第一章 クズのサガラ
ヤマ王国首都キャピケイル。
人口百万近い大都市であり、この大陸では一般的な城郭都市でもある。
城壁内部北側には王城、そして貴族街が。王城から真っ直ぐに続く大通りを下ってゆくと、都市中央にある中央広場。まだ日の出からさほど時間は立っていないというのに多くの人々が行き交い、公園を覆うように建てられた屋台で食事を取っている者が多く見受けられる。
醤油やソースの焼ける匂いも相まって、まるで祭りのような空気だ。
今後を考えて今日の所は我慢(がまん~しておくが、異世界の料理はあちらと遜色なかったりする。
いや、あちらに比べれば遙かに安くてうまい、と言って良いだろう。
魔物なんてモノが存在するおかげで肉の種類は豊富。そこに過去の勇者やら迷い人が持ち込んだ調味料やレシピが加わることで、下町の屋台料理ですらかなり美味しくなっているのだ。
おかげさまで、俺に出来る仕事なんてのは冒険者ぐらいしか無いわけだ。
プリンやらマヨネーズやらで一攫千金なんてのはとうの昔にやられているし、ボードゲームやカードゲームも同様。計算なんかの学習系もちゃんと体制が整えられているため、計算が出来るから凄いとかもない。
だから異世界人でもこうして自由にさせて貰える。
要するにこの世界、もう十分に異世界の知識が流通しているため、異世界人という特別性が無いのだ。非常に残念なことに。
『イケメンじゃ無くても金の力でワンチャン』なんて思えたのも、最初一週間ぐらいなものだった。ホント、現実ってのはいつだって厳しい。
そんなことを思いつつ広場を抜け、メインストリートを更に南下。みっしりと並んだ統一感の無い建物の中でも一際異彩を放っている建物の前で足を止める。
三階建てのビル。
そう、ビルだ。一階一階がかなりの高さになっている為、五階建てほどの高さがあるビル。一階と二階の間には、『キャピケイル冒険者ギルド』と書かれた看板が取り付けられている。
開きっぱなしの自動ドアをくぐれば、冒険者ギルドらしく厳つい面々がそれなりに。ただ酒場ほどの騒がしさは無く、あえて言うなら学生の集団が役場に来ているような雰囲気だ。
冒険者用の受付は五カ所。内四つに行列が出来ている時点で悩む必要も無く、俺は誰一人並んでいない端の受付へと向かう。
「ようおっさん」
「……ん? あぁ、サガラか」
「なんで寝てんだよ。他の受付手伝おうとか思わないのか?」
「このレーンにこない冒険者どもが悪い」
「厳つい上にギルマスなんてのがグースカ寝てればそりゃ声なんてかけれんだろーよ……」
普通に話しかけてはいるが、肩幅だけでも二メートルはありそうな超大柄。オーガと熊獣人のハーフというおっさんは、うっすらと緑がかった肌で両腕はバキバキな上に毛むくじゃら。更にスキンヘッドで眉すら無い彫りの深い顔立ちとくれば、まぁ知り合いでも無い限り声をかけようとは思わないだろう。
その上他四人は美人といえる受付嬢。あえてこの受付に来ようとする冒険者がいないのも当然である。
「それで、依頼の受注か?」
「割の良い依頼があるなら引き受けたいな」
「張り出してある奴見てから来いよ。……あー、今日張り出した奴なら護衛依頼ぐらいか。ま、お前は逆指名貰ってるから無理だけど」
「それさ、ギルドの方でどーにかなんないの?」
「先方の要望なんだからこっちでどーにかなるはずねぇだろうが。お前が悪い」
「俺のせいかぁ?」
心当たりはあるが納得は行かずに眉根を寄せる。
そんな俺に、おっさんは呆れたような半眼を向けてきた。
「人質がいるのにぶん殴る。人質なんて知らんと告げてぶった斬る。そんな奴に護衛を任せたいと思うか?」
「言っただろ? 前者は救出依頼でも無いのに脅されたから武器を捨てて、隙を見て殴っただけ。後者は山賊の討伐で捕まってた奴がいたからそう言っただけ。両方とも生きてるわけだし、俺は悪くないだろ」
「本気でそう言うから、クズだの冷酷だの言われんだよ」
