286 魔王城
唐突な話かも知れないけれど。
魔王城は、魔王領という地域にある。
王国の西部領域のその北東の奥、荒涼とした岩石砂漠が広がる地帯。なぜかずっと不気味な雲に空が覆われて、常に薄暗い。それでいて、昼は燃えるように暑く、夜は凍てつくように寒く、理不尽な寒暖差があり。そして、生き物が生きていくための水場らしきものがまともに存在しない。
ただでさえ生き物が生きていくのが厳しいその地域は、一部の人が瘴気と呼ぶ、汚れた魂力が漂っている。抵抗力のない人が行けば、あっという間に力尽きてしまう。そんな地を踏破し、魔王城にまで到達することができたのは、練磨と鍛え抜かれた、歴代の勇者一行たちのみ。
表向きはそうなっているし、これからもそうなると思う。
たとえ、バウの影走りで、ついさっき、わたしたちが割と簡単に魔王城に到達したのだとしても、語るべき者が語らなければ、正史にはならない。沈黙は金、というもの。そういうことにしておいてもらえると、大変助かります。
「ふむ。ここが魔王の城! というやつかや」
北部からやってきてくれた、ばっちりファーコートを決めた銀髪の大精霊が、額のうえに手をかざしながら、きょろきょろとあたりを見回す。
いま、わたしたちは開いていた城門から、魔王城に入りこんでいた。いまは持ち主が居ないはずの城、石造りの薄暗い城の長い回廊には、なぜか青い炎が灯り、明かりを提供している。無人のはずのこの城を、いったい誰が、維持管理しているのかしら。
好奇心いっぱいに先頭を進む銀髪の彼女に続いて、そんな疑問を思いながらわたしが歩を進めると、硬い石の廊下にかかとがかつんと鳴る。
そのわたしの後ろを、大きな黒狼が音を吸うがごとく静かに進み、その背には紫髪の精霊、ミステが乗っている。最後尾を、おっかなびっくりで長身を縮こまらせて歩いているのは、命の精霊。
つまり、サフィリア、わたし、バウとミステ、クローディア。この4人と1頭の一党で、魔王城を訪れているのだ。
魔王城といえば、モンスターの総本山というイメージだったけれど、いまは城の主たる魔王がいないせいか、人がいないのはもちろんだけれど、モンスターすらほとんど出ず、閑散としている。勝手に住み着いている野良っぽいモンスターは見かけるものの、こちらを見かけると逃げ出す始末だ。そりゃあ、大精霊がふたりも揃う戦力だから当然なのかも知れないけれど、なんだろう、なんとなーく、傷ついてしまう。
「ま、魔王が座すはずの玉座の間は、まだ先なのかな・・・。ここは不気味な雰囲気の城だから、早く出たいよ・・・。僕の好みじゃない・・・」
質問と愚痴が混じったような、最後尾のクローディアからの質問。
「玉座の間は、このさきをずっと行ったところだゾイ! もうそんなに遠くないゾイ!」
黒狼の背のうえで、元気に答えるミステ。魔王の魂力から生まれただろう彼女にしてみれば、魔王城は地元であるような感覚らしい。そんな会話に、わたしは付け加える。
「あのひとたちとは、現地で合流する約束になっているわ。わたしたちは少し遅れてしまったから、少し急がないと」
あのひとたちとは、わたしの実の両親にして、前代魔王のルーナリィと、前代勇者のリシャルである。
数日前、離宮の鏡に浮かんだ、わたしにしか見えない魂力の文字。
魔法で構築されたのだろうその文字列は、ルーナリィからの言伝だった。
