第六章 罪には罰を
「おうマルクス。珍しく景気よさそうじゃねぇか」
マルクスが≪紫翼の空≫のクランメンバーと騒いで呑んでいると、案の定下卑た笑みを浮かべた男がやってきた。
傭兵団副団長ログル。
副団長だけあってガタイはよく、鎧越しにでも鍛え抜かれている事が分かるほどだったのだが、それも昔に話し。領主に雇われてそれなりに経っていると言う事もあり、だらしなく垂らしたシャツの下にだるんだるんの腹があるのは丸わかりだ。
「あぁ、今日ほど良い日は久方ぶりだ。領主の犬っころを見たってテンションが上がるくらいなんだからな」
「がははははっ! いやマルクスさん、そりゃあ犬に失礼ってもんでしょ。魚の糞が良いところですって」
「はっはっはっ! そりゃそうだっ!」
『かんぱーいっ!』と、その場にいる住人で木製のカップを重ね合う。
そんなマルクスの髪を、ログルが掴んで凄んだ。
「おいテメェ等、誰に舐めた口利いてんのか分かってんのか? おぉ?」
「まぁ落ち着けよログル。お前、野球って遊び知ってるか?」
「あ? 金持ちの球遊びだろうが」
「そう。あれに使う棒、バットって言うんだけど案外使いやすいんだ。マッカ、見せてやれよ」
「うーっすっ!」
大声で返事をして立ち上がったのは、クランでも若手の青年マッカ。
彼は手に持ったバットをログルに見せつけるようにくるくると回し、バッティングポーズを取った。
「そうそう、ちゃんと手本見せてやれ。球はそこにあるだろ?」
「うっすっ!」
マルクスが親指でログルを指さし、顎を引いて頷いたマッカが踏み込んだ。
ゴギャン! と音が響き、木片が散る。ドスンとログルが倒れ伏せる音が響くまでの静寂。そして、クランメンバーによる爆笑が響いた。
「ほーむらん、ですかね?」
「いやいやひっとって奴だ、ひっと」
「ならドスンヒットだなっ!」
「ちげぇねぇっ! かんぱーいっ!」
『かんばーいっ!』
そうやって騒いでいる間にも、ログルが引き連れてきた五人は顔色を赤くしたり青くしたりと変色し、一人が震える声を上げた。
「こ、こ、こんな真似をしてどうなるか分かってんのかっ!」
「何って野球しただけだろ、野球」
「だよなぁっ! すぽーつせーしんとか言う奴だっ!」
「ンな事も分かんねぇから傭兵なんだよ」
「ふざけんなよっ!?」
怒鳴った男が剣に手を掛けた瞬間静寂が落ち、殺気が満ちた。
「それを抜いたら喧嘩じゃ無くて殺しあいだ。覚悟しろよ?」
ぬるいエールを呑みつつマルクスがそう告げると、男の顔からさっと血の気が引いた。
五対十。数で負けているところで剣を抜いたらどうなるか、それくらいは分かったのだろう。
「く、くそっ! 覚えとけよっ!?」
「おう待てや。何しようとしてんだテメェ」
「な、何って……」
逃げようと声を上げたのとは別の男がログルを背負い上げようとし、その動きをクランメンバーに止められた。
「いいかぁ? そのフンはテメエ等フンの中でも本体に近い方のフンだ。連れてかれたらテメェ等端っこのフンはだんまりで終わっちまうかもしんねぇだろうが。ちゃんと魚のフンらしく、連なってもう一度ここに来いや」
「賢っ! 賢いなぁ旦那っ!」
「確かになぁ。ウンコ野郎共じゃあテメエの恥を隠して無かった事にしそうだ」
「魚のフンっすもんねぇ」
「せ、戦争だぞテメェ等っ!」
「ならさっさとその剣抜けや」
マルクスがそう言い放つと、男は口をパクパクさせて、出口に向かって駆けだした。
他四人も、少し遅れてその後に続く。
その様子に笑い声が響いたものの、暫くすると沈黙が落ちた。
「一段階目は終了だな。そいつ縛り上げて転がしとけ」
「当たり引いたっすね」
「そのクズ毎日のように酒場回ってたからな。まぁそれでも、今日も同じで良かったぜ。副団長確保しとけば団長が出てくんだろ」