「クズかなぁ……」
助けてやったのだ。
それでクズと呼ばれるのはどうにも納得いかない。
「こちとら騎士様じゃなく冒険者だからな。お前の行動が悪いとは思っちゃいねぇよ。……単純に、相手が悪かったな」
「商人のおっさんに関しては、分からんでも無い。『諸共ぶった斬る』発言したわけだし、恨まれたって仕方ないですむけどさ。……女帝の方はおかしいだろ」
女帝エリザベス。
二十代にして花街を取り仕切る大物だ。美人の一言に尽きる顔立ちに、バインバインのボディ。そんな彼女が攫われた。
護衛三人に、身の回りの世話をする娼婦三人、そして女帝。
誘拐されてから1時間もしないうちに女帝捜索の依頼が張り出され、その報酬に冒険者全員が捜索に当たる事態になった。
当時の俺はそんなことも知らず、下水道のスライム間引き依頼をこなしていた所偶然連れ去られる女性たちを見つけ、追跡。
なんやかんやあって美人さんが人質に取られたから武器を捨て、相手が油断したところを突っ込んで無力化した。
そのときの美人さんは、好意的な反応だった。外野が『なんて無茶なまねを』『エリザベス様の顔に傷が付いてたらどうするんだ』だのギャーギャーと五月蠅かったが。
で、結果。
その日を境にクズだの冷酷だの我が儘だのと言われるようになり、花街には近付くことすら出来なくなった。護衛依頼のNG欄にサガラと載るようになったのもこの頃からだ。
「女なんてそんなもんだししゃーねぇさ。ま、遠出するような依頼なんてお前には関係ねぇし、気にする必要もねぇだろ」
「いや、今日からは宿暮らしだ。だから楽で割の良い仕事引き受けたいんだけど」
「楽な仕事なんてねぇよ。そもそも、お前は人当たりは良いけどどっかイカレてんだから護衛系じゃ無くて討伐依頼引き受けとけ」
「イカレてるって……」
思わず睨むも、おっさんは苦笑して肩を竦めただけだった。
「で? どこに泊まるか決まってんのか?」
「……良い依頼が無いかどうか確認ついでに、それを聞きに来たんだよ」
「なら大通りを北に行ったところにあるドラウの装備品店。その横の道をまっすぐ行ったところにオズの木漏れ日っつー宿がある。男になら花街近くの宿を勧めるんだが、お前にはそっちの方が良いだろ」
「だな。ありがと」
先に宿だけ取っておくかと踵を返したところで、「あぁ、ちょっと待て」と声がかかった。
「ん?」
「わりぃんだが、新人の教育やってくんねぇか?」
「めんどくさい……っつーか、それ以前に俺もまだ新人の部類だろ?」
「Cランクで新人扱いになるはずねぇだろうが」
「新人は新人だろ? 登録してからまだ半年ちょいだし」
「Cランクの時点で一人前なんだよ。女帝の救出や賞金首の討伐が評価として大きいってのは事実だが、臨時で入ったパーティーからの評価や依頼の達成率を含めてCランクなんだ。一応言っとくが、普通の奴ならCランクになるまで5年ぐらいはかかる。迷い人だとしても、早くて1年ってとこだ」
「代わりにクズ呼ばわりだけどな」
「運ってのはそー言うもんだ。で、どうだ? 出来りゃあそいつらの依頼に同行して欲しいところだが、1時間ぐらい模擬戦やってくれるだけでもいい」
「……まぁ、1時間ぐらいなら」
何日も時間を取られるようなら断るが、1時間ぐらいなら付き合いの内だ。
「で、幾らもらえんの?」
「たった1時間ならサービスにしとけや」
「……まぁ、だな。ただし、二回目以降は報酬ありきで」
昔ならなぁなぁで済ませていたところだが、今は社畜じゃなくて自営業みたいなものだ。のんびりした生活のためにも、ここはしっかりと釘を刺しておく。
「ケチだなぁ。そんなんだからクズって言われるんだぞ?」
「てめぇに言われたくねぇよ。ちゃんと働いてから言え」
仕事中に寝ておいて舐めた口きくデカブツに、イラッとしてそう返す。
こいつの窓口に来ない冒険者も悪いが、それを良いことにサボるクズにクズと言われると非常に腹立たしい。
