第三話
僕のことを知りたいと言われても、正直何も書くことがない。
趣味は特にないし、スポーツもしない。
特技もないし、仲のいい友達もいない。
充実した人生を送っている人は、いくらでも自分の話ができるのだろうが、僕には何もないのだ。
仕方がないので、基本的な情報だけを書くことにした。
『年齢は二十五歳、性別は男。職業は会社員。
居住地は石川県金沢市。築三十年以上のボロアパートで一人暮らし。
勤め先は紅葉システムという会社で、事業内容は地元の銀行のシステム保守。
僕はそこでプログラマーをしています。』
なんとも素っ気ない文章になった。
さすがにこれだけではどうかと思うので、ユイのメールに対する感想も書いておく。
『魔族はずいぶん不気味な姿をしているんですね。戦うのは怖くありませんか?
ユイさんは勇者だから、あまり人前で弱音を吐くことはできないかもしれません。
だから、つらいことがあるなら、僕に聞かせてください。
もちろん僕には何もできませんが、悩みを人に打ち明けることで、気分が軽くなることもあるかもしれません。
でも、頼もしい仲間がいるようなので、大丈夫なのかな?
気付いたんですが、ラルフさんとセーラさんについての説明があっさりしていたのと比べて、魔法使いのアルファロンさんについては、ひときわ感情をこめて書いてあるように思えました。
実は、彼のことが好きなのでは?』
最後の一文はジョークのつもりで書いたのだが、文章にするとニュアンスが伝わりにくいかもしれない。
翌日のメールで、ユイは本気で否定してきた。
――――――
アルファロンだけは絶対にないです! あの陰険男を私が好きだなんて、天地が裂けてもあり得ません!
でもまあ、頭がいいのは確かなんですよ。
前に書いたように日本語を教えてあげてるんですが、もう簡単な会話ならできるようになりました。
「なんだ、案外簡単だな」なんて言ってます。嫌な奴でしょ?
でも、会話はできても、読み書きには苦労しそうです。
教材として誠一郎さんからの手紙を使わせてもらってますが、「なんで文字が三種類もあるんだ! 理不尽だ!」って怒ってました。
ひらがな、カタカナ、漢字の三種の文字を使い分けるのが難しいそうです。
頭がいいといえば、誠一郎さんもすごいですよ!
プログラマーって憧れます。
プログラミング言語って、PythonとかJavaとか、そういうやつですよね。
よくわからないけど、かっこいいと思います。私は日本語しかわからないので。
戦うのは勇者の使命なので、覚悟はできています。
元の世界に帰るためというのもあるけど、魔王を倒すことでこの世界に住む人たちが救われるなら、頑張ろうという気になります。
……それでも誠一郎さんの言うとおり、つらいこともあります。ちょっとだけ弱音を吐かせてください。
戦うのはホントは嫌です。怖いし、痛いし、死にたくないです。
魔族は私を殺そうとしてくるんですよ! 自分を殺そうとしてる奴が目の前にいる恐怖!
日本で暮らしている誠一郎さんは、死を意識することなんてないでしょう。
ここでは、唐突に死がやってくるんです。魔族に皆殺しにされた町や村はいくつもあります。子供でも容赦なく殺されます。
ああ、こんな世界もう嫌だ。
……本当にごめんなさい。こんなものを読まされて嫌な気持ちになりましたよね?
でも、正直な気持ちを書いたら気分が軽くなりました。
もう弱音は吐きません。
魔王を倒すぞー!
おー!
