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86 ロンファーレンス家の密談①




ロンファーレンス公爵であるお祖父様と、エルージア伯爵夫人である伯母様が、リンゲンに到着したその晩には、小夜会を催し、訪問を歓迎した。


わたしがお酒が飲めない年齢なので、歓待の仕方は食事が中心になる。そのかわりに音楽とか雰囲気を作る夜光魔法の催しとか、場の雰囲気を高める演出には心を砕いた。その甲斐あってか、お祖父様にも伯母様にも喜んでもらったようだ。


翌日は、朝早くから、騎士団の閲兵、各種打ち合わせ、そしてリンゲンの産業現場と鉱山街アーゼルの視察。ここはアセレアとチェセとレオン、そしてリンゲンの代官さんの実務を担当する皆さんに頑張ってもらった。


その日を最後に、アーゼルで一泊したあと、ふたりは船を使ってそれぞれの領地に戻る予定になっていた。わずか二泊三日の弾丸視察だ。


お祖父様も伯母様も、ふたりとも西部の有力者であることは間違いない。これまでリンゲンになかなか足を伸ばせなかったのは、領地でこなさなければいけない仕事、解決しなければいけない問題が山積みになっているからだ。したがって、リンゲンでこなすべきことも圧縮せざるを得なかった。



そしてアーゼルでの視察を終えたところで、日が暮れる。夜が来て、わたしたちはふたりの帰路の安全のを祈る、ささやかな小宴を設けた。


その宴の前半で、わたしは抜けることになっていた。


後半は、いつものようにお酒が出て大人だけの会にする予定だったけれど、お祖父様は、夜会に残るのではなく、わたしとの時間を望んでくれた。伯母様も同様だ。


そういえば、親族水入らずの時間を作っていなかった。


なので夜会を楽しむ家臣たちを残して、わたしたちは宴は切り上げた。


そして、少数の供をともなって、アーゼルで高貴な客人の宿となっている、建ったばかりのフジャス商会の新館へと向かった。


ロンファーレンス家のわたしたち3人は、お祖父様が宿泊する部屋に入り、小さな円卓についた。手を伸ばせばお互いに触れるというささやかさだ。窓から入る月の光は今夜は控えめ。円卓の中央に置かれた燭台の炎が、ぼんやりとわたしたちを照らしている。


明かりは古風にも蝋燭の燭台だけという趣向だった。薄暗いその部屋で、伯母様のメイドがその場の支度をしてくれた。緑がかった髪と瞳の、少し不思議な感じがする人だった。


彼女が動くと蝋燭の明かりで作られた大きな影が部屋に動く。そして小さな円卓に、三人分の飲み物が用意された。そして少し離れたところに、余分にもうひとつの卓・・・飲み物と、果物などの水菓子が準備されている。