「とにかく、無給は一回だけだ。時間は?」
「あー……少ししたら来るだろうから、宿の手続きが終わったら来てくれるか?」
「分かった」
会話を終えて、ギルドを出る。
その際「お、クズじゃねぇか」などと声をかけられたものの、普通に無視。
悪口程度で手を出していたら、ランクに響くのだ。
とはいえ最近はさすがにウザくなってきたので、一発クズらしく振る舞ってやろうとは思っているが。
ちなみに、冒険者のランクはAからFまで。Fだと雑用的な仕事しか受けられず、Eから常設依頼などで少しは討伐依頼も出来るようになる。
今は冒険者養成所があり、卒業生はEランクスタートで少しは冒険者的な仕事から始められる、と言うシステムになっているらしい。
「オズの木漏れ日。……うん、ここだな」
十分ほど歩いてたどり着いたのは、ログハウスのような建物。雰囲気は非常に良いのだが、宿屋と言うより喫茶店だ。
扉を開くと、カランコロンとベルが鳴る。
「いらっしゃいませー」
「あー、ギルマスのマグに紹介されて来たんですけど」
「冒険者さんですか? 個室で良ければ空いてますけども」
ニコニコと微笑むのは、俺と同年代ほどの女性。ふっくらとした体型が、優しさを感じさせるお嬢さんだ。
「一泊幾らですか?」
「銀貨三枚です。夕食は銀貨一枚、朝食は大銅貨一枚ですね。ただその場合、メニューは選べません。食べないときは代金をお返ししますので、食べるときにお支払いしていただいても大丈夫です」
ん。妥当な値段ではある。
ちなみに、銅貨が百円、大銅貨が五百円、銀貨が千円ぐらいの感覚だ。とはいえ、物の価値とかがかなり違うので、一概には言えないが。
「じゃあまずは二週間分で。朝夜付きの先払いでいいですか?」
「分かりました。あ、夕食は夜八時までになりますが大丈夫でしょうか? 朝食は六時から昼前までなら対応しますけども」
「えぇ」
「では、えっと……銀貨六十三枚、金貨六枚と銀貨三枚になります」
「じゃあこれで」
一般的に使われる最大硬貨である大金貨を受付に置く。
五百円玉よりも一回り大きい大金貨は、大体十万円。金貨十枚分だ。
「はい確かに。ではこちらがおつりになります。後、こちらにお名前をよろしいでしょうか」
「はい」
最初の頃は言葉が通じるだけで読み書きは出来なかったものの、今はそれなりに大丈夫。自分の名前ぐらいなら楽勝だ。
サガラ、とだけ書いて用紙を返す。
フルネームを書かないのは、こちらの世界では家名があるというのが一種のステータスになっているからだ。
没落して農民になった貴族なんかでも家名を維持していたりするので、あくまでステータス。反面、家名があるというのは一定以上の財産があると言うイメージが未だにある為、余計なトラブルに巻き込まれない為にも家名を大っぴらにしないと言うのは常識だったりする。
無論、普通の貴族なら家名=権力である為、隠す必要なんて無いのだが。
「はい、サガラ様ですね。ではお部屋にご案内いたします」
「よろしくお願いします」
一階は食堂兼受付。まだ朝方だが、宿泊者以外にも食べに来ている人がいるのかそこそこ客がいたりする。
受付脇の階段を上り二階へ。
昇ってすぐの扉へと案内された。
「こちらです。鍵はこちら。受付に預けていただくこともできますが、夜の九時から朝の五時までは扱いできませんのでご注意ください。鍵を紛失された場合は金貨一枚、更に再発行までの期間は宿泊料金をいただくことになりますので、その点もご注意を」
「わかりました」
鍵を無くした際の負担がかなり大きいように思えるが、こちらの世界では普通だったりする。
その理由は単純。機械による大量生産が出来ないからだ。
今までに召喚されたり迷い込んだ多くの異世界人による知識チート。そんなのがあって尚料理のように機械が普及していないのには、魔力と精霊という存在が大きく関わっていたりする。
まぁ兎に角、食料品以外の加工品は基本的に高い。だから鍵の紛失に関しても金貨一枚というのは決して高額では無いのだ。
