283 届かなかった刃
「復興祭も、大成功に終わって。ほんとうに、よ〜う御座いましたねぇ」
緑の離宮。白い飾り縁のついた鏡台の前で、わたしの髪をてきぱきと梳きつつ、お話しているのは、侍女長のレーゼだ。
鏡のなかに映るわたしは、小さく微笑んで、彼女の言葉に同意する。
先日の復興祭。オーギュ様の演説の途中で、鐘楼が突然燃えだすという大事故があったものの、それをクローディアの魔法で封じ。午後の部、夜の部についても、予定通りにおこなわれた。
その日は日付が変わるまで、いえ、変わっても。街は特別な明かりが灯され、どこかで奏でられる音楽と笑い声が、絶え間なく聞こえていた。
この祭りの日のことは、きっとあとあとまで語られ、平和を証す挿話として、王都の外へも伝わっていくだろう。
「午後も復興祭を継続するかは、難しい判断でした。しかし、終わってみれば、大正解でしたね」
そう言ったのは、栗色の髪の、元侍女。いまは家宰という顕職に昇進している、チェセだ。ちなみに、今後は内務卿というさらなる顕職に就く予定がある、超がつくキャリアさんだ。
彼女は、最近お祖父様の呼び出しによりリンゲンから出てきて、いまは、わたしが居る緑の離宮に滞在している。彼女が内務卿の地位についたあかつきには、王城に入るわたしを、様々な面で支えてくれることになっている。商務と政務に強い彼女には、リンゲンのころから頼りっぱなしである。王城に入ってからも、欠かすことのできないわたしの味方になってくれることと思う。
その彼女は、いまはわたしの背後、3歩ほど離れたところで静かに控えている。ただ、元侍女の血が騒ぐのか、わたしの髪を触るレーゼの手を見る目が、とても羨ましそうだ。
思ってみれば、チェセは、わたしが公都にいたときからの侍女であったし、わたしの髪を整える仕事をしていた期間を考えれば、傅役を兼ねた侍女だったメアリさんに次いで長い。それだけに、わたしの身の回りのお世話の他人の仕事ぶりには、思うところがあるのだと思う。
だって、彼女はいまこの場でわたしの身支度を待っていなくとも、別室で待っていてくれても良い立場のひとなのだ。だのにこの場にいるのは、とにもかくにも、チェセ自身の強い希望によるものなのだ。
まあ、それはともかく。すこし、復興祭のあのあとの続きを、お話をしよう。
あのとき、鐘楼が炎上したあと。うまく鎮火はできたものの、実務を請け負う事務局からは、復興祭を継続せずに、中止する・・・午前の部で終わらせるという提言が、当然のごとくあった。
鐘楼の炎上は、明らかに悪意を持つ何者かに狙われ実行された事件であり、同様のことが、復興祭のいち日のあいだで、続けてまた起こらないとは限らなかった。
復興祭の午前の部、つまり、時間と場所が確定している王太子の演説では、なんとか被害を防ぐことができた。しかし、王都中が屋台と音楽と酒肴で賑わう午後の部では、不確定要素が多すぎて、何かが起きることを防ぎようがない。そもそも、ことなきを得さしめた、大樹を発現させたクローディア大活躍でさえ、予想外のことだったのだ。
もし、安全管理が民間の現場に委ねられている午後の部では、狙われた事件や事故が起こったとしたら、被害が大きくなるという予想は容易だった。安全を第一に考えるならば、午後からの祭りは、中止にすべきだという意見には頷けた。
けれど。
『何もしないのが安全なのは、当たり前だろう。だが、何もしないのならば、その存在に価値はない』
復興祭での演説が終わったあと、今後の方針について協議する王城要職者たちの相談を、王太子は、ぶった斬るように言ったーーというか、ぶった斬ってしまった。
『たとえ不幸な何かが起こっても、我々王都に在る者たちは、それを乗り越える力があると示したばかりだ。それをどうして、舌の根も乾かぬうちに覆すことができようか』
