⑥
山って、登るときより下りのほうがキツいって言うけど、いや、俺はもう登りの時点でキツい。
息が切れる。汗が首のうしろを伝って、背中のシャツに染みていく。
足はずっと前から重たいし、靴ずれも始まってる。
それでも、止まりたくない。
「ったく……なんで、こんなときに限って、電車もバスも全部止まってんだよ……」
あれからもう何時間歩いてるか分かんない。
とっくにスマホの電源は切れてるし、充電器なんて忘れてきた。
家を出るとき、最初はもうちょっと冷静だった気がするんだけどな。
水筒にお茶入れて、リュックに着替え突っ込んで──
でも、気がついたら走ってた。
いてもたってもいられなくて、気づいたら山のふもとまで来てて。
「……あの時、駅で、声かけて……たらなあ」
思い出すのは、あの卒業式のあと。
「真由美」って、ようやく言えたその瞬間に、スマホが鳴って。
「お父さんとお母さんが事故にあった」なんて、そんなドラマみたいなこと、ほんとにあるんだなって思った。
あれから、何度もタイミングを逃した。
仕事だって、最初は「がんばろう」って思ってたんだ。
両親がいなくなった分、自分がしっかりしないとって。
でも、気がつけば会社の歯車になって、時間に流されて、疲れて、週末は寝て、朝はギリギリ、夜は終電。
そんな日々の中で、真由美の顔を思い出すのが怖くなってきた。
忘れたくないのに、思い出すと苦しくて、怖くて。
でも、昨日。
「あと27時間で、地球に隕石が衝突します」
ニュースのアナウンサーは泣きそうな声で、淡々とそれを言ってた。
SNSはパンクして、駅は大混乱。
それをぼんやりと見てた俺は、なにも考えずに立ち上がって、リュックを掴んで──今ここにいる。
「……バカだなぁ、俺。真由美も、会いたくないとか思ってたら……どうすんだよ」
枯れ枝を踏む音がやたらデカく響いて、俺の独り言が山に吸い込まれていく。
でも、会いたいんだ。
たった一言、「好きだったよ」って言いたいだけなのに。
たった一言、それが、どれだけ難しかったか。
それを言えないまま、世界が終わるなんて、あまりにもバカすぎる。
「間に合えよ、俺……!」
息を吸って、もう一度足を踏み出す。
空は夕焼けに染まりかけていて、山の向こうに、懐かしい街の匂いがした。