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300 幸運










わたしの意識は、深海の深淵、その底の奥のそのまた底にあった。


刺し子のように分厚い暗闇の膜が、もやのように、幾重にもわたしの意識を取り囲んでいる。


その暗闇の分厚い膜が、外側では狂獣の形態をとっており、禍々しい暴力を振るっていることを、わたしの意識はうっすらと知覚しながらも。


わたしの精神は、ひどく鈍麻し、無感覚になり、殻のなかに閉じこもるようになっていた。


狂獣を抑え、魔法の解除を確実なものにするために、わたしは『蒙昧な凶災の狂獣』の魔法のなかに入った。最初のうちは、少しの衝撃、痛み、遠くから聞こえる風の音、わずかな光の閃きというように、狂獣の外界の情報が、ごくわずかながら感じられていたのに。


しかし、わたしの精神の無感覚は、どんどんと進み。もはや何も感じなくなっていった。まずいことに、このままでは、わたしの意識が消えてしまうということに、危機感すらも感じられなくなっていた。


すべてがどこか遠いところの物語のように感じられ。わたしの意識は、深海の暗闇の先へと、どんどんと沈む。


ーーもう、戻れない。


意識を知性を狂獣の魔法に奪われ、そんなことを思うことすら、できなくなってしまって、精神の目を閉じた、そのとき。



『ほらぁ、バカむすめェ!!! ・・・! 起きなさい!!!』



差し込む一条の朝の光ように。飛び込んできたその声。


その声に、反射的に、わたしは瞳を見開き。それと同時に、狂獣の魔法が、逆回転する。


がちんがちんがちんと、複雑なたくさんの歯車を一度に回すような感覚。ひとつの回転で、多くの魔法効果が解除されていく。


しゅるるるるるるるるる・・・・・・


わたしの視界を閉ざしていた、暗闇は急速に払われ。


そして、雪のように降る紫色の光欠片が、曇天の空が、開いたわたしの瞳いっぱいに映る。


それは、玉座の間から空を見上げたときに見える、その光景だった。


ぷはっーーーー


わたしは思わず大きく息を吸った。しぼんでいた肺に空気が入る感覚。そして、解除された狂獣の魔法から、可能な限りの魂力と、狂獣の魔法に差し出したはずの、わたしの知性とをあわてて回収する。この回収もまた、魔法の解除と同様に急速に行われた。


そしてひと呼吸ができたわたしが、次に言ったのは、いわずにいられなかった一言だ。


「バカは! ・・・わたしじゃなくて、そっちでしょ!!!」


そして、宙に放り出されたわたしの肉体は、一瞬の無重力の感覚のあと。引力にひかれて落下を始めた。


「〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」


けれど、わたしが悲鳴をあげるまえに、落ちる背中が柔らかく抱きとめられた。


「リュミフォンセ?」


大丈夫かい、と落ち着いた声。蒼海を思い出す瞳。わたしを抱きとめてくれたのは、お父様(リシャル)だった。


「あれ、お父様・・・? あれれ? いえ、さっきバ・・・というのは、お父様のことではなくて・・・」


狂獣の魔法を解除したわたしは、状況が把握できなくて、わたわたと周囲を見渡そうとする。けれどそれよりも先に、わかっているよと言ってリシャルがまた宙を蹴り、高速移動を開始したので、現状の把握は先送りになった。


そして、そのわずかな時間で、ルーナリィが大魔法を発動させたのを感知する。


封埋ーー紅華茎深!!!!


ルーナリィの呪文を唱える声が響く。紅華の花弁を模した、玉座の間を圧するような巨大な重層魔法陣がいつの間にか復活していた。その魔法陣に魂力も充填されて、ある一点に向けて魂力の力場が集約されていく。


集約される力場の先にあるのは、当然。八腕の異界の神だ。


ぐぉん。


そんな音を立てて、可視光線が歪むほどの半球形の力場が、異界の神を包み込む。


そして、力場から細い茎のような、根のようなものが、何百本と()で来た。あれは、封印の紅華の、地下茎、根にあたるものだろう。それらの根は異界の神に巻き付き、あるいは突き刺そうとし始めた。


