295 魔王の知識
どどどどどどどっーーーー
不可視の刃が、つい、いま、わたしたちが居た空間を、滅多斬りにする。
「『放白光刃』ーー」
リシャルに抱えてもらうことで、その攻撃を回避したわたしは、なんとか照準をつけて、思いつく最速の魔法で、異界の神を攻撃する。しかし。
ふっ。と異界の神の姿はかき消えて、魔法の刃は虚しく空間を通過してしまった。
そして、リシャルに抱えられたままのわたしの至近距離に、また異界の神が現れ、鋭い爪を振り下ろして滅多斬りの斬撃を見舞ってくるが、これまた回避。そして、また次の回避の先にも現れる、異界の神。もう何度、同じことを繰り返したことか。
とはいえ。いくら動きが速いとはいえ、必ずわたしたちのそばに来るというなら、行動パターンが決まっているというならーー、罠が設置できる。
そしてわたしは、すでにその準備を終えていた。
30体以上の半人半馬の黒騎士たちを魔法で喚び出し、左右と上方、わたしたちの全周囲に遠巻きに配置してある。
そこに追ってきた異界の神がやってくれば、黒騎士たちは、わたしとリシャルだけでなく、異界の神をも取り囲むことになる。
もう何度目か、期待通りに、リシャルが不可視の斬撃を回避。さらに、目に見えないほどの足さばきで、黒騎士の包囲網から離脱する。
それは、抱えられたわたしの認知の限界を超えた速度で行われるけれども、準備していたので、状況は把握できている。つまり、魔法で生み出した黒騎士たちの槍の穂先は。ぴたり、とり残された異界の神へと照準されている。
包囲網はすでに完成している。異界の神のほうから、そこに飛び込んできてくれたのだ。
実際のところ、わたしはこの攻防の速度についてけてないけれど。どこに来るのかがわかっていれば、罠を発動することができる。
お姫様だっこの姿勢で振り回され、急制動と急加速が繰り返される目まぐるしい視界のなか。わたしの片方の腕は、お父様・・・リシャルの肩にまわしているので、空いた方の腕、挙げた右腕を、わたしは闇雲に振り下ろし、勘で命令する。
「『突撃』!」
「いけない! リュミフォンセ!!」
黒騎士たちへのわたしの指令と、リシャルの警告は、ほぼ同時だった。
ごぅっ!
黒騎士の突撃の音。
そこでわたしは驚くべき光景をみて、魂力の感知でそれが間違いないことを確認して、戦慄する。
異界の神に向けていたはずの黒騎士たちの包囲突撃がーー、いつの間にか、わたしたちに向けられている!
突然、上下左右、わたしとリシャルの全方位を囲むように瞬時に現れた、黒騎士たち。
唸りをあげて迫りくる、全力の推進力を集めた魔法で生み出した黒騎士の槍の穂先!
