼんやりと見える、権力を象徴する領主の城まで続いていた。畑の傍らに、茅葺き小屋が散らばっている。それが農奴たちの居場所だろう。
そして、その大地にへばりつくようにして動く、ボロ切れをまとった人影の群れ。彼らの動きは機械的で、まるで動く案山子のように静まり返っており、鋤が土を掘り起こす音だけが単調に響いていた。ここには会話も笑いもなく、ただ労働に支配された、死んだように静かな重苦しさだけがあった。
ここが俺の新しい『職場』ってわけか。
最悪の気分だった。
「これを使って」
アーダはずっしりとした、先端が鉄製の鍬を押し付け、少し離れた場所にある耕されたばかりの土地を指さした。「今日の仕事は、この土の塊を砕いて、平らにすること。ゆっくりでいいから、絶対にまた倒れないで。」
アーダの目には心配の色が濃く浮かんでいたが、ここに長く留まることを敢えてしなかった。すぐに自分たちに割り当てられた別の畑に戻っていった。そこには「テオ」の「父親」グラム、同じように口数が少なく、生活に背中を丸めた男がいた。
俺は手の中の農具を見下ろした。これは鍬というより、粗末な木の棒に鈍く磨かれた鉄片がくくりつけられたもので、想像以上に重かった。俺の前世の人生で、持った最も重いものといえば、スマートフォンの二台同時持ちくらいだというのに。
「ボーっとするな!さっさと動け!」
鞭の風を切る音が耳元で炸裂し、監督官の荒々しい声も来た。
刺激を受けたように、俺の体が反射的に動いた。ギュンターは満足そうに鼻を鳴らし、他の農奴の監視へと向かっていった。
周囲を見渡す。
誰も喋らない。聞こえてくるのは、風の音と、魂を削るような、鍬が土を打つ単調な音だけ。
働いている者たちの目は、まるで死んだ泥水のように淀んでいた。彼らは生きていない。ただ、死ぬことを許されずに、労働という罰を延々と科せられている生ける屍だ。
「……っ!、たかが土を掘るくらい」
俺は唇を噛み締め、自らを慰め、記憶の中にある動作と遠くの農奴たちの動きを真似ようと、鍬を振り上げて、乾いて固い地面に叩きつける。
ガンッ!
凄まじい衝撃が腕から肩、そして脳天まで突き抜けた。手の中で鍬が暴れ、危うく取り落としそうになる。掘り返せたのは、地面の表面をわずかに傷つけた程度。掌には、さっそく木のささくれが刺さり、血が少し滲んだ。
「……くそ!」
乾いた喉から、かすれた声が漏れる。
ゲームなら、ボタン一つでキャラクターが華麗に大地を耕してくれる。だが、現実はこれだ。一つ一つの動作が、俺の貧弱な肉体に、純粋な苦痛として跳ね返ってくる。
幸いなことに、誰も(特に監視官)俺の姿を気づいていないようだ。耳にした音は変わりがなく、ただの魂を削るような音だけだ。
俺は落ち着いて、深呼吸をして、もう一度やりなおして、地面に叩きつけた。
浅い......
ここの土地が乾くてひび割れ、まるで魚の鱗のようにめくれ上がっている。
もう諦めたい、休みたい、この体は病気で弱いが、少なくともずっとこういう農業をしてきて、前世の俺の体よりはましだ。が、中身は21世紀のダメ大学生で、こういう考えを思い上がるのは当然だろう。と思ったとたんに。
強い痛みに伴って、監視官の声が来た
「働かないなら死ねばいい、小僧!」
初めて鞭の味を体験した。よくない、死ぬほどに。目の前が急に光が消えたて、膝も力を失い、倒れそうだが、必死に抑えている。この人が本気だ。倒れたら、本当に殺され、明日の太陽が見えないと、心の奥から叫んでいる。
「申し訳ございません......」
アドレナリンで俺はすぐ鍬を地面に叩きつけた。
だが、今はまだ慣れないかもしれないが、浅いか、力入りすぎるか。焦れば焦るほど、動きは空回りし、体力だけが奪われていく。すぐに息が上がり、心臓が警鐘のように激しく鳴り響いた。病み上がりの身体は、とっくに限界を訴えていた。
心理的な葛藤と現実の無力さが、心の中で激しくぶつかり合っていた。
「俺は一体……何をやっているんだ……」動きは止まり、胸は激しく上下し、尽きることのない悔しさと怒りが、鍬を投げ捨て、この忌々しい空に向かって罵声を浴びせたい衝動に駆られた。
俺は21世紀の大学生だぞ!たとえ落ちこぼれだとしても、現代文明の便利さと自由を享受している!エアコンの効いた部屋で、冷たいジュースを飲みながら、画面の中の仮想世界にあれこれ指図するべきだ。家畜のように、こんな場所で原始的な方法で土を掘るべきじゃない!
しかし、そんな不満が頭をもたげた途端、胃から伝わる、ナイフでえぐられるような飢餓感によって、無理やり押しつぶされた。思い出したのは、母親が渡してくれた黒パン、監視官のいつ落ちてくるかわからない鞭、とこの家庭がやっとのことで飢えをしのいでいる絶望的な状況だけだ。
妥協が唯一の選択肢だ。いや、選択する資格すらない。これが今、唯一生き残る方法なのだ。
「さっさと働け!この怠け者が!」少し離れたところから、監督官の怒号が響いてきた。
俺はびくりと身を震わせた。まるで鞭で打たれたかのように、もう微塵もためらうことなく、あの重い枷を握り直し、機械的かつ麻痺したように、掘り起こし、叩き砕く動作を繰り返した。
尊厳も未来も、もはや頭にはなかった。ただ一つの思考だけが残る──動け。止まるな。でなければ、飯にありつけない。
それは恐ろしい悪循環だった。
ただでさえ虚弱な身体は、高強度の重労働によって最後の一滴まで精力を搾り取られ、効率はさらに落ちた。 効率が落ちれば、作業を終えるためにはより長い時間を費やさねばならず、それはまた、もともと衰弱した身体をさらに蝕んでいく。
それなのに、これら全てのエネルギー源は、昼時にアーダがこっそり差し入れてくれる、ほんの小さな黒パン一切れと、わずかな冷たい水だけだった。
これは正に、泣き面に蜂だ。この言葉がこれほどまでに徹の魂に深く感じることは、かつてなかった。
西の太陽が空を赤く染め上げ、一日の重労働の終わりを告げる頃、俺は自分がすでに死んだかのように感じた。両腕の筋肉は完全に言うことを聞かず、まるで鉛を流し込まれたかのように、指の一本一本がこわばって曲がらなかった。 両手の傷口はすでに擦りむけて爛れ、血と泥が混じり合って塊となり、ほとんど感覚を失っていた。あの古びた土の小屋へ歩いて戻る力さえ残っていなかった。
「ドサッ」
しんと静まり返った田の畔で、膝ががくりと折れ、体はそのまま前へと倒れ込んだ。俺の顔は何の緩衝もなく、冷たく硬い泥土に張り付いた。
泥土の匂いはもはや不快にさせず、むしろ解放されるような麻痺をもたらした。
指一本動かす気力すらなく、ただ虚ろな目を開け、空の果てに残る最後の夕焼けが、闇に飲み込まれていくのを眺めていた。
絶望が、潮のように、俺を完全に飲み込んだ。
異世界への転生?そうなのかもしれない。だが、ここはファンタジーの冒険郷などではなかった。死よりもはるかに長く続く、“農奴”という名の生きた地獄だったのだ。
そして今日は、まだ地獄の最初の扉をくぐったばかりなのだ。