第一話
未来について考えると、死にたくなる。
だから普段は考えないようにしているのだが、何かのはずみでスイッチが入ってしまうと、ひたすら暗い思考から抜けられなくなる。
今がそうだ。
東京の大学に通っている弟から、大手企業で内定をもらったとLINEで連絡が来た。
もちろん、おめでとうと言ってやった。兄としては、そう言うしかない。
だが、内心は悔しくてならない。
兄である僕は、地方都市のボロアパートで一人暮らしをしながら、従業員が十人に満たない零細企業に勤めているのだ。
歳を取っても、たいして給料は上がらない会社だ。
他人より優れた能力を持っているわけでもないし、運転免許以外の資格も持っていない僕は、より条件のいい会社に転職するのは難しい。
今後、僕と弟の人生はどんどん格差が開いていくだろう。
兄弟で、なぜこんなに差がついたんだろうか。
兄なのに弟に同情されるというのは、つらいものだ。僕の方が弟だったなら、まだ納得できたかもしれないが。
そして何よりも耐えられないのは、こうやって弟に対して暗い嫉妬の感情を抱いてしまう、自分の心の汚さだ。
こんな情けない人間は、生きていても社会の役に立たないだろう。死んだ方がいいのかもしれない。
将来に対する漠然とした不安と、自己嫌悪。
そんな気持ちに支配された僕は、部屋の隅に置いてあるハンガーラックを見た。
あれにロープをかけて首を吊れば――、
そんなことを考えたとき、机の上に置いてあったスマホが振動した。
確認すると、メールが一通届いていた。
差出人の名前は「ユイ」となっている。そんな名前に心当たりはない。
どうせ迷惑メールだろうと思いながら、開いてみた。
――――――
地球にいる誰かに、この手紙が届くと信じて書いてみます。
私は徳田ユイといいます。日本で生まれ育った、十七歳の女子高生……でした。
今は日本にはいません。フォルテ神聖王国という国にいます。
聞いたことのない国ですよね? 当然です。ここは地球とは異なる次元に存在する、異世界なのですから。
異世界なんて聞いても、とても信じられないですよね。でも本当なんです。
今から一年ほど前でしょうか。
私は通学のために家を出て、徒歩で高校に向かっていました。その途中で、体が突然白い光に包まれたんです。
不思議な光でした。周囲が何も見えなくなるほど強い光なのに、目を開けていても平気なんです。
私がとまどっていると、目の前に見たことがないほど美しい女性が現れました。
その女性は、自分は女神だと名乗りました。そして私に、世界を救ってほしいと言いました。
その女神様の管理する世界では、魔王とその配下の魔族たちが、人間を皆殺しにしようとしているそうなのです。
だから私に、魔王を倒してほしいと言うのです。
「私は魔王と戦いたくなんてありません。元の世界に帰してください。あなたの管理する世界なんだから、自分でなんとかすればいいじゃないですか」
「それは無理なのです。私は世界と直接かかわることはできません。できるのは、別の世界から魔王を倒せる勇者を召喚することだけです」
「私は勇者なんかじゃありません。格闘技の経験もないし、誰かと戦ったこともありません」
「大丈夫です。私があなたに、勇者としての力を与えますから。どんな剣豪にも引けを取らない剣技と、炎や氷を自在に操る魔法の力です」
「そんな力はいらないので、元の世界に帰してください」
「魔王を倒してくれたなら、元の世界に帰すと約束しましょう」
こんな感じの会話を交わしたような気がします。
まったく私の言うことは聞いてもらえませんでした。
さすがに女神というだけのことはあって、自分の正しさを疑っていないようでした。
結局私は、この異世界で勇者として生きていくことになりました。
この世界の言語はもちろん日本語ではないのですが、なぜか理解できました。それもきっと、女神の力なのでしょう。
その後私は魔族と戦ったり、人々を助けたり、仲間に出会ったりといった冒険をするのですが、それをいちいち書いていてはきりがないので、省略します。
私はそんな冒険の途中で、「異世界レターボックス」というアイテムを手に入れました。
