第8話 少年、かどわかす
「遅かったですね、少年」
エイシが世界樹の間へ入るとそう聞こえてきた。言葉を放ったのは盗賊ギルド頭領のザイドゥ。
世界樹の間は異様な光景になっていた。樹へと向かって大勢の人達がひれ伏していた。エイシは何にも反応しないように努めて、世界樹の前でアーナの目覚めを待っているザイドゥの所まで虚ろに歩く。
「うーん、動きがトロい、効きが弱いのかな?ではもう一度、『君は僕の下僕だ』」
言葉の途中で、顔は離れているのにザイドゥの声が耳元で囁いたように聞こえてきた。そして耳を通って気持ちの悪い異物が入り込んでくるのをはっきりと感じた。言葉が頭の中で反響し、靄がかかったように思考が邪魔される。
ザイドゥの固有スキルは『口巧者』、声を使った洗脳魔法の使い手だとレフィーリアから説明を受けていた。ただ、洗脳だけでなく音を操る事も出来るらしく、例えば特定の空間の音を消したり、逆に小声でも狙った場所へと届ける事が出来るという。
(あ……やばい、何も考えられな……僕は下僕……盾)
意識が侵食されていく中、レフィーリアに教わった対策方法を実践する。
まずは脳へ身体強化魔法を施してザイドゥの魔力による侵食を防止する。侵食していた魔力が、エイシの魔力と衝突。せめぎ合いの隙をついて、大きくマナを吸い込み、新鮮な魔力を作り出して循環させる。
そしてレフィーリアがやったようにザイドゥの魔力を自力で押し流した。
洗脳を防いだ事を悟られないようにザイドゥに背を向けて世界樹の間の入口へ視点を定めた。
レフィーリアは作戦の説明の中でエイシにある仮説を話していた。
ザイドゥがアーナへ洗脳を行わなかったのを見て、『口巧者』の洗脳自体はそれほど強力ではなく、親和力による抵抗手段を十分に身に着けていれば効かないのではないか、と。
実際それは当たっていて乗り切る事が出来たが、それでも莫大な魔力を使えるSランクのザイドゥにBランクのエイシが自力で対抗できるかは一か八かの賭けであった。
(危なかった、けど作戦の第一段階は完了。あ、あの光は例のやつかな)
神殿全体を世界樹から降り注ぐ眩い光が照らし、次第に先程の訓練室の辺りへと焦点が絞られていった。
「送魂の儀、ですか。という事は召喚をしにここに来るのでしょうね。それでは『皆さん、ご準備を』」
またしても耳元で声が聞こえた。しかしその対象がエイシだけではなかったためか、さっきに比べて楽に抵抗する事ができた。頭の中に朧気に残る指令に従ったフリをする。
ひれ伏していた人々が顔を上げる。その身なりから避難民や神官、衛兵、そしてその中に紛れ込んだ少数の盗賊ギルドのメンバーがいることがわかった。
彼らは出入り口から世界樹の前にいるザイドゥへと続く道だけを残して世界樹の間を埋め尽くした。エイシも作戦遂行をし易い位置を陣取り、洗脳にかかったフリを続けてレフィーリアを待つ。
程なくして扉を勢い良く開けてレフィーリアが現れる。
「ぷっ、あっはは、なんじゃこの壮大な出迎えは」
「おや、お気に召しませんでしたか?世界の変革を多くの方々に見て頂こうと思いましてね、さあこちらへどうぞ」
レフィーリアが扉を勢い良く閉めて、ザイドゥへ向かって大股で歩き出す。
「よく言うわ。人質みたいなものじゃろ、妾が暴れられないようにとな」
「否定はしません。神族とやらがどんな隠し玉を持っているかわかったものじゃありませんからね。それよりもこの子が中々目を覚まさなくてですねぇ」
そう言ってアーナのおさげを持ってぶら下げる。エイシからはアーナの顔が苦痛で微かに歪むのが良く見えた。拳を握り怒りを堪える。
「まっ、どうせ狸寝入りなんでしょうけど。なので世界変革の余興として考えました。女神様が酷たらしい目にあうのを小さな神官長殿はどこまで耐えられるのか、逆に女神様は神官長殿が同じ目にあうのをどこまで耐えられるか」
「もう一度言おう。このド腐れペテン師めが、その首根っこを引っこ抜かれたいのなら、引っこ抜いてやる!お望み通り、妾の隠し玉を見せてやろう!さあ来い、ヴィル!」
ヴィルの名に反応して危うく飛び出しかけたが踏みとどまる。扉が再び大きな音を立てて開き、獣の様に髭もじゃで上裸のヴィルが雄叫びを上げて現れた。
(ちょっ、こんな作戦は聞いてないよ!)
