第5話
気づいたのは、この世界の魔術はびっくりするぐらい自由度が高いという事だった。例えるならプログラミング? 『こういった働きをする魔素』を何種類も覚えて、それを組み合わせていくのだけど適切にやれば本当になんでもできる。もちろん、それを扱うだけの魔力とひらめきのセンスが必要となってくるワケだけど。
「プリシラは頭が良いのね。わたしにはサッパリだわ」
ある日、日当たりのよい書斎でサイコロみたいにブ厚い魔術書を膝に乗せていた私に、お姉さまは困ったように笑いかけた。パタンと閉じて得意げに笑う。
「いいのよお姉さまは。これは未来への備えというやつなの」
「?」
勉強なんて苦手だったけど、愛しのお姉さまの為と思えば屁でも無いわね。その時、扉を開けて両親が顔を出した。
「セシル、プリシラ。勉強もいいけど一息入れないかい? お父さん達にも構って欲しいなぁ」
「メイドたちとマドレーヌを焼いてみたの。お、美味しくないかもしれないけど……食べたかったら食べてもいいわよっ」
「わぁ、お母さまの手作り? 食べたいですっ」
「わーいっ」
しかし、すっかりほのぼの仲良し家族になったなぁ。だけど油断しちゃいけない、もしここが本当に物語の世界だとしたら、お姉さまが16になる年に本編が始まるはずなのだ。
◇◇◇
暗く冷たい部屋の中で、少年はただぼんやりと宙を眺めていた。
今にも飛んでしまいそうな意識ではあったが、ふと窓の外が光ったような気がして視線をそちらに向ける。中に入れろとでも言いたげに踊っていたのは、数日前に放ったはずの魔術だった。どうやって戻ってきたのかと訝しみながら窓を開けると、感情のままに書き殴った文面は外部からの魔力により変形させられているようだった。どういうことかと並べ替えてみる。
「き、こ、え……」
そこにヘロヘロと遅れてやってきた最後の一文字が文末にふわりと落ち、少年は静かに目を見開く。
――き こ え た よ
何度もそのメッセージを口の中で噛みしめる。くしゃりと顔を歪ませた少年は、大切な宝物でも抱きしめるようにその光たちを掻き抱いた。
「聞こえた……僕の声は誰かに届いたんだ……」
◇◇◇
少しだけ時は流れ、気づけば私は15才の誕生日を過ぎていた。ようやく前世で死んだ年齢に追いついてなんだか感慨深い。
鏡の前に立った私は、ピンクブロンドの髪をツーサイドアップにして白いリボンを結ぶ。あえてあざとい見た目を続けているのは自分が悪役候補だということを視覚的に忘れないためだ。ドレスも黄色とか明るい緑とか子どもっぽい色を選んでるのは、えへへ、お姉さまが似合う~って猫可愛がりしてくれるのもあるけど。
「しかし、ずいぶんご立派に育ったというか……」
半目になりながら、両肩からぶら下がる二つのおっきなボールをたゆんたゆんと持ち上げる。あーうん、義妹と言えばおっぱいが武器みたいなところあるしね。ミサイルとかそういう話ではない。いやだろ、おっぱいミサイルを放つ悪役とか。
(そんなことより今日は大事な日!)
むんっと気合を入れて身支度に戻る。実はこれから、お姉さまに付き添って王城まで上がる予定になっているのだ。柄にもなくドキドキしている。なんたって今日は物語の大事な冒頭部分だから。
シナリオ通り、お姉さまの手には16になった日の夜に聖女の証である聖痕が現れた。
お父さまとお母さまは驚きながらも大喜びしたけれど、私は素直に喜べなかった。だって心のどこかではほんの少しだけ期待していたのだ。ここまでシナリオをひっくり返したんだから、もしかしたら聖女なんてお役目からは解放されてるかも? なんて。
「お前が聖痕を発現させたという聖女か」
でも現実はごらんの通りだ。向かい合わせのソファで偉そうにふんぞり返る王子様が、お姉さまを無遠慮にジロジロと見た後にフンと鼻を鳴らす。金髪おかっぱで豪奢な礼服を身に纏う彼は、この国の第一王子カーダ・エルラント。聖女と認定されたお姉さまは、慣例に従って次期王位継承者と婚約することになった。今日はその初顔合わせなのだけど……。
「ハッ、ウワサ通りの地味令嬢だな! そっちの妹の方がよっぽどそれっぽいじゃないか」
バカで無能な当て馬王子は、お姉さまの背後に控えて立っていた私を顎でしゃくりせせら笑う。私はそれをニコニコとしながら受け流していた。健気にもお姉さまは胸に手をあて笑みを浮かべる。
「あ、あの、この国を守護する者として精いっぱい務めさせて頂きます。カーダ様ともこれから良好な関係を築いていけたらと――」
「ハイハイ、僕だって王族としての努めは果たすさ。ハァ……しかし『コレ』と結婚するのか」
これ見よがしにため息をつくものだからお姉さまはしゅんとうなだれてしまう。私はますます破顔してその場に立ち尽くす。ビキキと奥歯の辺りから音が聞こえたような気がするが気取らせない。
「もう用件は済んだだろう? 僕は忙しいんだ、これで失礼する」
パッと立ち上がった王子は片手を上げながら退出していった。去り際にこちらと目が合い、キメ顔で流し目を一つ寄こされる。彼が退出したのを見計らってから、私は安心させるようにお姉さまの肩を一つ叩いた。
「お姉さま、少し待っていてくれる?」