84 また冬が過ぎる
それからすぐに冬がやってきた。
北部ほどではないけれど、リンゲンの冬も甘くない。盆地の地形のために風はなくとも、冬の寒気はリンゲンの城街と森にしんしんと降りる。かじかむような寒さ。夜の間に降る雪。翌朝は銀世界だ。
それでも住民の皆さんは、きっちり防寒具を着込むと家の前の雪を払って。ほっぺを赤くし白い息を吐きながら、採取に、農業に、生産にと日々の営みに繰り出していく。
その住民の皆を守るために、ロンファの騎士とリンゲン遠征に参加した冒険者たちで立ち上げた『霞姫騎士団』と、リンゲンから古くから根付く自警団『黄金葉戦士団』が巡回に出る。
街の周りだけでなく、近くにある廃砦、街道、水辺までが彼らの警備範囲だ。特に爆ぜ実の山の天幕村の周囲も警備範囲に加わったため、騎士団はしょっちゅう騎獣の蹴爪で雪を蹴って、巡回に出ている。警備範囲が広いのだ。
巡回で細かくモンスターを討伐しているためか、リンゲンではまとまった魔王軍の襲撃はない。それに強そうなのを見つけたときは、サフィリアやバウやパッファムにお願いして、個別に退治してもらっている。わたしもときたまこっそり出かけて、2,3体は狩った。
アセレアは巡回が忙しくなったのを理由に、書類仕事をサボっているようだけど・・・まあ、彼女の能力は索敵にも適しているので、何も言うまい。ちゃんと代わりを用意して、仕事は滞っていないし。
やらせてみたら意外に事務仕事が得意だったので、そのまま収まったというその代役の男性騎士は、苦労人っぽい顔をしているけれど、いまは楽しそうに仕事をしている。人の適正と好むものは、本当にいろいろなのだと痛感する。
それから。爆ぜ実の山から掘り出された赤色魂結晶の販売を始めた。王都とロンファに売りに行ったところ、どちらでも非常に良い値がついた。冬の大規模暖房や、魔王軍との戦いに使うための良質な赤色魂結晶は、品薄が続いているから、瞬く間にさばけてしまったのだという。
フジャス商会のリンゲン支店から、同じ商会の他の支店に販売するという商流なので、値段交渉はレオンやチェセに任せっきりであるが、適正な利益配分でも、相当な利益が出ているらしい。
「これはすごいですよ!!! ざくざくです!」と諸手をあげるチェセ。
「想定通りです。驚くことはありません」と言いながらすごい速度で眼鏡を直すレオン。
商売ごとには氷のような冷静さを見せるチェセとレオンが、興奮を隠しきれずに報告してきたのだから、よほど儲かっているらしい。よかった、よかった。
けれど、そのかわりにどんどん投資をしているので、支出も多い。爆ぜ実の山の近くに、船着き場を作り、船を増やし、倉代わりの小屋を建て、人夫を募集し、雇い、彼らの天幕を立て、生活の面倒を見ている。費用は全部リンゲンのお財布から出ていて、利益を見込んだ先行投資だ。
人はさらに増やすそうなので、平らな土地を確保するために森も切り開いている。赤色魂結晶の採掘事業は、今後も拡大する見通しだ。っていうか投資額はちょっとすごい。
『投資するお金があるのなら給与をあげてください』とアセレアに言われたが、『まだ事業の端緒なので騎士団の待遇見直しはまだ先です』とレオンがわたしの代わりにマジに答えていた。
わたしは冗談の範疇だと思っていたが、アセレアは本気で悔しそうにしていた。
・・・はて。お給料といえば、わたしのお小遣いはどうなっているのだろう。
と、わたしはそこで思い出した。
事業で稼いだお金は、あくまでリンゲンの、最終的には領地を治めるロンファーレンス家のお金であって、わたしのお金ではない。前世日本風に言えば、地方のいち支店のお金は、最終的には本社のもので、そこの店長みたいな役割のわたしのお金は、お給料として別にもらわなければいけないのだ。
アセレアのお給料は変わらないと言うけれど、わたしのお小遣いは、変わらないどころか、そういえばずっとゼロなんだけど?