少なくは無い安堵と共に、マルクスはエールを飲み干してジョッキを掲げた。
「オヤジ、おかわりっ! っつーかもうタルで置いといてくれやっ!」
「取りに来させろっ! 俺はつまみ作ったら避難するからなっ!」
「おう、迷惑かけるなっ!」
「領主ごと消えてくれるってんなら全面的に協力するに決まってんだろうがっ! 気にすんなっ!」
「ここに住んでるならそーなるよなぁっ! はっはっ! あー、良い日だっ! 今日は最高に良い日だっ!」
これから殺し合いになる事は承知の上で、マルクス達は酷く楽しげな笑い声を上げた。
▼△▼△▼△▼△
「そろそろかね?」
領主の館から三十人ほどが出て行ったのを確認して、俺は普段通りの足取りで歩き出した。
危険を引き受けてくれてるのは≪紫翼の空≫のメンバーだ。それが分かっているからさほど緊張は無い。
ちなみに、傭兵は三十人はいるといっても、途中で十人ほどを間引いて酒場前の通りで圧倒的人数有利で潰す算段らしい。間引きが失敗しても倍以上の人数差は確定しているので、心配するだけ損だとは思うが。
更に付け加えるなら、衛兵にはすでに話を通してあるとの事。街の衛兵は味方らしいので、その辺りも安心要素だ。
と言う事で、開きっぱなしの門をくぐって前庭へ。
外からも見えていたが、ライトアップされていて金を掛けている事が分かる作りだ。中央には噴水まであって、いかにもな貴族の邸宅。
人気も無いので散策気分でゆっくり歩く。
相手がちゃんとした殺し屋なら、ここで仕掛けてきてくれても不思議は無いのだが。
トン、と背中に衝撃が走った。
「おや、それなりに良い防具のようですね」
「客だったらどうするつもりだ」
「ははっ。馬鹿共を扇動して、手薄になったところに来訪するお客様ですか」
そんな言葉と共に木の陰から歩み出てきたのは、執事と言うよりはホストみたいな男だった。
執事らしい裾が短いスーツなのだが、全体的に身体にぴったりなサイズで細身が強調され、更にメイクもしているらしく異様にホストっぽい。自前なのかもしれないが、金髪を後ろで縛っていて長い睫毛というのがもの凄くチャラい感じだ。
「確認もせずに攻撃するなっつってんの」
肩甲骨の下辺りに刺さったのでもの凄く取りにくかったが、身体を捻ってどうにかナイフを抜いた。
その先端には、俺の血が。見た感じ一センチも刺さってないようだが、かなり痛かったりする。
でもってこのナイフ、かなりの上物だ。分かってはいたが、この時点で装備の性能差がハッキリして憂鬱になる。
折角だから貰っとこ。
内ポケットにしまうふりをして、魔法袋にしまっておく。
「……まぁナイフ程度構いませんが、そんな余裕があるのですか?」
無造作に二本投擲されるが、上体を左右に揺らして躱す。
「ほぅ」なんて声を漏らされたが、舐めすぎである。殺意も無い小手調べぐらい、見えていれば回避ぐらい出来る。
お返しに、懐に入れていた右手を放つ。
口へと向かって放ったナイフを、男はあざ笑うような笑みを浮かべて片手で払う。
次の瞬間、男は目を剥いて首を振った。
「ぷっ。だっさ」
その頬に赤い線が浮き上がったのを目に、俺はつい吹き出した。
二投一線。そんな技名があるように、対人戦における投げナイフの基本だ。一投目の真後ろに着くように二投目を投げる、難度が高い割に効果は薄い技術。
「そういえば、こう教えられたな。二投一線が刺さる馬鹿は、凡人か鈍い豚くらいだと。……良かったな、飼い主と同じで」
「殺す」
呟きと共に男の姿が消えた。
殺し屋の厄介なところは、これが魔術では無く技術な所だ。
気配を消し、音を殺し、消えたように錯覚させる技術。とんでもない技術のくせに、殺し屋を名乗るには必須の技術らしい。
つまり、想定内。どこにいるのかさっぱり分からんけど。
風で木々が揺れる音にすら敏感になっているのが分かる。
