チップを払わないで済むのは、豊臣秀吉のおかげ?
日本人が、外国に出かけたとき困る慣習の一つに、レストランのウェイターやホテルのボーイにチップを払う習慣があることです。
日本では、ドレスコードがあるような高級なレストランでも、ウェイトレスやウェイターにチップを渡すことはまずないので、実際に払うときに相場もわからず困った方も多いことでしょう。
欧米におけるチップの概念は、「良いサービスの対価だから、払うのが当たり前」という、もっともな理由がついています。(サービスが悪ければ払わない、と言う選択もあります)
昭和の時代は旅館に宿泊した際に、仲居さんに「心付け」という形のチップを渡す慣習が残っていましたが、平成に入ってからは、客が気を利かせて心付けを出しても、受取を断られることが多くなりました。
21世紀の日本では、チップを払う慣習がほぼ消滅したようです。
(ブログ主も引越の際、ドライバーに心付けのつもりで、缶コーヒーを人数分渡そうとしたところ、「会社の指示なので受け取れません」と断られました)
なぜ、日本ではチップの慣習がないのか?
諸説ある中で、「豊臣秀吉がチップを消滅させた」という、おもしろい説があります。
戦国時代までの日本は、様々なところに関所があり、そこで関銭(通行税)を関所の所有者に払わないと通過できませんでした。
たとえば、大坂から京に淀川で物資を運ぶとき48カ所も関所があったとの記録が残っています。
また、海運でも海賊衆に関銭を払う必要がありました。これはみかじめ料と違って、海賊衆は水先案内人もかねていたので、安全な運行をするため、暗礁や潮の流れを知る海賊衆を雇うことは仕方がないことでした。
さらに、運送業者、売買に携わる商人たちは、座を作っているので、商人(荷主)はいわれたとおりの金を払うしかありません。当然、商品の価格に上積みされます。
運送料金以外に、売買の担当者、実際に運搬に当たる馬子に別途料金を払うのが普通でした。(これが狭義の意味のチップに当たるでしょう)
こうして、流通を押さえたものは、関銭や座の運上金で多額の利益が得られました。
では、商人(荷主)や運送業者から得られた関銭や運上金はどこに行くのか。
一部は、関所などの施設や業務の維持費や本所と呼ばれる名目上の支配者(公家、寺社)払われますが、大半は港や関所を実効支配する領主の懐に入っていました。さらに、通行を円滑に行うために、賄賂(広義のチップに当たる)を払わされることも普通でした。
このおかげで、物資の中継点を実効支配している領主は裕福でした。
戦国大名は、関銭(運上金)を受け取る権利を自分のものにしようとしましたが、関所を管理する領主たちは「朝廷(または公家、寺社)から関所の設置許可をもらっている。」と主張し、戦国大名に組み込まれず、組み込まれても形式的で、独立を保っていました。
この関銭のしくみを最初に壊し始めたのは、織田信長でした。
しかし、織田信長の存命中は敵対勢力も多く、座をはじめとする旧来の流通経路を保護せざるを得ず、関銭の権利の多くはそのまま残っていました。
そして、信長死後、天下統一に成功した豊臣秀吉によって一気に流通改革は進み始めたのです。
羽柴筑前守秀吉は、関白、太政大臣「豊臣」秀吉になることにより臣下として最高位の「一の人」(天皇の次に偉い人)になりました。
そこで、財政基盤の強化と商業振興のために、朝廷、公家、寺社が所有していた、関銭の徴収権を取り上げました。
(公家も寺社も「一の人」の臣下なので、いうことを聞かなければならない)
秀吉は「これからは公儀(豊臣政権)が関銭の徴収を行う。勝手に徴収するものは処罰する」と全国の大名、公家、座商人、寺社に命令しました。
この命令によって、全国各地の関所は壊され、関銭という経費が減ったため、流通が活発になり商業が振興しました。
一方秀吉も、一部残した関所(物資の中継点の支配)からの運上金が自分の懐にはいるので、蔵入地(江戸幕府における天領)が少なくても、聚楽第など大土木工事が次々に行えるほど、財政基盤が強化されました。
(豊臣政権の蔵入地は200万石以下だと伝わっています。ちなみに江戸幕府の天領は約400万石)
秀吉の死後、日本を治めた江戸幕府もこの流通政策を引き継いだので、運送費以外のお金を払うことがなくなりました。
(ただし、運上金をとる政策は、株仲間の冥加金程度であまり重視しなかったようです。)
それどころか、関銭の考えそのものが忘れ去られ、箱根の関所で幕府が通行税を取り立てることもなくなりました。
幕末の頃には、外国の商人が奉行所の役人に賄賂を払おうとしたところ、「笑顔で断られた」と記録が残るほどチップや賄賂が少ない社会になりました。
(残ったのは、中元、歳暮くらいです)
このような経過を経て、現在の日本人はサービスを受けるときも、正規の料金以外に受け取らないという、世界的にも珍しい慣習が成立したのです。
ありがたいことです。