――――――
読んでいて、胸が痛くなった。
そりゃそうだ、命懸けの戦いなんてしたくないに決まってる。
ユイはまだ十七歳だ。
高校に通って勉強し、友達とバカな話をしたり、SNSをチェックしたりながら、平和に生きているべき人間なのだ。
どうすれば彼女をなぐさめられるだろうか。
彼女の言うとおり、僕は死とは縁のない生活を送っているので、適当なことを書いても彼女の心には響かないだろう。
……いや、そうでもないか。
この間のように、自殺を考えたことは何度かある。
そのことを書いてみよう。
ユイが本音を打ち明けてくれたのだから、僕も正直な気持ちを書いてみよう。
『弱音を吐いたっていいと思います。
つらいことを自分の胸にだけ抱えていると、どんどん追い込まれていきますから。
僕がそうなのです。
僕はユイさんが言うような、すごい人間ではありません。人より優れているところは何もないのです。
プログラマーと言っても、PythonもJavaも使えません。僕が使えるのはCOBOLだけです。
聞いたことがないですよね? 時代遅れで将来性のない言語です。
さらには、弟の成功をねたむような、あさましい人間です。
自分が無能で、社会の役に立っていないことを考えると、首を吊って死んだほうがいいのではと考えることがあります。
でも、誰にも迷惑をかけずに死ぬというのは不可能なので、思いとどまっています。
部屋で首を吊ったら、まず大家さんに迷惑がかかります。
筋肉が弛緩して体中の穴が開くので、排泄物も垂れ流しになり、部屋を汚すことになります。
腐敗した体から出た毒素も、部屋を汚染します。壁に染みついた臭いは、少々洗ったぐらいでは消えません。
死んでから誰にも発見されずに何十日も経てば、腐敗して流れ出した体液が畳にしみこみ、やがて下の部屋の天井からにじみ出てきます。
真下の部屋の住人にも迷惑をかけることになるのです。
そうならないようにするには、下にブルーシートを敷いておけばよいのではと、考えたことがあります。
そこでブルーシートを買うために、ホームセンターへ出かけようと考えたところで、さすがにバカバカしくなりました。
こんなことは、誰にも話したことはありません。
でも、こうして書いてみると、かなり気が楽になりました。』
僕は送信ボタンを押した。
そしてすぐに後悔した。
僕はいったい何を書いているんだ?
ユイが身近にいる人間ではなく、遠い異世界にいる相手なので、うっかり正直な気持ちを書いてしまった。
だが、こんな異常な話を読まされたユイの気持ちを考えると、目の前が真っ暗になった。
彼女は嫌な気分になるだろうし、もう僕と関わりたくないと考えるはずだ。
死にたくなった。
本当にブルーシートを買ってこようか。
もうユイからのメールは来ないかもしれないと思ったが、なんと三十分もしないうちにメールが届いた。
――――――
やっぱり誠一郎さんはすごいと思います。
下にブルーシートを敷いてから死ぬなんて、私は考えたこともありませんでした。
それって、人に迷惑をかけたくないからなんですよね。
死にたいほど追い詰められていながら、他人のことを考えられる誠一郎さんはエライです。
そんな人がこの世からいなくなることは、世界にとって大きな損失だと思います。
だから、どうか生きてください。
――――――
胸が熱くなった。
本気で僕のことを心配してくれているのが、文面から伝わってきた。
ユイは僕よりもはるかにつらい境遇にある。しかもまだ十七歳だ。
それなのに僕を勇気づけるため、慌てて返事を書いてくれたのだ。
二十五歳の社会人として、これ以上情けないことを書くわけにはいかない。
僕は彼女にお礼を述べ、これからは強い気持ちで生きていくと、返事を書いた。
それから、僕とユイとの間で本格的な文通が始まった。
書きたいこと、知りたいことはいくらでもあった。
僕にとって異世界の話はとても興味深いし、ユイは日本や世界が今どうなっているかを知りたがった。
お互いの趣味や、日常生活のことも書いた。
よく考えてみれば、僕だって何もない人間ではない。書ける話はいくらでもあった。
つまらない話でも、ユイはきちんと返してくれた。
彼女の前向きさには、いつも励まされた。
ユイから届くメールの文面も、どんどん親密さを増していった。
おそらくは、彼女も僕のことを信頼してくれているのだろう、と思えた。