その鋭い槍先は、わたしをリシャルごと串刺しにーー。
ぎしぃぃぃぃぃ! ・・・ぴたり。
ーーする前に止まった。
ふぅ。と、表面上は平静を装いながら、わたしは内心、胸を撫で下ろす。
続けて、やっぱりだわ、小さく呟いた。
実は、これは予想できていたことだった。
黒騎士たちを生み出したときから、あらかじめ、わたしが魔法で生み出した黒騎士たちに、相討ちを防ぐ構成を盛り込んでおいたのは正解だった。
精密な機械のように、空中で動きを止めて沈黙する黒騎士たちを、わたしは腕を軽く振ってやることで再度整列させて、異界の神への牽制として。その一方で、いま起きた出来事から異界の神がやっていることを推察し、確信する。
(やっぱりこうなったわね。でもこれで確認ができた。異界の神が得意としているのは、空間を操ること・・・)
異界の神の攻撃は、わたしが生み出した魔法盾群を、たやすく切り裂いた。うぬぼれるわけじゃないけれど、魔王化したわたしが作る魔法盾は、この世界でも最高水準の強度と硬さを誇る。その魔法盾が、一枚だけでなく、何枚もたやすく千切るように切り裂かれるのには、理由がある。
それは、異界の神が、魔法盾が存在する空間ごと、切断しているからだ。
そして、異界の神が、わたしを抱えたリシャルの神速の動きに、いともたやすく追いついてくるのは、空間を転移して、瞬間移動をしているから。
さらには、いま、黒騎士たちの完全包囲攻撃を、いつの間にかわたしに向けて跳ね返したことーー、これは異界の神の周囲の空間を捻じ曲げて、その捻じ曲げた空間の出口を、わたしたちの周囲に設定した。
だから、黒騎士たちは、異界の神に向けて突撃した結果、わたしたちを包囲攻撃する結果になったのだ。
これは以前、精霊王にもやられたことだ。
そして、わたしは捻じ曲げられた空間を通ったはずの、黒騎士の数を確認する。きっちりと、すべての黒騎士が送り返されてきていた。つまり、異界の神は、かなりの範囲、死角無く全周の空間を捻じ曲げることができる、ということだ。
まとめれば、異界の神は、防御不可の攻撃手段、瞬間移動、空間を捻じ曲げ相手の攻撃を返す絶対的な防御を持っていることになる。そして、その範囲も広く、速度も精度も熟練していて、スタミナ切れも狙えそうにない。
あれが、異界の神の完全体・・・。まるで、空間の支配者・・・。
「・・・・・・・・・」
どうやって勝てばいいの?
わたしは魔王になって、能力が大幅にあがったけれど。でも、異界の神は、それらを無効にするような能力を持っている。せっかく、覚悟を決めて思い切って魔王になったのに、これじゃあ魔王になり損だわ。
うん? そういえば。
リシャルとルーナリィは、あの異界の神を、一度、倒したのよね? だからこそ、不完全とはいえ、封じることができていたわけで。
「あの・・・」
わたしを抱えてくれているリシャルに向け、そのことを聞くと。あられのごとく飛んでくる攻撃をかわしながら答えてくれた。
「そうだね・・・。異界の神の空間操作を、ととっ。ルゥが、よっ。空間魔法で相殺して封じてくれたから、攻撃が通じたんだよ」
あのノータイムで発動する自由自在の空間操作を、空間魔法で相殺して封じたの? 相殺するのは、相当に高度な技術というか、まさに神業だと思うけれど・・・。
なんというか、ルーナリィは、そこまでできるの?
わたしは魔王化して、ルーナリィに近づき、追い越したと思っていたけれど。悔しいけれど、及ばない部分がある。
少し離れたところにいる、回復しているルーナリィたちの様子を見る。消耗したルーナリィに、サフィリアとクローディアがついているけれど、まだ回復しきっていないのは、感じられる魂力の弱々しい波動でも明らか。たとえある程度、回復していても、ルーナリィには異界の神を弱らせたあと、封印を実行するというとても大事な役割がある。その前に、別のことで彼女を消耗させるわけにはいかないから、空間魔法の相殺をお願いすることはできない。
知らず、わたしは親指の先を噛む。ルーナリィと同じことは、わたしはできない・・・。なにか別の方法を考えなくては。
そして、また降り注ぐ斬撃。わたしを抱えたまま、リシャルはそれを華麗に回避する。一方で、牽制に揃えていた黒騎士たちは、すでに空間斬撃で蹴散らされて消滅している。
