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297 期待











白い岩石の洞窟に、石棺が居並ぶ。壁面や天井の削った刃物のあとが、暖色の光に照らされて陰影を生み出している。


魔王の知識の霊廟ーーとでも呼ぶべき場所。


ここは、大いなる流れからの魂力によって得た、魔王の経験と知識、その内側の世界。現実のわたしは、魔王城の玉座の間で、リシャルに抱えられているはずなので、いまわたしの目の前に広がる世界は、ある種の精神世界だと言って差し支えないと思う。


いまーー、石棺のひとつに、わたしは触れた。触れた指先から、情報が濁流のようにわたしの頭のなかに流れ込むような感覚がして、弾けるように、手を離した。


ぐちゃぐちゃの情報。断片的で、まったく整理されていない。石ころも貴重な玉も、すべていっしょくたに混ざっている。


いまの一瞬で流れ込んできた情報の濁流から、わたしは意味のありそうな情報を思い出して拾ってみる。


ここ、洞窟の霊廟に、並んだ石棺。あれらは、歴代魔王の経験と知識が、分散して収められている。けれど遺体や魂があるわけではない。ここにあるのは、抜け殻としての知識。


それでも、歴代魔王の叡智の抜けがら。うまく役に立つようにできるかどうかは、受け取った本人次第、ということかしら・・・。


まるでイントロダクションのような情報が入ってきたのは、ここが霊廟の浅層だからだと思う。流れ込んできた情報によると、この霊廟には深層があり、深く潜れば潜るほど、貴重な情報があるという。


居並ぶ石棺群のなかに、異界の神の空間魔法ーー魔法というよりも直接な現象だと言っても良いかも知れないけれどーー、への対抗策がきっと見つかるはず。


そして気になるのは。


(未だ知らぬものを無効にするーー『蒙昧な凶災の狂獣』・・・)


これだけでは、なんのことやらわからない。まだ、情報がいる。


わたしは洞窟を先に進み、次の石棺へ近づき、また触れる。ばつっ。ぐちゃぐちゃな情報の濁流が、再びまた、わたしの頭のなかに流れ込んでくる。


ランダムとしか感じられない、乱雑な情報の洪水から、どうやらここでの時間の進み方は、外の世界とは違うことを知る。外の世界に対して、ややゆっくりと流れているようだ。といっても、停止しているわけではないので、時間の余裕はないみたい。


得られる情報は、膨大だけれど無整理で乱雑。その情報に価値があるかどうかは、受け取る者ーー具体的にはわたし自身が、整理してみないとわからない。


正直なところ、基本的な情報を整理して抽出するだけでも、わたしにとっては相当な負荷になる。もっと頭の良い人なら違うのかも知れないけれど、少なくともわたしにとってはそうだ。


だって、たった2回、情報を得ただけで、もう頭がくらくらして休みたくなってきた。まだたいした収穫もないのにだ。リンゲンの政庁で一日中執務をしていたのと、そう変わらないくらいの疲れ具合だ。


情報を得られるのは、どんなに頑張ってもあと数回、という気がする。それ以上は、わたしの頭の体力の限界だと思う。


ふぅ、と思わずため息をつく。なにか気分転換をしたいところだけれど、あいにくここにはお茶もない。散歩に行くところも、知恵を借りたり、話をする相手もいない。


そんな状況で、わたしは異界の神への対抗策を見つけなければならない。


うーん・・・。回数が限られるとなると、うかつに石棺に触れない。わたしは、しぜん、手近な石棺から、一歩下がって距離を取る。うっかり触れてしまっても大変だから。


負荷を考えれば、あと3回・・・、いえ、できれば2回ほどで、正解にたどり着きたい。それにはどうしたら良いかしら?


うーん。


わたしは、顎に手を当て、悩む。探す情報を、ある程度絞ってやる必要はありそう。


たとえば、異界の神の攻撃は、空間を切り裂く防御不可の攻撃だ。言ってみれば、とても軽くてなんでも切れる剣を持っているのと同じことになる。これを防ぐには、うーん、腕の動きを封じる方法を見つけるとか? いえ、だめね。異界の神は、腕の動きを封じても、空間斬撃を出す別の方法を持っていそう。


一番良いのは、ルーナリィ同等の空間魔法の技術をこの場で身につけることだ。でもここは霊廟であり、まだ倒れていない魔王の知識は格納されていないから、ルーナリィの知識を受け取ることはできないはずだ。ルーナリィ以外で、空間魔法に詳しい魔王の知識を引けば、なんとかなるかも知れない。でも、そんな魔王が都合よく過去に存在したかどうかすら、わたしにはわからない。


そこまで考えて、わたしは、思い返す。最初に触った石棺から、『蒙昧な凶災の狂獣』というキーワードを受け取った。


これはなんなのだろう? 単純に、その石棺の魔王と縁が深いなにかなのかも知れない。でも、そうではなくて、わたしの想いにーー、異界の神の対抗手段が欲しいという要望に、応えてくれた結果なのかも知れない。


もしそうだとしたらーー。


わたしは、来た道を振り返る。白い静謐な空間。ところどころにある暖色の明かりがわずかに揺らめいて、陰影をかたちづくっている。


「・・・・・・・・・」


判断をするのに、もっと情報が欲しい。知識の霊廟のこの先に進めば、もっと情報があるのかしら。でも、そう時間もかけられない・・・。


逡巡のすえ。わたしは、もときた道を引き返し、一番最初に触れた石棺のところまで戻ってきた。


確認したいことはふたつだ。まず、同じ石棺に二回触れたらどうなるのか確認したい。そして、想いを持って石棺に触れたら、欲しい情報を抜き出すことができないかしら。


対話や検索ができないと、求める情報にたどり着くまでに、あまりにも時間がかかりすぎる。


闇雲に先に進んで見るよりも、ここで実験をしたほうが、早く答えにたどり着けるような気がした。悩んでいても、どうせわかることはない。わたしは、ふう、と息を吸って吐いて。


