第38話
ピリリと緊張を含んだ感覚が肌の表面を撫でていく。笑い飛ばさなければと思うのに言葉が上手く出てこない。紫の瞳が私を見つめている。まるで心の奥底まで射抜くような、深い眼差しだった。
「お前自身も何か感づいているんじゃないのか。それで浮かない顔つきをしている、違うか」
「それ……は」
口ごもる私の前まで来た彼はスッと手を差し伸べる。
「何か抱えているのなら、俺に話してくれないか」
(いえるわけ、ない)
だって、それを話してしまったら、嫌な気分になったり、とてつもなく哀しい気持ちにならないだろうか。
この世界が、物語の中かもしれないなんて。
自分の声が、見た目が、考え方や性格までが――全部が誰かに設定された作り物なのかもしれない。
(存在意義の喪失。上位存在が居るかもしれないという認識。私なら、知りたくなかったって思う……)
何を中二病みたいな事をって、笑い飛ばさなきゃ。
だけど私は、気づけば目の前に差し出されていた手をそっと両手で掴んでいた。氷を操るクセにそれは大きくてとても温かくて、なんだか泣きたくなってしまう。暗い海を彷徨う最中、灯台の光を見つけられたような気分って、こうなのかな。目を伏せた私は、震える声で囁くように問いかけた。
「これから私が話す事も、与太話だと笑い飛ばしてくれても構わないです」
「……」
「アルヴィスは……転生って、信じますか?」
手近なベンチを探して二人でかけると、それまで一人で抱えていた秘密が、知らず知らずのうちに口からこぼれ落ちていく。
私にはこの世界に産まれ落ちる前の記憶があり、地球の日本という場所で暮らしていたこと。
そこで読んでいた物語に、この世界が酷似していること。
私はそのストーリーの悪役で、話を捻じ曲げて立場から抜け出そうともがいてきたこと。
全てを話し終えると、アルヴィスは意外にもどこか腑に落ちた様子でこう返してきた。
「あぁ、だからあんな突飛な出会いを」
「はい。アレもお姉さまを聖女に覚醒させるために、本来のヒーローであるあなたの力が必要だと思ったから……」
「なるほど、俺とあの聖女が『一目会うだけで確実に恋に落ちる』か」
「そっ、んなことも、言いましたねぇ」
今思うと、なんて身勝手な行いをしていたのだろうと自分に呆れてしまう。シナリオから逃れようとしたくせに、その話の設定に縋ろうだなんて。はぁぁーと傾いだ私は呟く。
「……私は、お姉さまの立場を乗っ取って、『主人公』に成り代わってしまった。前世を思い出して行動したあの時から、お母さまに紅茶をぶちまけた時点で、この話は私を中心に描かれる物に変わったんじゃないかと、」
そうだ……どうして気づかなかったんだろう、今こうしているやり取りも、誰かが天から覗いているのかもしれない。お話を読むように、何を考えているかさえ、見透かされていて――?
「やめてよ、見ないでよ……」
「プリシラ?」
ねぇ、もしそうなら今画面の前に居る“あなた”は何を思っているの? ずっと、ここまで読んできたんでしょ? 病院のベッドの上で読んでいたあの時の私みたいに。
ぶるりと身を震わせた私は、自分の身を抱えるように肩に手を回した。
「メタすぎる……。この世界って誰かの監視下にある『箱庭』じゃないの?」
「おい、」
「その神サマが気に食わない行動を私が取ってしまったら、5秒後には世界がすり潰されたり」
その可能性に気づいた瞬間、私は一気に恐怖に呑まれるような感覚に襲われた。
失敗できない、最強無敵のキラキラヒロインらしく振舞わなければ。ほら、あの時読んでいたたくさんの物語の主人公のように。でも、
「で、できるかな……? 結局、私って主役を横取りした悪者だし、もしかしたら今までの清算で、どん底に叩き落されるんじゃ」
ダメだ、こんなこと考えている時点で主人公らしくない。
もはやうわ言のように繰り返すしかない私は、完璧に自分の殻に閉じこもっていた。
「ごめんなさい……みんなを巻き込んでしまっ――」
頭を抱えて叫びそうになったその時、ふいに私は肩を掴まれた。グイと強制的に視線を上げさせられると、神秘的な紫がまっすぐにこちらを覗き込んでいた。
「しっかりしろ、与太話なんだろ!」
彼が隣にいることをすっかり忘れていた私は、何度か瞬きをする。もう片方の肩も掴まれ、正面から向かい合う形にさせられる。
「まだそうと決まったわけじゃない、仮にそうだとしても、プリシラに何のケチがつく。今までお前がやってきたことは、神様とやらに叱られるようなことだったのか?」
勢いに気圧されて、これまでの思い出が駆け巡っていった。涙目でも綺麗に笑って「ありがとう」と言うお姉さま、驚いたようにこちらを見上げるアルヴィス、はにかんだように笑う監獄塔のみんな、怒ったように頬を染めるシャロちゃん……。それでも、私は縮こまりながら小さく呟く。
「あ、悪役を放棄して、成り代わった……」
「俺はそうは思わない、お前の行動力で救われた者が何人いると思う」
彼はこちらの手を掴むと、自分の胸にあてさせた。トクトクと確かな鼓動が伝わってくる。
「ここにもほら、一人」