「……ん、良い部屋だな」
案内された部屋は、かなり狭い一室だった。
だがベットもあるし、小さいながらも机と椅子が設置してある。窓ガラスから差し込む光も心地よく、値段を考えれば上等すぎる程に綺麗な一室だ。
「さて。そしたら……特に置く物も無いか」
数枚の下着とシャツと靴下、ズボンが一枚だけ入った革袋を置いたらそれでおしまいだ。
ちなみに今纏っているのは、下からブーツに靴下、耐刃・耐魔繊維を織り込んだズボンに、金属製のすね当て。バックルに魔石が埋め込まれたベルトに、普通のシャツ。その上に魔石が埋め込まれたレッサーレザーの胸当て。更にその上にワイバーンレザーを黒く染めたジャケットという出で立ちだ。
ぱっと見は地味だが、この一式だけでも下町なら家が建つと言えば、その性能も分かるだろう。まぁ、それでもCランク冒険者としてはちょっと良い程度の装備なんだろうけども。
その点武器はプライスレス。腰に佩いたロングソードに、ジャケット内側に差してある二本のナイフは、山賊から奪った物なのだ。唯一の例外は、腰の後ろに差した解体用ナイフぐらいなものだ。
他は、数点のポーションがジャケットの内ポケットに。
一通り持っている物を確認して、視線を革袋へと移す。
革袋に巻き付けてあるのはフック付きロープ。依頼を引き受けていれば持って行くのだが、今日の所は別にいらないだろう。
「じゃ、行くか」
そう独りごちて鍵を閉め、俺は懐にある財布の中に鍵をしまった。
「なんでこんなおっさんに時間取られなきゃなんねぇんだよ」
「そうですよギルマス。僕たちは、養成学校をトップの成績で卒業したんですよ?」
乱暴な口調で足を踏みならしたのがアーサー。赤髪で、額から生えた小ぶりな角を見るに亜人なんだろう。
そしてギルマスを真っ直ぐに見据える金髪の青年がダルク。騎士もかくやというほどの重厚な鎧を身に纏い、その長身が隠れるほどの大盾を持っているが、まだ若いが故かそれでもなお細さを感じさせる。
その後ろにいるのは少女が二人。
興味なさげに金髪を弄っているのはサリア。頭の左右に生えた巻角を見る限りは何かの獣人か魔族なのだろうが、顔立ちからスタイルに至るまでエルフと表現した方がしっくりくるような少女だ。
そしてもう一人は赤いローブを着込んだ女の子、マリ。身長以上の長さを持った杖を抱えている時点で、魔術師なのは一目瞭然だ。
そんな彼らを前に、ギルマスはスキンヘッドを撫でつつ呆れたように口を開いた。
「確かに、世間一般じゃあCランクってーのは普通の冒険者だ。だがな、ギルドにとってCランク冒険者ってのは使えると認められた奴だ。文句があるってんなら、トップの成績っつー実力を一発見せてくれりゃあいい」
「でもそいつ、クズのサガラでしょ?」
「げっ。このおっさんがあのクズなのか?」
「救い出した婦女に乱暴を働いたという、あのクズですか。……そんな人物を僕たちに宛がうなんて、ギルドは相当腐ってるみたいですね」
初めて会ったガキ共にクズクズ言われるのは普通に凹む。
「なぁギルマス。さすがにギルドとして対応してくれていいと思うんだけど」
「悪ぃな。花街は世話になってるやつらが多すぎて、国王に口を出すより難しいんだわ。我慢してくれ」
「……じゃあもう帰っていいか?」
「銀貨五枚出す。こんだけ見下されてると逆にちょうどいいから、頼むわ」
「まぁ、仕事ってんなら」
今日の宿泊費が浮くってんなら、悪い話でもない。
「じゃあお前ら、そのクズ相手に力を示せ。四対一、それもたかがCランクが相手だ。まさかそんだけ言って負けるって事はないだろ? どれだけ圧倒してくれるか、楽しみに見させてもらう」
「あったりまえだっ! クズなんぞに負けっかよっ!」
「待つんだアーサー」
今にも飛び掛かってきそうなアーサーを掴んで止めると、ダルクは一歩前に出た。
「それでギルマス。僕たちが彼を倒すことで、何かメリットはあるんですか?」