ところで、いま、ルーナリィは、異界の神をその身に封じている。けれど、その封印が不安定になっている。また、わたしは『大いなる流れ』から魔王の魂力を受け取ると、今代魔王になってしまうという問題を抱えている。
実は、これらの問題を一挙に解決する案ある。それは、『大いなる流れ』からの魔王の魂力を利用して、異界の神を再封印する。再封印の儀式の過程で、今代魔王が授かるべき魂力をおおいに消費し、枯渇させて、わたしの魔王化も防ぐーーというものだ。
もちろん、そんなにことがうまく運ぶかは、わからない。けれど、これ以外の方法は、成功率がさらに低いか、ルーナリィの命が危うくなってしまう。だからこの解決案が、わたしが両親と話し合った当時では、ベストだったのだ。
それから、両親ーー主にルーナリィが、再封印の儀式の成功率を高める方法や、別の方法がないかを検討していて、わたしはその結果待ちだったのだ。
そして、話を戻すと、緑の離宮の鏡に浮かんだ魂力の文字列は、異界の神の封印の儀式の準備が整い、そして、儀式の決行の日取りを、連絡するものだったのだ。
けれど、わたしはわたしで用事が立て込んでいて、特に王城関係の重要な仕事が舞い込んできていた。その状況で、わたしが王都を離れ、長期出張に出ることにするのは、なかなか大変だった。空いた日程をひねり出し、また妥当な理由をこじつけるのにも、心苦しくも、チェセやサフィリアなど、各方面に迷惑をかけてしまったのだった。
でも、これ以上良い案が、わたしには思いつかなかったので、どうか許して欲しい。
『むろん急ぐが・・・。魔王城までの途中、あるじが忘れ物を取りに戻らければ、定刻通りに着けたのだが』
珍しく、バウが雑談に参加して、わたしをちくりと刺した。そう。ここに来るまでに迷惑をかけているのは、さきほどの話だけではないのだ。
ルーナリィとの約束の時刻に、いまは少し遅れてしまっているのは、ある忘れ物を、魔王城に行くまでの途中で思い出し、一旦離宮に取りに戻ったためだった。
「忘れ物をしたことは謝るけれど・・・。でも、仕方なかったのよ。あれは、かなり昔に、部屋にしまいこんだままだったから・・・、準備するのを忘れているのに、しばらく気づかなかったのよ」
『ふっ。文句を言いたかったわけではない。それにこうして、体力を回復する時間をもらったことには感謝している』
魔王城に来るまでに、バウには巨大化して4人を載せた上に、長距離を影走りしてもらったため、到着したころには、さすがにバウにも疲弊の色が見えた。なので、魔王城のなかでは、慣れない長距離移動で消耗したミステ以外はバウから降りて、歩いて移動することにしたのだ。
で、あるのに。バウからもこの言われうようである。でも、わたしが言い訳する様子を見れたのが嬉しかったのか、バウは満足そうに毛むくじゃらの頬を少しだけ歪めた。わたしはからかわれたらしい。むー。なんかちょっと、バウがいじわるじゃない・・・?
「今回は珍しく狼も、義姉さまに貸しがあるのか。まあでも、わらわのほうが、ずっと大きな貸しがあるのじゃがな!」
『・・・・・・・・・・・・・・・』
先頭を進む、ファーコートの銀髪の精霊ーーサフィリアが、振り返って言った。サフィリアの宣言のような言葉に、バウが少し不機嫌になったのが、わたしの背中で感じられる。なんでわたしへの貸しの大きさで争ってるの・・・? そのゲーム、いつから始まったの?? そしていつ終わるの?
