288 そっくりなんだけどなぁ
もし、この玉座の間を明るいところで見ていたら、もっと印象が良かったかも知れない。
広大な空間、見上げても高さが測れないところにある半球の飾り天井、壮麗な魔法石材と質の良い調度を使った高級感のある雰囲気、そして居並ぶ者に威を与える、部屋の最奥の台座のてっぺんに置かれた玉座。
ただ魔王城の薄暗さ、雰囲気が、そのすべてを台無しにしている。青い炎の灯りがぽつんぽつんとともるだけのの空間は、ただただ不気味だと、わたしは思う。
「ああー。この荘厳な雰囲気。やはり素晴らしいゾイ」
・・・・・・。まあ、感性、どう感じるかは。もちろん、人と精霊それぞれ、自由かしら。
それはそれとして、改めて周りを見渡すと、壁に、人形・・・いえモンスター型の、まるで焼き付いたような黒い影がある。
その影は壁全周に渡って並び連なっている。壁画によくあるように、歴史物語風に仕立ててあるのかとも思ったけれど、黒い影の絵からはどういう物語性も読み取れず、特に意味もないらしい。
まったく、ときと場合に応じた動きができず、不条理極まりないのね。
それは、うちの親も同じだけれど・・・。
わたしは、視線を目の前に戻す。
眼の前には、いつもの黒ドレスのルーナリィと、白外套姿のリシャルが並んで立っている。ふたりとも、気恥ずかしそうというか、気まずそうに目を伏せ、頬をかいたりしている。
「それは夫婦ですから、そういうことをするなとは言いません。けれど、ときと場合を考えて欲しいということをお話していますの。当事者としての自覚があるのかと、疑われてしまいますわ」
「「・・・・・・」」
ふたりの娘であるわたしは、この緊張感のない親たちいま、お説教をしているところだった。
これから異界の神の封印という、命がけの儀式に挑もうというときに。玉座の間という仕事の現場で、ふたりして抱き合っていちゃいちゃしていたものだからーー、わたしもしたくはないけれど、苦言を呈しておかなければならなくなってしまったのだ。
かかっている命は、目の前のふたりだけ、さらに言えばわたしだけでもない。連れてきたサフィリアやミステたちのそれもそうだし、状況の転がり方によっては、王国に住むすべての人に影響する話なのだ。
まったく、もう。
苛立ちはできるだけわたしの内に封じ込めて、なるべく冷静な言葉を選んできた。とーー。
「義姉さま、義姉さま」
お説教を続けようとしたその脇から、わたしに声をかけてきたのは、連れてきた精霊たちのうちの古株のひとり、銀髪の水の大精霊、サフィリアだった。
「もうそのくらいで良いんじゃないかの? それに、北部はあれくらい、家族同士ならば、日常茶飯事じゃぞ?」
「えっ?」
そうなの? と、聞き返してしまう。
北部辺境伯家は、夫婦の間の愛情表現にオープンなご家庭ってこと?
「家族になる前は、慎み深くなければならぬが、いったん家族になってしまえば、それはもう皆知っとることじゃし、問題ないのではないか?」
「えっと、それは、サフィリアもそうだってことなの?」
つまり、アブズブール家では、家族同士であれば、人目をはばからずいちゃいちゃしてる。すでに結婚をしているサフィリアとその旦那さんも、もちろんそうだと、そういうこと?
「まあ・・・。そうまで気にしてはおらぬかのう」
「!! そ、そうなのね。ーー文化の違いということなのかしら」
「それに、人前で・・・、という話であれば、義姉さまには負けるのう。ちょっと前に流行した、恋愛の象徴の話は、北部にも伝わってきておるぞ」
ぐはっーーー!!!
そうだった、思い出した! リンゲンに居た頃、政治的な暗闘に反撃するために、わたしとオーギュ様がき・・・キスしているところを、意図的に流したことがあるんだった。それが予想外に広がって、そのシーンがお芝居や土産物の小物になったりして・・・。顔が暑くなってきた!
