第四話
「泉君、最近いいことがあった? なんだか明るくなったよね」
そう話しかけてきたのは、会社の先輩の室生遥香さんだ。
美人で面倒見がよく、仕事もできる。僕がひそかに憧れている女性である。
「え、そう見えますか?」
そう言うと、彼女はからかうような笑顔を見せた。
「見えるよ。ひょっとして、彼女でもできた?」
「ち、ち、違いますよ。断じてそんなことはありません!」
「ふふっ、そこまでムキにならなくてもいいのに」
僕は毎日、ユイからメールが届くのを楽しみにしている。
そんな気分が顔に出ていたのかもしれない。
「以前はなんだか元気がなさそうに見えたから、心配してたんだよ」
「そうなんですか、心配かけてすいません」
「泉君はウチのエースなんだから、しっかりしてもらわないとね」
なんだか、おかしなことを言われたぞ。
「エース? 僕が?」
「社長が言ってたよ。『二十代でCOBOLを使いこなせる人間は、探しても見つかるもんじゃない。泉が辞めるなんて言い出したら、給料を引き上げてでも引き留めなきゃならん』って。ウチのエンジニアはみんな五十代だから、泉君は期待されてるんだよ」
そうだったのか。まあ確かに、今からCOBOLを学ぼうなんて人間はいないだろうな。
嬉しかったので、ユイへのメールでこのことを書くことにした。
『――室生さんは僕が憧れてる女性で、そんな人に評価してもらえたことがすごく嬉しかったんだ。
あ、もちろん憧れてるだけで、恋人になりたいとかは考えてないよ。
まあ……そういう関係になれたら、とは思わなくもないけど、今の僕にはユイとの文通の方が大事だからね』
最初のころと比べて、今ではすっかり親しげな言葉でメールを書くようになっていた。
それは、ユイも同様だ。
――――――
やっぱり誠一郎さんはすごい人だったんだね!
誠一郎さんはいつも悲観的なことばかり書いてくるけど、周囲の人はちゃんと評価してたんだよ。
もっと自分に自信を持った方がいいと思うな。そうすればきっと、女の子にもモテると思うよ。
憧れてるんだったら、その室生さんて人に、思い切ってアタックしてみたらどうかな?
私との文通が大事だって書いてくれたのはメチャクチャ嬉しいけど、私たちはどう頑張っても会えないんだよ。
でも、その人には直接会って話すことができるんでしょ? だったら、勇気を出してみようよ。
いきなり告白しろなんて言わないよ。まずは食事にでも誘ってみたらどうかな?
それから少しずつ距離を縮めて行けばいいんだよ。
ね、頑張って!
――――――
頑張って、なんて言われても、とてもそんな気にはなれない。
「断られたらどうしよう」と、どうしても考えてしまう。
たかが食事に誘うぐらいで、と我ながら情けないとは思う。
だが、室生さんは同僚で、一日中顔を突き合わせているのだ。
彼女と気まずい関係になってしまったら、せっかく仕事で自信がついたというのに、会社に居づらくなってしまう。
『ユイが僕のためを思って励ましてくれたことは、わかってる。でもこれ以上は言わないでほしい。
今の僕は、ユイとの文通が生きがいなんだ。
たとえ会うことはできなくても、ユイが異世界で頑張っていると想像すると、僕も頑張ろうという気になるし、そんな君とメールでやり取りをすることが、僕には何よりも大事なんだ』
そう打ち込んで送信ボタンを押した。
すぐに後悔した。
せっかくユイが背中を押してくれたのに、断ってしまった。
女性を食事に誘うこともできない、情けない男と思われるのではないか。そのとおりではあるが。
文通が生きがいなんて書いたのも、よくなかった。
それ以外に楽しみがないというのは健全ではないし、ユイは重いと感じるのではないか。
次のメールでは、罵倒の言葉が返ってくるかもしれない。
あるいは、二度と返事をくれないかもしれない。
またしても僕は、負の思考に入っていた。
翌日、ユイからメールが届いた。
おそるおそる、内容を確認する。
――――――
そっか……うん、わかった。もう言わないよ。
私との文通が生きがいなんて書いてもらえて、私もうれしい。
こんな私でよければ、これからもよろしくね。
――――――
僕は安堵のあまり、大きく息をついた。
それからも彼女と文通を続ける日々が続いた。
僕が書く内容は他愛もないものだ。
会社でのちょっとしたエピソード。小さいころどんな子供だったか。好きな音楽は何か。どんな本を読むか。
日本や世界でどんな事件が起こったか、今は何が流行っているか、などだ。
彼女が書いてくるのは、もっと刺激的な話だった。
魔族の一万の軍勢を四人で殲滅した。
フォルテ神聖王国の王女に結婚を申し込まれ、断るのに苦労した。
空を飛べるようになった。
人面ドラゴンを飼うことになった、などだ。
このままずっと彼女と文通を続けられればいいなと思っていたところ、ある日こんなメールが届いた。
――――――
いよいよ明日、魔王を倒すために敵の本拠地に攻め込むことになったよ。
私はとても強くなったし、頼りになる仲間たちもついているので、きっと大丈夫!
これでようやく、地球に帰ることができるのかな。
なんだか興奮してきちゃった。
――――――
いつかこの時が来ることはわかっていた。
魔王を倒して地球に帰ることがユイの大きな目標だったのだから。
でも、僕は不安だった。魔王の強さについては、これまで何度も彼女が書いてきていたからだ。
それでも、ここで悲観的なことを書いて彼女の士気を下げるわけにはいかない。
そこで、ユイを励ます内容のメールを送った。
『そうか、ついにこの日が来たんだね。
大丈夫、ユイならきっと勝てるよ。
次のメールで、勝利の報告が届くのを楽しみにしてる。
ユイが日本に帰ってきて、直接会える日が来るのを楽しみに待ってるよ』
だが、このメールに対する返信は来なかった。
それまでは毎日届いていたメールが、一週間たっても届かない。
僕は最悪の想像をした。ユイは魔王に負けて――
いや、そんなはずはない!
きっと何か事情があって、返信が遅れているだけなんだろう。
僕はユイを心配するあまり、注意力が散漫になっていた。仕事でつまらないミスを繰り返すようになった。
「泉君、大丈夫? 最近調子が悪そうだよ」
室生さんが心配そうに言った。「ねえ、悩みがあるなら相談してもらえないかな。私じゃ力になれないかもしれないけど、話したら楽になるかもしれないよ」
話せるわけがない。
「心配かけてすいません。でも、大丈夫ですから」
「そう……でも無理はしないでね。私ならいつでも相談に乗るから」
室生さんにまで心配をかけて、僕は何をやってるんだ。
ほとほと自分が嫌になる。
また、死にたくなった。
ブルーシートを買ってこようか。