長い辺が三十センチほどの直方体で、前面に手紙を投入する口があり、その反対側の面をパカッと開いて中の物を取り出すつくりになっています。
このアイテムの用途を古文書で調べたところ、異世界と手紙のやり取りをすることができるアイテムだとわかりました。
投入口から手紙を投函すると、その手紙が異世界に届くのです。その手紙に返事がきた場合は、取り出し口から取り出せるようです。
この世界にとっての異世界とは、ひょっとしたら地球のことではないか、と私は考えました。
もしそうなら、私の家族と連絡を取れるかもと期待しているのですが、残念ながら宛て先は指定できないようです。
それでも、せめて日本語が分かる人に届くように祈って、この手紙を書きました。
この手紙を受け取ったあなたに、お願いがあります。
どうか私の家族に、私が無事であることを伝えてあげていただけないでしょうか。
私が行方不明になったことで、父も母も弟も心配しているはずです。死んだと思っているかもしれません。
私は元気です。この世界で生きることはつらいことばかりではなく、それなりに楽しいこともあるのです。
女神にもらった力のおかげで、勇者である私は、みんなから尊敬されています。
気の置けない仲間も、何人もいます。
そして魔王を倒せば、日本に帰ることができます(女神が約束を守ればですが)。
そのことを家族に伝えて、安心させてあげたいのです。
あなたがどこに住んでいるかわからないので、私の家族に直接会ってほしいとまでは言いません。
それに、会ってこんな話をしても、きっと変人扱いされます。父も母も弟も、常識人ですから。
その代わり、この手紙を同封して、下記の住所に郵送してください
私の家族がこの手紙を見れば、筆跡や内容から、私が書いたものだとわかるはずです。
切手代は出せませんが、帰ったときにきっとお礼をします。
無理なお願いとは承知していますが、どうかよろしくお願いします。
以下は、家族に宛てて書きます。
ハロハロー♪
パパ、ママ、ユーくん、愛しのユイだよー!
ごめん、心配したよね。
でも安心して。私は――
――――――
以下はずっとくだけた調子で、ユイから家族に向けたメッセージが書かれている。
だが、筆跡などわかるはずがない。スマホに電子メールで届いているのだから。
このユイという少女は直筆で手紙を書いたのだろうが、「異世界レターボックス」というアイテムを経由すると、なぜか電子メールに変換されてしまったようだ。
と、ここまで考えて僕は、この荒唐無稽な話を信じてしまっていることに気が付いた。
常識的に考えれば、異世界からメールが届くなどあり得ない話なのに。
差出人のアドレスを確認しようとしたが、どこにも表示がない。だが、宛て先は僕のキャリアメールのアドレスに間違いない。
僕は「徳田ユイ」という名前で検索をかけてみた。行方不明になったことがニュースになっているかもしれないと思ったのだ。
簡単に見つかった。
全国ニュースにはならなかったようだが、地元の新聞ではそれなりに大きく取り上げられていた。
つい最近も、行方不明になってから一年が経ったということで、特集記事が書かれていた。
「女子高校生行方不明から一年、残された家族の悲痛な思い」という見出しで、ユイの家族が現在の心境を語っていた。
それから、警察庁のウェブサイトを調べた。
「行方不明者に関する情報提供のお願い」というページがあり、そこには各都道府県警の行方不明者情報のページへのリンクが貼られている。
ユイの情報も載っていた。
『令和〇年〇月〇日、午前七時五十分ごろに自宅を出たまま、行方がわかりません。
名前 徳田ユイ
年齢 十六歳(行方不明当時)、
服装、紺のブレザー、グレートと白のチェック柄のスカート、黒の肩掛けカバン
身長 百六十二センチ
体重 五十三キロ
髪型 黒髪、ストレート
お心当たりのある方は、下記までご連絡ください』
ユイの写真も載っていた。
笑顔の写真だ。
目がぱっちりと大きく、真っ白な歯がきれいに並んでいるのが印象的だ。
控えめに言って、美少女だった。