60 リンゲン廃砦戦③
轟音とともに、地面が揺れているように感じる。いや、実際に地面は揺れている。
化け猪を中心とした魔王軍が、冒険者たち歩兵隊の横を突こうと駆けている。数は100頭ほどだろうか。力強いひづめは大地を削り、群れは錐のように鋭い陣形をとって、重装騎兵もかくやという勢いだ。
敵を防がなければ。
わたしは魂力を集め、魔法の準備に入る。位置が遠い。ここから魔砲を化け猪の鼻先に打ち込めれば、勢いを止めれるだろうか。
「魔砲を準備するわ。先頭集団に撃ち込めば、動きが鈍るでしょう」
この場に指揮官であるアセレアにそう伝えると、実に冷淡な反応が返ってきた。
「不要ですよ。高速移動をしている騎兵もどきに、魔砲なんて当たりませんから。でもせっかくですから、化け猪の突撃が終わって止まったあとに、後続に向けて撃ち込んでください」
なんてことかしら。家臣が完全に反抗期だわ。
「・・・でも、重量級の化け猪の集団に、あの勢いのまま突撃されたら、歩兵の味方は被害が大きくなるわ」
「大丈夫です。そのために『切り札』を準備していますから」
「『切り札』・・・」
アセレアは黙って指で指し示す。
見れば、冒険者で構成される白兵部隊の左翼が動き、大盾を地面に据え付けて身を低く構え、黄魔法の岩石で重みを加えている。その間から別の冒険者が長槍を突き出し、突撃してくる敵に備えている。わたしの勉強の記憶が正しければ、あれは対騎兵の構えだ。
けれど歩兵で騎兵を受けるのは、非常に訓練された部隊でも難しいと言われる。重量物が高速で突進してくる恐怖に耐え抜き、なおかつ全力でぶち当たらなければ結果が得られない。
だが固く貝のように陣を閉じる左翼、見覚えのある銀髪のメイドが現れた。水精霊のサフィリアだ。
「ーーーー!」
声は聞こえない。けれど彼女が大きな魔法を使ったのがわかる。
天空から清流の滝が突然現れ、それが津波になって化け猪の大群にぶつかっていくーー!
けれど、その津波をものともせず、化け猪の群れは突き進む。小さな子猪ぐらいは振り落とせたけれど、一番手を切る特に大きな化け猪の勢いは止まらない。
そしてそのまま、最後の加速をして、左翼の対騎兵もどき陣地にぶつかる!
がつん、と音が響き。
衝撃に撥ねられ、飛び上がったのは味方だった。
先頭の一番大きい化け猪が、対騎兵もどきを吹き飛ばし、そこにできた穴に後続の化け猪が集まる。
そしてそこを支点にして、錐のように猪たちがねじこまれ味方の陣を崩してしまう!
