みゆきちゃんの赤い糸
「これ、なんだろう? 洗ってもとれないよ」
みゆきは、左手の小指をごしごし石けんで洗いながら、ふぅっとため息をつきました。みゆきの小指には、細く赤い糸がむすばれていて、どこかへ続いているのです。それに気づいたのは、けさ起きてからでした。
「どこに続いているのかしら?」
今日は日曜日で、小学校はお休みです。どこまで続いているのか、探すのにはもってこいです。
「みゆきちゃん、朝ごはんよ」
お母さんの声がして、みゆきは大きな声で返事をしました。
「はーい! あ、そうだ、ママー!」
パタパタと足音を立てながら、みゆきはママのもとへとかけていきました。
「どうしたの、そんなにあわてて」
「ママ、あのね、これ、見える?」
みゆきが、ママに左手の小指を見せました。ママは目をぱちくりさせます。
「見えるけど、どうしたの? お手々が痛いの?」
「ちがうよぉ、ママ、この赤いの見えないの?」
みゆきが、赤い糸をつまんでママに見せます。ママはまたしても目をぱちくり。
「赤いの? ううん、ママには見えないわ。どこかはれてるの? けがは……してないみたいだけど、どうしたの?」
「うーん、わかんない。ママには見えないのね?」
みゆきが心配そうな顔で聞きました。ママはすまなさそうにうなずきます。
「ええ、ごめんなさいね。それより、ほら、朝ごはん食べちゃいなさい」
「はーい。あ、ママ、今日お外に遊びに行ってもいい?」
「ええ、いいわよ。でも、朝ごはん食べてからね」
ママにいわれて、みゆきは元気よくこっくりとしました。
「いってきまーす!」
「車に気をつけてね!」
ママに手をふり、みゆきは赤い糸をじっと見つめました。
「こっちに続いているのかなぁ」
「にゃー」
足元で、飼いネコのみーちゃんが鳴いています。足に顔をすりつけてくるみーちゃんを、みゆきはひょいっと持ち上げて、ゆっくりとなでてあげました。
「みーちゃんもいっしょに行く? あ、そうだ、みーちゃんには見えるかな?」
みゆきがみーちゃんの目の前に、赤い糸をたらしましたが、みーちゃんは気づいていない様子で、にゃあんと甘えるようにみゆきにじゃれついてきます。みゆきはみーちゃんをよしよししてから、赤い糸が続いているほうへ歩いていきました。
「あっ、みゆきちゃん、それにみーちゃんも!」
公園の前を通ったときに、仲良しのまどかちゃんが声をかけてきました。みゆきはうれしそうに手をふります。
「まどかちゃん! なにして遊んでるの?」
「ううん、今きたところ。みゆきちゃんも遊びにきたの?」
「ちがうの、今日はね、あ、そうだ、まどかちゃん、これ見える?」
みゆきはママやみーちゃんにしたように、まどかにも赤い糸をゆらゆらゆらして見せました。ですが、やはりまどかもママやみーちゃんと同じような反応でした。
「えっ、なにかしら? 小指になにかついてるの?」
「そっかぁ、まどかちゃんにも見えないのね。あのね、けさ起きたらさ、小指に赤い糸が巻きついてたの。でね、ママやみーちゃんにもふってみて、『見える?』って聞いたんだけど、見えないっていわれたんだ」
赤い糸と聞いて、まどかの顔がぱぁっと明るくなりました。
「えっ、それ、本当? すごいわみゆきちゃん! もしそれホントなら、わたし、本で読んだことあるよ!」
「本で? どういうこと?」
目をぱちくりさせるみゆきに、まどかが目をきらきらさせて続けました。
「お姫様が出てくる本よ! そのお話のお姫様もね、起きたら赤い糸が小指に巻きついていて、それでどこに続いているか探していくの。そしたら、どうなったと思う?」
「どうなったの?」
「なんと! とっても素敵な王子様と出会ったのよ! 赤い糸はね、恋人同士を結ぶ糸なんだって!」
「ええっ、恋人?」
今度は目を大きくして、みゆきはまどかをじっと見ます。まどかの顔は真っ赤になっていて、うっとりした表情で何度もうなずきました。
「そうよ、そう! あぁ、素敵だわ! 赤い糸なんて、お話の中でしか見られないと思ってたのに、まさかみゆきちゃんが赤い糸で結ばれているなんて、すごいわ、素敵だわ!」
「で、でも……。恋人って、わたし、まだ九歳なのに……」
先月お誕生日をむかえたばかりのみゆきは、まだ小学三年生です。恋人なんていわれても、全然ピンときません。クラスの男の子たちの顔を思いうかべましたが、仲良しの子はいても、恋人なんて子はもちろんいません。ですが、まどかは完全にノリノリになっていました。
「探しましょう! 公園で遊んでなんていられないわ! みゆきちゃんの恋人を、赤い糸で結ばれた恋人を探すのよ!」
「わぁ、ちょっと待ってよまどかちゃん!」
「大丈夫、みーちゃんはわたしが抱っこしておくから、みゆきちゃんは糸がどこに続いているか案内して! わたしもついていくから!」
「もう、そんなこといってみーちゃん抱っこしたいだけじゃないの?」
まどかはみゆきと同じくネコ好きなのです。いつもみーちゃんを見ては、ネコ飼いたいなぁといっているのでした。とはいえもちろん抱っこさせないなんていじわるをすることもなく、みゆきはまどかにみーちゃんを抱かせました。さぁ、赤い糸探索の始まりです。
「それにしても、どうして急に赤い糸なんて見えるようになったのかしら?」
