第五章 紫翼の空
「身分証を」
「はい」
「……ん、ようこそリムリスへ」
ぼそぼそと喋る門番に会釈をして、俺は城門を抜けた。
「いやぁ~……着いたなぁ」
「クエー」
呟きにもいちいち反応してくれるオリュウに苦笑して、空を見上げる。
暗くなりつつはあるが、まだ明かりを灯す必要は無い。そんな時間帯だ。
距離で言えば王都から開拓村までよりも、開拓村からティモンシ子爵領領都リムリスの方が遠い。検問を考えて王都方面には向かわず直接リムリスへと向かう街道まで森を抜けてきたのでそれなりにショートカットしているとは言え、日の入り前に着いたのは予想よりかなり早い。
おかげで飛脚屋はまだ営業していた。
「おう。オリュウなら一泊銀貨三枚だ」
「連泊とかだとどーなります?」
「一泊計算だから、明日のこれくらいまでの時間に取りに来てくれれば銀貨三枚、明日の早朝でも銀貨三枚だ。連泊も同じで、明後日のこれくらいの時間までならプラスで銀貨三枚って計算だな。営業時間を過ぎたら諦めてくれ」
「分かりました。じゃあ一応二泊で。金貨一枚出すんで、良い物食わせてやってくれますか?」
その言葉が分かったのか、「クエークエー」と鳴き叫びふかふかの身体をこすりつけてくるオリュウ。
触り心地は良いし悪い気はしないのだが、いかんせん鳥臭いので苦笑いにもなる。
「ははっ、懐かれてるなぁ。分かった、オリュウの好物を出しといてやるよ。あぁそれで、オリュウなら一週間支払いが無かった時点でウチの物になる。あんたなら大丈夫だとは思うが、長期で預けるつもりなら早めの支払いか前払いを頼むよ」
「分かった」
「良い子にしてろよ」とオリュウの首筋を撫でて、通りに出る。
まずはギルド、と思えば真正面にあった。王都同様周りの建物とは一風変わった建築で、四角い灰色の箱ってのはよく目立つ。
時間的には早朝と同じピーク時になるはずなのだが、さほど混んではいない。王都や開拓村が異常だっただけなんだろうか。
「どーも、空いてるね?」
空いている受付に向かったのだが、受付嬢はちゃんと美人なエルフの女性。整った顔立ちでニコニコしていて、美人なのに可愛らしい。王都でこの時間帯なら、一時間待ちは必要だろう。
「リムリスは初めてですか?」
「えぇ。拠点は王都です」
「そうですか。でしたらお分かりかもしれませんが、ここで登録しても王都に向かってしまう冒険者の方が多いんですよ」
「でもポギール大森林がありますよね?」
「そうなんですが、領軍のせいで自由に入れず、更に税金も高めなので素材の売却益が低くなってしまうんですよね。領主様がもう少し頭を使ってくれれば、冒険者がここまで減る事も無かったと思うんですけど……」
「あー、なるほど」
わざわざ実入りの少ない領地で粘るぐらいなら、近くて実入りがマシな王都に向かうのも当然である。
「領主様は嫌われてますか」
「そうですね。……一領民として言わせていただければ、現実を知らないありがちな貴族。ギルド職員として言わせていただければ、金の亡者でしょうか」
「ははっ。なかなかに辛辣な」
「これでもかなり柔らかく表現してるんですよ? 商人ギルドでお聞きになれば……えぇ。徹夜で色々と話してくれるでしょうね」
「面白い情報をありがと」
大銀貨一枚を受付に置き、本題に移る。
「それで、≪しよくの翼≫って言うクランの場所を知りたいんだけど」
「≪紫翼の空≫、ですね? それでしたら丁度良いです」
「丁度良い?」
「はい。ここから併設の酒場が見えますよね?」
言われて顔を向ければ、平時なら閉まっているんだろう扉が開け広げてあり、酒場の内装がよく見える。
騒ぎ声も聞こえるが満席にはほど遠く、使われていない丸テーブルと丸太の椅子がちらほらと。
「あの一人で寝てる女性に声を掛けて、クランまで送ってあげて下さい」
「……もしかして、剣を十字に背負ってる?」
「えぇ、その人です」
にっこりと良い笑顔を見せてくれる受付嬢に、俺は頬を引きつらせた。