「行くぞッ!ヴィル!」
「ヴォァォ!」
レフィーリアと獣になりきったヴィルが人垣で出来た道を騒がしく疾走する。
「いやっ、あっはっは!あー、笑いすぎてちゃんと発動するかな。――」
最後の言葉は口パクとなりエイシの耳には聞こえて来なかった。しかし何が行われたかはすぐにわかった。煩いほど叫んでいたヴィルが静かになり、立ち止まった。しかしレフィーリアがヴィルの肩に触れて言う。
「ヴィル、抵抗するのじゃ!」
「女神……様、はい!」
再び喧しく疾走する2人を少し不愉快そうに睨み、ザイドゥが言った。
「抵抗するのなら何度でも、それもキツめのをね。壊れても知りませんよ。――」
口パクが終わるのと同時にザイドゥが指を鳴らす。周辺の空気が張り詰め、音が消えた。
再び立ち止まったヴィルをレフィーリアは無視し、十分に近づいたザイドゥへと手を翳す。それと同時にエイシも動き出す。
「――――!」
ザイドゥの驚きの表情は背後を向いていた。彼の背後に突然青白い渦が現れたのだった。そしてエイシは渦に気を取られているザイドゥに音も無く体当たりをした。
(そん…な……)
しかし完全な不意をついたにも関わらずエイシの力だけでは渦の中へ入れることは叶わなかった。
ザイドゥがアーナを放り出し、エイシへ憎しみの目を向けた、がすぐにまた驚きの表情に変わった。そしてエイシの背中に激しい痛みが走り、足が地面を離れ、ザイドゥと共に渦へと吸い込まれていった。
真っ白な大理石のような硬い床、ぷかぷかと浮かぶ白い光源、マナが多量に含まれている空気は暖かく、居心地の良さを感じた。
「バカ者、早く起きんか!」
「いってて」
痛みの残る背中を引っ張られて起き上がる。レフィーリアの隣に立ち、現状を確認した。
下界とを繋ぐゲートである青白い渦は既に閉じられていた。この場所、女神レフィーリアの居室にいるのはエイシとレフィーリア、そしてザイドゥの3人だけ。つまりザイドゥをレフィーリアの居室に閉じ込める事に成功したのだった。
ザイドゥは床に倒れた体勢のまま、呆けた顔で辺りを見回している。
「とりあえず第2段階成功かな、ゲホッ、背中がめちゃくちゃ痛いんだけど何したの?」
「全力のドロップキックじゃ、体に穴が空かなくてよかったの、ふははっ」
そう言って痛む背中をパシパシと叩く。
「ちょっ、やめっ、あれ痛くない。ウワッ!」
突然、宙に激しい火花が発生する。
「治癒しといてやったぞ」
火花を気にもとめずレフィーリアがあっけらかんと言う。
「ハッ!こんな所に閉じ込めて勝ったつもりですか!?」
今度はエイシの真横で火花が散る。見るとついさっきまで倒れていたザイドゥが凄まじい速度で短剣による攻撃を仕掛けてきていた。しかしその攻撃は何かに全て弾かれている。
「エイシよ、この攻撃が見えるか?」
「な、なんとか」
「ふむ、では見切れるか」
「厳しい、かな……」
「では補助に徹するのじゃ」
「場所が変わったくらいで私に勝てると思っているのですか!?」
「ああ、そうじゃ。ここには妾が長年引き籠もって溜め込んだマナが溢れておる。言うなればここのマナ全てが妾自身じゃ」