294 完全顕現
ついに、異界の神の支配から、ルーナリィを取り返した。
異界の神を分離して封印する儀式は、ルーナリィを奪われ悪い形で異界の神が力をつけわたしたちも全滅しかけて、三歩ほど後退していたけれど。わたしが魔王となることで反撃、ルーナリィを取り返し、戦況も一転して優勢。二歩前進、取り返したような格好だ。
あとは異界の神の魂を、ルーナリィの魂力から完全に抜き去って、異界の神を封印する手順だ。
「といって、その手順で、ずっとつまずいていたわけだけれど・・・」
ぼやきながら。玉座の間、紫色の光片が降り注ぐなかで、魔王化したわたしは、怒れる異界の神と対峙している。
鋼のような筋肉を盛り上げる八本の腕、その先にある手のひらから、熱線を乱れ打ちしている。その赤い光の筋が尾を引く流星ように流れ、世界を埋め尽くさんばかりに放射される。
熱線は、玉座の間の特殊な石材すら、当たればマグマのように熱溶解して爆発させるような威力だけれど、照準は甘い。というか怒りに任せて、まるでガトリングガンの弾丸のように、空間を飽和するほどに熱線が放たれているけれど、いまのわたしには、そんなものは通用しない。
とはいえ、足元や壁が光熱で溶けて足場がなくなっても困るので、防御魔法を展開して熱線の直撃を防ぎつつ、ときおり広範囲の凍結魔法を織り交ぜてあたりを冷やしている。
むろん、背後にかばうリシャルとルーナリィだけではなく、サフィリア、クローディアと、空中のバウ、ミステにも魔法盾を配置していて、まもりは万全だ。
特に、ミステには、わたしから、お願いをしていることもある。
ミステは、いまバウの背に腰をおろし、すっと背を伸ばし、祈りの姿勢を取っている。わたしがお願いしたことを、ミステが叶えられるかどうかは、正直わからないけれど。これがうまく行けば、わたしたちにとても有利になる。決定打すらなるかも知れない。でも不確実な策。
でも、それはそれとして、目先のことはーー。
「ルーナリィ! 封印の儀式を再開するには、どうしたらいいの?」
わたしは、リシャルに肩を支えられて立つ、ルーナリィに、背中越しに問いかける。
分裂体との乱戦のときから、分離のための紅華の魔法陣は半壊してしまっているし、封印の依代になる紅玉もどこかに行ってしまっていて、視界の範囲には見当たらない。儀式のために揃えたものが、欠けてしまっている。
「コホッ、ゴホッ・・・ハァ、ハァ・・・。確かに儀式に必要なものは失われている。あれらはそもそも・・・」
「説明はいいから! 結論だけをお願い!」
わたしはまた新たな魔法盾を追加で生み出し、熱線を捌きながら言う。跳弾は対処が面倒だわ。
口調からするに、ルーナリィはいま研究者モードの人格が表に出てきているみたい。二重人格でさらに異界の神を取り込むなんて、改めて考えてみると、ルーナリィは自分のなかに盛り込みすぎだと思うわ。
ルーナリィの研究者モードは、説明がすごく長い。でも戦闘中に、そんなに時間をかけていられないし、そもそも、ずっと異界の神に操作されていたルーナリィも、消耗が激しく、長台詞を言えないとも思う。
そんなことは彼女自身をわかっていたらしく。苦悶したあとに、ちゃんと結論を言ってくれた。
「ゴホッ・・・。異界の神は、もう7割ほど顕現している。もっとその『神気取り』を傷めつけてやれ。フゥ、ハァ・・・。そうすれば、私がなんとかする」
ふうん。理屈はわからないけれど、そんなことで良いなら、お安い御用だわ。
わたしは魂力を少し操作し。熱線を防ぐために出している、すでに出しているいくつもの魔法盾を改変してやる。
「ーー『万色鏡面』」
熱線を受け止めていた盾を、今度は熱線を反射できるよう鏡のように変化させる。これで、熱戦を反射してやる。それだけでなく、熱線をあえて受け止め、集め収束させて、威力を何倍にも高めて、異界の神に返してあげる。
言うのは簡単だけれど、この作業には、乱舞連射される熱線に耐えるだけの、複数の盾の強度を維持しながら、それら性質を操作する精密さも必要になる。魔王化するまえのわたしでは、できなかったことだ。
ごぅうぅうううん!!!