「そりゃあ勿論。四対一とはいえ勝てるならDランクにしてやる。何もさせずに勝てたら、Cランクでもいいな」
「それはありがたい申し出ですね」
ギラリとダルクの青い瞳が輝く。
ランクアップと言うご褒美は、彼らにとって最高の餌だったらしい。おどおどしていたマリですらやる気満々の眼差しを覗かせている。
「では、このまま初めても?」
「あぁ。その為に地下の訓練場に来てもらってる訳だからな。で、サガラ。事前に言っておいた通り、お前の武器はそれだ」
言われるまでもなく、俺が持っているのは木刀。
騎士団との訓練で使っていたやつだが、誰かが気を利かせて冒険者ギルドに渡したらしい。ゴミとして冒険者ギルドに引き取らせただけかもしれないが。
「別にこちらとしては真剣でも構いませんが」
「負けた時の言い訳用だとでも思ってくれ」
「ふふっ。本当にクズなんですね」
「……なぁ。そんなクズかなぁ?」
さすがに少し傷つきつつギルマスに問いかけるが、おっさんは楽しそうに笑うだけ。
「じゃ、俺が銅鑼をぶっ叩いたらスタートな」
ゲラゲラ笑いつつ訓練場端にある銅鑼の元へと歩いてゆくギルマス。
その間に青年たち四人は隊列を整えている。
大盾を構えたダルクが先頭に、その真後ろにアーサー。少し離れてサリアが矢を番え、杖を掲げたマリが詠唱を始めている。
杖の先に展開した術陣を見る限り、炎系の魔術だろう。肌で感じる魔力量的に、威力は控えめなはずだ。
周囲を見回せば、見学者は十人ほど。
日頃訓練場を使うような真面目な冒険者しかいないので、見慣れない顔ばかりだ。
と、唐突に銅鑼が鳴り響いた。
宣言通りとはいえ、いきなりすぎだ。
内心で慌てつつも四人へと向き直るが、彼らは冷静にこちらを見据えているだけ。
暫く待って見ても動きは無く、俺は首を傾げて彼らへと口を開いた。
「こっちから攻めた方がいいのか?」
「おらぁ!」
口を開くのを待っていたかのようなタイミングで、ダルクの背を蹴って飛びかかってきたアーサーの剣が振り下ろされる。
悪くない初手だ。
だが悲しいかな、単純に遅い。
左足を下げ、振り下ろされた剣を躱しつつその首筋に一撃。
パァン! と風船が爆ぜるような音と軽い手応え。納得いく一撃に満足しつつ、ダルクへと向かって駆け出す。
矢とフレイムアローが飛来するが、当たるはずも無い。アーサーが斬り結ぶ事を前提として放たれた攻撃は、回避動作をするまでもなく遙か後方が着弾点だ。
上体を低く下げ、ダルクへと接近。
ダルクは重装備とは思えないほどの軽快なステップで、一歩横へ。
真正面に立ち塞がるダルク。判断も動きも及第点だが、そこまでだ。
姿勢を低く駆け寄った為、大盾のぞき穴からこちらの動きはもう見えない。左右から覗いているようなら駆け寄った勢いで蹴り飛ばすだけで踏みとどまれないだろうし、今みたいにがっしりと構えているようなら脇を抜けるだけ。
「左!」
サリアの声が響くが、既に手遅れ。
こちらを向いたダルクの首筋に一撃。うつ伏せに倒れてゆくダルクを見下ろして、残る二人へと顔を向ける。
「で、まだやんの?」
「マリっ!」
「チェイス・ペイン!」
突き出された杖の先端に黒色の魔術陣(魔術陣)が展開。そこを中心に六角形を描くように計七つの魔術陣が展開される。
そこから現れるのは、黒い球体。のんびり眺めている余裕がある程度に、それらの速度は遅かった。普通の大人が全力疾走する程度の速度だ。
(確か、第五等級の射出型、だったよな)
サリアの矢を切り払いながら、マリが放った魔術に関して考える。
魔術は第七等級まで存在する。第七は一般人でも適性があれば使用できる難度で、生活魔術として浸透している。
反面、第六等級からは専門の知識が必要で、第五等級を複数同時発動できるなら魔術師としては一人前だったりする。
放たれた七つの魔術が間合いに入るまでのんびりと待ち、一閃。
「え?」
「……は?」
