292 地位と役割
この世界では、誰もが地位と役割を持つ。
王様、貴族、平民。生まれに関わる、身分的な地位と役割。
地位と役割は、人に幸福と不幸を与え、
その代わりに相応の行動を人に求める。ひとときに、もしくは永続的に。
人の運命に、深く関わる地位と役割。誰も、それから逃げることはできない。
わたしの運命も、例外では、なかった。
始まりは、『魔王の落とし子』。
わたしは、この地位と役割という運命から逃げ回っていた。
それでも、この生まれが、血が、いろいろなものを呼び寄せた。良いものも、悪いものも。
そしていま。わたしは、運命を受け入れざるを得ないところにいる。
受け入れる以上は、受け止めてみせるーーと、そう思っている。
運命を受け入れても、まだ負けではない。
受け入れたうえで、したたかに、逆に、運命を利用してやることだって。
ーーできるはずだわ。
紫の光の粒子が、まばゆいほどに降り続けている。まるで降り積もるぼた雪のように。
上空へと駆け上がればあがるほど、それはより密に、無音に。
わたしの視界は、もはやその光で埋め尽くされ、その世界に吸い込まれていくようだ。
「ゾイ! 旦那さまーー。ああ、旦那さま! いよいよ、いよいよーー。くるっ、来るゾイ!」
黒狼に二人乗りをする、わたしの後ろのミステが、感極まったような声で叫ぶ。一種の酩酊状態に陥っているみたい。
これからやってくるのは、世界からもたらされる魂力。魔王候補が、魔王になるためのちから。
つまり、わたしが魔王になるためのものだ。
そして、上空の魔法陣が、薄暗い魔王領を、まるで夜明けのようにひときわ明るく輝きーー。
さらに強く輝く七色の光が、輝く魔法陣から、わたしに向けて降ってくる!
そして、次の一瞬には。
がんっ、と。
衝撃があった。
まるで時間が止まってしまったかのような感覚。
全身が痺れて動けない。いまわたしの身に、何が起こっているのかわからない。
にもかかわらず、頭に膨大な情報が流れ込んでくる。全身が脳になって、情報の洪水に浸されているみたいだ。
これは、経験がーー、魔王となるのに必要な経験値が、強制的にわたしの中に流れ込んできているのだ。
魔王の落とし子であることを知って、しかもわたしが次の魔王になる可能性があることを知ってもーー。どうしたって、いやだった。魔王になんて、なりたくなかった。
だから、ずっと魔王になることを避ける道を探してた。ぎりぎりまでそうだった。異界の神と戦うにあたって、もっとちからが必要なことは、戦いに臨む前からわかっていたのに。
わたしが魔王になることを受け入れれば、戦力があがる。有利になる。儀式の成功率も高まる。誰かが傷つくことも危険にさらされることも減る。
わかっていたのに、それが嫌だと、ここまで逃げ回っていたのはーー、地位と役割に、運命に、相応しいあり方ではなかったのだと、今更に思う。
わたしには、覚悟が足りていなかった。
自分の運命に、地位と役割についてまわる、責務を引き受ける、覚悟が。
そうして、わたしは、ゆっくりと目を開ける。
いつの間にかバウの背から離れて・・・、わたしは上空に浮かぶ、魔王の魂力供給の魔法陣のすぐ下。ひとり宙に浮かんでいた。
濃紫の濃密な魂力が体から溢れて、みなぎるように輝き。わたしの周りを、まるで衣の鎧のように、ぐるぐると循環している。その魂力も相当に膨大な量が圧縮されているのか、流れているだけで、かすかに耳鳴りのような高い音を立てている。
眼下には、まだ異界の神の分裂体の爆発的な増殖が続いていた。
その膨張は、黒い影が刻まれた、玉座の間の壁、その際まで迫っている。
分裂体の殖え方は一定ではなく、局所的に煮えたぎる溶岩のように膨らんでいる。けれど、その度に、白い嵐や水竜巻や森に削り取られている。
でも、その削り取る量は、まばらで、しかも急速に減っていて。分裂体の範囲は、放置し続けた雑草のように、とめどもなく広がっている。
そして、ルーナリィが準備した、建造物のごとき儀式用の立体魔法陣。巨大な紅華にも見えるその魔法陣は、壊れてはいないものの、出力が大きくさがっている上に、大量の分裂体に埋もれ、目を凝らさないと見つけることができなくなってしまっている。
これからどうなるのか。わからないけれど、取り返しがつかないことが起こるまで、残り時間が少ないことはわかる。
わたしは、足を下にした直立の姿勢で、ゆっくりと降下を開始する。
魂力とともにわたしの頭のなかに流れ込んできた、魔王の知識が、なにをすれば良いかを教えてくれる。わたしは、魂力を一定の波長に合わせ、玉座の間を満たす。
『魔王が、命じます』
するりと出た声は、自然に魂力を帯び、拡声魔法を使ったかのように、広大な玉座の間に響き渡る。
『わたしに忠誠を誓い、わたしを愛する、わたしの将兵たち、わたしの手足よ』
降下はゆっくりと続いている。視線の先にあるのは、玉座の間の壁面に焼き付いたような、黒い影。魔王将兵が封じられているという、壁。
そして、わたしは右手を高々と掲げーー。指を鳴らす。
ぱちぃぃいんーー
その響きは、今代魔王に与えられた、暗号を解錠する鍵。鳴らした音とともに、魂力の波動が、黒い影が刻まれた壁面まで届き。
『その刃で、爪で、牙でーー。敵を、討ち果たしなさい』
その次の瞬間、壁面の影から、どっとーーモンスターが飛び出した。
武装した黒影の兵士のようなモンスターは、異界の神の分裂体に一斉に襲いかかる!
