第30話
俺と……何だったのだろう。ピクッと反応して言葉を止めた彼は怪訝そうに辺りを見回す。ドクドクと耳鳴りが激しかった私もそこでようやく気付いた、そんなに遠くない所から地鳴りのような音が近づいてくる。
「なんだ? 何か……」
辺りを見回した私たちは、ほぼ同時に『それ』を感知してぞわっと総毛だつ。魔術に聡い私たちだからこそ感じた、暴力的なまでに強い力。すぐそこまで迫ってきている気配があり、周囲にまるで雪のように青い光が下りて急激に温度が下がっていく。
「これは……」
「下だ!」
鋭い叫びと共に引き寄せられ、気づけばアルヴィスの胸に飛び込んでいた。何事かとふり返った私は息を呑む。つい先ほどまで私が居た場所に、氷でできた蔦のような物が屋上の床材を突き破って生えていたのだ。ゆらゆらと揺れるそれは標的を探しているようにあちこちへ触手を伸ばしている。だめ……駄目だ、あれは触れちゃいけない。本能的にそう感じる。
その時、タタタと逃げていたタマがその触手に絡め取られて捕まってしまった。あっと声を上げる間もなく、その全身が氷漬けになってしまう。そして驚くべきことに出来上がったそのオブジェからさらに新たな蔦が生え始めた。
「タマ!」
「寄るな! あれは……っ」
その声に反応したのか、ゆらりとしていた蔦が一度ピタリと止まり、こちらに向かってビュッと飛んでくる。
「っ!」
「クソ!」
アルヴィスが右手に青い光を宿らせ、その攻撃をはじいて逸らしてくれた。似た構築で導線を作ったのだろう。氷を得意とする彼だからできたことだ。けれども息つく間もなく私たちは取り囲まれてしまう。
「何だこれは! 誰がこんな」
「危ない!」
そう叫ぶアルヴィス目掛けて、死角から攻撃が飛んでくる。私は考える前にその間に飛び込んでいた。
さっきの彼を真似して氷の導線を描こうとするのだけど、とても間に合わない。腕を目の前でクロスして衝撃に備えようとしたその時、胸元がポワッと温かくなりお姉さまから貰ったペンダントが飛び出した。自動発動した『聖女の加護』は、光の障壁を出して蔦を相殺した後、パリンと割れてパラパラと崩れ落ちてしまう。だけどその一瞬があれば十分だった。私はとっさの判断で天に手を掲げそれを召喚する。
「風よ、来て!」
呼びかけると大気が動き、ここに来るのに乗って来たホウキがどこからかすっ飛んでくる。矢のように向かってくるそれにタイミングよく飛び乗った私は、アルヴィスも掴まらせて握る柄にありったけの魔力を込めた。ドンッと発射されるように私たちは空へと逃げる。氷の蔦が追いかけるようにしなって足先をかすめたけど、何とか脱出することに成功した。
「ど、どうなってるんですか! なんで学園が冷凍庫みたいに……!?」
なんとか安全圏まで逃げた私たちは、大きく旋回しながら学園を見下ろす。見ている間にも氷の範囲はじわじわと広がっていき、建物のあちこちから悲鳴のような声が聞こえ始めた。
「馬鹿な、どうしてあれが……」
後ろから激しく動揺しているような声が上がる。ふり返るとアルヴィスはひどく強ばった表情で惨事を見下ろしていた。私はそれを聞き咎めて大声で叫ぶ。
「あれが何だか知ってるんですか!? 何か心当たりが?」
「あれは――」
一度クッと詰まった彼は、苦悶の表情を浮かべながら打ち明けた。
「……俺が過去に作った魔術、母上を凍らせた『氷晶のゆりかご』の構築に似ている」
***
それからしばらくして、私たちは逃げた人たちが集まっている城壁の外の平原に着陸した。
できる限り逃げるようには呼びかけたのだけど、真夜中近いこともあり脱出できた人はそんなに多くなかったようだ。草原にパラパラと点在する避難民は明かりを掲げながら途方に暮れたように城壁を眺めている。
「学園と城の辺りから凍っていったのが最悪ですね、誘導をする人が誰も居なかったみたい……」
アルヴィスは渋い顔をして、街はずれに突き出ている監獄塔を見やる。
「あいつらもダメだったか……」
「……」
私の先輩研究員たち――監獄塔にいる囚人たちは、塔から出ると爆発する首輪をつけられている。普通に考えれば閉じ込められてしまったはずだ。
だけどちょっとだけ気まずくなった私は、無言を通す。その時、視界の端に見知った顔を見つけて思わず声を上げた。
「あっ、シャロちゃん!」
こんな闇の中でも彼女の金髪は、かがり火を反射してキラキラとしていた。へたりと座り込んでいる親友に駆け寄ると、私に気づいたシャロちゃんはハッとしたように目を見開いた。その瞳がみるみるうちに潤んでいく。
「プ……プリシラ」
「よかった、無事だったんだね」
一瞬だけ安堵の表情を浮かべたシャロちゃんだけど、すぐにこちらにワッと泣きついてくる。
「あぁぁ、どうしたらいいのプリシラ! レスノゥ様が!」
えっ、と声を漏らして辺りを見回すも、あのおっとりとした次期継承者の姿は見当たらない。
落ち着かせながら言葉の端々を拾い上げていく。どうやら、学園内の異変にいち早く気付いたシャロちゃんは女子寮の避難誘導を行っていたのだけど、そのせいで逃げ遅れてしまった。レスノゥ様が助けに来てくれたのだけど、一瞬の隙を突かれ、彼が代わりに氷の牢獄に囚われてしまったのだとか。
「わ、わたくしが、わたくしのせいで……」
青ざめて震えていたシャロちゃんは、私の背後で気まずそうにしていたアルヴィスの存在に気づくとビクッとした。涙に濡れた瞳が大きく見開いていく。




