290 格上
血まみれで玉座の間に崩れ伏すリシャル。
感情のない木偶のように、無表情で立ち尽くすその妻のルーナリィ。
ぎりぃっーー。
わたしは、心のなかの動揺を、あえて怒りで塗りつぶしながら、魂力を全開にして、黒長翼の魔法で加速。その進行方向の延長線上にいる異界の神に向かって、全力の魔法を放つ!
「全色魔法ーー果極光!」
渦を巻く七色が虹のように輝く奔流が、玉座の間を駆け抜け、紅華のような魔法陣の中心にいる異界の神を飲み込んだ。
異界の神の像は、避けることもせずに、わたしの魔法の直撃を受け、あっけなく霧散する。
「ーーーーくぅッ」
あまりの手応えのなさ。これで終わりではないだろう。
この敵が一筋縄ではいかないことを改めて認識する。そして、周囲の状況把握につとめながら、叫ぶ。
「サフィ! クローディア! リシャルを!」
「もうやっておる!」
倒れ伏すリシャルを癒やしてもらうことを要請したかったのだけれど、精霊ふたりはもうすでに着手してくれていた。クローディアが生やし伸ばした枝で、傷つき倒れたリシャルを敵から引き離し運ぶ。サフィリアは、そのさなかでも治癒の水魔法を使っている。
戦闘の主力になるリシャルが、早くもやられてしまった。あの場面では、リシャルの後ろで庇われていたはずのルーナリィが、リシャルの動きを止めるように、いきなり背後から抱きついたのだ。守ってくれているはずの相手の動きを止めたのだ。それは当然矛盾した動きで。
だから、こう推察できるーー『ルーナリィは、異界の神に操られている』
空から紫色の輝く欠片が降り注ぐ玉座の間。そこに咲く、魂力で描かれた、巨大な魔法陣の紅華。その華のなかに深く入り込んだところで、空中で止まる。
わたしは、長翼を維持したまま慎重に距離を取って、虚ろに立つルーナリィと対峙する。
「・・・・・・・・・・・」
異変はすぐに起こった。
ルーナリィのすぐ後ろに、さきほど魔法で吹き飛ばしたはずの、異界の神が結像したのだ。まるで背後霊のように。
人型だけれど異常に長い肩幅。顔には飛び出た目が左右と額にみっつあり、それぞれが斜視のように別の方向を向いている。長い毛むくじゃらの腕。これが左右四本ずつ、合計八本。
そのうちの二本の腕は、まるで卵でも扱うかのように、ルーナリィの頭の上半分を掴んでいて。そして、太く鋭い爪のついた10本の指に包まれた彼女の表情は、わたしからは伺えない。
『ヒレ伏セ・・・ヒレ伏セ・・・矮小ナモノヨ』
ーー神様だから何を言ってくるかと思えば。ずいぶんと、安っぽい台詞を言うのね。
「こちらの言葉が通じるかは、わからないけれど・・・。念のため言っておきますわ。ルーナリィを解放する気は、ないのですね?」
わたしの問いかけへの、返事の言葉はなかった。
けれど、頭を掴まれ、操られている様子のルーナリィの体が動く。黒のドレスの裾を翻して異空間への穴を開き、そこから武器である大鎌を取り出す。そして、彼女は体を捻り、ノータイムで思いきり縦に振り上げる!
ざががががががががががっ!!!
