296 第一主役
「外傷は完治させたが・・・魂力の流れが、ズタボロじゃな・・・。おい、命の精霊。仮にもわらわと同じ大精霊なら、もっと気張るのじゃ」
「やってるって・・・。てかさ、なんで君、僕に対してそんなに偉そうなのさ」
銀髪の精霊の指示に口を尖らせて、中性的な麗人の見姿の命の精霊が、魂力の出力をあげる。
調律者にして元魔王。さらには精霊たちの主人の生母であるという。誰もがこの場では一目置かざるを得ない、ルーナリィは、封印の儀式の最中に、異界の神の支配を逆に受けて、操られていた。
なんとかリュミフォンセとリシャルの活躍によって、彼女の意識を取り返したものの、ルーナリィは、体も魂も、傷を負ってボロボロの状態になってしまっていた。そこで、水の大精霊たるサフィリアと、命の大精霊たるクローディア。この二人がこぞって治癒にあたっていた。しかし、ルーナリィの戦列復帰はまだかなっていない。
「混ざり合っていた固有の魂力を、異界の神のそれごと、無理矢理に引き剥がしたからだね。魂の傷つきかたが、ひどい。それでも命があってしかも意識を保って居られるのは、本人が魂それ自体をいじる能力があってこそだね」
超人だね。中性的な麗人ーークローディアが、魂を補修するような、特殊な命の魔法を、ルーナリィに施しながらつぶやく。
「言っていることはわからんでもないが、その姿勢では説得力がないな。おぬし、思いっきり腰がひけとるぞ。まるで川海老のようじゃ」
サフィリアに図星をさされたのか、大きく腰をくの字に曲げた姿勢のクローディアが、つばを飛ばして泣くようにわめく。
「怖いの! この人間、めっちゃ怖いんだよ! さっきまでこの人を敵として戦ってて、僕ら完全に圧倒されてたじゃん! ていうかこのひと、本当に種族は人間なの?」
(・・・・・・・・・あとで、こいつは、しばく)
無言でふたりの精霊のやり取りを聞いてそう心に誓いながら。大きく傷つき、いまや息も絶え絶えのルーナリィは、落ちていた石片を杖として使い、なんとか2本の足で立ってはいるものの、顔を伏せてただ荒い呼吸を繰り返していた。口と気管支を通っていく空気が、やけに虚しいものに感じられる。どれだけ大きく息をしても、息苦しさがまったく改善しない。
(希少な命の属性の魂力も注いでもらっているのに・・・。自己回復がうまくいかない。これは相当、魂が傷んでしまっているわね・・・)
ルーナリィは、強大な力の器として耐えれるように、幼い娘の魂すら、補強したことがある。魂に手を加えることは秘術禁術の領域だが、その前人未踏と思える領域にすら、この元魔王は片足を踏み入れている。
(さすがに、異界の神に、最深層の魂力を半分以上渡すのは、無理があった。私の魂の、核の部分すら、傷ついている。でも、あのときは、時間的余裕なんてなかった。選択肢は他には無かった。だから後悔はないけど・・・)
魂力は、魂がなければ際限なく流れ出てしまう。魂は魂力の、あるいは命の、器なのだ。だから、魔法を使えるようにまで回復するには、まず魂の器を直さなければならないのが道理だ。
流れ込んでくる命の属性の魂力を使って、ルーナリィは魂力の補給と同時に、自分の魂の補修を続ける。穴の空いた鉄桶を直しながらそこに水を溜めていくような作業だ。しかし、幸運なことに、補修する魂と命の属性の魂力は、相性がいい。同じ作業をしても、命の属性であれば、効率が圧倒的に違う。だから命の属性という希少属性の大精霊がそばにいるということは、とてつもなく幸運な条件だと、ルーナリィは理解している。