わたしはその姿が幻視して、目をそらしたくなった。
けれど、そうはならなかった。
『どっせーーーい!!!』
掛け声が戦場に響き渡る。
続けて、超重量級の金属同士が衝突したような衝撃音。
鼓膜を叩きお腹に響くその音のあとに、何をしてもとまらなかった、先陣を切っていた大きな化け猪がーーなんとひっくり返った。
その化け猪は、他の化け猪の3倍は大きい。後続で続いてきた猪たちは、あおむけに倒れる先頭の大きな化け猪に巻き込まれて、足を止める。中には、その背中に潰された猪もいたようだ。
「ははは! 愉快ですね! あの水精霊、あんなでっかい化け猪を『殴り倒し』ちまいましたよ! ははは!」
アセレアが額を押さえて高笑いする。
銀髪メイドの水精霊ーーサフィリアが、戦場で勝どきをあげている。振り上げた両手、巨大な青色の戦籠手が鈍く輝いている。
サフィリアはあの戦籠手をぶつけて、大化け猪の突進を止め、さらには吹き飛ばしてしまったのだ。
ともかく、化け猪の一群はこれでほぼ足を止めた。かろうじて走るものも、対騎兵もどき陣地で跳ね返されている。立ち止まった化け猪を、今度は攻守逆転した冒険者たちが取り囲み、着実に仕留めていく。
だがまだ化け猪には後続がいる。けれど先頭が止まってしまったために、駆ける足を緩めている。
ここで、わたしの出番ってわけだね。
わたしは即座に魔法を起動させ、足が遅くなった化け猪の後続集団に狙いをつける。
「紫色魔砲ーー『紫網榴弾』」
魔砲が空へと打ち上がり、そして頂点を描いて、落下する、その途中で弾がばらりと分解する。そしてその破片が幾筋もの線を描いて、化け猪の後続の群れへと突き刺さる。地面に落ちた散弾は、周囲に紫色の雷を撒き散らして、化け猪を倒し、痺れさせ、足を止める。
「おお! お嬢様、すごい! すごいです! 魔砲弾が割れて広範囲にーーあんなの初めて見ました、敵が慌てふためいてますよ! 爽快です!」
いつの間にか取り出した銀色の盾を振り回し、左片目を特殊能力で覆ったアセレアが喜んでいる。なんというか、前世日本で野球観戦に行った時に、隣でビールを飲みながら騒いでいたおじさんを思い出すんだけど・・・。
「二撃目。いくわね」
わたしは興奮するアセレアを横目で見ながら魔法を準備する。
やれやれこーー
一瞬の空白。鋭い衝撃音。
何が起こったかわからない。理解が届かない。余波にふわりと髪が揺れる。
思考が中断された世界はゆっくりと動く。
わたしはいつの間にか前方にあったアセレアの背中を見ていた。
騎士団の鎧、流れる赤髪。かざされた銀色の盾。
アセレアが視線だけで振り向き、わたしをとらえる。
「狙撃です」
そげき? その一言がわたしのなかで意味を結ばないうちに、アセレアは部隊に指示を飛ばす。
「魔法部隊! 前方右、2時方向の繁みを焼き払え! 魔法弩持ちがいるぞ! おそらく十字だ!」
たちまちに味方の部隊が動き、魔法が幾筋も飛び出る。炎と雷だ。前方にある繁みから火の手があがる。熱さにたまりかねて何かが飛び出てきて、とたんにその動くものに味方の魔法攻撃が突き刺さる。
わたしはといえば、その光景をただ見ていた。ばくばくと心臓がうるさいくらいに鼓動を鳴らし蠢いている。
いま、わたし、アセレアにかばわれなかったら、確実に死んでたーー。
位階なんて関係ない。狙撃は魔法師の天敵だ。
ボルトと呼ばれる矢もしくは収束魔法を打ち出す、魔法弩と呼ばれる強力な武器が、この世界にはある。前の世界で言えばライフルみたいなものだろうか。
連射は出来ないけれど、一撃が大変強力な代物で、暗殺にも使われる。体力のある前衛職でも急所に当たれば危ういのに、後衛職の代表である魔法師が撃たれたら、即死してもおかしくない。
「リュミフォンセ様? 意識は確かですか?」
護衛騎士を兼ねるアセレアは、グローブを外すと白い手でわたしの顔をぺたぺたと触る。アセレアのその手が冷たいのか熱いのかも、いまのわたしにはわからない。
「誰しも追い詰められると、一発逆転を狙った手を使ってくるのですよ。訓練された兵隊も賊もこれは変わりませんが、モンスターも同じ行動に出るようになったということです。
