兄ちゃんは俺のもの。そして、俺は兄ちゃんのもの。
俺には2つ、歳の離れた兄ちゃんがいる。
兄ちゃんは俺とは違って189㎝の高身長で、顔もイケメンだし、スポーツも勉強もできる。そして、優しい。欠点なんてあるの?と思うほど、欠点が見あたらない兄ちゃん。
そんな俺は160もないチビだし、顔は平凡だし、スポーツも勉強もイマイチで。「お前らほんとに血繋がってる?」とよく親戚や同級生に笑われる。
…失礼な。俺と兄ちゃんは正真正銘の『兄弟』だよ。確かにあんま似てないけども。
俺と兄ちゃんはよく比べられるし、そういう時だいたい俺はあまり良く言われない。
物語とかではその場合、そんなスペックしかない兄ちゃんを妬んだり恨んだりしてる弟キャラだったりするのだろうけど、俺は違う。
俺はそんな完璧な兄ちゃんを尊敬してるし、誇りに思う。
兄ちゃんが俺のことをどう思ってるかなんて分からないけど…俺は兄ちゃんのことが大好きだ。
「ただいま~」
「兄ちゃんお帰りなさい」
俺がリビングのソファで寛ぎながらアイスを食べてると、兄ちゃんが高校から帰ってきた。
「つっかれたぁ~!」
どかっと、兄ちゃんは俺の隣に座った。ため息をつきながら、しゅるっとネクタイを解く。鎖骨と白い胸板がシャツの隙間からちらりと見えた。
これが女子ならドキッとするのかな?と、兄ちゃんの胸元をぼんやりと見つめながら、ソーダアイスを咥えると。
「あっつぅ~」
そう言って兄ちゃんは、俺が咥えたソーダアイスを横からしゃくっと食べた。
「も~、冷蔵庫から自分のぶん取ってきてから食べなよ」
「いいじゃんかちょっとくらい」
そう言いながら、兄ちゃんはアイスを握る俺の手ごと握りしめると、俺のソーダアイスをぺろぺろと舐めた。
「あ~つめて。うめっ」
「も~!兄ちゃん俺のアイスめっちゃ食うなよ!」
「わりぃわりぃ。後で俺の分のアイスも食わせてやっからさ」
そう言って兄ちゃんは、俺の手を握りながらアイスをばくばくと自分の物のように食べた。
こんなこと友達がやったら嫌だけど、兄ちゃんだから許せる。
しゃくしゃくと俺のアイスを美味しそうに食べる兄ちゃんを、俺は微笑みながら見つめた。
*
「わ、私、好きなんですっ!」
ある日の放課後のこと。同級生の女子に、校舎裏にある倉庫の影に呼び出され、手紙を渡されてそう言われた。
兄ちゃんの名前が表に書かれた、花柄の可愛らしい手紙だ。
「わたし、花田くんのお兄さんが好きで…その、この手紙を渡してほしくて…」
両手に持った手紙を、俺に渡そうとする女子。手がカタカタと震えていた。
「…うん、わかった。渡しておくよ」
俺はその手紙を受け取り、微笑んだ。
俺の学校のくつ箱には、いつも兄ちゃん宛のラブレターが入れられてたり、こうして呼び出されて手渡されたりすることがよくある。
俺はとりあえず、その全部のラブレターを回収して兄ちゃんに渡していた。
「兄ちゃん、ハイこれ。兄ちゃんへのラブレター」
「うわっ、今日はまた大量だな…まあいいや、ありがとう」
お風呂あがりの兄ちゃんに、今日の収穫物を渡し、そして。
「それと、これは同級生の女子に手渡されたやつ」
放課後に渡されたラブレターを、くつ箱に入っていたラブレターと分けて兄ちゃんに渡す。手渡されたラブレターは、いつもなんとなくそうしてる。
ラブレターを渡すと、兄ちゃんはいつも困ったような顔をする…というか、実際に「困ったなぁ…」と口にする。
兄ちゃんはハイスペックでモテるのに、何故か彼女がいない。そういう浮いた話も全く聞いたことがなかった。
兄ちゃんは俺に渡された大量のラブレターの宛名を軽く流すように見ながら、俺の座るソファに座った。
タオルで頭を拭きながら、兄ちゃんはラブレターを開封して一枚一枚読む。すると、同級生の女子に手渡された花柄のラブレターを読んで、困ったような顔をする。