しかし最上の条件だったとしても、魂の補修はやはり困難を極める。水を注ぐ木桶の穴に、絹のように細い糸を揃えて重ね、帆布のように分厚い布を作って穴を塞ぐ、そんな繊細なのに無駄の多い作業だ。
さらに、魂を直したあとは、封印の儀式再開のための魂力の補給という問題もある。実は何本か、魂力を回復させる秘薬を彼女は所持しているけれど、どれほど貴重な品でも所詮は水薬、回復できる魂力はたかが知れている。大魔法を行使するには、手持ちを使い切ってもなお、大きく足りない。
けれど、やりようはある。他人から魂力を借りるという方法もできる。精霊のような存在は元々保有する魂力が多い上に、格があがるほどにその回復力も高まる。必要な量の半分ちかくは、大精霊から借り受けることで得られるだろう。あとは、自分の命や魂を燃焼させて魂力に変換する奥の手も切る。
そしてーー。
ルーナリィは、荒い呼吸に額に冷たい脂汗を浮かせながら、顎をあげ、上空を見上げる。視線の先には、いまだ紫色の光片を降らし続ける薄暗い空に広がる魔法陣、そのすぐ下に。
巨大な黒狼の背にまたがる、紫髪の乙女の姿があった。
その紫髪の乙女は、何をしているのかといえば、なにをしているわけでもなかった。ただ、祈っていた。組んだ両手を胸の前に起き、瞳を閉じ、下での戦闘など意識にすら入ってこないのだというように、一心不乱に祈りを捧げている。
あの精霊は、魔王の導きの精霊。たしか、ミステ・・・という名前だったと、ルーナリィは思い出す。魔王の導きの精霊の役割は、今代の魔王を誕生させるため、魔王候補を魔王城に導き、そして大いなる流れから、溢れた魂力を呼び寄せること。
リュミフォンセが魔王となった今、あのミステの役割は終わったはずだ。この場から離脱させて、護衛の黒狼を戦列に並べて、その機動力を活躍させるほうが正しい。けれど、黒狼と導きの精霊の面倒を見ているリュミフォンセは、そのようにしなかった。むしろ新しい指令を、導きの精霊に与えた。その結果が、上空の導きの精霊の祈りの姿だ。
なにをしているのか。その答えを、ルーナリィは知らされていないが、わかるような気がした。
きっとあれは、リュミフォンセがかけた保険。魔王のちからのおかわりを、寄越してもらおうとしているのだ。
しかし、そんな都合の良いことが可能なのか。それはわからない。少なくとも、ルーナリィは前例を知らない。けれど、これから先、異界の神を封印する段階で、魂力が不足することは間違いない。それを見越して打てる手を打っただけだ。もし大いなる流れから魂力を借り受けられれば大幸運、というぐらいの感じで。
(よくもまあ、いろいろ考えつく)
その思考は、他人のものである気がしない。実際のところ、自分の娘のそれなのだが。それがなんだか、気分が悪いような、こそばゆいような。・・・いや、意外に悪くないような。ルーナリィにしては複雑な想いを、彼女は抱く。
どのみち、娘がお膳立てした、可能性の低い策だけには頼ることはできない。それが起これば奇跡だけれど、奇跡とは、可能性の低い策を、たくさん集めて、可能な限りに期待値をあげて、その場に臨んでいくものだ。だから自分の側でも、もっと封印を成し遂げるための大小の策や工夫を、積み重ねないといけない。元勇者とともに、たくさんの奇跡を成し遂げてきた元魔王は、そんなふうに考えている。
ががががががっ!