ふと横から視線を感じる。視線のほうへと正面を向けると、ルーナリィはにたついた感じの笑み、リシャルはなんとも言えない表情で、わたしのほうを見ていた。
わたしは、黒歴史を強制的に思い出させられたことによる動揺を、なんとか押し隠し。腰に手をあてると、つんと顎を振る。
「わっ・・・わかっています、そのくらい! 話が少し脇に逸れてしまいましたけれど、わたしは、緊張感のことを話したかったんです! 緊張感を持たずに、危険な儀式には挑めませんから!」
そうは言っては見たものの、わたしへの皆の視線が、にやにやと笑うようなものに感じられて。
うん、これは空気が良くないので、わたしは話題を別に振る。
「こほん。ところで、玉座の間の壁一面に、黒い影が焼き付いたようになっているけれどーー、あれは何か意味があるのかしら?」
突然、あの影からモンスターが出てきて、襲われたりしないわよね? と確認する。
「良い読みをしているわねぇ。あの影は、『魔王将兵』よぅ」
「えっ?」
強引に話題をそらすために言ったのだけれど、妙なところで、わたしの想像は当たっていたらしい。
わたしの質問に回答したルーナリィが、おっとりとした口調で説明を続ける。
「あの壁には、魔王直属の将兵である、高位のモンスターが封じられているのよぅ。当代の魔王が、決められた暗号的な動作を実行することで、彼らを喚び出すことができるのよぅ・・・そうねぇ」
ちゅっ。
ルーナリィが、突然、壁に向かって投げキスの動きをした。
「・・・・・・・・・」
しばらく待ったけれど、しかし、何も起こらなかった。
「いまは、私は魔王城の主じゃないから、起動しないみたいねぇ。暗号的な動作が変わっているんだと思うわぁ」
ルーナリィがそう説明する。納得はできたけれど、魔王直属のモンスターを召喚する暗号的な動作って、あんな感じなの・・・? 恥ずかしいし、やっぱり魔王にはなりたくないわね。
ところで、元魔王のルーナリィの説明で話はわかったけれど、もうひとり、いまの魔王専門家の意見はどうなのかしら?
そう思ってミステがいないかと見渡すと、紫髪の魔王の導きの精霊は、おすわりの姿勢の黒大狼の背中に隠れて、震えていた。
「どうしたの、ミステ?」
わたしの呼びかけに応じて、大きな黒狼の背中から、ミステがそっと顔を半分だけのぞかせた。
「怖いゾイ・・・。大魔王さまが怖いのは前のときに知っていたけどゾイ・・・、そこの一見すると優しそうな男の人も、よく見るとすごく怖いゾイ・・・」
優しそうな男の人・・・リシャルのことね。まあ、リシャルは元勇者、つまりは職業:魔王スレイヤーだから、魔王の導きの精霊であるミステが怖がるのは、自然なことかしらね。
でも、リシャルは、元勇者だってことを別にしたって、とっても心根の優しい人なんだから。
おずおずと顔を覗かせ、リシャルを観察するミステ。対するリシャルは、彼女に優しく微笑みかけ。両手をあげて・・・。
「・・・・・・。がおー」
「うっきゃああああああ!!!! ゾイゾイ!! ゾイゾイィィ!!」
リシャルのちょっとしたおどかしに、思い切り反応するミステ。さっとバウの背中に隠れてしまった。ゾイって、鳴き声だけじゃなくて、退魔の呪文かなにかにも使えるものなのかしら・・・。ひょっとして、意外に万能の呪文だったりするの?