「明日の18時にこぐま公園で待つ…か。明日その時間は難しいな。う~ん、この子に返事の手紙を書くから、悪いけど明日その子にその手紙を渡して欲しいけど…いいか?」
兄ちゃんは申し訳なさそうな顔をしながら、俺に聴いてきた。
「いいよ、別に。それより…その手紙には、好きって書いてあるの?」
「…まあな」
「…やっぱり、この子の告白も断っちゃうの?」
「ああ」
あの子からラブレターを渡された時の映像が、脳内で流れる。ガタガタと手を震えさせながら、兄ちゃんへの想いを綴ったラブレターを俺に渡すあの子。
たぶんきっと、ずっと前から好きで。でも、なかなか想いを言葉にできずにいて。そして今日、勇気を出して兄ちゃんへの想いを手紙に書いて、そのラブレターを俺に手渡して。
でも、答えは────…
その子のリアルな気持ちなんて分からないけど、想像すると胸がなんだか苦しいような、痛いような感じになった。
「…このラブレター渡した子ね、大人しいけどすごく優しい子なんだよ。今彼女いないんだったら付き合ってみてもいいんじゃないかな?もしかしたら兄ちゃんにピッタリの子かもしれないよ?」
俺がそう言うと、兄ちゃんは何だか怖い顔になり、そして。
「…なに?お前その子のことが好きなのか?」
「へ?そういうわけじゃないけど──」
瞬間。
ドサッ。
兄ちゃんは俺をソファに押し倒した。
「兄…ちゃん?」
俺に覆い被さるようにして、睨むように見つめる兄ちゃん。こんな兄ちゃんの表情、初めて見た。
お風呂あがりでまだ髪の毛が乾いていない兄ちゃんの毛先から、ポタポタと雫が零れ、俺の頬を濡らす。
「怒っ…てるの?俺、何かむかつくこと言っちゃった?…ゴメン」
蛍光灯の逆光を浴びる兄ちゃん。怖い顔と言うより、何だか寂しそうな…悲しそうな、そんな顔をしていた。
すると。
「人の気も知らないで…」
そう言うと兄ちゃんは─────
「ん…」
「……」
何かあたたかいものが俺の唇を押さえつけ、息苦しくなった。
それが何なのかすぐには理解できなかったが、ほどなくしてわかった。
兄ちゃんの唇が…俺の唇を押さえつけていた。
キス…されてる。
兄ちゃんに。
ファーストキスを、兄ちゃんが奪った。
奪われた。
──────ちゅ…ぷ。
俺の唇から兄ちゃんの唇が離れる音が、鼓膜に響く。
兄ちゃんは俺から離れ、ソファを立つと。
「…ごめん」
そう言って、リビングから出ていった。
*
「……」
朝。俺は、兄ちゃんの部屋の前にいる。
昨日言ってた、兄ちゃんからの返事の手紙を受け取りに来たのだ。けど…昨日のことがあって、兄ちゃんに会うのが気まずい。
結局、昨日のキス後は兄ちゃんとは一度も会わなかった。というか、俺はその直後すぐに部屋に行き、ベッドに飛び込んだ。もう、夕飯どころではなかった。
俺が兄ちゃんの部屋の前でおろおろとしていると。
ガチャ。
「おわ!何やってんの?」
兄ちゃんが部屋のドアを開けた。
「あっ、お、おはよう、兄ちゃん。昨日言ってたラブレターの返事の手紙を取りに来たけど…」
「…ああ、やっぱいいわ。俺…その子と付き合ってみるわ」
「…え?昨日は断るって…」
「そのつもりだったけど、よく知らないのに断るのはやっぱりダメなのかなって思ってさ。それに…お前がいい子って言ってたから…付き合ってみようかな、って」
笑顔でそう言う兄ちゃん。けど、その笑顔がどこか寂しげで悲しげで。
「…それと、昨日はごめんな。…その、あのことはできれば忘れてほしいっていうか…」
気まずい雰囲気が、兄ちゃんと俺の間を流れる。
「…うん、わかった」
俺はそう言って、兄ちゃんの部屋から離れた。
兄ちゃんがあの子と付き合う…そう思うと、胸がズキッとした。
「…忘れられないよ…兄ちゃん」