玉座の間の壁面に刻まれた黒い影は、魔王将兵が封印されていた。その封印を、いま、わたしが解き放ったのだ。
虚をつかれた分裂体たちは、全周囲からの魔王将兵の包囲攻撃に、明らかにひるんだ。玉座の間の壁面から中央に向かって押し出しているのだから、自然、包囲したうえでの攻撃になる。
虚をついた一瞬は大きく包囲網を狭めたけれど、すぐに分裂体と魔王将兵の輪は拮抗した。やはり分裂体は強い。魔王将兵も、強い個体は分裂体と刃を一対一で直接戦いを交え、弱い個体は隊列を整えて一対多の体制で分裂体に立ち向かっている。
でも、魔王将兵だけでは、殲滅力が不足することは、わたしにはなんとなくわかっていた。溶岩のような分裂体は、まだ大きく数を残し、少しずつ盛り返してきている。もう一手、必要だわ。
そして、わたしは、両手を広げ、魔法を使う。
「『黒槍鉄蹄騎』ーー御前兵揃」
いつもの黒槍の群れではない。わたしの魔法も、バージョンアップしたのだ。ただの黒槍は、魔法で作り上げた半人半馬の黒騎士となった。黒槍を構える数百の半人半馬の黒騎士が、がつがつと、宙で蹄を力強く足掻かせ。わたしとの周囲の宙に浮き、魔王将兵に包囲されてなお、玉座の間に満ち満ちる、煮えたぎる溶岩の海のような分裂体を、標的に捉えている。
そしてわたしは命ずる。
「『渦巻き突撃せよ』」
ごっーー。数百の半人半馬の黒騎士が、渦を巻く軌道で、滑り落ちるように突撃していく。
凄まじい勢いで、けれど美しいほどに整然とした隊列を保つそれは、少し離れてみれば黒い奔流のように見えただろう。
どががががががんっーー
その奔流の渦は、すぐに玉座の間の床に激突するようにたどり着き、ひと当たりで、異界の神の分裂体を吹き飛ばした。空に跳ね飛ばされてかき消える何体もの分裂体。
そして、黒い奔流はそれで止まらず、落下地点を中心に円を描くように、ぐるぐると玉座の間を駆け回る。小さな円から始め、周回するたびに円を一回り大きく。つまりは渦巻きを広げるようにして、分裂体を次々に葬っていく。
もちろん、分裂体もただはやられることはなく、百を超える数の半人半馬の黒騎士がやられて消滅しているのが感じられる。だけど隊列に欠員が出るたびに、その隙間に後続の黒騎士が入り、奔流の渦の勢いは止まらない。
さらに、魂力を練り上げたわたしは、さらなる追撃を仕掛ける。
「『深黒大鯨帝々』ーー『呑みくだせ』」
玉座の間の床を、わたしの黒色の魂力が覆い。その黒い水面から、大鯨を喚び出す。これも魔法生物だ。
巨体をくねらせるように、魔法の水面に飛び出してきた大鯨は、分裂体たちを丸呑みする。そんな大鯨は、三頭。狩りでもするように床に張った魂力の海をぐるぐると泳いで魔法の水面を波立たせ、分裂体たちがまとまったところを狙って、真下から大きな口を開けて飛び出し、さらに分裂体たちを飲み込んだ。
こうして、分裂体はみるみるうちに数を減らし。当初の10分の1以下にまで、減少した。
あまりにもあっけない。異界の神は、何を考えているのか。それとも、この大掃討でも、痛痒を覚えていないのかしら・・・。
目につく残った分裂体を、黒魔槍の魔法でまとめて処理しながら、わたしは、ついに玉座の間の床へと降り立った。
見渡せば、リシャルも、サフィリアも、クローディアも、なんとか無事みたい。よくもあれだけの飽和状態を切り抜けてくれたと思う。
わたしとともに上空に昇ったバウとミステは、まだ上空で待機している。あそこは絶対とは言い切れないものの安全圏なので、そのままのほうが良いだろう。
