75 『星影の女』③
「つぅっかまーえたぁー。お嬢ちゃんたちもなかなか早かったけれど、追っかけっこは、私たちの勝ちねぇ」
ウドナの大瀬にあるひとつの大岩の上。ふたつの満月の白い光に照らせれたその舞台の上で、わたしたちは対峙していた。
散々に追い立てられて、追い詰められた末のことだ。
対峙と言っても、関係は対等じゃない。
星影を名乗る仮面の女が、広範囲に放った雷鎚網の魔法。感電して身体を動かすこともままならず、わたしはバウの太い首により掛かる姿勢で、星影の仮面を見上げていた。わたしを乗せてここまで逃げてきてくれたバウも、伏せの姿勢のまま、動かかない。意識が混濁しているようだ。
一方で、追いかけてきた星影の仮面は余裕綽々、傷ひとつ見当たらない。
動けない身体では、逃げることもできない。時間を稼ごうにも、会話のために口を開くことすらままならない。何もできない。悔しいけれど、わたしたちは、処刑を待つ身に等しかった。
「さぁさぁさてさて。お話合いの続きをしましょうかぁ?」
なにがお話しか。こちらは身体がしびれて、舌も動かせやしないというのに。
「いえ、その前に、『おかえし』がまだ済んでいなかったわぁ。私ったら、うっかりねぇ」
わたしはしびれた身体、瞳の動きだけで、機嫌良さそうに話す星影の女を見た。彼女は仮面の下、まるで子供のように無邪気な笑顔を作っている。
子供の無邪気さは、ときに残酷に通じる。
「たしかぁ、一番最初は360本・・・だったわよね、私に向けられた槍は」
振り上げられた星影の女の右手に、ぶん、と、彼女のドレス姿には不釣り合いなーー魔法の黒い大斧が現れていた。さきほどまで振りまかれていた、巨大斧のような攻城兵器にくらべれば可愛いサイズかも知れないけれど、それでも星影の女の手に握られているそれは、巨木を一振りで切断できそうな大きさだ。
「あとのは数えてないけどぉ。けれども、私も10発・・・くらいお返しししたから、まあまだ350回くらいは、おかえしする権利が私にあるってことよねぇー」
ふざけないでよ。あの馬鹿みたいに大きい斧刃ひと振りが、わたしの槍一本と同じに数えられるわけないでしょ!
「う・・・ぁ・・・け・・・・・・」
けれど想いはうめき声にしかならなかった。言葉を発するはずのわたしの体は、まだ電撃の残り香に縛られたままだ。
「まあ、あんまりなぶっても、かわいそうよねぇー。このあたりで、それそろ今宵の幕としましょうか。『かすむ白月、銀幕のしじま、想いこそ届け』・・・そんな情景かしら。私、恋詩を読むのが好きなのよ」
たわいもない会話に挟まれるように、わたしの頭上、振り上げられた大斧に動きが伝わる。その斧はまもなく放り投げられ、わたしの身体とともにいるバウの身体をまっぷたつにするだろう。
まずい。まずいまずいまずいまずい!