強烈な破壊の斬撃が、玉座の間の石床を削りながらわたしに向けて飛んできた。わたしは、黒翼の羽ばたきで、それを空中回避し、距離を取ってやり過ごす。玉座の間の床は、もちろんただの石材でない。十分に強化された特殊な素材なのに、それをたやすく傷つけるのだから、威力もまた凄まじい。
そして、いまの攻撃が、異界の神の回答であり、挨拶代わりとでも言うのだろうーー、ルーナリィの背後に憑依する異界の神が、にたりと笑う。
なるほど。とわたしは思う。
異界の神は、ある程度の知能はあるようだけれど、その根本は暴力。自分の要求を暴力で通し、相手を屈服させることしか考えていない。なんの美意識もない。価値観や目的が無いのならば、交渉するすべは無さそうね。
ならば、強いモンスターと対峙しているのと、同じ認識で構わないだろう。
わたしは、儀式の本来の手順を思い出す。異界の神を、ルーナリィから分離する過程で、無事に分離が終わらず、主従が逆転し、ルーナリィの意識が異界の神に乗っ取られる可能性はもともと想定されていた。悪い方向に進んでいるけれど、まだ想定シナリオの範囲内。フェイズ2、悪いほうのケースへと進行、というところ。
ちなみにこの場合はーー、力づくで、どうにかして、異界の神だけぶっ飛ばす。そして、どうにかしてルーナリィの意識を取り戻す。
どうにかしてって言う言葉が二回出てきた時点で、割と出たところ勝負になってしまっているけれど、誰もやっていない未知のことをしているのだ。仕方ないことなの。
「サフィーー、どのくらいで?」
わたしは、リシャルの治療を続けるサフィリアに、リシャルの復活にどれくらいかかるかを聞く。この場では、リシャルが戦闘力でも戦闘経験においても、唯一の前衛で、主力になる。彼がいなくては、まともに戦い得ない。
「ひどい傷じゃが、わらわたちなら、回復までそうかからんーー、義姉さま、あと少しだけ時間を稼いでたもれ!」
治療にあたっているのは、最高の癒やし手である水の大精霊と、命の大精霊だ。その安心感は抜群だけれどーー。だからこそ、逆にわたしの担当部分である時間稼ぎが不安になる。バウはミステの守りに回さないといけないし、つまり、わたしひとりでこの場を支えなければならない。
異界の神と元魔王であるルーナリィ。このふたりのちからが合わされば、地力は圧倒的にわたしよりも上だ。それにわたしは魔法師で、本来は後衛の担当、打たれ弱さには定評がある。一撃でやられたりしないように、気をつけなけないと。
「ーー『黒槍飛魚群』」
わたしは、魚を模した、魔法の黒槍の群れを周囲に浮かべる。障害物を自分の意志で回避して、目標に到達する高速の槍群だ。
簡単にやられないために、むしろ受けに回るべきではない。こちらから攻めるべきだ。ーーまあ、ルーナリィなら、そう簡単に巻き添えで倒れたりすることはないし。むしろ、こちらは殺る気でかかるくらいで、ちょうどいいかしら。
「『突撃!!!』」
飛魚に模した、細長い大量の魔法の黒槍の群れ。しなやかにうねりながら宙を飛び、異界の神とルーナリィへと向かって飛ぶ!
対する異界の神ーーいやルーナリィは、巨大な黒斧を召喚した。国すら割ることができそうな、建築物にしか見えない巨大な斧。やはり、魂力と魔法の威力の、桁が違う。
かつて、ウドナ河でルーナリィと初めて出会ったとき、彼女が使った魔法だ。ーーずいぶんと、懐かしい魔法を使ってくれるじゃない!
巨大黒斧の破壊の衝撃は、わたしが飛ばした黒槍の群れの中心に突き刺さり。上空へと立ち上る黒の衝撃波は、わたしの槍の群れをあっという間に蹴散らした。
魚を模したことによる、黒槍の多少の回避力など、ものともしない巨大黒斧の威力、範囲。その余波を防ぐためだけに、みんなを守るため、わたしは、大規模な防御膜を展開せざるを得ない。
どしん、と巨大黒斧の余波の重みが、防護膜の魔法を展開するわたしの腕に伝わってくる。
ぐっーー。わかってはいたけれど、相手のほうが圧倒的に力が上!
こちらの攻撃は蹴散らされ、しかも相手の反撃の余波を防ぐにも手数がいる。
わたしだって、ルーナリィに初めて会って惨敗してから数年、これまで相当、成長したつもりだ。
けれど、それでもまだ、相手にーールーナリィには、かなわないの? 結局、そうなの?
ギギギィン!
そんなことを思う間もなく、斬撃がぶつかる音。
見やれば、リシャルがもう復活し、異界の神に挑んでいた。
「その女は、僕の大事な人でね。返してもらおうか」
白い影が、目にも止まらぬ速さで移動を続け、異界の神を撹乱し、背後霊のごとく憑依する異界の神だけに、正確に斬撃を入れていく。
リシャルの復帰で、戦いの形勢が一気に変わった。
わたしは、さっきまでの弱気の考えを、首をぶんぶん振って追い払う。
そして、回復をお願いしていたサフィリアたちのほうを向けば、彼女はこちらに向けて親指を立ててきたので、わたしも同じ仕草を返す。さすがの癒やしの速さ!
