最終話
茫然自失というのは、まさにこのことだ。
ユイが死んでいたという衝撃の事実に、僕は放心状態になっていた。
なぜ気付かなかったのだろう。
遥香と付き合うようになってから、恋に夢中になって周りが見えなくなっていたのかもしれない。
僕はユイへのメールで、自分の事ばかりを書いていた。
それに対してユイは、自分が今何をしているかについては、ほとんど書いてこなかった。アルファロンが話をそらしていたのだ。
アルファロンは、これ以上ないほど巧妙にユイになりすましていた。
電子メールの形式で届くので、筆跡の違いがわからなかったこともある。
それでも思い返してみれば、不自然に感じられるところが、ないわけではなかった。
よく注意していれば、気付けたはずなのだ。
ユイは自分が死のうという時にまで、僕の心配をしてくれた。
彼女は以前、死にたいほど追い詰められているのに、他人のことを考えられる僕はすごいと、書いてくれたことがあった。
それはまさに、ユイのことだ。なんと尊い心の持ち主だろうか。
しかし僕はそれに気付かず、アルファロンを相手にのろけ話を書き続けていたのだ。
今度こそ自分が嫌になった。
アルファロンは、僕が父親になったので強くなったと判断したようだが、そんなことはない。
相変わらず、弱い人間だ。ずっと年下の少女に死に際まで心配される、情けない人間だ。
過去のユイからのメールを、全部読み返してみた。
前向きで明るい内容のものが多い。
彼女は突然異世界に転移させられるという、つらい経験をした。
家族や友人と引き離され、孤独を味わった。
戦うことを強制された。
それでも、決してめげることはなかった。
『だから、どうか生きてください』
自分は死を考えたことがあると伝えたとき、彼女はそう書いて僕を励ましてくれた。
ユイこそ生きるべきだったのに。
ユイ…………。
…………。
いつの間にか、夜が明けていた。眠っていたようだ。
このまま目が覚めなければよかった、なんて考えてしまう。
もう、何をする気にもなれない。
それでも、父親としての義務を放り出すわけにはいかなかった。
妻と娘はまだ入院中であり、今日も会いに行く約束をしているのだ。
「どうしたの、誠一郎くん。何かあったの?」
僕の顔を見た遥香は、不安そうな声でそう言った。
一目見てわかるほど、ひどい顔をしていたのだろう。
「死にたくなったんだ」
と、正直に言おうかと思ったが、そのとき、遥香の胸に杏子が抱かれているのが目に入った。
『誠一郎さんは、すごい人です』
その時、ユイの声が聞こえた。
『頑張って!』
その幻聴は、僕の心に強烈なパンチを打ち込んできた。
ユイに、しっかりしろと叱られたような気がした。
……………………。
…………。
……。
そうだ、落ち込んでいる場合じゃない。
僕は父親なんだ。
「大丈夫、昨日なかなか眠れなかっただけなんだ。約束するよ、僕は君と杏子を絶対に守ってみせる」
「ふふっ、何を言ってるのよ。……うん、頼りにしてるね」
唐突に恥ずかしいことを言ってしまったが、遥香は穏やかに笑ってくれた。
あれから三年が過ぎた。
杏子は元気に育っている。
言葉を覚えるのも早く、最近は生意気なことも言うようになってきた。
ついこの間も、「大きくなったらパパとけっこんするー」などと嬉しいことを言ってくれた。
その杏子は、今はベッドで就寝中だ。
可愛いなあ。
その寝顔をながめていると、頬がにやけるのを抑えられない。
傍から見れば気持ち悪い姿かもしれないが、今は僕と杏子しかいないので問題ないだろう。
スマホが振動した。確認すると、メールが届いていた。
差出人は「女神」となっている。
ふざけた名前だが、なぜかイタズラだとは思えなかった。
僕は震える手で、メールを開いた。
――――――
はじめまして、泉誠一郎殿。
私は女神です。
そう、ユイを異世界に転移させたのは私です。
ご存じでしょうが、私はユイに対し、魔王を倒したら元の世界に帰すと約束していました。
そして彼女は、見事に魔王を倒しました。
ですが、そのときに負った傷がもとで、亡くなることになりました。
それは私にとっても、悲しい出来事でした。
それでも、私はユイを元の世界に帰すという約束を、破るつもりはありません。
死んだユイを地球に転生させることにしました。
新生児として誕生し、一から人生をやり直すことができるようにしたのです。
ただし、生まれてから三年間は、前世の記憶を失っています。
彼女が三歳になったら、ユイだったころの記憶を取り戻すようにしました。
両親や周囲の人間に不審に思われないよう、三年間は普通の子どもとして過ごせるように配慮したのです。
私はユイに、新たな人生では幸せになってほしいと願いました。
だから、数奇な運命を背負って生まれた彼女を、心から受け入れてくれる両親を探しました。
でも、よく考えたら、探すまでもありませんでしたね。
だって、あなたと遥香さん以上に、適任な両親がいるはずが――
――――――
僕は慌てて、スマホから杏子に視線を移した。
彼女は目を覚ましていた。
そして、おかしくてたまらないといった様子で、笑いながら体を起こした。
「やっと会えたね。誠一郎さん」
まだショックで口が利けない僕に、彼女は続ける。
「もう、ブルーシートは必要ないよ」
思わず吹き出してしまった。
もう僕は一人じゃないし、死にたいと思うこともない。
それにしても、まさか今度は異世界転移ではなく、異世界転生だったとは。
「ああ、ようやく会えたなユイ、――いや、杏子。いつから記憶が戻ってたんだ?」
「一週間前。夢の中で女神様から事情は聞いてる」
「全然気づかなかったな」
「私もびっくりしちゃったけど、あの女神様にしては気が利いてると思ったよ。残念なことに、魔法は使えなくなってるけど」
「使えなくていい、君には二度と剣を握らせない」
「はい、誠一郎さん、――いえ、お父さん」
杏子は深々と頭を下げた。
「ふつつかな娘ですが、これからもよろしくお願いします」
僕は遥香や杏子との未来を考え、この上もなく幸せな気分になった。