そう思いながら、わたしはサフィリアにも声をかける。
「サフィリアにも、悪いと思っているわ。今回、とても負担をかけてしまったわ」
そう。今回、王都をしばらく離れるにあたり、王都に残る皆には、サフィリアとの面会、相談を口実に説明したのだ。だって、サフィリアは、ロンファーレンス家の養女としてわたしの義妹にあたる上、北部辺境伯家の正室でもあり、政治的な重みもあるので、王都の面々に説明がし易い。そのうえさらに、これは重要なことなのだけれど、精霊としてわたしのそばにずっと居たので、わたしの魔王関係の事情も知っていて、融通もきかせてくれる。
俗世の貴族方々に、口裏を合わせて説明してもらわなければいけない相手として、サフィリアはこれ以上ない人選だった。むしろ、サフィリア以外には頼めないことだった。だから、彼女の協力がなければ、わたしは王都を離れることはできなかっただろうと、心底思う。だから彼女への感謝の気持ちも、嘘偽りのないものだ。
「ふふん。北部の実家では、義姉さまに会うと言ったら、大騒ぎだったぞ。いまのあるじさまは、どこでも大人気じゃな。そんな義姉さまとわかりやすい繋がりを周囲に示しておくのは、旦那殿の家にとっても、悪いことではないそうじゃ、しーー」
そこで少し照れくさそうに。
「正直に言うと、義姉さまは怖いが、わらわに家族を呉れた恩人じゃ。もちろん、義姉さまも家族じゃと思っておる。そんな義姉さまが、ここ一番の場面で困っておるのじゃ。そこでわらわが一肌脱ぐぐらい、軽いものじゃ」
「サフィリア・・・」
怖いの一言は余計だけれど。でも、サフィリアがこんなふうに思ってくれているのは、本当にありがたいことである。
王都に残してきた皆への説明は、わたしにとって大きな課題だった。サフィリアの協力のお陰でこれをうまく解決できただけでなく、魔王城への同行も了解してもらった。魔王化を避けるための、異界神の再封印の儀式を行うのに、事情がわかっていて、治癒魔法を得意とし、機転も効く大精霊が協力してくれるのが、どれほど心強いことか。
再封印の儀式では、最悪、戦闘になることもありえるのだ。そんな命がけの場に、サフィリアは快く来てくれたのだ。しかも、わたしが家族だから、という理由で。これはもう、感謝しかない。
「しかし、義姉さまの言う通りに、北部には説明しているが、あとでバレないかは不安じゃのう。なんせ、勘の鋭い者が、たくさんおるからのう」
そう。それはわたしも懸念している。貴族社会の鍛えられた情報収集能力と洞察力は、ほとんど魔法のようなので、わたしとサフィリアのような貴族政治ビギナーでは、ごまかしきれない場面も出る気がする。でもそこはーー。
「でも、チェセが、きっとうまく差配してくれるから大丈夫よ」
「んむ? 義姉さまは、チェセ殿に委細を話したのかえ?」
魔王のことを話したのか? とサフィリアに問われて、わたしは首を横に振る。
「話してはいないけれど・・・。でも、チェセは、わたしに何か秘密があるとは、感づいていると思うわ。けれど、チェセはそれでも、わたしの味方をしてくれるはずだから」
そうでなければ、賢人会議への名代としての代理出席など、引き受けてはくれないだろうとわたしは思う。チェセが時折見せる、なにもかも見透かして、そのうえで許しているんだという、悟ったような瞳。
その栗色の瞳を見るたびに、こう思うのだ。まったく、わたしは、周囲に恵まれている。
「うむ。すごい主従の信頼関係じゃの。うらやましくすらある」
本当に羨ましそうな瞳を、サフィリアは肩越しにわたしへと向けた。
「では、その臣下からの信頼に応えるために、義姉さまは無事に戻らねばの」
そうね、とわたしは頷く。
じゃが・・・。と、サフィリアはそこで言い淀み。すこしの逡巡のあと、ふたたび口を開いた。
「義姉さま。本当に『あの作戦』を、やるのかの?」
『あの作戦』とは、最悪を想定した、わたしの秘策だ。魔王城までのみちみち、みんなには説明しておいたのだ。
「あれはね、最後の手段だから。もちろん、実行に至らないことが望ましいわ。でも、準備だけはしておきたいの。即死状態だった貴女の旦那様を癒やしきった、魔法の腕に期待しているわ。今回はクローディアも居るから、負担は減るはずよ」
それでも責任重大じゃな、とサフィリアはつぶやく。
ちょうどそのとき。ごぅん、という音が魔王城の廊下に響いてきた。なにか重いものが動いたような音だ。
「・・・罠が作動したのかしら?」
警戒態勢を取りながら、わたしは一番有り得そうな可能性を口にした。
「そうじゃないゾイ」
わたしの背後で応えたのは、黒狼の背に乗る、紫髪の精霊ミステだ。さっきまでは黒毛の背中にまたがっていたはずだが、いまは、狼の背に仰向けになって寝転がっている。この精霊は、魔王の導きの精霊、という特殊な使命を背負った精霊なのだけれど、魔王城に入ってから、実家みたいなくつろぎようだ。ちょっとリラックスし過ぎじゃない・・・?