魔術を放ったマリだけで無く、サリアまで矢を番えた姿勢で動きを止めた。
まぁ、この反応なら終わりで良いんだろう。
「おっさんっ!」
「おうよ。大分早いがあの二人は起きそうにねぇしな。ほれ、報酬だ」
「ん。銀貨五枚、確かに」
投げて渡された麻袋の中身を確認して、懐にしまう。
「テメェ、強めに気絶させただろ」
「依頼通りに仕事はしただろ? 何時間も気絶させるな、とは言われてないし」
「……冒険者の鏡にして人間のくずだなコノヤロウ」
「クズって言えば俺が傷つくと思ったら大間違いだぞ?」
これだけ割の良い仕事なら、なんと言われようと傷付きはしない。
むしろ、負け犬の遠吠えを聞いているようでニコニコ笑顔だ。
「あ、あのっ!」
「ん?」
声に振り向けば、歩み寄ってきたマリが両手でぎゅっと杖を握って見上げてきていた。
「なんで、魔術を斬れたんですか?」
「なんでって、低位の射出型だったし」
「……?」
首をかしげるマリに、俺は暫く考えて口を開く。
幸い模擬戦はかなり早く終わった。気分も良いので、無料で知っている知識を教えることにする。
「じゃあ、フレイムアローとファイアボール。違いは分かるか?」
「色々ありますが、 大きな点は影響を及ぼす範囲でしょうか」
「そうだな。第六等級と、第四等級。等級が高いってだけで、基本的には威力も範囲も上がる。なら、何故上がる?」
「それは当然、消費魔力が増えるからです」
「なら、フレイムアローにファイヤボールと同じだけ魔力を込めたらどうなると思う?」
俺の投げかけに、一度口を開きかけたマリは、声を発するまではいかずに顎に手を当てた。
すぐには答えなかったマリに、隣に並んだサリアは呆れたような視線を向けると、口を開く。
「そんなの無理に決まってるじゃない。その為の術陣なんだから」
「まぁそうだな。術陣に応じて必要な魔力は固定だ。けど、例えばファイアボールに必要な魔力が百だとして、フレイムアローに必要な魔力が十なら、フレイムアローを十個平行発動すれば使用魔力は同じになる。なら十個のフレイムアローを一個にまとめて放てる術陣を組んだら、ファイアボールとの違いはどうなるか」
「そんなのおんなじ威力でしょ? 形状が違うだけで」
考えるそぶりすら無くサリアはそう言い切るが、隣のマリはブツブツと呟きながら地面にいろいろな魔術陣を書いている。
本職の魔術師が悩むような問題。魔術を使えない俺がそれに対してそこそこ有力な答えを持っているのは、元の世界に無い要素だったからだ。
使いたかったと言う未練もある。魔術という存在に対するロマンもある。だが真剣に調べ上げた一番の理由は、分からん殺し対策だ。
ゲームなら初見で何が起きたか分からないまま死んでも再挑戦できるが、あいにくと現実。
どういう魔術があるのか、どのような手順で発動するのか、どう対策すれば良いのか。この世界で生きてゆく為にその辺りを調べ上げるのは、異世界人として当然の行為だと思う。
まぁ、勇者であるセイギなら調べなくてもその素質だけで大抵の魔術には対抗できるだろうし、魔術師として天才らしいユイナなら術陣を見てからで対応できたりもするんだろうけども。
「えっと……もしかして、フレイムアローの方が威力高い……?」
「は? 何でそうなんのよ」
「あ、うん。あくまで構成的にはってだけで実際発動しようとすれば調整は必要なんだろうけど……理論的には、フレイムアローを大きくするだけの方が消費は少ないの。ほら、ファイアボールって第四等級だから、術陣も複雑でしょ?」
「そりゃあね。術陣が複雑になって、消費魔力も増える。それが上の等級ってもんでしょ?」
「そう。だから、フレイムアローの術陣に注ぎ込める魔力の量を増やして、フレイムアローを巨大化させるだけなら、ファイアボールよりも簡単な術陣になるはずなの」
「……ならなんでファイアボールは複雑なのよ」
「それは……まだ使えないから分からないけど、爆発するって言う効果にかかる魔力が多いのかな……?」