異界の神は、襲い来るそれらの根を、振り払おうと抵抗する。


巨大な魔法陣を準備して臨んだ、異界の神を封印する魔法。


ついにこの魔法を使う段階(ステップ)までこれたことは嬉しいけれど、わたしが見る限り、異界の神が充分に弱っているとはいえないし、一方で、封印魔法の出力は万全でも無いように見える。


なぜなら、力場から出る膨大な量の根が、異界の神を充分に拘束できないからだ。空間が遮断されているのか、極限のところで、異界の神に到達できていない。そして、異界の神が腕を振るうごとに、封印のための根は、斬り裂かれ、かき消えてしまう。


「・・・・・・・・・・・!!!!!」


魔法を行使するルーナリィから、ものすごい魂力が立ち昇っている。後ろに立つ大精霊ふたり、サフィリアとクローディアの魂力も借りて、それらも上乗せして魔法を使っている。


けれどそれでも。封印魔法の規模に比べて、魂力の量が足りていない。だから封印魔法の出力も弱々しく見える。


異界の神も、封印の力場のなかで、身動きが取れる程度には、抵抗ができている。このままでは、封印には至らないかも知れない。というより、封印できるイメージがわかない。


「・・・・・・!!!」


わたしは、リシャルの腕から降りて、黒翼を喚び出して宙に浮く。そして、わたし自身(現魔王)の魂力を、少しずつ練り上げ整え始めた。


ーールーナリィの封印魔法には、支援が必要だわ。


魂力を届かせやすいように質を変えて、相手が受け取りやすいように波長も変えつつ、けれど量はできるだけ減らさないように、気を配る。


ーーそれにしても、ルーナリィったらないわ。


支援の準備ながらも、わたしのいらだちは収まらない。


「バカ娘って・・・なによ!! そっちのほうが、よほど馬鹿じゃない・・・!! 無理やり、自分の魂ごと、異界の神を引き剥がしたりなんかして!」


魂を傷つければ、死に至る。生き残ったとしても、記憶と精神が破壊されて、狂人になる可能性だってある。魂とは、それほど重要なものであるはずだ。異界の神を性急に引き剥がすために行った、ルーナリィのその行為に比べたら。


『蒙昧な凶災の狂獣』の魔法を使ったわたしくらいの無茶なんて、なんてことはないはずだわ。きっと。


そういえば、『蒙昧な凶災の狂獣』の魔法で、対価として差し出していたわたしの知性は、どれだけ回収できたのだろう・・・。自分ではわからない。いろいろ思い出してみるけれど、はっきりとわかる記憶の欠けもない。幸運にも、あまり失われなかったのかしら。


それはとにかく。ルーナリィのほうが、わたしよりもずっと危険なことをしている。だから、わたしが罵られるいわれなんてないの。


「うん、だから・・・。バカなのは、ルーナリィ。そっちのほうよ・・・」


そんなことをつぶやくわたしを、抱きかかえている父親(リシャル)が、母娘ふたりともを、お互いさまでそっくりだと思っていることには、わたしは気づかない。


わたしは、ふぅと息をつく。支援のための魂力は整った。そして迷うこと無く、魔法を発動させる。



「『極色転送』!」



全属性全色の魂力。現魔王の魂力の全力をここに集中させる。


わたしは、自分の魂力を増幅させ、ルーナリィへと転送する。


これで、足りない封印魔法の出力を補うのだ。


ルーナリィは、期待通りにわたしが送った魂力を受け取って、すぐさまに封印魔法へ転化させた。


異界の神を取り囲む、力場の魂力の出力は増し。八腕の神を、拘束しようと試みる茎根は、目に見えて太くなり、動きも力強くなり、数も増えた。


けれど、異界の神の迫る根への処理速度が落ちたくらいで、異界の神が目に見えて弱ったということはなく、その異界の神の魂力も減ったようにも感じられない。


ーーまだ、封印魔法の出力が足りない。


わたしは自身の魂力を送りながら、歯噛みする。


そもそも、いまの状況が示す事実は、必要な条件を充分に満たさずに、ルーナリィは封印の儀式を進めてしまったということだ。もっとわたしが『蒙昧な凶災の狂獣』の魔法で、異界の神を弱らせてから、封印魔法の段階へと移行するべきだったのだ。