ポテチでも食べだしそうだと思っていたら、ミステは着せていた白いローブの懐から、木の実を取り出し、ぽりぽりと食べだした。
「寝ながら食べるのは、お行儀が悪いわよ。それで、今の音はなんの音だか、ミステはわかるの?」
指を立てて、わたしは注意する。何かを聞くにも、お行儀を注意しながらだから大変だ。
「ぽりぽり・・・。旦那さまもどうだゾイ? おいしいゾイ? ・・・あの大きな音は、魔王城が、『受容』のかたちを取りつつある音じゃゾイ」
「魔王城が、受容のかたち? に・・・?」
差し出された木の実は遠慮することにして、わたしは聞いたままを繰り返す。
「そうだゾイ。『大いなる流れ』からの魂力は、空から降って来るんだぞい。その魂力を、玉座の間まで通す、通り道を作るのが、魔王城の『受容形態』だゾイ」
たとえるなら、家のなかに、電線を引き込む工事をするようなものかしら・・・。それで魂力の通り道を作る作業を、魔王城自体が、自動的にやっているということ? 生き物みたいに?
「自分で自分の姿を、ちょっと変えるだけだゾイ。魔王城に意識はないけど、季節になると木が花をつけるみたいなものだと思うゾイ」
はぁー。魔王城って、すごいのね。半分生き物ってことじゃない。廊下の灯りも、魔王城の生理作用なのかしら。
そんなことをわたしが思ったとき、最後尾を歩くクローディアが、同じような感想を呟いた。
「それって、この魔王城が、半分だけ生きてるみたいなもんじゃないか・・・。だから、この魔王城は、こんなに薄気味悪いんだね・・・。ふふ・・・」
横からーー正確には最後尾から、会話に入ってきたクローディア。命の精霊なだけに、命の気配に敏感なのだろう。
「薄気味悪いだなんて、なにを言うゾイ、さっきから! こんなに心地よい場所は、ここの他には世界のどこにもないゾイ!」
実家をけなされた怒りか。バウの背に仰向けに寝た状態から、撥条のように鋭く上半身を起こしたミステ。そのすぐ後ろを歩いていたクローディアに、ミステはものすごい剣幕でくってかかる。
そのついでに、ミステの口のなかにまだあった木の実の欠片が飛び散り、おっとりとしたクローディアの顔面を、ぶばっと直撃した。
「うえええ・・・きたない! なにするんだよう」
手先を枝へと変化させて、自分の顔についた木の実のかけらを、クローディアは払う。
「ゾイゾイ! ゾイゾイ! 魔王城は、この世界でいっちばん最高の環境なんだゾイ! それがわからないなんて、砂糖なしのお菓子みたいなもんだゾイ!」
ゾイって鳴き声なのかしら・・・。でもまあ、ミステがこんなに怒るなんて、珍しい。魔王の導きの精霊にとっては、やっぱり魔王城は特別な存在なのね。言われるクローディアは、ミステの剣幕に押されてたじたじになってる。
ま、止める必要も無いかしら。
背後で続く言い争いを聞き流しながら、わたしたちは、魔王城の奥、玉座の間へと急ぐ。