リシャルの回避が神がかっていて、いまのところわたしは無事だけれど、それをいつまで続けられるかはわからない。
そういえば、リシャルはあの斬撃を、どうやってかわしているのかしら? 異界の神が、周囲の空間を歪めて防御をしているのにも気がついていたみたいだけれど・・・。
「うーん。なんでと言われると難しいんだけれど。なんというか、攻撃されるとき、肌がちょっとぴりぴりするかな。あと、よく見ると空間が歪んでいるところは、ちょっと揺らいで見えるような気がするんだ」
回避に専念しているからか、割と涼しい顔で攻撃をかわしながら、リシャルが語ってくれる。でも、リシャルがある種の天才であることがわかっただけで、わたしにはなんの参考にもならなかった。
顕現した異界の神を攻略する糸口がまるでつかめない。
とはいえ、ルーナリィは取り返すことができたし、こうなってくると、一時退却して体勢を立て直すことも視野に入れるべきだと思う。それをリシャルに相談すると。
「それは賛成できないよ、リュミフォンセ」リシャルは首を横に振る。「あの異界の神には、たった一夜で国を滅ぼしたという伝説があるんだ。実際、それだけの力があると思うし、ここで奴を逃しただけで、この国が滅ぶ危険だってある」
それに、あの異界の神から、逃げられるかどうか、という問題もある。空間を自在に操るのだ。どこまでも追ってくることも可能だろう。わたしたちの誰かに大きな被害を出すことなく、逃げ切れる可能性は低いように思う。
それに、いま、異界の神が、この場にいるわたしたち以外の、たとえばルーナリィたちを攻撃せずに、わたしとリシャルだけを追っているというのは、わたしを強く警戒をしている一方で、獲物として弄んでいるという見方だってできる。
「リュミフォンセ」リシャルが言う。さっきよりも、少し息があがっている気がする。「こんなことを言うのは、酷かも知れないのだけれど。いま、異界の神に対抗することができる可能性があるのは、君だけだ」
「・・・・・・・・・」
確かにそうだ。これまでの戦いで、一番消耗が少ないうえに、魔王という新しいちからも手に入れている。魔法や空間操作といった不思議なちからへの対処については、物理職のリシャルよりもわたしのほうが詳しいだろう。
「リュミフォンセ。君は、魔王になると同時に、魔王の経験を、知識を得たはずだ」
「そんなことも、わかるんですね」
わかるさ。元勇者で、元魔王とずっと一緒にいたのだから。リシャルは笑いを口端ににじませる。
「新たに得た魔王の知識を使うんだ。そこに、異界の神への対抗策がきっとある」
「そんなことーー」
「確かなことはわからない。そうかも知れない。でも、きっとある」
「・・・・・・」
無責任な、と言ってしまうのは、なんだかもったいない気がした。
「勇者というのは、希望を最後まで追い求めてしまうものなんだ」
リシャルーーお父様と、わたしの目が合う。遠洋の蒼海のような、深い紺色の瞳が見える。
「だから娘の君もーー、きっとそうだと思う」
ぱちくりと、わたしの瞳はまたたいたと思う。言われたことが、一瞬理解できなくて。
「でも、わたしはいま、勇者ではなく、魔王になってしまいましたわよ?」
皮肉に微笑んで、わたしは言う。
「いまの君は、魔王かも知れないけど。僕の娘だから、勇者でもある。だから、そういうことだって、あり得るだろう?」
「ーーそんなこと、あったら奇跡ですわ」
「ところがね。勇者というのは、奇跡を起こすのが商売なんだ。だから、奇跡なんて、信じるまでもないくらいに、ありふれているんだよ」
しばらくお互いの視線をあわせたけれど、透明なリシャルの微笑みに、わたしは根負けする。この件では、最初からわたしに勝ち目はなかったのかも知れない。
「わかりました。では、古の知識に、尋ねてみましょう。わたしたちの安全は、任せました」
言って、わたしは。ちらりと異界の神を視界に収めたあと、リシャルの腕に抱かれたまま、幼子のように瞳を閉じる。より深く、自分のなかの魔王の知識と向き合うために。そして、わたしのなかの魔王の力へと意識を集中し、問いかけを始める。
「・・・ああ、任された」
眠り姫のように意識を閉じたリュミフォンセを両手に抱えながら、リシャルはまた神速の足さばきで、異界の神の斬撃をかわす。
「こんな大事な場面で、娘の安全くらい守れないようじゃ、父親と認めてもらえそうにないからね」