威力を高めて返した熱線は、結像している異界の神の周辺に着弾する。いくつかは直撃もしているはずだ。実体化が進んでいることで、魔法のダメージが前よりも通っているような手応えもある。
「まだ・・・・・・だ。もっと要る。ぐっ・・・・・・。追撃するんだ、リュミフォンセ」
背中にかけられる声。注意していなければ、聞き逃してしまいそうな、弱々しいルーナリィの声。異界の神に操られて、消耗し通しだったから、仕方がない。
でも、気になる。彼女の消耗が、想定していたよりも大きいように感じられたからだ。
でも、わたしはわざとらしくため息をつき。あえて皮肉げに応じてみる。
「人使いの荒いことですね。・・・任せておいてもらって大丈夫ですよ」
わたしは、そして、付け足す。
だから、少しゆっくりしていらして。ここに、お茶でも準備できれば良かったのだけれど。
「混色魔法ーー『虚音彩涙』」
さあっーーーー
新たなわたしの魔法が発動し、天より七色の雨が降り注ぐ。
熱線とその誘爆でボロボロになって、それでもなお余裕の再生を続けようとしている異界の神のうえから。
グォォオオオォオォオッ!?
異界の神から、苦悶の叫びが漏れる。この七色の雨は、見た目は綺麗だけれど、その実態は、存在を、魂すらを砕く究極の破壊の雨。ただの生物がこの雨を受ければ、体は崩れ、最後には痕跡も残らない。
ただ、一度に一斉に崩れるほどの威力はない。一方で、雨は高密度で長く降り続く。確実な継続的なダメージを与えるのに向いた魔法だ。
再生を繰り返す異界の神を、七色の雨が、静かに打ち据え続ける。
熱線を跳ね返したときに、異界の神の足を攻撃できていたのだろう。移動のままならないらしい異界の神を、魂力を集め再生する端から、痛めつけることに成功している。こうまでうまくはまると、なんだかいじめみたいで、居心地が良くないけれど・・・。
『オノレ・・・・・・オノレオノレオノレオノレェェェェッェェェ!』
その異界の神の叫びと同時。急激な魂力の流れが生じる。魂力が異界の神に集まり、その再生を活発にしているのだ。集まった魂力は膨らんだうえに安定し、七色の雨の魔法が、異界の神に徐々に効かなくなっているのを感じる。
「あああああああっ!! ぐっうっ・・・ああああああああ!!!!!」
一方で、ルーナリィが苦悶の声をあげる。こうまで苦しんでいる姿は、あまり見たことがない。きっといま、異界の神から、補充のために、魂力を抜き取られているのだ。
どうにかしなくてはと思うけれど、わたしのやっていることは、想定内のことだし、ルーナリィの指示どおりのことでもある。ルーナリィはなんとかすると言っていたのだから、ここでやめてはいけないような気がする。
でも、彼女はすごく苦しそうで、予定外のことになっているのではないかと疑いが出る。本当に、大丈夫なんでしょうね、ルーナリィ!?