良くいるのだ。見た目から入る冒険者は。
ただ、鎧とかなら兎も角、鞘を背中に、それもXになるようセットしてるような冒険者にはふつーに関わりたくない。
「えー……クランのホームを教えて欲しいんですけど」
「女性の介抱は男の甲斐性ですよ?」
「なら甲斐性を見せる前に男としての義務を果たそうかな。どう? これから食事でも」
「ふふっ。申し訳ありませんが、仕事中ですので」
「ですよねー」
へらへらと返して指示された女性の元へと向かうが、内心ではしょんぼりだ。
さらっと誘ってはいても、かなり緊張した上でのお誘いなのだ。まぁ受付嬢にとっては日常的な事だろうし、断られるのも当然なんだろうけど。
女性に声を掛けようとしたところで空腹を思い出し、対面に座って注文する。
頼んだのはステーキ。魔物がはびこるこの世界では肉が有り余る為、、最も一般的で安めの料理だったりする。
さほど待たずに出てきたステーキ。ちょっとマシな店なら付け合わせぐらいあるのだが、この店は木製の皿にステーキがどんと一枚載っていただけだ。
ナイフで切り、一口。
うん、不味い。
オーク肉らしく味自体は悪くないのだが、兎に角臭い。血抜きをしてないのか、下処理が下手なのか。塩こしょうが少なめなのは地域的に仕方ないのだが、もう少し香草でごまかすとかの工夫が欲しいところである。
肉も硬いし、空腹で無ければ拷問だったかもしんない。
「……ん? うあ、お前良くそれ食えるな」
顔を上げるなり、ひとが食べている物を見てドン引きする女性。
顔立ちは整っているが、目付きがキツい。単純に引いているだけだろうが、睨まれているように感じてしまう。
「まぁ腹減ってたんでね」
「それでもねぇだろそれ」
「うん、失敗したとは思ってる」
「ばっかで」
「うっせぇ」
最後の一口を飲み込むように消化して、ナイフとフォークを皿に置く。
初対面の会話では無いが、冒険者同士では良くある事だ。礼儀なんてものからはほど遠い世界なので仕方ない。
「で、何の用だよ。人恋しくてここに座ったって訳じゃないんだろ?」
「クランに案内して欲しくてね。そこの受付嬢に、あんたに聞けってさ」
「受付嬢?」
今にも人を殺しそうな顔をして彼女が顔を向ければ、先程の受付嬢が笑顔で手を振った。
「……あぁ、セッティアか。で、要件は?」
「ちょいと頼みたい事があってね。これを見せてボッシィからだって言えば良いと言われてるんだけど」
そう言いつつテーブルに解体用ナイフを置く。
それを受け取った女性は、「ふ~ん」と興味なさげに解体用ナイフを眺め、席を立った。
「ならクランで話すか。着いてきてくれ」
「ん、頼む」
解体用ナイフを返して貰って、歩き出した女性に続く。
外に出れば、日が落ちきって辺りは暗い。それでも一定の視界が確保されているのは街灯があればこそだ。
王都ならまだ活動している飲み屋もそこそこあって、ギルド近くの飲み屋通りだったり花街だったりはまだ賑やかだったのだが、リムリスは人通りがまばら。飲み歩いている雰囲気もなく、単に帰宅している人たちなんだろう。
「……これでもな、人は増えた方なんだよ」
俺の表情で何か察したのか、女性はそう呟いた。
「これで?」
「クランで冒険者の養成をやってるからな。元は孤児やら浮浪者だけど、恩でも感じてくれてんのか、そのまま居座ってくれる奴も増えてるんだ。そのおかげで、そこの酒場とかもこの時間で営業できてるってわけだ」
「……クランとは思えない活動してるな」
「そりゃそうだ。クラン設立の経緯が逆だからな。元がそう言った活動で、それに賛同してくれる奴が増えてクランになった。そのクランの拠点があそこだな」
ギルドを出てからすぐ路地裏に入り、ひたすら西進した先にあったのは巨大な建物だった。
領都の端とは言え、高い塀に囲まれ、その先に宮殿のような建物が見える。領主の館と言われても信じていただろう。
「お帰りなさいリーダー」
「お疲れ様ですっ!」
「ご苦労。こいつは客だ」