「また義姉さまは、真面目に変なことを考えていそうな顔じゃのう。ただ微笑ましい場面じゃぞ?」
えー。
隣に来ていたサフィリアに言われ、わたしは顎に手の甲をあて、首を軽くかしげる。さっきからわたし、否定され通しじゃない? 否定されること自体は良いのだけれど、精霊に、人間の常識とか普通を指摘されるのは、納得しがたいのだけれど。
「・・・そんなもの・・・なのかしら? 変なことを考えていそうというのは、ちょっと、どうしてそう思われたのか、詳しく聞いてみたいけれど」
そこで、ぱんぱん、と手を叩く音が響く。再び、ルーナリィにその場の注目が集まる。彼女の脇には、いつ準備したのか、ちょっとした量の布に包まれた荷物が置かれていた。
「懇談はこのくらいで、それじゃあ。そろそろ儀式の準備を始めるわぁ。みんな、所定の場所についてちょうだいな」
ルーナリィの説明によると、異界の神を封印する儀式の原理は、このようなものらしい。
いま、異界の神の魂は、魂力に分解されて、ルーナリィの魂力と混ざり合い、彼女のなかに封じられている状態なのだという。普段は、異界の神はルーナリィの魂力に薄められて安定しているらしい。
ルーナリィのなかで混じり合っている魂力のなかから、異界の神の魂力だけを選り分けて濃縮し、異界の神の魂にしてから、ルーナリィから引っ剥がす。そして、そのあと大量の魂力で薄め直し、封印容器に封じるーーという流れだ。
この手順のなかで、一番危険なのは、やはり異界の神の魂力を選別、濃縮するという作業だ。
魂力を選り分けるというのはとても繊細で難しい作業であるので、ルーナリィの集中力と技術が試されるし、濃縮は異界の神の魂ーーつまりは意思を強固にする作業だから、その仮定で意思の主従が逆転ーー、いまはルーナリィが主で異界の神が従だけれども、この主従が逆転してしまう可能性。さらに最悪は、主も従もいなくなって、操作不能になった膨大な魂力が暴走する、ということもあり得るという。
わたしたちの主な仕事は、この儀式が悪い方向に行った場合のバックアップ。
さらに、わたしの場合は、異界の神の魂をルーナリィから引っ剥がしたあとに、魔王になるための魂力を、異界の神の魂にぶちこんでやる、という力技の仕事を担当する。
つまり、この儀式の中核、ほとんどの作業は、魂力の繊細かつ複雑な操作。これを、異界の神の宿主自身であるルーナリィ自身が受け持つ。
だから、この儀式の成否は、ルーナリィの技量と意志のちからにかかっているということだ。
『ーー散じなさい』
ルーナリィの言葉と同時に、彼女の脇にあった荷物が、軽く爆ぜる。
荷物の中身は、銀色をした、表面に文様が刻まれた、金属の杭、にしか見えない。その銀色の杭が30本ほど、一度宙高く舞い上がったあと、地面へと驟雨のように降り注ぐ。
かかかかかん、と小気味良い音を立てて、玉座の間につきささった杭は、玉座の間の中央に立つルーナリィを、何重にも取り囲むように並んだ。
『つながれーー結点は線を、つらなる分節線は円を』
ふぉん、という音を立てて、杭と杭が魂力で繋がり、ひとつの大きな文様を描き出す。文様は複雑で、まるで墨が水にじむように、少しずつ広がっていく。
ーーふぅ。
儀式のための魔法陣が描かれていく様子を見入っていたわたしの隣で、大きく吐かれた息。
いまわたしの隣に立つのは、お父様のリシャルだ。
「この儀式が魔法使いの高みの極みにあることは、わかっているけれどーー。なにもできず、ただ任せるしかないというのは、歯がゆいものだね」
「・・・・・・・・・」
魔法師であるわたしからしても、儀式はあまりにも希少で、複雑怪奇、超高難度だ。ルーナリィのやっていることは、ほとんどわからない。手伝おうとすれば、逆に足手まといになることだけはわかる。
その事実が、どれほど無力感を与えるものか。ルーナリィと常に一緒にいるお父様ならば、なおさらだと思う。
「人にはそれぞれ、役割がありますわ。わたしにもありますし、お父様にもーー。実際、わたしからお父様にしかできないことをお願いさせてもらっています」
儀式を見つめるリシャルの横顔。その紺色の瞳が、一瞬揺れ。
ーー君も、か。
意味はわからないけれど、彼は小さくつぶやいて。そして、わたしのほうを向いた。
「ああ。リュミフォンセ、君の『お願い』はわかっている。できればやりたくないことだけれど、それが僕の役割ならば、それを果たそう」
「・・・お願いします」わたしは言った。
「けれど、リュミフォンセ。君の手回しの良さには、感心させられる。先々まで読んで、手を打っておくーー。僕にはとてもできないことだ。きっと、ルゥに似たんだろうね」
「似てませんわ。やめてくださいませ」
わたしは微笑んでいう。苦笑で応えるリシャルの紺色の瞳に、わたしの灰色の瞳が映っている。
そして、そんな会話をしているあいだにも。ルーナリィを取り囲む儀式の魔法陣は広がり、複雑に積み上がって、多層を構築していく。
「ふふっ。そういう強情なところも、そっくりなんだけれどなぁ」
「ですから、お父様には残念ですけれど、似ておりませんわ」