「義姉さま・・・か? 魂力が、ぜんぜん変わってしまっておるが・・・。魔王に・・・なったのかや?」
水龍の姿から、また人型に戻ったサフィリアが、足を引きずりながら、苦しそうに言ってくる。はっきりとわかる大きな外傷は無いもののの、あの姿は相当に消耗するのだろう。息をするのも苦しそうだ。
「ーーええ」
肯定の答えを返して、わたしは目を伏せる。
「見てのとおり、魔王にならせていただいたわ。気分は、ちょっと複雑だけれどーーとりあえず、わたしの意識は、わたしのままだと思うけれど。どうかしら?」
「その少しひねくれた感じ、元の義姉さまのままじゃの。魔王になって、すごく変わったということは無いようじゃ」
憎まれ口を叩くサフィリアに、わたしは微笑みを向ける。彼女は、消耗が深いことを悟らせまいとしていることも相まって、こんな口の利き方になっているのだと思う。
「リュミフォンセ・・・。君も、魔王になったというのかい?」
白刃を振るい、まだ残っている分裂体をまた消滅させて、リシャルが近づいてきた。まだ分裂体は残っているけれど、魔王将兵が抑えている。それに、どうも異界の神の本体が、分裂体を殖やすことをやめたようで、もうこれ以上、大きく殖えないのではないかと思う。
とにかく、リシャルに対して、わたしは微笑んでみせる。
「はい。・・・そんな顔をしないでくださいませ。元々、選択肢のひとつでしたから。いまのところ、わたしの意識ははっきりしていると思いますし、大丈夫ですわ・・・クローディア!」
そして、わたしは話の相手を変え、玉座の間に不自然に鎮座する、こんもりとした森に向けて語る。
「リシャルとサフィリアに、癒やしをお願い。・・・貴方には、まだすこし、余裕がありそうね」
クローディアは、森で守りを固めて、さらに生気や魂力を吸収する魔法を使って攻撃していた。回収できた分があるので、消耗はかなりマシなはずだ。攻撃力がそう高くない分、継戦能力が高い。
「わ、わかった・・・ううん、わかりました」ごそりと森から上半身をのぞかせるクローディア。同時に森の枝が触手のように動き出していて、リシャルとサフィリアの周りを囲う。仕事が早い。「でも、リュミフォンセさま・・・は?」
わたしがどう動くのかと、言葉を省略して尋ねるクローディア。わたしは、視線を彼女から離し、これから対峙すベき相手へと、視線を向ける。
「ここからしばらくは、わたしひとりで、お相手を務めるわ。貴方は回復に専念して頂戴」
分裂体の数が減り。ようやく、本来のお目当ての相手と、対峙できるようになった。
異界の神の本体と、操られているルーナリィ。
斜視のようなぎょろぎょろした三つ目を、わたしに向ける異界の神は、先程よりも色濃く結像していて、見た目だけでみれば、実体が出来上がっているようだ。
その異形の目から、怒りと警戒が入り混じったような感情が伝わってくる。それがお前の本気の姿かーーというような。
そして、その異界の神の前に立つのが、武器の大鎌を振りかぶるように肩に構える黒ドレスの女、ルーナリィ。表情は相変わらずなく、自分の意志なく操られたままのようだ。
さて、あらためて。本番の再開ね。
たん。
軽く跳ねるように、彼らに向けて、一歩だけ前に出た。
「ーーさあ。次の舞台の幕を、一緒にあげましょう?」
魔王の魂力を、より一層強く開放しながら、わたしは相手と対峙する。