「ようこそ≪紫翼の空≫へ」
「歓迎しますっ!」
門番二人によって門が開かれ、その中に。
ライトアップされてはいないが、建物へと続く道はしっかり舗装されていて歩きやすい。木々の手入れも行き届いていて、王都のトップクランと比較しても遜色ないほどだ。
「門番まで雇ってるって凄いな」
「ははっ。驚くなら、あたしがクランマスターって事だろうに」
「そうか?」
「あぁ。クランマスターらしくないって良く言われるし、何より柄じゃ無い」
「別にそうは思わんけどね。この規模で運営できてる時点で十分だろ」
実務は別人がしている可能性こそあれど、それでも門番があんなにしっかり対応している時点で一角の人物というのは確定だ。
「嬉しい事言ってくれるじゃ無いか。それで、用件ってのは?」
「あぁ。ここの領主をお仕置きしてやろうと思ってね。その手伝いを頼みたくて」
館に入るなり問われた言葉に、そう返す。
と、彼女は足を止めてぽかんと俺を見上げてきた。
表情の筋肉を全て失ったかのようなその顔は、案外可愛らしい。目付きの鋭さだけが異質だっただけで、そうしていれば年相応、二十代成り立ての女の子にしか見えない。
と、彼女はクシャリと音が出そうな速度で表情を変えると、豪快に笑い出した。
閑散としていたホールに、なんだなんだと人が集まり出す。彼女が笑い終わるまでにはかなりの数が集まり、人種、年齢、性別も千差万別だ。
「あー、イカレてんなぁお前っ!」
「不本意だけどたまに言われるんだよなぁ……」
「そりゃそうだろっ! お、ミスティ、マスクス。丁度良いから一緒に来い。イカレたお客さんとお話しするぞ」
「そんなイカレてるかなぁ」
領主はクズって認識は共通らしいので、そいつにお仕置きって言ってもイカレているとは思わないんだけども。
ちょっと不満に思いつつ、女性が名指しした二人と共に階段を上がる。
少し歩いて通された部屋は執務室。かなり広めで、立派な執務机に応接用のソファーとテーブル。壁沿いにはずらっと本棚が並びびっしりと様々な本が詰め込んであるが、全体的に生活感が無い一室である。
「まぁ座ってくれ」
そう言いつつドカッとソファーに座られたので、その対面に腰掛ける。
残る二人は女性の両脇に。向けられる視線が訝しげなものなので、警戒されているのかもしれない。
「で、どうやってクソ領主ぶっ殺すつもりだ?」
おもむろな言葉に、ぎょっと目を見開く二人。
そんな面々に、俺は違う違うと軽く手を振って訂正し、口を開く。
「お仕置きだ。殺すつもりは無い」
「ンな真似したら殺すより厄介じゃねぇか。一生お尋ね者だぞお前」
「そうならない状況にはなってるよ。だからお仕置きなんだ」
「意味がわかんねぇなぁ」
青みがかかった黒髪を掻き毟る女性に、隣に座った女性が口を開く。
「あの、私たちも意味が分からなのですが……それ以前に、こちらは誰なんですか?」
「あぁ自己紹介がまだだったな。こいつは……。誰だ?」
「「「……はぁ」」」
彼女を除く三人のため息が重なったのは当然だと思う。
「失礼しました。まずこちらが、私達≪紫翼の空≫のクランマスターであるスカイ・ヴェイン。そして私がミスティ、彼がマルクス。二人でスカイの補佐を担当しています」
「ご丁寧にどーも。サガラです」
そう告げた瞬間、スカイが目を細め威圧を放った。
「……クズのサガラ、か?」
「そうだよ。のうのうと生きてる時点で察してくれ」
そう言う反応は珍しくも無いが、毎度毎度嫌にはなる。
「……そうだな。平民で真性のクズなら奴隷落ちしてるか」
「だろ? っつーか、そう呼ばれるようになって半年も経ってないってのにどーなってんだよ。そんな有名か?」
「王都の花街出禁は、そりゃあ話題にもなる」
マルクスがぽつりと呟き、スカイはケラケラと笑う。
非常に不愉快だ。
「ま、短期間でランクを上げたお前が悪い。Dランクまでならお尋ね者にでもなら無い限り、そう名前は広がらねぇんだけどな」
