第10話
それから数日が経ち、真の力に目覚めたお姉さまは立派に聖女のお務めをこなすことが出来るようになりました。結果、隠れ代行聖女をする必要がなくなった私はと言うと……。
「ねぇ……ねぇプリシラ。やっぱり考え直さない? 帝国に留学するなんて危険よ」
見送りで来ていたお姉さまがこちらの手をしっかりと握りしめながら涙目で言う。少しだけ苦笑した私は遠くからやってくる馬車を見つけて大きく手を振った。
「そんなに心配しなくても大丈夫だってば。アルヴィス様のお誘いだもの」
そう、あの事件の後、皇子が提案したのは、帝国側の研究所に来ないかとの意外なお誘いだった。まぁ、あの人にはなんだかんだ借りもあるし(そもそも出会いからして不敬罪で処刑物だとか……彼の一存で揉み消されたけど)私も興味があったので留学という形でお邪魔する事にしたのだ。
だけど彼の名前を聞いた途端、お姉さまは頬を膨らませて握った拳を上下に振る。
「そこが余計に心配なのよ! あの腹黒皇子にプリシラを取られるかと思うとはらわた煮えくり返る~~!! 今からでも耳の穴に棒突っ込んで奥歯ガタガタ言わせてやろうかしら!」
「どこで覚えてきたのそんな言葉……」
思わず呟いたその時、私たちの隣に馬車が音を立てて止まる。中から出てきたのは銀髪を煌めかせたアルヴィス皇子その人だった。彼の姿を認めた瞬間、お姉さまが私をギュッと抱きしめて威嚇するようにヴ~~と唸る。
「ごきげんようアルヴィス殿下、ねじれろ」
「出会い頭の暴言はこれで二度目だな、聖女殿。シスコンも大概にしないと嫌われるぞ?」
「いやぁぁぁぁ! やっぱり行かせたくないぃぃぃ! 棒! 棒もってきて!!」
「お姉さまステイ」
わっと泣きついてきたお姉さまに苦笑しならがも、私はその頭をよしよしと撫でてあげる。少し落ち着いてきたところで優しく語り掛ける。
「もう決めたことだもの。私はあの国に行って魔術を学ぶ。それでもっとお姉さまの力になれるよう色んな事を吸収して帰って来るから」
もう幾度目になるか分からない説得をすると、グスグスとしゃくり上げながらもお姉さまはそっと離れた。
「……そうね、広い世界に羽ばたいていくあなたを閉じ込めておくなんてわたしにはできないわ。笑って送り出すのも愛よね」
ようやくシャンと立った彼女は、目の縁に滲んだ涙を指で拭いながら力強く言った。
「この国は任せて。もうあなたの力に頼らなくても大丈夫だから」
「うん、いってきます」
「あぁ、待って。これを」
馬車に乗り込もうとした私を引き留めたお姉さまは、懐を探ると綺麗な緑の宝石がついたペンダントを差し出してくれる。
「聖女の祈りを込めたペンダントよ」
「わぁ、ありがとう」
「あなたがピンチになったら自動で相手を串刺しにするようになってるからね」
「何それ怖い」
「あとお母さまとお父さまから槍」
「槍」
「これも持っていって」
「出たトマホーク!」
物騒すぎる護身道具にワタワタしていると、お姉さまはクスリと笑った。最後に優しく抱きしめられる。
「ねぇプリシラ。改めてお礼を言わせて。今回のこともそうだけど、あなたが居なかったらわたしは今も虐げられて、絶望の淵にいたかもしれない。お父さまとお母さまを変えてくれたあなたのおかげよ」
その言葉で幼い頃、前世の記憶を取り戻した日の事を思い出す。震える背中、やせ細った女の子を庇ったあの日の事を。
「あなたが抱きしめてくれたあの日から、わたしの世界は変わり始めたの」
想いをめいっぱい込めた心からの声が耳をくすぐる。雲の切れ間から陽が差し込み、世界が輝き始めた気がした。
「ありがとうプリシラ、大好きよ。いってらっしゃい」
揺れる馬車の窓から見えるお姉さまがどんどん小さくなっていく。脳裏では、別れ際の言葉が再生されていた。
――あなたが居なかったらわたしは今も虐げられて……
……罪悪感が全くないと言ったら噓になる。だって私が介入しなくても、お姉さまならきっと結末に向けて幸せになっていたはずだから。でもさ、でもさ、ツラい思いをしなくて済んだのならそれが何よりじゃない?
(そうよ、私はこれからも、みんながハッピーになれる道を探すだけ。ざまぁなんてされなくても済む、悪役なんかいない世界にこれからもしてみせる!)
それでも別れの寂しさが胸を襲う。涙が零れそうになったところで、向かいの皇子に見られていることに気づいて私は慌ててそれを払った。
「こ、これはうれし涙です!」
「そうか?」
「当たり前じゃないですか、別れがあれば出会いがある。私、フロストヴェインでいっぱい学びたいです」
そうだ、このドキドキとワクワクは希望だ。すぅっと息を吸い込んだ私は、元気いっぱいにこう宣言した。
「今の私の夢は、二国間がWIN-WINになれるような魔術を作ること! 共同研究がんばりましょうねっ」
「あぁ、よろしくな」
手を差し出されたのでギュッと握りしめる。やっぱりこの人は悪い人じゃなかった。お姉さまの問題を一発で解決してくれた。それに思い当った私は、手を繋いだまま静かに言葉を次ぐ。
「殿下、今さらですけど今回は本当に助かりました」
本来、私がやらなくてはいけない役割をこの人が何も言わずに引き受けてくれたのだ。自然と口の端が吊り上がり、私は心からの感謝を伝える。
「私の代わりに悪役になってくれてありがとう」