「ああああああああーーーーっっっっ!!!!!」
これまでのルーナリィからは聞いたことのない叫び。気合の叫びなのか、苦悶のそれなのか、判断が難しい。ただ事実として、ルーナリィから一気に魂力が洪水のように抜け出てーー、異界の神へと、流れ込んだということは、わたしでも知覚できた。
これまで、異界の神には、たくさんの攻撃を与えた。完全顕現の前だから、魂力が拡散しているだけで、本格的なダメージはまだ入っていないけれど、それでも、ダメージを与え強制的に再生させることで、多少なりとも魂力を失わせることに成功している。
異界の神は、失った分の魂力を、補給しなければいけないことにある。どこから? といえば、当然、ルーナリィからだ。ルーナリィの魂力には、異界の神のそれが、混ざっているのだから。
これまでは、混ざりあったひとつの魂力から、異界の神のものとルーナリィのものとに、選り分ける作業をしていた。その選り分けるという作業がとても繊細で複雑な作業で、とても手間暇がかかる作業だったうえに、ルーナリィにしかできないものだった。
でもその作業を行わないと、異界の神の魂力を戻すときに、ルーナリィの本来の魂力をも、明け渡してしまうことになる。それは、封印すべき異界の神の力を強めることになるとともに、彼女のちからと命を奪うことに繋がりかねない。
選り分けの手順を飛ばすのは、ルーナリィの安全の面から見ても、敵を封印するという目標から見ても、とてもリスクの高いことなのだ。
けれど、ルーナリィは、いま。
あえて、それをやった。
魂力が異界の神に吸い取られるのに乗じて、だ。
それが、わたしにもわかった。
結果、必要な時間を大幅に短縮して。異界の神は完全顕現した。
引き換えに、ルーナリィは魂力をごっそり失い、さらに、異界の神はパワーアップして。
でも、これでいよいよ、異界の神は、封印できる状態になったことを意味する。
心配はある。ルーナリィは、儀式の最重要の手順である、封印の部分も、担当している。それなのに、彼女は相当に弱っていて。彼女から感じる魂力は、儚ささえ感じるほどで。いつもとはまったく違う。
ーーーーこんな状況で、封印なんかできるの??
わたしが疑問に思うとともに、けれど、ルーナリィは、立っていられずに崩れ落ちながらも、わたしに念話を飛ばしてきた。彼女には、もう肉声を出すちからがなかったのだと思う。
(ーーーーあなた、なら。きっと、なんとかできる)
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
わたしは、歯噛みする。きっと顔は真っ赤だったと思う。
できないわよ!! そんな無責任に任されても!!
そう言ってやりたかった。けれど、わたしの背後の本人は、リシャルに支えられながら、もうぐったりと首を落として。あれはきっと気を失っている。
一方で、ルーナリィが、相当に追い詰められた、ぎりぎりの判断したのだということがわたしにも察せられた。
残りの時間、異界の神の戦闘能力、こちらの戦力、さらに儀式の主役であるルーナリィ自身の体力とを、それぞれ秤にかけて、もう正規の手順を踏む余裕はなくなったと判断したということなのだ。
舞台は続けられなければならない。幕がまだ、あがっている限り。先々よりも、まず今をしのぐことを、優先したのだ。
状況は、それだけ切迫しているということ。それくらい、わたしにだって、わかる。
なので、わたしはこう叫んだ。
「サフィリア! クローディア! ルーナリィの癒やしをお願い!」
いままで、ルーナリィへの癒やしは最低限しかできなかったのだ。異界の神とルーナリィの魂力は繋がっていて、ルーナリィが癒えれば、異界の神もそれだけ癒えることになるからだ。
でも異界の神とルーナリィの魂力が完全分離したいま、ルーナリィを癒やすことになんの躊躇も要らない。これは朗報だ。
ただ、ルーナリィの体力を癒やしたからといっても、異界の神に与えた魂力が戻ってくるわけでもなく。ルーナリィが戦列に戻れるかどうか、そして、重要な封印の役割を担えるかどうかは、わからない。
けれど、戻ってもらわなければ困る。癒やしてさえしまえば、本人がなんとかしてしまうかも知れない。
わたしの役割は、完全顕現プラスアルファの120%の状態で復活している、眼の前の異界の神を、とりあえず可能な限り、ぼこぼこにしつつ。
ルーナリィが再び動けるようになるまでに、時間を稼ぐのが仕事、ということになる。
そこまでの思考に、それほど時間をかけたわけではない。時間にすれば数瞬、そのくらいの時間だったと思う。
とりあえず黒騎士を召喚して、異界の神へのさらなる攻撃をーーと、魔法を使いかけたそのとき。
わたしのすぐ目の前に。異界の神が、突然、現れた。
背丈はわたしの6、7倍はある。巨大な獣というよりも、門が突然立ちふさがったようにも感じられた。隆々とした筋骨のたくましい八本の腕を、鉄など軽々と引き裂きそうな、40本の鋭い爪を、たかだかと掲げて。わたしを狙っているその堂に入った構えに、熟練を感じるとともに。加えて、なんというか、すごく激しい敵意と憎悪を感じる。
「へっ?」
異界の神の影を受け、見上げようにしているわたしの口から、間抜けな音が出る。
いま、虹色の雨に打たれていた異界の神はーー。って、もうすでに居ない?