唇に手を当てながら、俺はちいさく言葉を溢した。
唇には、昨日の兄ちゃんの唇の柔らかさがまだ残っていた…
*
それから程なくして、兄ちゃんはそのラブレターをくれた女子と付き合い始めた。
兄ちゃんが言うには、その子が初カノだそう。
おめでたいこと…なんだけど、何故か心から「おめでとう」が言えなくて。
きっと…あの時の兄ちゃんの唇の感触が、いつまでも忘れられないせいなんだろう。
兄ちゃんは「忘れてほしい」って言ってたけど。やっぱり、忘れられそうにない。
「…あれは、どういう意味だったんだろう」
あの時の兄ちゃんのキスがどういう意味だったのか、あれからずっと考えていた。けど、やっぱりわからなくて。
ただ、あの時のことを思い出す度、俺の唇と胸が熱くなった。
*
ある朝のこと。
「おはよー!」
俺がくつ箱で靴と上履きを履き替えていると、友人が後ろから俺の肩に腕を回してきた。
「おお、おはよう」
「うーわ…またお前の兄ちゃんのラブレターか?」
「そうだね」
「お前さぁ、なんていうか~…兄ちゃんがハイスペックだったりモテたりしててさ、嫌だな~とか思ったりしない?」
「え?」
「あ、いや、決してお前のこと悪く言ってる訳じゃなくて…その~…」
友人は気まずそうに、俺から視線を反らせた。友人が何を言わんとしてるかよくわかる。というか、周りがよく言うセリフだ。
俺が兄ちゃんに対して、引け目をまったく感じてないと言ったら多分嘘になる。でも。
「確かに俺自身は、兄ちゃんと比べたら自慢できるものは少ないけど…なんて言うか、俺にとって兄ちゃんが最大で最高の自慢だから。俺はそのハイスペックでモテモテの兄ちゃんの弟ていう自慢ができるからいいんだよ」
俺のくつ箱に入ってる、兄ちゃん宛のラブレターを回収しながら友人にそう言うと。
「はぁ~…俺はお前みたいな可愛い弟が欲しかったな~」
俺の肩をポンポンと叩きながら言った。
「弟かよ…てか、お前弟いるだろが」
「あいつはお前みたいに可愛くないもん…てか、これ…」
そんなことを話してると、友人は俺の手に持ってる一枚のラブレターを取った。
「これ、お前の兄ちゃん宛じゃなくて、お前宛の手紙じゃん」
友人にそう言われ、宛名を見ると。
「…ほんとだ」
その手紙には、俺の名前が書かれていた。
*
「手紙の通り、私は花田君のことが好きなの」
放課後、体育館裏。日生さんは俺の眼を真っ直ぐに見つめてそう言った。
日生さん…日生みうさんは、俺と同じクラスの女子で、学校一の美少女といわれるほどに可愛らしい人だ。容姿だけでなく、勉強も運動もできて、みんなの人気者で。そのハイスペックさはまるで、俺の兄ちゃんに似てるなと、彼女を遠くから見ながら思ってた…けど。
そんな女子が俺に好きって!?兄ちゃんのことが好きなら分かるけど、俺のことが好き!?
…だから。
「えっと…俺、じゃなくて、俺の兄ちゃんが好き…ってことじゃないの?」
信じられなくて、俺は日生さんにそう聴いた。けど。
「違うわよ、私が好きなのは花田有希君。あなたのお兄さんじゃなくて、有希君に告白してるの」
頬を染め、日生さんはもじもじしながらそう言った。
兄ちゃんとは違って、特に取り柄もない地味な俺に…しかも、学校一の美少女と言われてる日生さんに告白されるなんて…
初めてのことで、どうしたらよいのか分からずに固まっていると。
…きゅっ。
日生さんは、俺のシャツのおなかの部分をちょこんとつまみ、上目遣いで俺を見上げた。
「…私じゃ、だめ…かな?」
瞳をうるうるとさせながら、俺のことを見つめる日生さん。
…かわいすぎる。
俺には勿体無さすぎる。
けど、こんな何の取り柄もない俺に「好き」と言ってくれた言葉を、断るなんてできない。
何より、こんな可愛い仕草や表情で言われて断れる男子がいるのだろうか?
