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91 船中にて






翼竜の討伐を無事終え、地上へ舞い戻ると、わたしは地上部隊の皆さんの称賛を受けた。戦いの様子は鉱山街アーゼルからも見えたようで、街から離れた河岸の陣地にも、皆の歓呼が聞こえてくる。


「精霊に護られしアーゼルと深森の淑女(ドラフォレット)に祝福を!」

「リュミフォンセ様 万歳!」


火魔法を応用して、返礼の花火をぽんっと打ち上げると、歓呼の声は一層高まった。


でも今回、一番頑張ったのは、翼竜の動きを押し込んだ、パッファムたち火精霊の5つ子だ。ほぼ同じタイミングで地上陣地に戻ってきた彼らをねぎらうと、彼らは照れくさそうに、しかし嬉しそうに礼を返してくれた。


今回の見事な作戦を立ててくれ、さらに地上部隊の指揮をとってくれたアセレアと、もっとも撃墜数が多かったサフィリアも忘れずにねぎらう。怪我人はほぼ居ないが、空から落ちたものの地上の被害の把握はこれからだ。


わたしは後始末をアセレアに任せると、軽く体を拭いて戦塵を落としたあとに、リンゲンに戻る御座船に乗り込んでいた。




■□■




「ふぅー」


御座船の船内に入り、用意された座席に腰を下ろすと、ひと目が無くなって油断したからか、ため息が出た。


わたしが乗り込んだ御座船が船着き場を離れ、ゆっくりと旋回してリンゲンまでの流れをさかのぼっていく。アーゼルからリンゲンからは『水路』が開かれているわけではない。けれど流れがゆったりとしていて水量もあるので、邪魔になる水草を刈ってしまえば、櫂船での移動には不便はない。


「お疲れさまです」


籐製の椅子にクッションを置いた座席。小さなサイドテーブルに、チェセがお茶を置いてくれた。ギヤマンの器に入れられたお茶は湯量が見え、カップの底が深く、揺れがあってもこぼれにくいように工夫されている。


濃い目に入れられたそれを口に含んで飲み下すと、お腹がぽっとあたたまる。お茶請けに置かれた砂糖と甘みたっぷりの焼き菓子をつまみ、またお茶で口直しする。


「ふぁぁー」


両手で持つカップで指先を温めながら飲む、チェセのお茶は最高だ。わたしが堪能していると、声がかけられる。


「どうぞ。ひざ掛けです。お体を冷やすといけませんので」


緑がかった黒髪に白いブリムが良く映えている。新入りメイドのレーゼだ。糸目が笑みのかたちに作られている。


ありがとう、と言うと、それを膝にかけてくれた。


「道中退屈でいらっしゃいましょう。お喋りのお相手を致しましょうか?」


ーーおおぅ。


その申し出は、わたしに取って新しい文化だった。船での移動の時間は、書類仕事か、休憩かのどちらかで、それ以外の時間はサフィリアのどや顔噺を楽しむ時間だったからだ。いやときにはレオンなどの家臣も入れて、船での移動を会議の場にしたことすらあった。


ひょっとして、他の貴族のお嬢様は、移動の時間は暇なのか。


そして暇な時間は侍女(レディーズメイド)とのお喋りに費やすものなのだろうか。と、そこまで考えて、侍女(レディーズメイド)の仕事にたしか女主人のお喋りの相手、という項目があったことを思い出す。


わたしは、お茶とは反対側の机に積まれたーー船の中なのでそれでも控えめなーー書類の山を見る。


にこにことした表情のレーゼを見る。少し離れた場所でいつも通り書類整理に取り掛かろうとしていた、チェセがこちらを見ている。いつもはだいたい寝ているだけのサフィリアもこちらを見ている。そしてわたしの視線はレーゼのにこにこ顔に戻る。そして気がついた。


はっ。わたしは。もしかして。働きすぎなのではーー?