最高責任者にそう言われた警備担当者のひとは、午後の部を継続開催する前提で、急遽、冷や汗をかきながら、警備体制の強化の追加対策を検討せざるを得なかった。
本来は、鐘楼を炎上させた犯人、その背景組織を突き止めて、対策を打つことが理想だった。状況とクローディアの感想から、石を燃やすことができる秘火薬『ヴェトの焔』を使って、地下から、鐘楼を燃やしたことまでは、わかったものの。
しかし、犯人の痕跡をたどるべく、調査対象となった中央広場の地下は、クローディアの魔法による樹木の太い根で、ぎっしりと埋め尽くされていて。とてもとても、さらなる現地調査できる状態ではなかった。
ちなみに、復興祭が終わった今も、それは変わらない。地面が盛り上がり、地形が変わるほどの樹木の根の量であるため、それらを切除するのは物理的に無理、やるとしても膨大な時間と工数が必要だった。また下手に取り除こうとすると、周辺の建物の地盤が崩れてしまう危険性も指摘された。
もし、さまざまな逆境を乗り越えて、地下の調査に至ったとしても、徹底的に樹木の根に痛めつくされた現場から、何か約役に立つ痕跡が見つかるとも思えず。
結果として。調査による原因追及は断念されて、言葉は悪いけれど、場当たり的な抑止活動、つまりは警備を強化する対応で落ち着いた。
すこし気の毒ではあるけれど、非番の騎士や警備兵を王都中に緊急動員して、可能な限りの人海戦術で、不測の事態および不逞の輩の監視にあたることになったのだ。
なお、我が家ーーロンファーレンス=リンゲン家の騎士たちは、もともと休みと警備の手伝を両立させる半非番の前提だったので、それほど負担なく事態に対応することができたみたいだ。先を見越していたチェセの助言と采配が生きたかたちだ。
そして結果としてはーー。
午後の部も夜の部も、懸念したような問題や事態は起こることなく。
復興祭は、平和のもと大きな盛り上がりを見せ。まったく、大成功で終わったのだった。
そして、鐘楼炎上の調査と犯人探しは。復興祭が終わったあと、王都の刑事部門の仕事として引き継がれた。
「それにしても、いったいどこの誰が、あんなおおごとを引き起こしたんでしょうかねぇ。みんが集まっているところで、大きな鐘楼を、地下から燃やしてしまおうなんて」
遠かったですけど、鐘楼が黄色い焔に包まれている姿を見ました。
世間話のようなレーゼの声に、わたしはふと顔をあげ。鏡の中の彼女の動きを見る。レーゼは、わたしの髪の編み込みを手早く増やしている。流れるような指さばきだ。でも口は別に動いている。
「みんなが楽しみにしていた復興祭を邪魔しようなんて、許せませんね。なにが面白くて、あんなに非道いことを考えるんでしょうね。さいわい、怪我人が出なかったから良かったものの。クローディアは、お手柄でしたね」
「そうね・・・。クローディアは、まったく想定外の大活躍だったわ。彼女には、勲章を授与しなければね。それから、彼女を配すことを強く推した、アセレアにも褒賞が必要かしら」
まあ。大盤振る舞いでございますね。とレーゼ。それだけのことをしてくれたのよ、と髪をいじられる心地よさを感じながら、わたしは返す。
「けれど、やはり、リュミフォンセ様への天使様のご加護があったのだと思いますわ」
「わたしへの、ご加護?」レーゼのあまり聞き慣れない単語に、わたしは聞き返す。
「そうですとも。皆のために頑張って正道を進んでいらっしゃる姫様の想いに、うらみつらみの卑怯な暴力が、届くわけがございませんもの」
わたしは、まだ記憶に新しい、炎上した鐘楼の姿を、恐怖とともに思い出す。見上げる高さから、音を立てて舞い散る黄色い火の粉ーー。