周囲に気を配りつつ、これで逃げ出してくれてたら嬉しいんだけど、なんて思っていると声が響いた。
『≪常闇≫を侮辱した罰、その身で味わえ』
「は~ん。有名なのか?」
『……無知とは哀れだな』
仕返しとばかりに嘲る声色だったが、当然位置は掴めない。小声ながらも脳裏に響くようにハッキリと声を伝える『遠声』と呼ばれる技術だ。
そんな感じで殺し屋の技術に関しては知っているのだが、殺し屋業界には詳しくない。口ぶり的に有名な組織ではあるんだろう。
カサリ、カサリと音がして、俺はジリジリと後退してゆく。
このまま後退が続けば玄関だが、屋敷に逃げ込むような真似はしない。殺し屋相手に屋内に逃げ込むなんてのは、いたぶって殺してくれと言っているようなものだ。
それでも少しずつ後退していると、後方からナイフが飛んできた。
気付いたのは刺さってからで、痛みにイラッとする。
ただ、おかげで分かった事がある。
今度はナイフを引き抜かず、剣の柄に手を掛けたまま足を止めて警戒を続行。
おそらく敵は投げナイフが得意ではない。だから殺すつもりで投擲してこないのだろう。
痛みの程度的に、先程と同じだ。本気の投擲ならもっと深く刺さっているし、そもそも防具のある場所に投擲はしない。
つまり、殺しの手段は別。
そう考えていると、男は噴水の前に姿を現した。
誘っているのが丸わかりだ。
駆け寄りたいところではあるが、ぐっと我慢して剣を引き抜き、上段に構える。
色々と策を弄したのだろう。男は笑みを見せると、ナイフを逆手に持って駆け寄ってきた。
急速に距離が縮まる。
魔剣とナイフなら、間合いはこちらの方が上だ。
男が間合いに入った瞬間、俺は魔剣に魔力を流し込んだ。
「なっ」
「気付くのが遅い」
振り下ろした一閃は、何の抵抗もなく男の頭部と上体を両断した。
結果だけ見れば男が馬鹿だっただけにしか見えないが、勝てたのは魔剣があればこそだ。
目を凝らせば、キラキラとライトを反射し宙を漂っている糸が見える。
糸使い。男の動きからして、普通の剣なら斬る事も出来ないような硬度がある極細のワイヤーだ。魔剣でなければワイヤーで剣は阻まれ、男のナイフが俺の心臓を抉っていた事だろう。
「王城の≪陰≫に感謝だな」
偶然ではあるが、王が保有している暗殺集団≪陰≫と接点を持てた事で、何かと教えて貰えたのだ。おかげで三回ほど生死の境を彷徨ったが、その分死ににくくなったし、こうして並の殺し屋程度には対応できるようになった。
ナイフに毒が塗られていない時点で、毒殺系は無し。
近接戦を挑んでこなかった時点で、暗器系も無し。
距離を取っての攻撃もお粗末なもので、設置系だけが得意な並以下の殺し屋と言う事は途中で分かった。
設置系でも色々あるが、姿を見せてからでも有効な技術となると糸が最有力。まぁ案の上の結果という奴だ。
背中のナイフを引き抜き、男の懐を漁って硬貨が入った革袋やらナイフやらを頂戴する。
「そう言えば、有名な組織って時点で殺し屋としては三流だとさ。次があるなら、本物の組織に入る事だな」
聞こえてるはずも無いが、そう呟いて俺は屋敷へと足を踏み出した。
と言っても、一歩ごとに剣を振って安全確認は忘れない。
こうやって罠を確認するゲームがあったなぁ、なんて思いながら、俺は一歩ずつ玄関へと近付いていった。
▼△▼△▼△▼△
熱い。
ロータス・ギル・ディモンシが最初に感じたのは、全身を襲う熱だった。
分厚い脂肪に覆われたロータスは、日常的に発汗している。それを抑制し快適に過ごす為に、部屋には高度な冷却魔導具を設置してあるほどだ。
だからこそ気のせいだと思い、ロータスは短い右足で布団を退かすだけで瞼は開かなかった。
一度浮上した意識が、また沈んでゆく。
だが、眠りに落ちる前に再び熱が意識を刺激した。
熱い。
熱い、熱い、痛いっ!