「先達の魔王様。どうかわたしに、異界の神を倒す知恵を、お授けくださいませ」祈るように問いかけつつ。「『蒙昧な凶災の狂獣』について、教えてください」


そしてわたしは、石棺にーー、一番最初に触ったのっぺりとした石棺に、触れる。


そのとたんに、触れた指先から、どっと情報が流れ込んでくる。


相変わらず、整理されていない、混沌とした膨大な情報。頭がくらくらする。


けれど。わたしの試みは、成功した。順序だってはいないけれど、『蒙昧な凶災の狂獣』に関する情報が多かった。聞くことを絞れば、ある程度、関連した情報を石棺あkら得ることができることが、これでわかった。


頭の中に流れ込んできた無秩序で断片的な情報から、頭のなかで必要な情報を思い出して、整理する。どのみちひと手間、苦労することは避けられないみたい。


『蒙昧な凶災の狂獣』というのは、昔の魔王が喚び出した、たった一晩だけ出現した、災いの巨大獣のことらしい。


別名は『国破り』。眼の前にあるものをすべて破壊し尽くす凶暴性、しかも当時の勇者と魔王の両方の力を上回る存在であったらしい。召喚主であった当時の魔王の制御を振り切り、この地に召喚されたたった一晩で、当時の王国を半壊させたのだそうだ。


この獣の特性として、『理解していないものは受け付けない』というものがある。どういうことかといえば、この獣が理解していない攻撃は、すべて無効になる。


そんな物理法則を完全に無視した、冗談みたいな出来事があったのだそうだ。当時にこの巨獣が現出したときは、魔法攻撃が一切通用しないために、ほぼ無敵状態だったのだそうだ。


その獣本体が理解できない攻撃が、無効になる・・・。それは当然、空間魔法も、ということ・・・?


この『蒙昧な凶災の狂獣』を召喚した魔王の知識が納められた石棺の場所も、一緒に知ることができた。そこに行けば、狂獣を喚び出せるようになるみたい。


これは、異界の神への対抗策になりえるかも知れない。


でも、暴走のリスクもかなり高そう。それが気になる・・・。


「・・・・・・・・・」


本当なら、もっと石棺を回って、もっと情報を集めて、一番良い手段を選びたいところだけれど。わたしの体力・・・脳の耐久力の問題で、もう石棺をいくつも回れない。それに、時間制限だってあることを考えると・・・。


わたしはひとつ決断し、身を翻す。白い床を靴の底で叩き、『蒙昧な凶災の狂獣』を召喚する石棺の場所へと向かう。







■□■







斬撃の気配を感じて、宙へ飛ぶ。そこを狙ったように、全方位から迫りくる、攻撃の匂い。


見えるわけじゃない。はっきりとした予兆があるわけでもない。ただ、感じる。見られている視線の感覚を説明できないように、攻撃の気配というものは、誰かに説明できたことはない。


リシャル(元勇者)は、眠り姫(リュミフォンセ)を両手に抱えたまま。特殊な歩法を使って、何もない空中を強烈に蹴る。ほんの一瞬だけ固まった空気が足場となって、それによって彼は自身の居場所を変えていく。


直前で彼がいた場所に、全周囲からの空間斬撃が集まる。集中された線は点となり、空間が歪み。空間が歪んだことで起こるエネルギーを放出するために、大爆砕が起こる。


ごががああああああん!!!!


しかしそれを察知していたリシャルは、さらに宙を蹴っていた。とんでもない速度で距離をすでに取っている。


距離をとっても、ある程度の爆風は避けられない。腕のなかの眠り姫をかばうように、リシャルは爆風に対して、自身の背を向けて、魂力を高めて防御態勢を取る。


眠り姫とは、むろん、自身の娘であるリュミフォンセだ。


異界の神への対抗手段を探すために、過去の魔王たちに知恵を求めに行ってしまっている。といってももちろんその肉体がどこかに行ったという話ではなく。彼女の精神はいま、どこかに行ってしまっているのだ。その精神的な場所がどこなのかは、リシャルにはまったくわからないが、きっととにかく魔王に縁があるところだろうと、彼は見当をつけている。


なにせ、いまのリュミフォンセは、今代の魔王なのだから。


とはいえ、精神がどこかに行ってしまっているのであれば、無防備に現世に残った肉体は、誰かが守ってやらなければならない。その守る騎士の役割を、リシャルは担っている。元勇者だからという理由よりも、彼にとってはリュミフォンセの父親だから、という理由のほうが大きかったりする。


娘から期待を寄せられたことが嬉しい。だからそれに応えたい。だからなのか、リシャルの回避にはより一層熱がこもる。もともと彼は回避能力に長けているが、それに専念すれば、異界の神の攻撃ですら、指一本触れられなくなるということを、証明しつつある。


そして、彼は期待している。娘が、この状況を逆転させる、奇跡の一手を持って帰ってくるのだと。それを信じて疑わない。


「だって僕の娘だから」


それにさ、と。空間爆砕から飛んでくる爆風に耐えながら、彼はつぶやく。


「君は、奇跡なんていくらでも起こせる。だからそのときがまで、僕はいくらでも時間を持たせてみせる。それがいまの僕の仕事だからね」





しゅるしゅる・・・・・・しゅるしゅる・・・・・・


奇跡をつぶやく元勇者の、その腕に抱かれる娘から。そのとき、黒色の魂力が毛糸のように、漏れ出し始めた・・・・・・。









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