体がまともに動かない。動いたとしても、腕か足、ひとつの動きだ。それで大きなバウを連れて逃げられるはずもない。だから取れる選択肢は限られる。
こちらも攻撃魔法を撃ちあててて、相殺。もしくは、魔法障壁を張って防御。ーーいずれも無理だ。いまのわたしに、あの斧に対抗する魔法は使えない。あの仮面の女の魔法は、出力が高すぎる。わたしの「黒槍」の魔法によく似ている黒色魔法なのに、威力は段違いでーー。
わたしははっとする。気がついたことを検証しようとする。けれど時間はない。
仮面の女から、黒い大斧が放られる。さほど高くない軌道を描いて、なめらかにわたしたちのところへ落ちてくる。
わたしは、頭の中に白く熱い閃きを残したまま、魔法の黒槍を右手に発現させ、思い切り上方へと突き入れるーー。
落下軌道にある黒大斧に、突き上げられた黒槍の穂先がかつんと当たる。
そして次の瞬間、魂力の暴風が破裂し吹き荒れた。破壊の力ではなかったけれど、わたしの体は風圧に負けてバウの太い首に押し付けられる。
そして、エテルナの暴風が止んだとき、わたしたちと仮面の女たちの距離は、少しだけ開いていた。星影の仮面の女は、白い虎に優雅に腰掛けた姿勢のままだけれど、表情には驚きがある。やったわ、ひと泡、吹かせてあげることができたみたい。
わたしは、突き上げた魔法の黒槍を、エテルナに戻す解除の魔法を使ったのだ。そして、その解除の魔法の効果を、黒槍にふれる黒大斧にも強引に及ぼさせた。
そして結果はご覧の通り。仮面の女の魔法の大斧は、元の闇のエテルナに戻って、大気に溶けて消えた。
「ふぅん。あの一瞬で、他人の魔法の『組成分解』を施すなんてぇ・・・お嬢ちゃん、やるじゃないのぉ。お姉さんね、びっくりしちゃったわ」
口調は余裕ぶっているけれど、プライドが傷つけられたのか、星影の仮面の女に、どこか怒りがにじんでいる。
彼女は、ぼぅっ、と黒い炎を両手にともし、そして炎を猛らせてみせる。さらに紫色、緑色、黄色・・・と属性のエテルナを上乗せしていく。魔法を複雑にすることで、分解させないようにしているのだ。
仮面の女はそれを普通にやってのけているけれど、何色ものエテルナを、魔法を維持しながらゆっくりと上乗せして変質させていくなんて、曲芸じみた、高度な技術だ。わたしにはできない。
勝ち目はない。それをわたしにわからせるために、わざわざ時間をとって見せつけている。
星影の仮面の女の両掌にあった黒い炎は、いまでは黒い溶岩に変質していた。それが渦を巻き、雷鎚をまとい、大気を震わせている。
「物語のどんでん返しは、1回で充分。それ以上は、興ざめだもの、ねぇ」
言葉とともに、仮面の女の魔法が発動の気配を見せる。もう、打てる手はない。
ーー正直、ほんとう、いやな女だわ。
わたしが死を覚悟して、強く目を瞑った次の瞬間ーー。
「ーーなにをしているんだい?」
柔らかで低みのある男性の声が、割って入った。
わたしは、きつく閉じていた瞳を、おそるおそる開く。
星影の女の後ろに、ひとりの男性がいた。やはり宙に浮かんでいる。
生成りのような白っぽい外套をまとい、腰に剣を佩き、そして仮面の女と同じく、銀の星空を背にしている。風魔法で浮かんでいるのだとわかるのは、外套が風にたなびいているからだ。
けれど仮面の女と圧倒的に違うのは、雰囲気だろうか。
静かな佇まいは、まるで静謐な森のようで、巨大な力を感じるのに、不思議と威圧を感じない。
「あらぁ。ーーあなたぁ」
星影の仮面の女は、あれだけ練り上げた黒溶岩の魔法を惜しげもなく解除すると、無防備に後ろを振り向いた。さらに声に甘さを加えて、新たに現れた男に向かって話しかける。
「どうしたのぉ。勇者ちゃんたちはもういいの? それともぉ、やっぱり、私が心配になって来てくれたんだぁ?」
くねくねとした動きで話しかける星影の仮面の女に、白外套の男性は落ち着いた様子で応える。
「勇者たちには課題を与えてきたから、しばらく平気さ。それより、強烈な破壊の波動を感じて、様子を見に行くと君が飛び出していってーーなかなか戻って来なかったからね。君には珍しいことだから、僕も来てみたんだ。それで、ル・・・、いや、ええとーー」
「今宵は『星影の麗人』と呼んで頂戴な。星が綺麗な夜に似合いでしょう?」
「わかったよ。それで、『星影の麗人』。破壊の波動の原因は、見つかったのかい? ひょっとして、そこにいる子と大狼が原因なのかな?」
白外套の男。黒のーーいえ、紺色の静かな瞳が、わたしたちを捉える。
「うん。そぉみたいよぉ」
星影の仮面は、少女のように無邪気に頷く。
どうやら、白外套の男は、星影の仮面の仲間らしい。
彼の登場で、わたしたちは黒溶岩に粉々にすり潰されて燃やされるのを免れたけれど。
それはほんのちょっと、死ぬ時期が後だおしになっただけなのかも知れない。