操られたルーナリィが大鎌を振るうも、白い影ーーリシャルの、その動きを捕えることはできない。異界の神の拳ーーあの虚空から腕を何本も突如出現させる不思議パンチも、リシャルの影すら触れられない。
その一方で、リシャルはいつ振るったのかわからない白い閃きを、コンビネーションで繰り出されているルーナリィの大鎌を避けながら、異界の神に叩き込み続ける。
「一の剣、『夜帳の終わり』」
『ググウッ!』
「二の剣、『黎明』」
『カハッ!』
「三の剣ーー、『朝輪輝煌』」
『グアアアアアアッ!!』
時間差で訪れる白い斬撃の奔流が、異界の神を包み込む。相手の攻撃を全回避して、必殺の攻撃を入れる。リシャルの動きは、さすがとしか言いようがない。
とはいえ。
ルーナリィの頭を覆っていた十指は剥がれた。けれど、ルーナリィの瞳は、虚空を見つめたまま、意識が戻っている様子がない。
そして、しゅるしゅると異界の神の結像が元に戻っていく。半実体の相手に、しかもルーナリィにダメージを与えないようにとなれば、ささやかにしかダメージが通らない。やはり、ルーナリィを正気に戻して、異界の神を切り離す必要がある。
でも、方策を考えている時間もない。操られているルーナリィが、たかだかと大鎌を掲げ、魔法を行使しようとしている。わたしは、滑り込ませるように、リシャルを支援する防御魔法を差し込む!
「ーー『白硬玉!』
ごぉんん!!
ほんの僅かな差、リシャルをわたしの魔法による球形の防御膜が包むと同時。ルーナリィが、広い範囲に回避不能の黒豪雷を放った。
けれど、その黒雷は、わたしの防御魔法、白く輝く硬玉を、突き破った。
わたしが守りきれなかったリシャルは、防御姿勢を取って雷撃に耐える。
なんてことーー。わたしの防御魔法では、リシャルを守り切れなかった。
防御から回避に切り替えたリシャルだけれど、ダメージが通ったらしく、速度がわずかに落ちた。
足りないーー。
わたしは痛感する。
足りない。ちからが。技術が。魂力が。知識が。
圧倒的に、この場のわたしには足りていない。ルーナリィに届かない。
この戦場では、支援することですら、わたしには役者不足だ。
ごうっーーーー
サフィリアの放った水波、クローディアの走らせた樹木が、異界の神に操られたルーナリィの放つ黒色の獄炎に、たやすく薙ぎ払われ焼き払われた。彼女たち大精霊のちからも通用しない。
(あるじ!!)
頭のなかに、警告の声が響く。はっとしてわたしが視界を開くのと、噛まれた襟足を中心に振り回されるのとは、ほぼ同時。そして、わたしがいた宙を、黒い炎の塊が貫いていく。
「旦那さま! ぼうっとしておると、危ないゾイ!」
くるりと一回転して、黒い毛皮の上に着地したわたしを抱きとめてくれたのは、ミステ。魔王の導きの精霊だった。そして、黒炎の攻撃からわたしを避けさせてくれたのは、わたしが着地した黒毛皮の背中の持ち主、黒狼のバウだ。
(らしくないな。いつものあるじなら、あの程度で音をあげたりはしない)
わたしとミステをその背に乗せて、宙を駆けて黒雷を華麗にかわしながら。バウがわたしに、心外なことを念話で語りかける。
「えっ? 音をあげた? わたしが?」
(これまで、だいたい相手は格上だった。だが、そのたびにあるじは諦めることなく戦い、勝利を拾って来たではないか。なのに、いま、たかだか一回や二回、魔法が通じなかったところで。どうだというのだ)
「・・・・・・」
わたし。気が付かないうちに、弱気になっていたのかしら。
「やっぱり」横座りに座り直したわたしの隣から、ミステが言う。「旦那さまも、大魔王さまは、怖いゾイ?」
「・・・・・・」
わたしが、ルーナリィを、怖がっているって?
それは曲りなりにも、異界の神とされる存在が相手だからーー。と言いかけて、やめた。あまりにも言い訳じみているのが、自分でもわかった。
たしかに、異界の神も、ルーナリィも、わたしよりも格上だ。
でもそれは、最初からわかっていたことだ。
相手のほうが優っているという前提で策を練って戦わなければ、うまくいくはずもない。
わたしは、ふんむっと自分のお腹に力をいれてーー、
ぱぁん。
自分の両頬を、両手で思い切り叩いた。気合を入れる。
わたしは、いつの間にか、バウやミステに心配されるほど、消極的な戦いをしていたみたいだ。情けない。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
じんじんと熱い、自分の頬から手を離し。
目まぐるしく飛び続けるバウの背から、倒すべき敵の姿を、改めて見据え。凛々と湧き上がる闘志を抑えつつ、どこに勝機があるかを考える。そして、そんなふうに思考を巡らしながら、いよいよ『最後の手段』に着手するときだと覚悟を決めて。
相談を持ちかける。ミステが来てくれて、ちょうど良かったわ。
「ねぇミステ。お願いがあるのだけれど、聞いてくれる?」