「・・・サフィリア? どうしてここに?」


余分の飲み物を疑問に思ったそのとき、薄暗い部屋の扉が開き、入ってきたのは銀髪のメイド姿の少女だった。


これからロンファーレンス家で水入らずのお話をするのだと思っていたのに、サフィリアはなんとも場違いな感じがした。


「んむ? 呼び出しと聞いたので、あるじさまのお呼びかと思ったのだが、違うのかや?」


彼女は首をかしげるが、わたしも事情がわからず、首をかしげ合う。


「水の大精霊殿は、私が招かせていただいた」


そう言ったのは、なんとお祖父様だった。


「何も聞かず、これからの我々の話を聞いておいていただけませんか。お願い致します」


お祖父様は立ち上がると、サフィリアに向かってすっと頭を下げた。地位は高くとも、偉ぶることなく謙虚さを備えている人だ。だからわたしはお祖父様を尊敬している。


「んむ。良かろう」


「ただーー」


「わかっておるわ。ここで聞いたことは他言無用というのじゃろう」


「そのとおりです」


お祖父様は謙虚な姿勢を崩さない。


「長いこと生きているが、人間とは面倒なことを好むのは知っておる」


精霊サフィリアは、あどけない少女にしか見えない顔で、年ふる者がするように皮肉げに唇を釣り上げた。


「精霊を証人にしようとするとはの。古風なやり方じゃ。まあ、精霊として遇されるのは久しぶりじゃから、ありがたく受けておこうぞ」


最後の言葉はいまいち締まらなかったが、サフィリアは腰を下ろすと、さっそく果物ーー葡萄をひと粒つまんで口に入れて咀嚼を始めた。


証人? どういうことだろう。わたしは疑問に思ったが、聞く時間はいくらでもありそうだ。


そして、わたしたち3人は小卓につき、お互いに向き直る。


そんなはずはないのだけれど、じとりとした粘性の霧がこの部屋に満ちているように思えた。


なんのお話をするのだろう。


わからないけれど、きっと重要な話をするのだろうという予感だけがある。


「リュミフォンセは、ずいぶんと背が伸びて大きくなったわね。手足も長くなって、綺麗になって。見違えたわ。ほんの少し前まで、勝手に屋敷を抜け出したのを叱っていた子供だったのに」


するりと。口火を切ったのはラディア伯母様だった。わたしは苦笑する。


「わたしが屋敷の外に出て怒られたのは、8歳のときでした。いまは13歳です。これだけ時間が流れると、さすがに嫌でも成長します」


(わたくし)のなかでは、こんなに小さくて可愛らしい貴女しか印象になかったけれど」


そう言ってラディア伯母様は椅子の肘掛けと同じくらいの高さを指し示した。


「・・・でもいまや、素敵な淑女と言ってもおかしくないわ。それも、『王国でいちばん注目されている』、深森の淑女(ドラフォレット)。ーーいえ、レネットと呼んだほうがよりふさわしいかしらね」


「・・・・・・?」


ドラフォレット? レネット?


わたしは薄く微笑んで、よくわからないというように、そして優雅に見えるように、わずかに首をかしげる。ラディアおばさまはわたしをまっすぐ鋭く見据えている。


「魔王軍との戦いで劣勢になった諸侯軍を救ったのは、大量に供給された『赤色魂結晶』。王国全域で収穫量が落ちて食料難になった諸都市に供給された、『南瓜芋(ポティロ)』。戦乱で職と食を失った流民に、『住む場所と働き場所』を提供して落ち着かせるーー。


すべて元をたどれば、あなたの治める『リンゲン』に辿り着く」


「ーー優秀な家臣に恵まれたのです」


これはほんとうにそう思う。多くは、レオンの提言を取り入れただけだ。わたしにはまったく思いつかなかったし、やり方もわからなかったことばかりだ。


お祖父様はひとつ頷き、その上で口を開く。


「じゃが、そなたの関わりも少なくない。施策の判断、実行、必要な対策の追加ーー。昨日今日でそなたの家臣たちとも話したが、どの者に聞いても、そう言っておる。『リュミフォンセ様のおちからによる』とな。


そも、家臣のどの言を取り上げ、どれを取り上げないかーーそれも領主の手腕じゃ。


現地を見て確信することができた。そなたは旧来のリンゲンの住民と折り合いをつけて治め、必要な人材を新たに採用し必要な施策を打ち、独自の騎士団を設立して、領地の安全を保つ。これらいずれも領主としての重要な仕事で、それを苦もなく成功しておる。


ゆえに、住民も騎士団も家臣団も、そなたを自然に慕い、求めずとも忠誠を誓っておる」


そこでお祖父様は、自分のグラスのお酒で唇を湿らせた。からん、と氷の高い音が鳴る。


「そなたは、この国難とも言える状況で、民を救い、見事に統治者としての器量を見せたわけじゃーーそのうえで聞こう、リュミフォンセ」


お祖父様の静かな瞳が、そして伯母様の鋭い瞳が、わたしの瞳を捉える。


おごそかに、お祖父様がわたしに問う。


「『王国への叛意(はんい)』。ーー貴殿にありやなしや」








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