「もうどーでもいいよ。それより本題に入って良いか?」
「そう、それだよ。なんだよボコしても許される状況って」
「まぁ簡単に言えば、ここの領主はもうすぐ死ぬ」
しんと静まる室内。そこに、ノックの音が響いた。
ミスティが「入って)と促すと、私服の女性が紅茶を持って現れ、それぞれの前に紅茶を置いて退室した。
パタンと扉が閉まる。その音を契機に、スカイが身を乗り出した。
「おい、詳しく話せ」
「詳しく、ねぇ。……ここの領軍が、王領のダンジョンを不法占拠していた」
「あーっ! ポギール大森林でなんかやってると思ったらそー言う事かよっ!」
「確かに重罪ですね」
「領主としては終わりだな」
詳しく話せと言っておいて、勝手に納得する三人。
無理に割って入るつもりは無いので、湯気を立てる紅茶をいただく事にする。
……まぁ、うん。
そこそこの茶葉なんだろうが、ちょっと薄い。すこし残念な気持ちになるお味だ。
「で? 確かに重罪だが、正式に爵位が剥奪されるまではそれでも貴族だ。いつ頃その決定があるのか分かってんのか?」
「いや?」
「なら手伝うも何もねぇだろうが。下手すりゃ一年二年待ちだ」
なんか残念そうな空気が満ちるが、関係ないので口を開く。
「開拓村が襲われた」
「そうかよ。……ん? 今なんつったっ!?」
「開拓村が襲われた。ダンジョンの存在を知った冒険者が逃げ込んだ結果だな」
「はぁっ!? 何でそれを先に言わねぇんだよっ! そう言えばボッシィのナイフは」
「ちゃんと預かったもんだから安心しろ」
テーブルを叩いて立ち上がったスカイは、俺の言葉に脱力するとソファーに腰を落とした。
「……先に言えよ」
「詳しく説明求めておいて、早合点したのはそっちだろうが」
「その通りなんだけどよぉ……」
「まぁ兎に角、そう言う事だ。おかげさまで、それなりに被害が出た。ここのクソ領主には、楽に死んで貰っちゃあ困る」
「ほっときゃぁ良いじゃねぇかよ。どうせ楽にゃあ死ねねぇよ」
「何言ってんだ? 俺に敵対したんだ。俺が、地獄を見せる」
「……何がお前をそうさせるんだよ。仲間でも殺されたか?」
何故か若干引き気味のスカイに、俺は少し考えて頷く。
「似たようなもんだ。仲間を泣かされた」
「……腕を失ったとかじゃなく?」
「あぁ。怪我一つ無いけど、優しくしてくれた隣人が殺されてな」
「えぇ……」
何故かドン引きのスカイ。両脇の二人も似たような感じだ。
「お前、そんなのでリスク負うつもりか?」
「当然だろ? 隣人が悪党なら兎も角普通の人で、そんなところを襲撃した奴らはマヤ王国的にも悪党だ。全員は無理だが、主犯には地獄を見せるさ」
「スカイさん、この人ヤバいですって」
こそこそ告げてはいるが、丸聞こえだ。ガチでヤバい人認定されてるみたいで悲しくなるからやめて欲しい。
「ははっ。いや、あたしは嫌いじゃない。けど、そんな事でリスクある真似には付き合えないんでね。何をさせたいかにもよる」
「もちろん危険な真似をさせるつもりはない。領主が住んでる館の看取り地図と警備の状況を知りたいだけだ」
「なんだ、それだけか?」
「後は情報次第で警備担当に金を握らせるだけだな」
「それならこっちに任せろ。なぁマルクス?」
会話を振られたマルクスは、一つ頷くと爽やかな笑顔を見せた。
「やっとあいつらを気兼ねなく殴り潰せます」
「ってな感じで、雇われてるクズが幅効かせててストレス溜まってんだ。大乱闘に発展すりゃああそこの馬鹿どもなら全員出てくるだろ」
「なら最初は抑え気味にやらないとマズそうですね。叩きのめしてたら尻尾巻いて逃げそうですし」
「ま、その辺は上手くやれや。ミスティ、正規兵の方はどうにかなるか?」
「えぇ。召使いに関しても、日時を決めていただければその日は戻ってこないように対応できます」
「ならいいな。いつやる?」
「……まぁ、いつでもいいけど」
トントン拍子で話が進んで戸惑いつつ、素直に答える。