「あばああぁぁぁぁっ! あづいっ! あづいぃぃぃっ!」
飛び起きたつもりが身体はさほど動かず、意思通りに動く右腕でローブを剥ぎ、両足で布団を蹴飛ばした。
「あづいぃっ! いだい、いだいいぃぃっ! 何がっ! なんで」
藻掻きつつ叫ぶも、一向にガウンが脱げない。
その事実に気付き、見開いた目で胸をかきむしる両腕を見れば、片腕しか無かった。
ロータスの叫びが、そこで止まる。
左腕が、ない。
訳が分からず視線を落とせば、左腕のガウンは焼き切られて焦げた断面を見せ、その内側に赤黒く脈動する左腕の断面が見えた。
「……は?」
夢。
あまりにも突拍子の無い光景にロータスはそう判断するも、血の気が引いてゆくのが分かった。
「いやぁ、凄いな。正規軍が動かなくても、一年もすれば病死してただろこの豚」
その声にロータスがゆっくりと顔を向ければ、そこには抜き身の剣を持った何の特徴も無いような男が。彼が顔を向けた先には、ロータスの愛人二号がいた。
ロータスは彼女の名前を覚えていない。最初は抵抗していたがいつしかそれもなくなり、飽きてしまったが外見だけは良いので飼っているだけだ。
何故か、そんな奴らが部屋にいる。
「殺して」
愛人二号がそう呟いたのを耳にした瞬間、ロータスの意識は真っ白に染まった。
痛みを思い出し、血液が全身を駆け巡り、殺されるという恐怖が意識を強引に覚醒させる。
「ヒェドリッフっ! ひぇどりいいいいふうううううっ!」
「うるせぇなぁ。……あぁ、拷問は大いに結構だが、殺しは駄目だ」
「何故。地獄を、地獄を見せてやるんだって言ったじゃないっ!」
「だからだよ。殺したらそこで終いだ。生かして苦しませるから地獄なんだろうが」
「ひぇどりいいいいっ! きゃねを、きゃねをひゃらってるらりょおおがあああああっ!」
「うっせぇよ」
ドスッと右耳で音が響き、ロータスは目を瞬かせた。
男が、ロータスの右頰を掠めて枕に突き立てたのは、黒い刀。
右耳に感じた熱を上回る熱さが頭に昇り、ロータスは怒声を上げた。
「それは息子に与えた物だぞっ!」
「聞いたよ。息子に開拓村襲撃を丸投げしたんだろ?」
「任せたのだっ! なのに何故貴様がそれを持っているっ!」
「ふっつーに殺したからだけど」
ふっ、とロータスは意識を失い掛け、枕にもたれかかった。
最愛の息子が、死んだ。
その事実に、ひたすら混乱していたロータスの思考が落ち着いた。
息子の死は痛い。大金をかけて育て上げた、政治の道具を失ったのだ。
だが、市井にも種は蒔いてある。取り返せないほどの損失では無い。
何よりも、ロータスの手の内にはダンジョンコアがあるのだ。小型とは言え国家予算を上回る価値のそれさえあれば、大抵はどうにかなる。
「……セドリックも殺したのか? あれは優秀な殺し屋の筈だが」
「いや、殺し屋としちゃあ三流だな」
「そうか。……そうか。それで、要求は何だ」
「いきなり貴族っぽくなられてもな。そもそも要求なんて無いし」
「なんだと、おああああぁぁぁぁぁっ! きさ、貴様ぁあああぁぁぁっ!」
激痛にロータスが憤怒の表情を向ければ、女が息子に与えた魔剣をロータスの足裏につきしているところだった。
「やめろっ! ぎっ、やめろおぉぉっ!」
「おい、血が出てんだろうが。ちゃんと魔力を流して斬れ」
「巫山戯るなぁっ! 私にこのような真似を、ぐぅっ、許されると思っているのかああああああああああああっ!」
左腕の痛みも激しくなり、あまりの痛みに意識が薄れながらも、更なる痛みに意識が引き戻される。
絶え間なく始まる激痛。
その最中、ロータスの耳元に顔を近付けた男が口を開いた。
「国家反逆罪で爵位剥奪、テメェの死刑は確定済みだ」
その言葉を理解して、絶望に浸る時間を与えられる事は無く。
ロータスは声帯が潰れるまで叫び、苦しみ、声を発する事が出来なくなっても尚、延々とその身に激痛を刻まれ続ける事になるのだった。
▼△▼△▼△▼△
「いやぁ、やったなぁ」
館を出れば、空が白清み始めていた。
少し冷えた空気が心地良い。血の匂いに馴染んだ鼻腔が清められていくようだ。
「あの……お願いがあります」
俺の後に続いて出てきた女性が、弱々しくそう呟いた。