ーーやはり、『蒙昧な凶災の狂獣』を解除させた、ルーナリィの判断は、早すぎた。その場では、そうせざるを得ない状況だったのかも知れないけれど。


でも。このままでは、異界の神の封印に、失敗してしまう。


これで失敗したら、次に打つ手は、もう残っていない。


やっとこぎつけた勝利への糸口も、かき消えてしまう・・・。


わたしは、必死に頭を回転させる。


それでも、まだ希望があるとしたらーー、


「ミステ!」


わたしは空に顔を向け、上方で黒狼に乗る紫髪の乙女に、懇願するように叫ぶ。


彼女には、この世界に流れる魂力、大いなる流れからの、魂力のおかわりをお願いしている。わたしが魔王になるための魂力はすでにもらったけれどーー、その魂力が、単純に大いなる流れの淀みから来るものなら。


まるで遊水地のような、魂力の洪水を防ぐための世界の構造からくるものなら、余剰の魂力が、大いなる流れの中にまだ残っていてもおかしくないのでは、と思ったのだ。


いえ、思ったというよりも、そう願ったというほうが正しいかしら。そしてわたしは、それに賭けた。


「喜んで欲しいゾイ、旦那さま・・・!!」


曇天に広がる魔法陣の下、宙に浮かぶ黒狼の背で祈る、紫髪の乙女がつぶやくように応えてくれる。小さな声のはずなのに、玉座の間に広がるように響いているのは、彼女の魂力の波動に声が乗っているからだ。


「世界は、わっちらの望みに、応えてくれたゾイ!」


その声と同時。


七色に輝く奔流が、空の魔法陣から落ちてくる。ああーーと、わたしの口から吐息とも言葉ともつかない声がもれる。


「ーーーー!!!」


なんという幸運(ボンシャン)。なんていう奇跡。わたしの感動は、言葉にならない。


来てくれた・・・! この世界を巡る、大いなる流れからのちからが・・・、巨大な魂力が!


わたしは、空いている腕で、ばっと、ルーナリィを指し示す。それはミステも了解していただろう。魂力の奔流は、少しだけ迷うように速度を落としたあと、滑らかな滝が落ちるように、封印魔法を講師しているルーナリィのほうへ落ちていく。


どぉん・・・・・・!!!!


本来なら音などするはずないのだけれど、膨大な魂力が、ルーナリィへと落ち届く。


そして、魔法使いの極みにあるルーナリィは、さすが、得た魂力をこぼすことなく受け止め、即座に、現に使っている封印魔法へと変換していく。


そして封印の力場のなかの茎が、根が。大いなる流れからの魂力が届き落ちるほどに、見た目からして太く強靭になり、勢いを増して異界の神に襲いかかっている!


「グゥッ??? オオオオオオオオオオ!!!!!」


空間を駆使しして封印の茎根を切り刻む、異界の神の抵抗は止むことはないけれどーー、それでも力場の根が幾本も異界の神に絡みつくことに成功し、数本は突き刺さった。そして、異界の神から魂力が吸い出され、少しずつ封印されていく。


荘厳だけれど曖昧だった紅華の魔法陣が、輪郭を明確にしていく。


そして、封印魔法の触媒である紅玉が、強くまばゆい光を放ちだした。


封印が、実行され出したということ。異界の神のちからが弱まってきているのを感じるわ。


紅玉から封印の紅華が咲いて、力場の根が異界の神から力を吸い上げて、紅玉へと封じる。


たとえるならば、紅玉は植物の(たね)。始まりと終わりの役割を持っているというわけね。


この種となる紅玉は、封印魔法を行使するルーナリィと、異界の神を抑え込む力場の中間ぐらいに置かれて、位置的には玉座の間の中央ほどにある。


この紅玉は、ルーナリィが封印の媒体として選んだのだから、なにかしらの至宝のはずだ。その至宝が、異界の神を封じ切ることを期待して。


わたしは、四方に紅い輝きを放っている輝点に視線を注ぎながら、封印支援のための魂力をルーナリィへと向け続ける。












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