・・・・・・。
「あれは、うらみつらみ、によるものだったのかしら」
ぼんやりとしたわたしの言葉とは対照的に、鏡のなかのレーゼはてきぱきとした動きだ。口は動いても、手が止まることはない。
「妬みも入っているかも知れません。でも、どうせ、低俗でくだらない理由に決まってますよ。早く犯人がとっ捕まってくれれば安心ですけれど。でもどうせ、クローディアの大木の根っこで押しつぶされているに決まっていますよ。ご覧になりました? あの根っこの太さといったら! 私の胴回りどころか、背丈ほどもあるんですから」
そうね、とわたしは低いテンションで答える。一方で、ぽんぽんまくし立てながらもレーゼは手際よくわたしの髪を整えていく。
うらみつらみーーと聞いて。かつてリンゲンで仕えた偽物の情報官の男性のことが、わたしの頭に浮かんだ。当時は布を頭に巻きつけて、異民族風の装いだった。
彼は、リンゲンではわたしへの暗殺者を手引し、王都での精霊襲撃では賊としてわたしを直接襲った。アセレアが彼に深手を負わせたものの、彼を捕えることはかなわなかった。
ソンム。わたしが勝手にそう名付けた、王都の犯罪結社のひとつ、組織の一員。
彼がわたしを恨んでいるとしたら、完全に逆恨みだと思う。だって基本的には襲ってきたのを撃退しただけだもの。でも、ひょっとしして本人から見たら、彼なりの理由があるのかも知れない。
もしも、彼が、わたしへの恨みで、あの鐘楼の炎上を企んだとしたら。
詳しい事情はわからないけれど、やっぱりそれは逆恨みだと思う。逆恨みで、わたしの邪魔はしてもらいたくないし、どういう理由でも、民を危険に晒すことは許せない。
それでも結果として、クローディアの活躍で、彼の刃は、わたしに届くことはなかった。
ーーわたしの傲慢かも知れないけれど。
逆恨みの刃など。わたしどころか、この地上に生きる誰にも、届くことなく。
何事もなく、こともなげに、止められることが。
必然で、あるべき姿だったのだと思う。
本当にそれが正しい物事の捉え方なのか?
それは、午後の復興祭でのにぎわい、王都での、皆の楽しげな様子を見ればわかる。
日常を平和に過ごすことができ、それを祝って、ささやかな1日だけの祭りを、家族で、仲間で、あるいは恋人同士で、連れ立って楽しむことができる。
振り返ってみれば、それは、平凡でなんてことない日常なのかも知れないけれど。
その、平凡でなんてことない日常を、多くの人が過ごすことができることが、きっと正しいことで、成功なのだ。
その多くの人の当たり前の日常を、壊そうとする人物の想いなど。それも逆恨みという不合理なものであれば。
受け止めてやる必要など、ないではないか。
ひっそりと、あるいは力づくで。地下にでも、叩き込んで埋め込んじゃうのが、相応しい。
ーーだからソンム。
わたしは、この場にいない相手に、心のなかで呼びかける。
もし、あれが貴方のすべてをかけた、全身全霊によるものだったとしても。
わたしは、まともに相手をしてあげるわけにはいかないのよ。
一面では残酷で酷薄かも知れない。でも、全方位に可哀想を向けていては、正しいことは、守れないのだ。
ふんす、とわたしは。覚悟を新たに、鼻息を荒く吐いた。
それで驚かせてしまったのか、鏡に映るレーゼが、一瞬だけ動きを止めた。
ーーどうされました?
鏡のなかのレーゼは、瞳だけで雄弁に語っていた。
でもすっかり自分の世界に浸っていたわたしの、細かな心情など説明しても仕方がない。
こほん、とひとつ咳払いをして。わたしは、取り繕うように、次の話題へと移った。
「復興祭は無事に終えることができたけど。それでも、重要な儀式が、まだまだ目白押しよ。一番直近にあるのは、『賢人会議』ね」