「あ…の、こんな俺なんかで良ければ…こちらこそよろしくお願いします」
ふと、兄ちゃんの唇のやわらかさを思い出しかけたが、ごくんっと思いきり唾を飲み込み、あの時の兄ちゃんの唇の感触を唾とともに、喉の奥へと流したのだった。
*
ある夜、日生さんから電話がきた。
『ねえ、明後日から中間テストでしょ?明日短縮授業で早く帰れるから、学校終わったらどこかで勉強しない?』
「いいよ。どこでしょっか?」
『花田君のお家は…ダメかな?明日は花田君のお家は誰かいる?』
「え?俺んち?あ~、もしかしたら兄ちゃんがいるかも。兄ちゃんのところも今日から中間テストだからって言ってたし。でも、兄ちゃんがいても大丈夫だよ。俺んちで良ければ、明日学校終わったら勉強しようか」
『うん!じゃあまた明日ね』
「うん、また明日」
電話を切り、ふぅっと息を吐きながらうつ伏せになって、ベッドの枕に抱きついた。
「…明日、日生さんが俺の家に来る。あの日生さんが俺の部屋に…って、掃除しなきゃ!」
俺はベッドから勢いよく体を起こすと、簡単に部屋の掃除をして眠りに就いた。
*
学校が終わると、日生さんと一緒に俺の家へと向かう。
付き合い始めてまだ一週間。登下校の時、一緒に並んで歩いたりする程度で、手なんてまだ繋げてない。というか…あまりそう言う気分になれない。
日生さんにドキドキすると、なぜか兄ちゃんのあの時の唇の感触を思い出して、何とも言えない気持ちが胸の奥から溢れてきて、何だか日生さんにも兄ちゃんにも申し訳ない気持ちになる。
今流行ってるアニメの話で盛り上がりながら歩いていると、家に着いた。そして、入り口の扉を開けようとした、その時だった。
バンッ!!
家の扉が勢いよく開かれ、その向こうから誰かが飛び出してきた。
俺に兄ちゃん宛のラブレターを渡した、あの時の女子─兄ちゃんの彼女だ。
「ぅお!?」
危うく、ドアにぶつかりそうになったが、俺は後ろに避けた。
「…すっすみません!…あっ、花田君…」
その女子は、涙で顔がくしゃくしゃになっていた。
「え?ど、どうしたの?兄ちゃんと何かあったの?…もしかして、何かされた?」
俺がその女子にそう聴くと、ふるると頭を横に振り。
「…ごめんなさい」
ちいさくそう言うと、彼女はパタパタと駆けていった…
日生さんをリビングで待たせ、俺は2階の兄ちゃんの部屋に急いで向かった。兄ちゃんの部屋をノックして開けると、兄ちゃんは勉強机の椅子に座りながら、ぼんやりとしていた。
「兄ちゃん、あの子に何かしたの?」
「…お帰り。ああ、やっぱり俺は君とは付き合えないって、断った」
「え?何で?付き合ってまだそんなに経ってないのに…」
「…俺、好きなやつが、いるんだ」
「え?」
「そいつへの想いを絶ちきるために、彼女と付き合ってみたけど…その気持ちを絶ちきろうとすればするほど、俺の心が…身体が、そいつを求めるんだ」
「…好きなやつ?兄ちゃん好きな人がいたんだ」
誰なの?そう、聴きたくなったけど─やめた。何だか、怖くて聴けなかった。
すると兄ちゃんは、椅子から立ち上がり、ゆっくりと俺の方へと向かってきた。
そして。
トンッ
兄ちゃんは壁に手を突き、俺を見下ろした。
まっすぐで優しく、けれども力強い眼。
兄ちゃんはそんな眼で俺を見つめ、そして。
「…俺の好きなやつは───」
俺の眼を見つめながら、兄ちゃんが何かを言いかけた、その時。
コンコン。
誰かが、兄ちゃんの部屋をノックした。そこには、日生さんが立っていた。
「あ…お話し中ごめんなさい。宅配便の人が来たみたいで」
「…俺が出るよ」
そう言って、兄ちゃんは階段を降りていった。
俺と日生さんは、兄ちゃんの部屋から隣の俺の部屋に移動した。
「ねえ、さっきの女子って2組の草ケ部さんよね?もしかしてあの人が噂の、花田君のお兄さんの彼女さん?」
「…そうだよ」
「泣いてたけど何かあったのかなぁ…」
「ほんと、どうしたんだろう…兄ちゃん」
さっきの兄ちゃんの言葉の続きが気になる。兄ちゃんは、いったい俺に何を言おうとしたんだろう。
俺がぼんやりとしていると。
「勉強しょっか」
にこっと、笑顔で日生さんは言った。
「うん、そうだね」
その後、日生さんと俺は、いい感じの展開など特になく、黙々とテスト勉強をした。
*
日生さんが帰った後、兄ちゃんが俺の部屋に来て聴いてきた。
