第6話 少年、戦闘開始
「グッゥゥ!」
レフィーリアの警告を聞き、ヴィルが振り返ったその時、廊下の天井から黒い何かが落ちてきたのをエイシは見た。そして部屋の出入り口にいたヴィルが取っ組み合いながら苦悶の唸りを上げ、必死に抵抗を始めた。
まるで暗闇に目が慣れるように、だんだんと相手が黒いローブを着た人間であると認識できるようになってきた。
「なんだあれ、存在が希薄というか」
「ヴィルさん、大丈夫ですか!あれは隠密スキルです、女神様、助けて下さい!」
「出来ればやっておるわ!ヴィルが邪魔なんじゃ!エイシ、今のうちに隠密スキルに目を慣らしておけ、魔力で視るのじゃ!」
ひと1人が通れる程度の出入り口で取っ組み合いになっているため、手を出そうにも出せないでいるようだった。
「そうだ、僕のエンハンスで!」
「ほう、新しい召喚者はお前か。とんだ切り札を出してきたかと思えばエンハンサーなのか、ハハッ」
ヴィルの陰から黒いローブの男が余裕そうな表情でエイシを覗き見た。
その冷たく冷酷な眼差しに鳥肌が立ち、無意識に一歩後ずさる。
「グァァ!」
ヴィルが蹴り飛ばされ、悲鳴をあげながら数メートル吹き飛び、床に叩きつけられて気を失った。
「よくやったぞヴィル、おかげで鑑定は終わった!Aランク、固有スキルは『韋駄天』じゃ!エイシ眼を強化するのじゃ!」
「いだて……つまりどんなスキル!?」
ローブを翻し、背中から分離された槍の穂先と柄を取り出し組み合わせた男が笑いながら言った。
「見せてやる。召喚者のよしみだ、邪魔しなければ我々の仲間にしてやるさ」
「アーナ、妾の後ろに!」
その攻撃はエイシには瞬間移動のように感じられた。部屋の出入り口にいたはずの男が槍を構えた次の瞬間、すぐ近くで激しい衝突音がした。
音の方を見ると腰を抜かしたアーナと床に倒れているレフィーリア、そしてレフィーリアの腹を踏みつけている黒ローブの男がいた。
「女神、お前は殺すなとのお達しなのでな、足だけ頂く!」
腰を抜かしていてもおかしくない状況だった。しかし足腰は力強く、そして頭は冷静さを保っていた。
命の危機に瀕して思い起こされたのは亡き父との鍛錬の日々であり、流派の再興のために汗水垂らしていたその背中であった。
(これからの天星流は人を助けるための武術、そうだったよね父さん)
修羅の如く強さを求め、血生臭い歴史の中で富と栄光を手に入れた天星流は、数々の流派が現代格闘技としての道を歩み始めても、自らの道で強さを求めた。
その歴史と選択の結果、他流派から忌み嫌われ、衰退への道を進み始めた。
曽祖父の代でようやく道を修正し、祖父と父を中心とした家族ぐるみで再興しようと奮起していた。
しかしエイシの父が亡くなったことで火が消え、流派の死を迎え入れる雰囲気が出来上がっていた。
エイシも自らの才能の無さとその雰囲気に嫌気がさし、毎朝欠かさなかった朝練も放り投げ怠惰に身を落と始めていた。
(なんで今更こんなに後悔しているんだろう。父さんが死んだ時、頑張らなきゃいけなかったのは僕だったんだ。爺ちゃん、待ってて、帰ったら必ず僕が父さんの跡を継ぐ)
十分すぎるほど想いの練り込まれた魔力が全身を駆け巡る。
(僕も刀弥と矢歌の2人に形だけじゃなく、実力を持って並び立つんだ!)
全身全霊で振り下ろされる槍を止めに向かった。
「愚かな」
槍の柄を旋棍で払う寸前で男が軌道を変え、矛先をエイシへと向けた。しかし眼前に迫るそれをエイシはしっかりと見た。
レフィーリアに言われた通り、眼を強化した事で動体視力が向上し、動きを捉えることが出来たのだった。
しかし捉えられたからといって、簡単に避けられるものではなかった。周囲の動きがスローモーションのように視えたが、身体がその動きについてこなかった。辛うじて顔だけを逸し、切先が頬を斬るだけですんだ。
ぎりぎりの回避の末、無様に転び、受け身を取る。頬が焼けるようにひりつき、遅れて鋭い痛みがやってきた。あと少し深く入ってたら口内に穴が空いていた、そんな傷だった。
「今のを躱したか、俺と同じAランクといったところか」
そう言いながら男はレフィーリアの腹を強く踏みつけた。レフィーリアが苦痛の声を漏らし、周囲で結束していたマナが散っていくのを感じた。
(ほんとはBランクだけど……前向きに捉えておこうかな。それより今のマナの感じは、きっとレフィーリアも何かやろうとしているんだ)
男はレフィーリアが動けないよう、足で抑えつつ、エイシと対峙して槍を構えた。
(くそっ頬が痛い!この痛みは強化の配分をしっかりと考えなかったせいだ。僕の元々の身体能力プラス強化でAランク相当の能力になる、とあの男の言葉を捉えたとして、問題は配分だ)
眼だけを重点的に強化した所で身体がついてこないとわかった。しかしあの男の動きを見切るには一度に使える魔力の7割を眼に使う必要がありそうだった。
策を考えているうちに、なぜレフィーリア達が魂のランクを気にするのか、すとんと理解できた。
(魂が大きければ一度に使える魔力が多くなる。僕の魂じゃあの眼の重点強化に追従できる全身強化を同時に使うのは無理だ……ならば――)
「来ないのならこちらから行くぞ」
声が聞こえた時にはまたしても槍が眼前にあった。
しかし向こうから来てくれる事はまさにエイシの思惑通りであった。
槍の動きを捉え、首の動きだけでそれを躱す。左腕を動かして槍を突き出している右手に旋棍を当て、さらに右腕を動かして顎へと旋棍を当てる。
身体強化を行う部位を最小限に絞ることにより、魔力総量の少なさを補う。とっさに考えた作戦ではあったが、エイシの持つ高い親和力が可能にする魔力の精密操作と、武道の心得による身体の動きへの理解度の高さが合わさり、その効果は予想以上であった。
当てるだけの打撃だったため、ダメージ自体は少なかった。だが速度の乗った状態で不意打ちを喰らった男は槍を落とし床を転がった。
男はすぐに体勢を立て直し、落とした槍へと高速で駆け出そうとする。それを見越していたエイシは、男が走り出す前に強化した肉体で旋棍を立て続けに投げつけた。
旋棍を払い落とした男がエイシを睨み腹立たしそうに言った。
「貴様っ、さっきからチマチマとした攻撃ばかりしやがって!」
「悪いけど僕、サポート職なんで」
「ったく、開き直るでない、が良くやったぞエイシ」
何かを察した男は高速で動き出したが、直後に体がバラバラに斬り刻まれ、肉片となった。
空中には血で姿が浮き彫りとなった透明なガラス片のような物が無数に浮いていた。
「ヴォェェ、もうちょっとマシなやり方なかったの……」
「ほほ、すまぬな、エイシには刺激が強すぎたようじゃの」
床に跪いて嗚咽するエイシにレフィーリアが手を差し伸べる。
「本当に、良くやってくれた」