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第一章 絶望農奴サバイバルの開幕

 「……臭っ!」

 

 意識が浮上した瞬間、鼻腔を突き刺したのは、泥と家畜の糞尿が混じったような強烈な悪臭だった。

 なんだこれ。ゴミ収集日の生ゴミ置き場かよ。

 

 重い瞼をこじ開けると、視界に飛び込んできたのは、薄暗い土壁と、藁で葺かれた粗末な天井。天井の隙間から差し込む光が、空気中を舞う無数のホコリをキラキラと照らし出していた。


 「どこだよ、ここ……」

 俺、白崎しらさき とおる、二十一歳。三流大学に通う三流大学生だ。別に授業をサボるわけじゃない。ただ、教室の隅の席で、死んだ魚のような目をして、スマホをいじるだけ、時にメモを取って、すぐスマホに戻る。教授からは「出席だけは真面目な幽霊」と呼ばれているとかいないとか。そう、俺の大学生活のスタンスは、主に参加することに意義がある、的な『寄り添い型』なのだ。

 

 最後の記憶は、確か……シヴィライゼーションに四十八時間ぶっ続けで、朦朧としながらキーボードに突っ伏したところまでだ。心臓に走った一瞬の激痛。

 まさか、俺……ゲームのやりすぎで過労死? ダサすぎるだろ……。

 混乱する頭に、まるで他人の記憶のような情報が濁流となって流れ込んでくる。

 ここは中世ヨーロッパによく似た異世界。

 この身体の持ち主は『テオ』というなんの意味もない、領主の所有物リストに記載されている記号みたいな名らしいが、十五歳の少年で、レーニア子爵という領主様に所属する最下層の『農奴』の息子だ。

 この家は前にも4、5人の子供がいるが、いろいろな原因でなくなったらしい。そして、この唯一まだ生きている少年は昨日、高熱が下がらず、あっけなく死んだ。

 

 つまり、俺は異世界転生を果たした、と。

 

 「……いや、待て待て待て!」

 

 思わずセルフツッコミを入れてしまう。

 異世界転生ってのは、普通、チート能力を授かって王女様や聖女様に囲まれながら、勇者として魔王を倒すようなイージーモードなイベントじゃなかったのか?

 なんで俺が「農奴」なんだよ! 人権すらない、領主の所有物扱いだぞ!

 ステータス画面を開こうとしても、当然ながらそんなものは表示されない。リアルはゲームじゃない。だが、この状況はどんなクソゲーよりも理不尽だ。

 

 混乱している中...

 「テオ?気がついたのかい?」

 入口から聞こえてきたのは、疲れ切った女性の声。麻のずだ袋のような服を着た、年の頃は三十代半ばだろうが、それ以上に老けて見える女性が立っていた。記憶が、この人は母親の『アーダ』だと告げている。

 

 「……母さん?」

 

 口に出してみて、ものすごい違和感に鳥肌が立つ。だが、アーダは俺が目覚めたことに心から安堵したように駆け寄り、ごわごわの手で俺の額に触れた。

 

 「ああ、よかった……!神様、ありがとうございます……!」

 

 彼女はそう言うと、懐から大切そうに布に包まれた何かを取り出した。中身は、石みたいにカチカチで、酸っぱい匂いのする黒パンだった。

 記憶によれば、これは病気の俺のために、アーダが監督官に頭を下げて、特別にもらってきたものらしい。

 前世なら犬も食わないような代物だが、今の俺の胃は強烈な空腹を訴えている。一方は体から原始の望み、一方は現代人としてのこだわり......


 「まじこれを食う?食べれるこれ?」


 やがて遺伝子のほうが勝った。俺は震える手でそれを受け取り、ためらって喉の奥に押し込んだ。

 

 酸っぱい腐臭を放つ黒パンは、口に入れた途端、強烈な酸味が口中に広がった。飲み込もうとしても、異常なほど硬くて喉を通らず、ゆっくりと咀嚼するしかなかった。だが、何が混ざっているのか分からないその黒パンは、噛めば噛むほど砂や石を食らっているかのような不快感で、耐え難いものだった。

 その時、小屋の入口が荒々しく開け放たれた。

 「おい、アーダ!その役立たずのガキはまだ生きてんのか!領主様の畑仕事が待ってるんだぞ!さっさと働かねえと、お前ら一家、今年の冬は干乾びるだけだぜ!」

 

 逆光の中に立つ、鞭を持った大男のシルエット。記憶によれば、この人が農奴たちを管理する監督官、ギュンターだ。農奴たちがその名をけば震え上がるほど、彼らの生殺与奪の権さえ握っている人物だ。まさしく、彼らにとってのローカルエンペラーと呼べる存在だろう。

 その目は、俺を人間として見ていない。ただの労働力、あるいは怠けている家畜を睨む、それだけの光しか宿っていなかった。

 

 「申し訳ありません、監督官様! この子は病み上がりで……」

 「うるせえ! 死にぞこないのガキ一人に構ってる暇はねえんだよ! お前らの命なんざ、畑の芋以下だ!さっさと畑に出ろ! さもなきゃ、お前ら一家の今夜の配給はなしだ!」

 

 理不尽。

 その一言に尽きる。

 怒ってる鬼の先生よりも遥かに怖くて、ついにアーダの後ろに隠れた。その鬼のような形相を見て、本能的な恐怖と現代の魂からの怒りが入り混じっていた。俺は心のそこでは反抗したかった。ライトノベルの主人公のように、突然驚くべき魔力やスキルを爆発させ、この権力を笠に着る男を打ちのめしたかった。

 だが、何も起こらない。この世界では、彼の言葉が法のようだ。逆らえば、文字通り、俺たちは食いっぱぐれる。

 俺が感じられるのは、飢えと衰弱で震える自分の足だけだった。

 

 この世界には、本当に魔法が存在するようだ。記憶の中では、領主様が出かけるとき、いつも華麗なローブを着た魔法使いが付き従っていた。町にいる牧師も傷を癒す神術を使うことができる。しかし、それは皆、領主様のような偉い人たちの世界であり、土地に縛られた農奴の自分たちとは無縁だった。彼らには文字を学ぶ資格さえなく、ましてや神秘的な魔法に触れることなどできなかった。

 

 「聞こえたか、小僧!」 監督官は俺を指さし、唾を飛ばしながら言った。「死んでないなら、今すぐ畑に行け。さもなくば、また鞭の味を教えてやる!」

 

 アーダの哀願するような目と、管事の凶悪な脅しを受け、白崎徹、前世では廃材大学生、転生後は農奴である俺は、ついに自分の置かれた状況をはっきりと認識した。

 この世界に、逆転を可能にするチートも、優しくてかわいらしい美少女も、空から降ってくるようなシステムからの任務もない。

 

 あるのは、冷酷な現実と残酷な生存法則だけだ。

 

  「……わかりました。すぐ、行きます」

 

 ここで逆らうのは得策じゃない。それは、二十一年間の無気力な人生で培われた、俺の数少ない処世術だった。長いものには巻かれろ。強い奴には即座に逆らうな。

 

 生き延びたければ、本物の農奴のように頭を下げ、農具を手に取り、足を踏み入れたことのない田畑に入らなければならない。

 

 テオはゆっくりと草のむしろから立ち上がり、監督官に向かって、そして自分の残酷な運命に向かって、若い頭を下げた。

 彼の声はとても小さかったが、かすかに、別の魂からの不満が込められていた。異世界の農奴のサバイバルは、こうして最も屈辱的で絶望的な形で幕を開けた。

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