けれど、追い詰められれば敵の大将を、そうでなければ最大戦力を狙撃するという行動は、充分に予測できていました。リュミフォンセ様は、今回大将で最大戦力ですから、思った通りに狙ってきたので、護るのも容易かったですよ。
そして重要なのは、こうした一か八かの手に出てきたということは、これ以上に敵に有効な手札がないということです。なので戦いは山を越え、ほぼ勝敗は決しました。なのでもう安心なのですがーーどうです、安心できましたか?」
得意そうなアセレアの言葉は、いまのわたしにはけれど届かない。
戦いは優勢だったのに、わたしは命を落とすところだった。これが戦場。何が起こるかわからない。わたしは痛烈に理解する。なんでもありが戦場なのだ。
こめかみがどくんどくんとうずく。まるで身体じゅうに心臓をはめ込まれたみたいだ。身体は熱さを感じて汗が止まらないのに、感じるのは寒さだ。手に持った手綱を、血の気が引くほど握りしめ、がちがちと鳴りそうな歯を、必死に食いしばって抑え込む。
「ふむ、瞳の焦点が定まらない。不規則な呼吸。でもおもらしなし。死地を垣間みた新兵の反応としては、合格点どころか高得点ですね。お嬢様を見直しました」
この後に及んで、この赤髪の騎士は何を言っているのか。今すぐ八つ裂きにしたい衝動とともにそれを叶えるイメージが浮かぶ。そこでわたしは思いついた内容に恐怖する。そしてわたしがその気になれば出来てしまう、それも怖い。いや、わたしはいったい何を考えているのか。精神が平常じゃない。
ぶり返してくる死への恐怖、それに反応するように力を暴発させたい欲求。わたしはそれらを抑え込もうと、必死に精神力を動員する。周囲の声は聞こえるけれど、意味はとれない。
「リュミフォンセ様には、早々に戻って休んでいただくべきですね。なので、いくさの決着を急ぎましょうか」
言って、アセレアは騎乗のまますらり腰の細剣を抜き放つ。輝ける鋼はきらりと光を反射させる。そして荷物をいくつかその場に捨てて、身軽になった。乗っている騎走鳥獣が、乗り手の士気と勇気に反応するように、蹴爪で地面を削る。
「総仕上げだーー廃砦を『挟撃』する! 魔法部隊、『天の飛び石』用意!」
指示を受けて、この場にいる味方の部隊ーー騎走鳥獣部隊と魔法部隊が、慌ただしく準備に入る。
歩兵部隊は入り口から廃砦に入り込んで戦い続けており、いまでは圧倒的に優勢になっている。
魔法部隊が、魔法で空中に魔法陣を浮かべていく。あれは足場だ。メアリさんが立体機動的な攻撃をするときに使う魔法に似ている。その足場は、飛び石のように並びーー廃砦の上部まで届いている。
「上下に挟み撃ちするのも、『挟撃』でありましょう?」
言って、アセレアはいたずらっぽく片目をつむった。わたしはそれを見て笑ったつもりだったけれど、まだ落ち着けてないので、実際は少し荒い息とともに頷いただけだった。
赤髪の騎士が、指示を出す。
「『飛び石』を渡れるものは私に続けーーリュミフォンセ様の護衛に1小隊、それ以外は小隊各自で総攻撃だ!」
拍車を蹴って、アセレアの騎走鳥獣が魔法陣を蹴りあがり、宙を渡っていく。空を駆けていく彼女は、実に楽しそうだ。
魔法師のわたしではよくわからないけれど、アセレアがいま見せているあれは、騎乗技術に長ける騎士にあっても、神業なのだろう。アセレアに続いたのは、たった5騎だった。より正確には、12騎ほどが続いて、あとの7騎は途中で落ちたのだ。
砦の上部、胸壁のなかに飛び込んだアセレア率いる騎士たちは、騎乗のまま、当たるを幸いに敵をなぎ倒している。廃砦の敵も入り口から入ってくる攻め手だけに気を取らていたのだろう。不意の急襲を受け、しかも砦の上下に挟まれ、敵は浮足だっている。
体格の大きい悪魔族のモンスターが、騎走するアセレアたちの集中攻撃によって倒れた。
敵の潰走が始まり、そこかしこで虹色の泡が舞い立ち、廃砦はオーロラのような虹の霞に包まれる。
リンゲン廃砦戦は、わたしたちの勝利で、ここに終結した。