衣食住は公爵令嬢に対するものをみんなが準備してくれる。それで不便はないので、すっかり忘れていたのだ。
ロンファにいたときは執事さんを通してお小遣いをもらっていたけれど、リンゲンに来てから誰もわたしにお小遣いをくれない。考えてみれば、上役のような存在がいなくなった代わりに、わたしにお小遣いをくれる役割をする人がいなくなったのだ。どうしよう。
それをぼやくと、チェセが、
「そうですね、リュミフォンセ様の新しいお召し物を見繕わなければいけませんね! 今年の春は若草色が流行る予定だそうですから、新しいドレスを仕立てましょう!」
と、どこかずれた回答をしてくれた。その場にいたレオンも、
「たしかに、いつまでも宿に仮住まいというわけにも参りませんね。リュミフォンセ様の本住まいを準備致しましょう」
などと言うではないか。
任せてみたら、チェセは王都の最新の流行りを取り入れたドレスやら外套、帽子などの小物を仕立ててくれた。さすがチェセ。
レオンはと言えば、なんと今いる宿を従業員ごと買い上げて、ロンファーレンス家の私邸兼執務処にしてしまった。合理的ィ! うん、彼はそういうところがあるよね。知ってた。
別に今いる場所に文句があるわけではないのだけれど、新しい場所に移るのをなんとなーく楽しみにしていたわたしは、それとなくレオンに苦情を言うと、
「皆この場所に慣れており、費用が安く、下級使用人も確保できる。引っ越しの手間が省ける。このやり方が一番効率が良いと判断致しましたが、問題ありましたでしょうか」
しれっと言われてしまった。
「そう・・・だね・・・」と返すので精一杯だったわたし。がっくりだよ。
そして、わたしのお小遣いゼロ問題は、いまだに解決していない。
それから、『常温畑』による冬の間の食料の増産も順調に進んだ。
春が来る前には、南瓜芋が収穫できた。日照がどうしても少なくなるので、出来はどうかと思われたが、思っていたよりも収穫量も作柄が良く、食料の備蓄を増やすことができた。
食べると食感は前世日本のさつまいもに近い。緑色をしたちょっと不気味なそのお芋は、中身は黄色く、蒸すとほくほくと甘い。
牛酪を添えて食べても美味しいし、塩を振っただけでも食べられる。蒸したのもを潰して食べるのが好きという人もいる。潰したものをつなぎを使って固めて焼いたり油であげたりしても美味しい。
保管も効くというし、これは良いものができた。レオンはこの南瓜芋を他の都市にも売る気らしく、どんどんと作付けを拡大している。畑自体も開拓していく計画があるようだ。
この他の事業も順調に進み、リンゲンの殖産は、初年から大成功といえる成果だった。
みな、とても喜んでいて、リンゲンもどんどん活気が出ている気がする。素晴らしいことです。
あ、そうそう、勇者たちのことを話すのを忘れていたわ。
彼らは、上級ダンジョンから出てきたところを無事に発見された。時期としては、わたしたちの巨人兵士撃退から2週間ほどたった頃だ。
それからの彼らは獅子奮迅の働きで、魔王軍の幹部を3人陥としたと、『勇者新時報』が伝えてくれた。
ずいぶんとパワーアップしたらしく、その後も季節関係なく、各地を巡って魔王軍の主力を相手取り、快勝、快進撃を続けているそうだ。・・・きっと調律者に、手ほどきでも受けたのだろうとわたしは思っている。
一番の心配事だったメアリさんも、無事だと『勇者新時報』でわかった。勇者の仲間にも言及してくれる『勇者新時報』は、わたしの一番のお気に入りだ。匿名でファンレターを書いて、もっと勇者の仲間について記事にしてくれるよう頼んでおいた。
そして、春が来て、わたしはひとつ年齢を重ねた。
■□■
「今月もまた人が増えたの?」
「はい。リンゲンと爆ぜ実の山の両方で人口が増えています。中央から遠きリンゲンではあまり聞こえて来ませんが、王都ですら家を失った流民が増えておりますので」
わたしの執務室。冷静な顔で、レオンが報告書を差し出してくる。
そこにはこれまで増えた人口と、食料の増減予測、必要な投資額も付記してあった。リンゲンの人口はこれまでの倍の6000人に迫り、爆ぜ実の山の人口も、人夫だけでなく食事を提供する下男端女や洗濯女など人夫を相手にする人を含め、500人に達しようとしていた。
「各地で魔王軍の反撃が強まっており、職や家を失った流民が増えています。経済と食糧事情の悪化で、王都もだいぶ治安が悪化しています。また、先だっての『ロンファの大火』の影響もあるかと思います」
昨年の1年間、諸侯によって各地で魔王軍を打ち倒し続けたはずなのに、魔王軍は春を迎えて強力になっている。どうも影で訓練し育てていた魔王軍の隠し玉を出して来た、というのが一般的な見解だ。一方で、諸侯の軍は長引く戦乱のおかげで資金不足に陥り、戦力を落としながら戦っている。
さらに西部では、公都ロンファで大火があった。失火が原因だというが、乾燥した冬の季節、さらに悪いことに強い北風が吹く日だった。炎は市街に広がり、三日三晩燃え続けた。この大火で街の四分の一が被害にあったという。