元々は一週間ほど手回しして、それで無理なら王都の軍が来る前のタイミングで逃げ出すだろうからそこを襲撃しようと思っていたのだ。クランの方で手配してくれるなら、それに越した事は無い。
「では、早くて明後日ですね。館の地図をお持ちします」
そう言って席を立ち、本棚へと向かうセルフィ。
その間にもマルクスが口を開く。
「それでどーするよ。勿論スカイも参加するんだろ?」
「そりゃあね。あたしが出てかないと、ボックスのクソ野郎が出てこないかもしれないし」
「いやぁ、久しぶりにテンション上がるなぁ。そう言えばサガラさん、そのクズ共も捕らえておいた方がいいんで?」
「さぁ? ただ、王都から一軍ぐらいは来るだろうから、捕まえておいて、『話を聞いたので捕縛しておきました』とか言って、領主に乗っかってやってた悪事とか報告してやればいいんじゃないかね」
「なるほど、そりゃあいいな。ふ、ふふふふふ……」
暗く笑うマルクス。恨み辛みが溜まっているようだ。
「では、こちらが館の見取り図です。ほらマルクス、紅茶どけて」
「あいよっ!」
「耳元で叫ぶなっ!」
スカイにぶん殴られ、悶絶するマルクス。仕方ないので俺が紅茶をソーサーごと移動する。
「ありがとうございます。それで、ここが領主の寝室ですね」
巨大な見取り図で、ぱっと見ただけでも広大な館だというのがよく分かる。
だがミスティが指さしたのは、玄関にほど近い一室だった。
「……? もしかしてここは、バルコニーに続いてたり?」
「いえ、玄関ですよ」
「えぇ。罠とかじゃなく?」
「分かります。普通そう思いますよね。ただ、領主は豚なんです。二階になんて上れないんですよ。豚なので」
大事な事らしく二回繰り返して、セルフィは説明を続ける。
「左の屋敷はご子息が自由にしています。奥方はすでにおらず、二階の左側、右側、一階左側がそれぞれの愛人が住んでいる場所になります。こちらの別棟が傭兵の待機場所ですね」
「傭兵と領軍は別なのか?」
「雇用形態自体も別ですので、使い方も変えています。保身に長けた豚らしいですよね」
ミスティは美人の獣人さんだが、ちょいちょい瞳孔が細くなって怖い。
「傭兵は完全なる私兵ですので、豚の護衛が基本ですね。逆に領軍は、国から費用が支払われ、領主の判断の下編成され、領内の治安維持に従事する組織です。なので、護衛として待機はしていませんね」
「……ダンジョン周辺に領軍が陣取ってたけど」
「この領では、領地の軍では無く領主の軍ですからね。まともな領軍なら、王に直訴してあの豚を殺してますよ」
「村を襲ったのも領軍だったけど」
「おそらくそれは、豚子息の手勢でしょう。次期領軍として私兵を集めてましたので」
「あー、なるほどね」
数が少なかったのも、急いで駆けつけたと言うより息子に丸投げしたと言う事なんだろう。
「領軍の宿舎は隣町なので現状ここにはいないでしょうし、周辺警備の傭兵に関しても問題無いと思います。ただ一人、執事だけは残っているのでご注意を」
「……執事に注意するのか?」
「五年前から豚に雇われている殺し屋なんですよね。忠誠心はないでしょうけど、雇い主を殺されたとあっては業界でやっていけないので、こちらの誘いには乗らないと思います」
「あー、それはしゃーない。変に勘ぐられないように関わらない方向で良いよ」
「そうさせていただきます」
ミスティが頭を下げると、スカイがパンと膝を叩いた。
「じゃあ決まりだな。ミスティ、サガラを客室に案内してやってくれ。その後打ち合わせだ」
「かしこまりました。ではサガラさん、案内します」
ソファを立った俺は、スカイへと頭を下げた。
「よろしく頼む」
「気にすんな。こっちにも利のある話だ。なぁマルクス」
「あぁ、感謝している。盛大にもてなしてやりたい程だが、情報が漏れると困るからな」
「気持ちだけで十分だよ。ありがとう」
感謝を述べて、ミスティの後に続く。
案内された部屋は、客室と言うには狭い一室だった。けど、泊めて貰えるだけでありがたい。