もう何度目かわからない、異界の神の、空間ごと裂く無慈悲な斬撃の雨が、リシャルとリュミフォンセに降り注いでいる。
(・・・本当に、うまく的になって、攻撃を引き受けてくれている)
もし異界の神の攻撃が、いまのルーナリィたちに向けられたら、即死は免れないだろう。それをさせないのは、リシャルによる異界の神の意識操作。攻撃の間合いを見切りながら、なお攻撃範囲に入る位置取りを捨てず、また攻撃もなるべくぎりぎりでかわしているーー異界の神に惜しいもう少しだと思わせ続けるために。
異界の神もそれには気がついているのだろうけれど、遊んでいるつもりか、はたまたルーナリィたちはもう視界にないのか。執拗に、リシャルとリュミフォンセへと攻撃を向け続けている。
封印を成し遂げるためには、まず、あの異界の神を弱らせなければならない。
ルーナリィの出番はそのあと。それまでは、彼女は魂と魂力を治し回復させ、温存に専念しなければならない。
(だから、リュミフォンセ・・・。この幕の第一主役は貴女。貴女に頼るほかはないの)
すがる想いで。願い、望み。ルーナリィは、自分の娘が戦う姿を見る。
娘は、見事な回避の立ち回りを続ける父に、いわゆるお姫様だっこの姿勢で抱かれ。なにかに集中するように目を閉じている。彼女のその腕は父の首に回され、もたれかかるようにして。
それは、ルーナリィが愛する男の腕に、自分よりも若く、美しい異性が抱かれていることになり。激闘のさなかではあるのだが、どす黒い感情が、母の湧き上がるのを抑えられない・・・。
ぎりりりりりりりぃぃぃぃぃぃ。
すごい音とともに、ルーナリィは奥歯を噛みしめる。ぎぎぎぎぎと。
ひいいいいいいと、横で回復をしているクローディアが悲鳴をあげる。
(いいだろう。いまは貴女が第一主役だ。しかし、それはそれとして。私のリシャルは、あとでちゃんと返してもらいますからね。リュミフォンセ・・・!!)
なぜか、どす黒いオーラを纏い始めたルーナリィの横で。治療にあたっている大精霊2人が、
「こわい、こわいよぉぉぉ!!! もうおうち帰るぅーー!!!」
「おおお、落ち着くのじゃ! さっ、騒ぐと余計危険じゃ! そうじゃ、死んだふり! こんなときには、死んだふりじゃ!」
「そう言って、自分だけさっさと距離を取るのずるいでしょーーーー!!!」
■□■
とぷん。
わたしの意識は、知識を求めて、魔王の知識の中に、闇に、沈んでいく。
ここにあるのは静寂。怨嗟の視線も、怯える喧騒の声なども聞こえない。
戦いの音、リシャルの動きも、わたし自身の体の感覚の一部すら、感じられなくなっていく。
魔王の知識と経験の海ーー深い闇に、わたしは降りていこうとしている。
ぐんぐん、ぐんぐんと漆黒の底へと、沈んでいって。
気がつけば、わたしは洞窟にいた。
広い空間だ。白い石をあらっぽく削り取ったその場所は、天井にも壁にも、削った刃物の痕がついている。けれど、床は平らで、綺麗に掃き清めてある。
前へと視界を広げれば、煌々と灯る、赤い炎の松明と、箱のような石の彫刻が、壁に沿って置かれている。
あれらは悪いものではない。そう感じたわたしは、白い洞窟を先に進むことにした。
進んでも風景は変わらない。けれど、四角い長方体のような彫刻、その上面にあるものが、横たわる人型の像であったり、あるいは物語の戦いのいち場面を切り取ったようなものであったり、個性があることに気がついた。逆に、なんの彫刻もない、シンプルな箱もある。のっぺりとした印象。大きさも、少しずつ違う。
ここに来て、さすがにわたしも気がついた。
四角い箱の彫刻、あれらは、石棺だ。石棺が彫刻によって飾られているのだ。
となれば、今いる白い洞窟、ここは墓地、霊廟ーーということになる。誰が眠る霊廟か。もちろん、きっと、これまでの魔王なのだろう。
「・・・・・・」
わたしの足は、彫刻が乗った華やかな棺ではなく、なにもない、のっぺりとした石棺へと向かっていた。なんとなく、そこに答えがあるような気がしたから。
石棺の前に立つ。わたしよりも一回り大きいくらいの箱。けれど、高さはわたしの腰くらいまであって、けっこう大きく感じる。そののっぺりとした石棺に、わたしは手を伸ばし、触れる。
触った瞬間に、まるで火花がスパークするように、情報が頭のなかに流れ込んでくる。
思わず、反射的に手を離す。そこで情報の流れは止まった。けれど、受け取った情報が、わたしの頭のなかでまだ渦巻いている。それはイメージが乱れ飛んで、混乱と呼ぶのがふさわしいようなもので、使い物にならないようにも思えたけれど。
「未だ知らぬものを無効にするーー『蒙昧な凶災の狂獣』?」
ひとつのイメージが、やけに具体的に言葉となって結実して。
わたしは、首をかしげる。これが、求めるべき答えなの?