みゆきが首をかしげましたが、まどかはのんきそうに笑って答えました。
「きっと運命のキューピッドが、みゆきちゃんの王子様を探すように、赤い糸を結んでくださったのよ! いいなぁ、わたしにもそんなドキドキなことが起こらないかしら?」
「でも、そんなドキドキしたりしないけど……」
「もう、みゆきちゃんったら! せっかく素敵な恋人ができそうなのに、そんなこといって」
「あっ、ちょっと待って!」
いきなりみゆきが大きな声を出したので、まどかが「ひゃっ!」と声をあげてしまいました。
「もう、びっくりしちゃうじゃんか!」
「ごめん、でもあれ、えっ?」
みゆきは目をごしごしとこすって、それからもう一度、「えっ?」と目をまたたかせます。
「もしかして、赤い糸の持ち主が、王子様が見つかったの?」
まどかの目がワクワクに輝きます。急いであたりを見わたしましたが、王子様はもちろん、誰も見当たりません。と、ゴミ捨て場のそばの段ボールから、にゃあとネコの声がしたのです。
「えっ、ネコ……?」
まどかが段ボールと、それからみゆきの顔を交互に見ます。みゆきの目はその段ボールにくぎづけでした。
「もしかして、え、そんな、まさか……」
「……うん、あのね、あの、段ボールに、赤い糸が続いているの」
まどかはなにもいえずに固まっています。みゆきもしばらくじっとしていましたが、やがて意を決したように、走って段ボールへと向かったのです。
「……子ネコだわ。それに、手紙も入ってる」
まどかもみゆきに続いて段ボールにかけよりました。
「みゆきちゃん、もしかして、もしかしてなんだけどさ、その、赤い糸……」
「……この子ネコちゃんに、子ネコちゃんの左前あしに……」
二人は顔を見合わせたまま、じっと固まってしまいました。いたたまれなくなったのでしょうか、みゆきはまどかから顔をそらし、急いで手紙を読みます。
「『捨てネコです。名前はまーくん、オスです。かわいがってください』だって」
「ひどいわ! こんなかわいい子なのに、ちゃんと飼ってあげないなんて……」
むぅっとくちびるをとがらせるまどかでしたが、みゆきの顔は真っ青です。子ネコと自分の赤い糸を見て、うるうると目をうるませています。
「……わたし、ネコちゃんと結婚しないといけないの?」
「みゆきちゃん……」
まどかはなにもいえずに、ただうつむくだけでした。みゆきをはげますように、みーちゃんがにゃあと鳴きました。すると……。
「……にゃあ、にゃーん」
「にゃーん」
みーちゃんに答えるかのように、まーくんが鳴き出したのです。しばらくじゃれあうように鳴きあう二匹を見て、みゆきとまどかはアハハハッと笑いだしてしまいました。
「かわいい! 二匹とも、恋人同士みたいだよね」
「そうだよね、もしかしてさ、みゆきちゃんのその赤い糸、みーちゃんとまーくんのだったんじゃないの?」
「その通りでち。すんませんでちねぇ……」
二人のうしろから、赤ちゃんのような声が聞こえてきました。急いでふりかえると、そこには光るわっかを頭に乗せて、羽を生やしたはだかの男の子がいたのです。思わず二人は「きゃっ!」と声をあげます。
「驚かせて悪かったでち。実はおいら、まだ見習い新米のキューピッドでちて、練習と思って、ネコちゃんたちに赤い糸をつけようと、弓で狙いを定めたんでちが……」
「もしかして、それで間違ってみゆきちゃんに?」
まどかが怖い顔で男の子につめよりました。キューピッドは、「ひぇぇっ」と悲鳴をあげて何度もペコペコ頭を下げます。
「ごごご、ごめんなさいでち! すぐに元に戻すでちから、許してぇ!」
キューピッドは背中から弓矢を取り出し、ひゅっと矢をみーちゃんめがけて放ったのです。「きゃっ!」とみゆきとまどかが悲鳴をあげましたが、みーちゃんは少しも痛がる様子もなく、矢もみーちゃんに当たったとたんに消えてしまったのです。驚く二人に、キューピッドはへへっと笑ってもう一度おじぎしました。
「これで大丈夫でち。みーちゃんとまーくんに赤い糸が結ばれ直したでちよ。じゃ、ぼくはこれで失礼するでち」
「あっ、待ってよぉ、わたしにもその矢うってドキドキさせてよぉ!」
まどかが手をふりあげましたが、キューピッドはすごい速さで空へのぼっていき、やがて見えなくなりました。
「あーあ、わたしも素敵な王子様に会いたかったのに……」
「でもよかった。まーくんかわいいけど、さすがにネコと恋人さんにはなれないもんね」
「そうね、間違いでよかったわよね。……でも、このまーくん、どうしよう」
まどかに聞かれて、みゆきは難しそうな顔をして、うつむいてしまいました。
「うーん、うちはもう飼えないと思う。みーちゃんを飼ってるから……」
「ホント? ねぇ、それじゃあわたし、ママに飼っていいか聞いてみるわ」
「えっ、いいの?」
びっくりするみゆきに、まどかはえへへと笑いました。
「わたし、ずっとみーちゃんみたいなかわいいネコちゃん飼いたかったの。ママもネコきらいじゃないし、きっと許してくれるわ。絶対説得してみせるよ!」
「まどかちゃん……」
目をうるませるみゆきに、まどかはまーくんを抱きあげて続けました。
「それに、みーちゃんの恋人さんだもんね。ちゃんとみゆきちゃんの一番の友達の、わたしが飼わなくっちゃダメでしょ?」
まどかの言葉に、みゆきは照れたようにうなずきました。