一人になり、ベットに腰掛けた瞬間眠気が押し寄せ、俺はジャケットすら脱がずにそのまま眠りに落ちたのだった。
▼△▼△▼△▼△
サガラがいなくなって以降、開拓村での指揮を執っていたのはボッシィだった。
当人としては柄じゃ無いと思っているのだが、村の防衛を主導したサガラの近くで行動し、更に村長が寝込んだと言う状況から、成り行きで指揮を執る羽目になってしまったのだ。
おかげさまでと言うべきか、開拓村防衛に成功した翌日の日暮れ時には、ボッシィはかなり小綺麗な身なりになっていた。
村の女性陣にちやほやされた結果である。
『臭いっ。着替えないさいよっ』とキツめに言われながらも着替えを貰ったり、『あたしが切ってあげるよ。お疲れ様ねえ』なんておばちゃんに言われて髪を切られたり、髭を剃られたり。
流されるままに全身綺麗になったわけだが、ボッシィとしては不謹慎ながらも現状に幸せを感じていた。
万年Dランク冒険者ボッシィ。四十三歳にして生まれて初めてのモテ期、人生初の春到来である。
そんな折に、衛兵が慌てた様子で走ってきた。
『化け物が出た』
その報告に剣だけを持って東門へと急げば、確かにそこでは化け物が声を上げていた。
「サガラぁっ! サガラはいるかぁっ!?」
通常種のオリュウを二回りは大きくしたような巨大オリュウに跨がった、同じく巨大な人。浅い緑色の肌で、毛根の一つも無いような厳つい顔立ち。鋭い歯が生えそろった下顎を下げて放たれる声は、衝撃波を伴う咆哮だ。
(これは、死ぬ……)
関わったら死ぬと本能が訴え、ボッシィは思わず足を止めた。
だが、逃げようと踵を返そうとしたところで周囲の視線が目に入った。
村の女性が見ている。
(……やるっきゃねぇっ!)
決意を新たに化け物へと向き直り、足を踏み出す。
ボッシィの心情的には向かい風の暴風の中山頂に向かうような気分なのだが、普通に歩ける以上普通に辿り着いてしまう。
決意が萎れるのを実感しながらも、ボッシィはその化け物を見上げて口を開いた。
「なんの、ご用でしょう」
「おうサガラだっ! サガラはどこだっ!?」
「さ、サガラは、リムリスですが」
「……はぅ」
化け物はいきなり白目を剥くと、地面に落ちた。
「ちょっ!? 大丈夫かっ!」
「……あ、あぁ。すまない。悪い想定で脳みそが一瞬止まっただけだ」
「いや、それは大丈夫なのか?」
「問題ない」
そう言って立ち上がる巨体を前に、ボッシィの心配は吹き飛んだ。
がたいの良さが自慢であるボッシィだが、そんな彼でも見上げるほどなのだ。心配よりも、その存在感から放たれる威圧に不安を覚えてしまう。
「あぁ、ビビる必要は無い。俺は王都のギルドマスター、マグ・デュリッシュモだ」
「お、王都のギルドマスターっ!?」
思わず声を上げたボッシィは、慌てて頭を下げた。
「失礼しましたっ! 自分はDランク冒険者のボッシィですっ!」
王都のギルドマスター。その存在は、冒険者にとっての憧れである。
Aランク冒険者の中でも人格が優れていると認められた者だけにその道が開かれる、最難関の役職。同時に爵位も与えられるらしいが、実質的には王族に次ぐ地位だと言うのが一般常識である。
それほどの人物を前にボッシィは立っている事すらままならず、その場に跪こうとしたものの、その肩をマグに掴まれた。
「わざわざ呼ばれてきたと言う事は、お前が主導でこの村を守っているんだろう? 謙る必要など無い」
「いえ、ですけど……」
「胸を張れ。向けられている視線だけでも、お前が成すべき事を為していた事ぐらいは分かる」
「ギルマス」
少し泣きそうになったボッシィが奥歯を噛み締めると、そこにルルが駆け寄ってきた。
「マグさんっ!」
「おぉ。あーっと……久しぶりだな」
「ルルですよ。一受付嬢の事なんて覚えて無くても不思議は無いですけど」
「あぁルルっ! いや覚えてはいるんだが、名前を覚えるのがな……」
「別に構いませんよ。それより王都の状況はどうなっていますか?」