ががぁんと、頭をハンマーで殴られたような気がした。天啓? 天啓なの?


大げさにも、わたしはそんなことを思った。


ひょっとしていまこのとき、わたしは歴史が変わる瞬間に立ち会っているのではないか。


レーゼから伸べられた手を取れば、わたしの仕事が減るのではーー?


「そうですね、失礼しました。今日は出陣されたあとでお疲れですよね。書類仕事はあとにして、移動のあいだお喋りをしましょうか? それともおやすみになられますか?」


そんな妄想は、チェセのもっともな提案でかき消えた。


移動のあいだに仕事をしなくても、仕事は無くなるわけじゃない。ただ後送りになるだけだ。


でも今日は、戦いに出て、たしかに疲れている。


「じゃあ今日は皆でお喋りにしましょうか」


わたしの今の侍女(レディーズメイド)たちーーチェセとレーゼとサフィリア、これで全員だーーが集まって、お喋りをすることにした。他愛もないことを喋って歓談する。部屋の隅では、バウが小狼姿で手足を伸ばして寝ていた。


そして話題は、レーゼの天気見のことに移る。


「実は、天気見が得意というのは、嘘でございます」


そんなレーゼ自身の衝撃告白から始まった。えっ、そんなとチェセが驚いているのを尻目に、レーゼが告白を続ける。


「悪い予感がしたので、リュミフォンセ様の出発を遅らせるべきだと考えました。私の予感はとても当たるものですから・・・けれど、いきなりお話しても信じていただけないと思ったので、あのように、天候を理由にしてお伝えしました」


「レーゼは、あの翼竜の襲撃をいち早く察知できたということ?」


わたしが聞くと、レーゼは微笑を崩さないまま、ゆるゆると首を振る。


「実は、悪いことが迫っているということがわかっただけで、詳細はわかりません。けれど、迫っているものがとても悪いものなので、とにかく動かないほうが良いだろうと考えました。

まさか、空飛ぶモンスターだとも思わず、それにリュミフォンセ様おん自らご出撃なさるとは思いもよらず・・・」


「ふむ。話を聞く限り、予感というよりも、風の亜精霊に聞いたのじゃろう? あやつらは早耳じゃからのう」


藤椅子の手すりに肘をついた気だるげ姿勢で、サフィリアの指摘。


「風の亜精霊?」


わたしはわからない単語に聞き返す。だが、そこでわずかにレーゼが体を固くした。


サフィリアは銀の髪を払い、専門分野とばかり得意げに話はじめる。


「精霊としての理性を持たぬ者たちをそう呼ぶのじゃ。精霊になりきらぬ者、という意味でな。人間は下位精霊などと呼んでおるようじゃが・・・わらわからしてみると、まったく別物じゃな。一緒にされるのは困る。話もまともに通じぬものが同族と言われても、ぴんとこぬのよ」


「そうなの? レーゼ」


わたしが聞くと、レーゼは緑がかった黒髪を揺らして首を振る。


「・・・さあ、(わたくし)には、どうにもわかりかねます、ただ直感があるだけで。それが亜精霊・・・ですか。それと関わりがあるかどうかまでは・・・」


「そんなはずはあるまい。そなたは、風の亜精霊の声が聞けるじゃろう?」


「サフィリア様、そうおっしゃられましても、私にはなんのことやら・・・」


「そなたは、風の精霊との()()()じゃろう?」


サフィリアの指摘が、レーゼの動きを止めた。息が止まったような静寂が、御座船の船室内に降りる。


レーゼが風の精霊とのまざり・・・混血ということ?


その指摘が正しそうなことは、レーゼの沈黙が肯定していた。でも、なぜ彼女がその出自を隠そうとするのかがわからない。


長い沈黙のあと、レーゼが口を開いた。


「サフィリア様の仰るとおりです。私の祖母が、風の精霊だったと聞いています」


そして、レーゼは語り始めた。






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