「リュミフォンセっ!」
わたしが、魔法の盾を出現させるのと。瞬速でやってきたリシャルが、わたしを素早く抱きかかえて横に飛ぶのと、異界の神が、その鋭い爪をわたしに向けて振り下ろすのと。そのすべてが、ほぼ同時に起こった。
ずどぉぉぉおおおん!!!!
ずたずたになってかき消える、わたしの魔法盾。そして、異界の神が爪を振り下ろした地面を中心に、追撃のように玉座の間に放射状に衝撃波が走る!
幸いなことに、リシャルはわたしを抱えたまま回避し移動、追撃となった衝撃波も安全地帯を見つけて綺麗にかわしてくれた。ルーナリィの癒やしに当たっていたサフィリアとクローディアも、植物を生やして自分たちを移動させて、衝撃波をかわしたみたい。でも、衝撃波の通り道にあった、クローディアの出した植物は完全に粉砕されていたので、あの攻撃は、防ぐよりもかわすほうが正解らしい。
リシャルにお姫様だっこで移動させてもらいながら、わたしは言う。
「お父様、ありがとう。もう降ろしてもらって・・・ってえええ!?」
攻撃を回避できたと安心したのもつかの間。またすぐ隣に、異界の神が立っていた。えっ、いま、結構距離を取ったと思うのだけれど??
斜視のような三つ目、異界の神がどこを見ているのかわかりにくいけれど、ものすごくわたしと目が合っている気がする。ひょっとしてというか、やっぱり、わたし、目をつけられているのよね・・・?
「これは・・・。わりと危ない感じだね」リシャルがつぶやいたのが、わたしの耳に届いた。
どどどどどどどどどどどどっーーーー
次の瞬間、異界の神は八本の腕と爪を使って、滅多斬りにしてきた。神速といえるほど速度と回避に優れたリシャルに抱えてもらっていなければ、わたしはこの攻撃を回避できていなかったに違いない。
視線を外せばもうそこにはいないという、この移動速度。異界の神は、空間転移で追ってきているのだわ。
この短な攻防を、わたしは分析する。
空間転移で距離を詰めてきて、格闘戦を挑んでくる。
これが、完全顕現した、異界の神の戦い方。これまで魔法に頼った攻撃パターンとは随分と違う。
こちらの攻撃も、同じく空間移動でかわされてしまう公算が高い。
対応には、接近した際に、どうにかして、こちらの攻撃を当てるしかなさそうな気がする。それには、とんでもない速度と格闘技術が必要になりそう。
・・・・・・・・・。
あれ。ひょっとしてだけど、異界の神の、新しい戦闘スタイル。
魔王になったとはいえ、距離を取って戦うのがメインであるわたしと、相性がものすごく悪いんじゃないかしら・・・。