「王都の? そりゃあ、あれだ。ディモンシ子爵領軍がここを攻めたって事で、うん。まぁ、伝達はいっている」
「……マグさん?」
ニッコリと微笑んだルルが放つ威圧に、マグの巨体が途端に小さくなる。
「まさか、職員に任せて飛び出してきたとか言いませんよね?」
「いや、だって……」
「だってじゃありませんっ! ギルマスがいなくなって誰が貴族を相手にする事になると思ってるんですかっ!」
「でも、サガラがいたわけだし。絶対こっちの方がヤバいと思って……」
子供のように小声で反論するマグに、ルルの怒りが一変した。
駄目な子を叱るような怒り方から、全身の毛を逆立てての怒りへと。
「言うに事欠いて、サガラさんの侮辱とは何事ですかっ! あの方がいたから被害を抑えられたんですよっ!? それを、事もあろうに、ギルマスがっ! 恥を知りなさいっ!」
「ごめ、ごめんにゃひゃい……」
怒りを吐き出すかのように長々と息を吐くルルを前に、ポッティは身体を丸めたマグへと口を開いた。
「あの……サガラの何がそんなにヤバいんですか?」
「それは、一緒に戦ったなら分かるんじゃないのか?」
「はい? ……いえ、冒険者を纏め上げて凄いと思いましたけど」
「はぁ? あいつがそんな立派な生き物かよ」
小声なのでルルには聞こえていない。ラグのサガラに対する印象は善人からはほど遠いものだったので、聞かれなかったのは幸いだろう。
ギルマスがポッティに向ける疑惑の眼差しは、かなり本気のそれだ。
「敵なら殺す、悪なら地獄行きを自ら望むぐらい無残に殺す。それがサガラだ」
マグが恐れているのは、その範囲。
領主だけならば問題ない。領軍が対象となっていても仕方が無いで済む。だが、敵の範囲にリコリスの民までが入っていたとしたら?
マグが一瞬気を失ってしまったのは、リコリスの領民を片っ端から殺してゆく姿を幻視してしまったからに他ならない。サガラならやりかねないという妙な確信があるのだ。
「いえ、そこまで酷い奴では……」
ない、とは言い切れずにポッティは口を噤んだ。
(領軍に対する防衛行為……いや、あれは、殺戮だった)
魔物相手に笑顔で斬りかかる冒険者は一定数いる。
だが、人相手に笑顔で斬りかかれる者がどれほどいるか。
「……そういえば、捕虜に対する扱いで冒険者まで引いてましたね。おかげで村人の領軍に対する憎悪は消えましたが」
ポッティは、あの時を思い出して目を伏せる。
捕虜の腹を裂き、放置した。
サガラにとっては裂いた瞬間には興味を失う程度の罰だったようだが、見ていた者にとってはあまりにも恐ろしい拷問だった。
血が溢れ、臓器がこぼれ落ちながらも拾う事すら出来ず、ただ喘ぎ、じわじわと死んでいった領軍の一兵。
その最後を見て、冒険者ですら吐いていた者がいたのだ。ポッティはキャリアが長いだけあって慣れてはいるが、それでも残虐だと思ったものだ。
「……捕虜がいるのか?」
「ポッティさん、案内は私がしますよ。日も落ちますし、今日はもう休んで下さい」
「あぁいや、俺が案内を」
「大丈夫ですから。マグさんには、監視もかねてあの家で休んで貰うつもりですし、ポッティさんは水浴びして食事にして下さい」
「あぁ、分かった」
ポッティが素直に頷いたのは、水浴びという単語があったからだ。
早く身体を洗っておかないと、女性陣の時間になるので怒られる。洗わなければ洗わないで怒られる。
昨日の時点でそれを十分理解したポッティは、ルルに逆らう事なく頷いて、水浴び場へと向かっていった。
「では、そういうことでマグさん、よろしくお願いします」
「いや、俺は念のためサガラを追いたいんだが……」
「お願いします」
「いやだから……」
「仕事をしろ」
すっと目を細められて告げられた言葉に、マグはこくこくと頷いた。
冒険者時代から、怒らせてはいけない相手が存在する事は知っている。ただ、鈍いだけなのだ。
これ以上言葉を発するのはマズいと判断したマグは、連行される奴隷のように大人しくルルの後に続いたのだった。