朝焼けの光に映された女性は、血液を被ったかのように血塗れだった。
白かったネグリジェも赤に染まり、肉片が所々に付着している。軽くウェーブした茶色の髪も血液でべったりと肌に張り付いて、右目だけが覗いている。
そうとだけ言うとホラーっぽいのだが、貴族が囲ってただけあってそれでもエロさを感じてしまうのが困る。
「私を、殺して下さい」
「は? なんで?」
「復讐は、果たしました。もう、十分なんです」
そう呟いて見せてくる儚げな微笑みは、庇護欲をそそる程に美しい。
だがまぁ、それも拷問の狂乱を見ていなければの話だ。
豚を詰りながら切り刻み、千切った足を自分の頭の上で潰して、その血と肉を浴びながら高笑い。そして再び斬り始める。
俺がほとんど汚れていないのも、彼女がそれだけテンションを上げて拷問を続けた結果だ。やった事と言えば、豚が気絶するたびに気付け薬を嗅がせて叩き起こし、たまに増血効果のあるポーションを飲ませ、最終的に全ての四肢を魔剣で切り取って、出血死しないようにした事ぐらい。
一晩中拷問を続けたんだから、そりゃあ復讐に満足はするだろう。見てただけで、俺はお腹いっぱいだ。
だからこそ、彼女の嘆願に俺は首を傾げた。
「意味が分からん」
「……もう、何も無いんです。生きてても、辛いだけ。だから」
「いや、復讐しただろ? 存分に」
「はい。だから、思い残す事はもうありません」
「あー、なるほど」
彼女の言葉に納得したのではなく、前の世界で口論になった事を思いだして一つ頷く。
『復讐は何も生まない』『復讐を終えたから死んでも良い』。映画とかでそんな件があって、俺には理解できなくて喧嘩になったのだ。
なので、先に俺の意見を言っておく事にする。
「あのな。俺にとって復讐ってのは、次に進む為のケジメだ。死ぬ為にする何かじゃない」
「……生きろって、言うんですか? あの男に攫われてから、された日々を抱えながら、生きろって」
しゃがみ込み、俺を見上げ、つと涙を零す女性。
同情はする。
だが、それと俺が殺してやるのとでは話が別だ。
「こういっちゃあなんだが、その辛い日々で死んでないお前が悪い」
「……え……?」
「死ねば終わりだ。死が救いになるのは、その辛い日々に在ったお前や、今の豚みたいな生き物に対してだ。復讐を果たしたなら、そこに死ぬ理由なんて無い。復讐ってのは、生きる為の糧なんだからな」
「どう、生きろって、いうのよ……」
「好きに生きればいいだろ。話は通しとくから、豚の財産からそこそこ支払われるだろうし、一生働かなくてもどうにかなるんじゃないかね」
「……それで、世捨て人みたいに一人で生きるの? そんなの、死んでるようなもんじゃない」
「え? 働かないで生きていけるって最高だと思うんだけど」
確かに娯楽は少ないが、本はある。
存分に寝て、好きなもの食べて、暇になったら読書したり釣りをしたり、動物を飼ってのんびり生きるってのは最高の生き方だと思う。
そう考えていたからこそ素直に驚いたのだが、何故か女性の方も驚いたように目を見張って、小さく笑った。
「人それぞれって事ね」
「まぁ、だな。兎に角、まずは≪紫翼の空≫のクランホームに向かおう。お前はそこの噴水に浸かってからな」
「……ミールって呼んで」
「はいよ、ミール。身の振り方はクランホームで考えろ」
ミールから手を伸ばされたので、その手を掴んで立ち上がらせる。
その瞬間抱きつこうとしてきたミールの顔面を、咄嗟に逆の手で引っ掴んだ。
「おい」
「お礼のつもり、だったんだけど」
「そーいうのは惚れた男にでもやってやれ。オークの血でも被ってからな」
「……ふふっ。そうね、機会があったらそうする」
なんか、勝手に元気になったらしい。
兎に角、これで俺の目的も終了だ。四肢を切り取った子爵が生きてられるかどうかは運次第だが、どっちにしても死ぬんだから問題は無いだろう。
証言なら、≪紫翼の空≫が傭兵共を確保してくれているはずだ。
と言うわけで、噴水で水浴びをしたミールにジャケットを貸して帰途につく。
水に濡れたミールのネグリジェ姿は、まさに生きたヴィーナスだった。
眼福である。