日比谷忠はる
「どうぞ」
芽衣、と書かれた名札を左胸につけた巫女服の女性が向かいに座る。伊代と忠治は、促されるがままに、二枚の座布団にそれぞれ正座した。驚くほど静かであるが、ふすまを開けて別の巫女服が湯呑みを持ってくる。他の部屋には人がいるようだ。別の巫女服の左胸にも名札があったので、そういう文化らしい。
「ここは波さまの居所でございます。参拝が目的の方でしたら、わたくしが波はさまのもとへご案内いたしましょう」
いかにも伊代と忠治はその『波さま』に御目通り願いたい。地母神。だが、その目的は参拝ではなく、交渉だ。できることならば無傷でここから連れ出し、能力者保護法に基づいて保護しなくてはならない。
能力者保護法の始まりは二〇〇一年だが、二〇〇一年以前にも、能力者に該当する者は存在していた。能力者保護法の〝能力〟の定義は『科学では証明できない不思議な力』とある。たとえば魔術師。あるいは錬金術師。もしくは呪術師、言霊師、陰陽師など、我が国に限らず、その『不思議な力』を行使する者の例は枚挙にいとまがない。
これらを全てひっくるめて、能力者保護法が能力者とラベリングした。
であるからして、天候を操る『地母神』もまた能力者といえる。証明完了。保護するに値する。
「あなた方は、道に迷われたのではないのでしょう?」
「ええ。よくわかりましたね」
「そうでしょうそうでしょう。我らの地母神さまの評判は千里を駆け巡り、新たなる縁を生み出しています」
上機嫌の芽衣に、曖昧な笑みを浮かべてあいづちとする伊代。この喋りたがりな女性に喋らせておけば、こちらの身分は明かさずとも済みそうだ。身分を明かすとはいっても組織の所属とは言わないのだが。
「何故、波というお名前なのですか?」
「代々、地母神さまはいろは歌から名づける慣例となっておりまして、三代目ですのでいろはのはで波という漢字で波さま、でございまして」
まだ湯気の立っている湯呑みから、何の気なしにお茶をすする忠治。分裂体は基本的に食事を摂らなくともよい。食物からは味も熱さも感じておらず、人体を維持するに必要不可欠な栄養素というものも欲しない。本体さえ健康体であり続ければ、理論上は無限の残機がある。
それでもお茶を飲むのは、せめて人間らしく見えるようにの立ち振る舞いであったが、芽衣はギョッとした顔になった。
「あの、熱くありませんでした?」
「のどかわいちゃったり飲みたかったりしたから、気にならなかったなぁ?」
実際はのどは渇いていないのだが、困ったような視線を伊代に向けつつ言い訳を並べる。来客に飲めないぐらいの温度のお茶を出すのもどうかと思うが。この村に古来より伝わる歓迎の様式なのだとすれば、頭ごなしに否定はできないか。
「こちらは鈍感なんです。こちらのことは置いといて、この村の『地母神』について詳しく聞かせていただけないでしょうか?」
伊代は最低限の荷物だけが入っている任務用のショルダーバッグからメモ帳とボールペンを取り出すと、あたかも「この村に取材をしに来ました」というていで質問を投げかける。
筆記具の他には記録用のデジタルカメラやボイスレコーダーが入っており、フリーのルポライターを演じる際には使用する。女刑事でも通りそうだが、仮に警察手帳の提示を要求されてしまうと手詰まりだ。関係性のわからぬ不審な男女二人組を見る目となっていた芽衣は、待っていましたとばかりに居住まいを正した。
忠治のほうはショルダー式の能力者発見装置を持ち運んでいるから、カメラマンと言い張れば追及は避けられそうだ。
「はい。我らの地母神さま、――兎角、当代の波さまに代わりましてからは実りの季節には豊作、雨の恵みは望み通り、太陽の動きすらも制御なさいます」
五穀豊穣の神の伝説は、各地にある。
人間は太古の昔より、自然と闘ってきた。どうにもならないものを、神頼みで解決しようとする。超常的な力は、人間の望みに答えてくれないことのほうが多い。望みに答えてくれていたとしても、その結果はたまたま意図した結果が転がり込んできただけだ。
この村はどうだ。
能力は、元来、他人の役に立ってはならない。能力とは『自らの望みを叶える力』ではなく『自らを守るための力』だ。ここを履き違えて「大いなる力を手に入れた」と勘違いしてしまう者の多いこと多いこと。どうしようもなく最悪な、生存すら危ぶまれる状況から、一歩だけ、その人間の一生という何かを成し遂げるにはあまりにも短い時間をよい方向に引き上げてくれるのが、能力だ。そこで「自分は選ばれた者なのだ」と思い上がれば、唯一神と成り果てた誰かさんの二の舞となるわけだ。
すなわち、芽衣が誇張表現なしに語っているのであれば、それは能力者保護法に於いて処分される範疇に含まれる。
伊代はボールペンをかち、かちりと鳴らした。
余計な詮索や争い事は避けて通らねばならないため、拳銃は、なるべく見せないようにしている。忠治と異なり、伊代は分裂体ではなく、その肉体は一般女性より多少鍛えた程度の耐久値しかない。なので、暑さ寒さも身に堪える。が、有事の際には拳銃をすぐさま取り回さなくてはならない。拳銃はショルダーホルスターに収まっているため、上着さえ羽織っておけば隠し通せる。
芽衣からは怪しまれてはいないだろう。自慢の地母神とやらを調査しにきたルポライターして、下手な行動はしない。
もし、伊代が、他人から怪しまれるような行動をしてしまう愚か者だったのなら、能力の【必中】と拳銃との相性がいいとしても、六年間もの長期間、拳銃の携行を認められるはずがないのだ。
「ここ冬馬は、今でこそ〝冬に馬〟の字が当てられておりますが、かつては〝魔を討つ〟と書いて討魔と呼ばれておりました。我らの地母神さまが、この地に跋扈していた悪しき魔物を討ち倒し、人々とこの村を救ったのが始まりであります」
「となると、当代の『地母神』はご高齢でいらっしゃる?」
「いいえ。我らの地母神さまは、自身の力を受け継ぐ子孫を生み出さんとしました。有志を集めて『地母神運営事務局』を立ち上げ、計画的に次代の地母神を誕生させるようになったのです」
伊代に肘を入れられて、邪魔をしないように黙りこくっていた忠治が顔を上げる。おそらく伊代も「どこかで似たような話を聞いたわね」と思っていることだろう。
この世界にただ一人の能力者研究家、氷見野雅人博士の研究によれば『能力は遺伝しない』のが鉄則だ。
彼は『治癒すべき心の病』とも書き残していた。絶体絶命の危機に追い込まれた人間が、その逆境を打ち破るべく発現するのが能力なのだから『遺伝する』と考えるのは前提が間違っている。
氷見野博士の研究成果は、少し調べれば判明する情報ではある。が、この村の『地母神運営事務局』のように、独自のルールで、自らが誤っているとは一切疑わずに〝魔を討つ〟者を作り出さんとする集団は多い。組織が乗り込んで、潰しても潰しても、なおも減らない。
日比谷忠弘が【分裂】したのは、とある研究所の実験台とされていたからだ。囚われていた彼を助け出したのが、霜降伊代だった。霜降伊代が突入した時、日比谷忠弘とそのそばにもう一人の日比谷忠弘――現在、日比谷忠治と呼ばれている個体――がいた。忠治は伊代に救われたと思い込んでいて、伊代は任務として当然のことをしたまでだと思っている。なので、贈り物をされたり、特別な好意を向けられていたりしようとも、通らない。
ふたりは、そんな関係だ。