「なあ、今日一緒に勉強してた女子って…もしかしてお前の彼女?」
「え、あ…うん、同級生の子で、日生みうさんて言うんだ。俺なんかのこと、好きって言ってくれたんだ」
「…そっか、良かったな!」
兄ちゃんはにいっと笑い、俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「お前は俺には無い、良いものをたくさん持ってるんだから、もっと自信持てよ。『俺なんか』なんて言わないでさ」
「ハイスペックの兄ちゃんに言われてもな~…」
と、口を尖らせながら俺が言うと。
「う~…ん、贅沢な悩みなんだろうけど…どんなにたくさんの能力を持っても、たったひとりの好きなやつを振り向かせられない…愛することができないなら、俺からしたらあんまり意味ないかなと思うんだ」
何だか寂しそうな顔をしながら、兄ちゃんはそんなことを言った。
「そういえばさ、さっき兄ちゃん…俺に何か言おうとしてたでしょ?何だったのかな~…ってさ」
「…さあ?何だったかな~?忘れちゃったわ」
「え~…何だよソレ」
はははと笑う兄ちゃん。どこか、悲しそうな寂しそうな顔をしていた。
*
「ここってさ…」
「ここは…」
次の日も、俺の家で勉強しようって話になり、学校が終わると、日生さんと一緒に俺ん家に来た。
「ちょっとお手洗い借りるね」
「トイレは階段を降りて、左に曲がったすぐのところにあるよ」
「わかった」
そう言って日生さんは部屋から出た。
「さて、俺はジュースでも入れ直すかな」
俺は空のコップをトレイに載せると、階段を降りてキッチンに向かった。
廊下を歩いていると、リビングの方から日生さんの声が聞こえてきた。誰かと、話しているようだった。
あれ?日生さんトイレに行くって言ってたけど…何でリビングに?
そう思っていた時だった。
「…私、本当は有希君じゃなくて…お兄さんのことが…好きです」
そんな声が聞こえてきた。
…え?日生さ…ん?
ショックで、俺はトレイを落としそうになる。
「は?あんた弟と付き合ってるんだろ?じゃあ何か?弟を利用して俺に近づいたってことか?」
何だか、兄ちゃんの声が低くて怖い。あまり聴かない、兄ちゃんの怒った声が、扉の向こうから聴こえてくる。
「だって…そうでもしないと、あなたに近づけない気がして」
「…弟のことは?利用目的とはいえ、付き合って一週間以上だろ?弟のこと好きになってるんじゃないか?」
…お願い兄ちゃん、やめて。聞きたくない。
俺は兄ちゃんたちの声を聴きながら、体を震わせていた。そして。
「…いいえ、全く。私はあなたのことが好きです。あなたしか欲しくないです」
日生さんはそう、言った。
「あっそ。俺なんかより、弟の方が大事にしてくれると思うけどな。あんた、人を見る目無いな」
「そんなこと言わないで…草ケ部さんとは別れたんですよね。だったら私と付き合って下さい」
日生さんがそう言うと、兄ちゃんは。
「…ウザイよ、あんた。俺の大事な弟を利用するような女、絶対好きになんてなれない。あいつとはもう別れて、ここには2度と来るな」
兄ちゃんは日生さんにそう冷たく言った。
聴いてる俺がゾクッとするほど、兄ちゃんの声が怖かった。
「何よ!弟弟って!兄弟愛?気持ち悪い!もういいわよ!」
いつもふわふわとした日生さんとは思えない、怒声を上げながら、バンッ!!とリビングの扉を開けた。
「!?花田君。…今の聴いてたでしょ?永遠にサヨナラ」
そう言って、日生さんはバタバタと出ていった。
「何あの女。性格悪すぎだろ」
「…てか、やっぱ俺はダメなやつだな~」
はははと、胸の苦しさを誤魔化そうと、俺は笑った。今にも、涙が零れそうだった。
すると───────
「…んっ」
兄ちゃんは俺のことを抱きよせ、キスした。優しく、けれども力強く抱きしめながら、俺にキス…した。
「兄ちゃ…ん」
「俺、好きなやつがいるって言っただろ?あれ…お前のことなんだわ。俺はもう、ずっと前から…お前のことが好きなんだ。…もちろん、兄弟以上の『好き』だ」
嘘を吐いてるとは思えない、真っ直ぐな眼。
「…やっぱり気持ち悪いか?」
真っ直ぐな眼から、悲しそうな眼をする兄ちゃん。
俺は─────…
「んっ…」
「……」
爪先立ちになり、キスをしながら兄ちゃんの口の中に言葉を流し込んだ。
「俺も兄ちゃんのことが…好きです」