第44話
頬をパンと軽く叩いてから、所長の隣に並び立つ。そうなればもういつもの研究者モードに入って、組まれた魔術を読み解くことに専念する。
「やっぱり基礎は俺が作った物みたいだな」
「……。ですね、でもそれを守るようにしてずいぶんアレンジが加えられている」
「外側から少しずつ分解して、探っていくしかないか」
とは言うけれど、パッと見ただけでもとんでもなく入り組んでいるのが見て取れる。まるで二人して巨大要塞を前にしているような気分だ。
ここでチラッと観覧席にふり返った私は、もぎもぎしている仕掛け人に尋ねた。
「ちなみにタマさん、ヒントとか貰えたりは……」
『ない! がんばって!』
「ですよねぇー」
半笑いになりながら手を付けようとしたその時だった、アルヴィスが突然私の目の前に手をかざして、飛んできた氷の蔦を弾いてくれる。
「防衛魔術まで込みってわけか」
「わ、わぁ」
じゃあなにか、この攻撃をかいくぐりながら解析して分解をしなきゃいけないってこと? ポカンとしていた私たちは、視線が合うと乾いた笑いを浮かべ、観念したようにため息をついてほぼ同時に腕まくりをした。
「やったろうじゃないですか!」
「面白い、このぐらいじゃなきゃな」
どっちかが欠けてもダメだったかもしれない。でも二人ならできるはず!
「俺が攻撃を防ぎながら、術式を解析して伝える。プリシラはそれを打ち消す構築を考えてくれ」
「わかりました!」
これまでの知識を総動員して、少しずつ術式を切り崩していく。けれどもその道のりは困難なんてもんじゃなかった。深々と冷えていく青白い部屋の中で寒さから身を守りながら格闘する。
「コレ見たことも無い術式入ってないか!?」
「いやああ、何この壁! むりむりむりっ、ここのライン崩したら魔力が、うわっ」
切らなきゃいけない供給路を断った途端、それまでとは比べ物にならないくらいのブリザードが吹き付ける。髪の毛の先からパリパリと凍っていって、う、うぅぅ~、意識……が……。
「プリシラ」
カクンと崩れ落ちそうになったその時、力強い腕に抱え込まれて熱が戻ってくる。見上げればすぐ間近に彼の顔があって、寒さから守るように抱きしめられているのだと気づいた。
「見つけた、核だ」
指さす先を見れば、この首都を凍らせている『氷晶のゆりかご』の心臓とも言える部分が露出していた。青白い光を放つコアを取り囲むように式が円環となってキラキラと周囲をめぐっている。効果は凶悪だというのに、それは息を呑むような美しさだった。普段の私だったなら見とれていただろう、だけど今は、
(あれを打ち消すには――)
そう、今の私は、熱に浮かされたようにどこかぼんやりとしながらそれを見つめていた。ある種のトランス状態に入っていたのか、頭の中はふしぎとクリアで、対消滅させるための構築が驚くほどのスピードで組み上がっていく。胸の前で構えた手に集めて収束させると、淡い黄色の光と春風のような暖かい風が私たちを中心として渦巻き始めた。冬の氷雪が消え去っていく。
「これで……いきます!」
「あぁ!」
集中するため、目を閉じてこれまで出会った人たちの顔を思い浮かべる。
(私の夢、みんなが笑って過ごせる世界を作ること)
誰かが悪役になんてならなくてもいい、とびっきり楽しくて、光にあふれて、前に向かって踏み出せるようなそんな未来。だから――、
(しっかり見ててよね!)
練り上げた魔力を一気に手元に流し込む。まばゆいほどの光を放つ光線を、コア目掛けて撃ち出した。ギャギャギャギャと甲高い音を立ててぶつかり合った魔術が、激しく反応し合う。
「っ……このぉ」
だけど少しずつ削れ始めたこちらの光が、ちょっとずつ細くなっていく。ダメだ、魔力が足りない。このままじゃ……!
ギリッと奥歯を噛みしめて危険なレベルまで振り絞ろうとしたその時、私の手をそっと包み込む温かい手があった。驚いて見上げると、前方を見据えるアルヴィスが手短に伝えてくる。
「補助する、俺の魔力も使ってくれ」
「なっ……どうやって!?」
魔力の受け渡しなんて聞いたことがない。発動中の他人の魔術に手を出すなんて、危険すぎるのは彼もよく分かっているはずなのに。
「っ、」
その時、触れている箇所から何かが流れ込んでくるのを感じる。直接肌が触れている手が一番大きいのだけれど、肩から、背中から、全身をめぐる血に乗るように、熱い“自分じゃない何か”が入り込んでくる。だけどそれはぜんぜん不快じゃなくて、むしろ、何ていうか、
「ふっ……」
腰に手を回されてさらに引き寄せられる。ゾクゾクとする全身の感覚で飛びそうになる意識を何とか繋ぎとめていたのに、こちらの耳元に唇を寄せた彼は滑り込ませるように熱くささやいた。
「プリシラ、俺を受け入れろ」
「ひぅっ……!?」
言葉の意味を理解すると同時に、ドクンッと全身が沸騰したみたいに熱くなる。その瞬間、流れ込んで来ていた何かが私の魔力と融合し、とんでもない力を持った何かへと変化して急速に全身に流れ始めるのを感じた。なに……これっ……!
「穿て!」
手を前方にバッと構えた彼につられ、私は顔を上げる。
世界はキラキラと輝いて、ぜんぶの感覚が最大限にまで開かれているみたいだった。
寒くない、怖くもない、あとはもうこのエネルギーを――
(放つ!)
勢いをつけて、手元から魔力を全部押し出す。今にも消えそうだった対消滅の魔術が目をくらませるほどの輝きを放った。ぶつかり合う二つのエネルギーが風を生み出し髪の毛を激しく乱す。
「行っけぇぇぇええ!!」
何も見えない中、感覚だけで全力をぶつける。
そうして全てが無音になった瞬間――
遠くの方で、何かが割れる澄んだ硬質な音がした。