そう呟いて見上げてくるマリに、俺は肩を竦める。
「一応言っとくが、俺は術陣を構成できない。だから読みあさった知識だけにはなるが、トリガーの問題だろうな。ファイアボールは全体に起爆スイッチがある。それは同時に魔力保護の役割も果たしている、んだと思う」
「……そっかっ! つまり、ここの術陣が形状になってて……だから、距離が離れるほどファイアボールの方が発現時の威力が高くなるわけで……」
ゴリゴリと杖の先端で地面に術陣を書き始めるマリ。
その様子を半眼で見つめていたサリアは、はぁと息を吐いて顔を上げた。
「で、なんでチェイスペイン斬れたわけ?」
「下位等級の射出系魔術は、基本前面にだけトリガーがあるんだよ。だから、そこ以外を斬って魔力を削れば、維持できなくなって霧散するってわけ」
「ん~、なんか当然のように言ってるけど、トリガーって何?」
「あー。まぁ俺も最初は勘違いしてたんだけど、わかりやすいのがフレイムアローだな。あれ、炎の矢が放たれてるように見えるけど、実際は先端に当たるまでは熱くもなんともないんだよ。先端に触れて、炎として発現するまではな」
「……はぁ?」
訝しげな視線を向けてくるサリアだが、調べた限りはそれが事実なのだ。
「生活魔術なんかは発動と同時に発現してるから、射程は短いけど炎は炎、水は水で効果を及ぼす。けど、射程を伸ばして発現した状態だと減衰が酷いらしい。だから発現のトリガーを術陣に設定して、魔術として発動後条件を満たしたら発現、魔力が炎とか水とかになって効果を及ぼすわけだ」
「意味がわかんないんだけど」
「……うん、そいつに聞いてくれ。本職なんだから俺より詳しく教えてくれるだろ」
魔術を使えない俺が説明しても、全て理屈でしかない。
まぁ、俺にとって重要なのは理屈通りさっきは斬れたと言う点だ。第六等級は何度か経験しているが、第五等級も理論通り斬れた。
つまり、第四等級からは躱すしか手が無い。
資料を見たところ、魔法剣なら魔術を斬れるらしいが……買うぐらいなら、豪邸を購入してメイドを雇ってのんびり暮らす。それくらいのお値段なのだからどーしようもない。
「じゃあおっさん。後は任せた」
「おう。これから狩りか?」
「めんどいけどな」
「なら北西の森なんてどうだ? オークの目撃情報があったし、今日向かってる冒険者はいねぇぞ?」
「中容量の魔法鞄を貸してくれるなら行っても良いけど」
「ふざけんな。時間大金貨一枚の高級品なんてオークごときで借りられるか」
「だよな。じゃあそー言うことで」
魔法鞄。異世界ならではのアイテムで、見た目以上に荷物が入る魔法の鞄だ。
ごく稀に遺跡やダンジョンから見つかるらしく、首都であるキャピケイルでは貸し出しも行われている。
だが、ギルマスが言っていたとおりそのお値段は破格。バラしたドラゴンが全部入る容量である中サイズで、一時間に大金貨一枚。それだけでも高いが、保証金で大金貨一万枚、日本円なら十億円から必要になる。それだけ貴重な代物なのだ。
その四分の一ほどの容量である小サイズすらそれなりの保証金なので、貸し鞄屋と言っても貴族向けのお店でそういうサービスもあるよ、ってな感じだったりする。
ちなみに、昨日餞別代わりに宰相から小容量の魔法袋をいただいた。バラしたオークが一頭分入るかどうかの容量でしか無いが、それでも買えば大金貨百枚はするだろう。売れば当面は豪遊できるが、当然売るつもりなど無い。
冒険者をやる以上、小容量とはいえ魔法袋は生命線だ。引退するまでは大切に使うに決まっている。
余談にはなるが、マジックボックスという魔術もある。セイギが使えるそれは魔法と言って差し支えの無い次元のモノで、ほぼ無制限、リスクも無く荷物を入れられるらしい。
その点だけは、羨ましいを通り越して妬ましい。無能力のクズでいいからアイテムボックスだけは欲しかった。
そんなことを思いつつ俺はギルドを出たのだった。