緊急事態に、西部北に展開していた魔王軍を打ち破ったお祖父様は、遠征の指揮を騎士団副団長に委ね、ロンファに戻った。いまはロンファで公都復興の陣頭指揮を取っている。
公爵の位を伯母様に譲り、リンゲンに退こうというお祖父様の計画は、また延期になった。リンゲンでお祖父様を待つわたしは、また待ちぼうけだ。しかし、ただ待っているというわけにも行かず、ロンファへ向けて、石材・木材などの建築物資や、食料などの復興物資を毎日のように送り込んでいる。
わたしもロンファに戻ることを考えたけれど、リンゲンでの執務が忙しいし、ロンファに帰っても逆にやることが無くなるので、わたしはわたしでリンゲンに留まり続けることになってしまった。
忙しさの原因は、リンゲンの急成長だ。
殖産策があたり、お金と食料の備蓄を増やす一方で、仕事が雪だるま式に増えて、人手が足りなくなっている。その人手を他の村から流れてきたひとたちを吸収して補っているのだけれども、人口が増えれば、その対応に追われる。人が増えれば、また殖産策が進んで、また人が増える・・・という無限ループである。
「もちろん成功による忙しさなので、これは喜ばなければいけません」
レオンがわたしの心を読んだように言う。公爵令嬢としては、内心を読まれないように平静を保たなければいけないけれど、日頃から顔を合わせる腹心相手にそれをするのは難しくなっていた。わたしも半分以上諦めている。
「他の地域は、魔王軍との戦いのために田畑が荒れ、人口が減り、防衛のために人々は閉じこもるために働き口も減っています。そうなれば土地を捨てて流民にならざるを得ない人々が出る・・・それがいまの普通なのです。
そのなかで生産が大きく伸びて忙しくしている我々のリンゲンが、異常なのは間違いありません」
そう言ったのは、うんざりとした顔で書類に署名を走らせるアセレアだ。今日は、彼女は外回りではなく、わたしと同じ部屋に置かれた机で、事務仕事をしている。
その向かいの机で、報告書に添付する書類の整理をしていたチェセが、顔をあげた。仕事はメイドのそれだけではなく、彼女はわたしの秘書のような存在になっている。
「リンゲンは『精霊に護られし街』だと街々のあいだで評判になっているのですよ。リンゲンに行けば、安全と食と仕事が確保できる、と・・・。その評判を聞きつけた者が半信半疑でリンゲンに来てみれば、ちゃんと食べれるし働き口もある。噂はほんとうだった・・・ということで、この評判はどんどんと広まっているそうです」
「いまのリンゲンは人手が欲しくて仕方がない状況だけど・・・、でも『精霊に護られし街』だなんて、大げさな評判よね?」
わたしがそう呟くと、みなが一斉に少し離れたところにある応接セットへと視線をやった。
そこには、水精霊のサフィリアと小狼姿のバウがいる。彼女たちは一足先におやつタイムに入っていて、美味しそうに大皿に山盛りに盛られたカップケーキを手にとっては、美味しそうにぱくついている。
「ふぇ? ふぉうかしたふぁや?」
皆の視線に気づいた水精霊のサフィリアが、カップケーキを口いっぱいに頬張ったまま、こちらを見た。小狼姿のバウのほうも空気を察して食べるのを一時中断しているけれど、小さな尻尾がちぎれんばかりに振られている。・・・美味しくて嬉しいんだね。
なんでもないわ、と手を振ってあげると、精霊たちは食べる作業にふたたび戻っていった。精霊は本来食べなくても生命活動に問題ないのだけれど、美味しいものを食べるという『娯楽』にこの一人と一匹はハマっているのだ。
「・・・・・・。いつもの風景なので慣れていますけど、本来、上位精霊が我々人間を助けてくれているのは、とてもすごいことなんですけどね」
アセレアがそうぼやきーーしかしそれもいつものことなのでーー彼女も書類仕事に戻った。早く一区切りつけて、あの場に加わらないと、自分の分のカップケーキが無くなってしまう。
「ところで、よろしいでしょうか、リュミフォンセ様。かねての課題だった、『爆ぜ実の山の村』の名前の候補を持ってきました」
レオンを放置して雑談してしまった。わたしは彼から書類を受け取る。
そう、良質の赤色魂結晶の鉱床が見つかった爆ぜ実の山には、人夫達が住まう天幕村が出来ていたけれど、規模がどんどん大きくなり、これを正式に鉱山村として発展させていくことが決まったのだ。
ついては名前が必要になるのだけれど、最初に出てきた名前がリュミフォンセ村だったので、却下していたのだ。まったく。どうしてわたしの名前を使いたがるのか・・・。
「新たな名称候補は、『アーゼル村』・・・古い言葉で『炎』の意味があるそうです。いかがでしょう?」
うん。いいんじゃない?
『リュミィ村がいい!』というふたりの臣下たちの謎の主張は、手で耳を塞ぎ、聞こえないことにして。わたしは書類にしっかりと丁寧に承認のサインをした。
そんな忙しさのなかで、また1年が過ぎる。




