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282 王都に響き渡る清らかな鐘の音










ひょう。と、地下の暗闇のなかで、風が動いた。


それはつまり、狙い通りに。中央広場の鐘楼の床まで、穴を開けることができたということだ。


「ぜぇ、ハァ・・・。ーーよし!」


肩で大きく息をしながら、押し殺した声で、ソンムは喝采を叫んだ。


黄色い焔ーー魂力のちからで岩石を燃やす『ヴェトの焔』で、うまく床下に穴を開けられることができるかは心配だったが、うまく行った。


鐘楼の真下には、『ヴェトの焔』がたぷたぷと詰まった樽が、山と積まれている。これまでソンムが血みどろで貯めたカネをすべて吐き出して買い集めたものだ。もっとも、それでは少しばかり足りなかったので、組織から少々資金を拝借したが・・・。


ヴェトの焔の樽に、ばしゃばしゃと、これは普通の油をかける。引火しやすくするためのものだから、これは普通の油で問題ない。


そして最後にちびた蝋燭を油びたしの床に設置すると、ソンムは樽が積まれた空間を出て、そしてその入口を、急いで土で埋め始めた。


時間が経って、短くなった蝋燭の焔が床に到達すれば、ヴェトの焔は爆発する。そのとき、空いている方向ーーつまり、上方に向かって、大きく爆発するように火柱が立つはずだ。


空間のすぐうえ、床をくぐり抜けた先にある上の鐘楼は、なかが中空になっている構造の角塔だ。焔の柱は、最上段まで駆け上り、そしてヴェトの焔は鐘楼を燃やし崩すだろう。


復興祭の今日、鐘楼の外は、次代の王の言葉を聞きに来たであろう民衆に埋め尽くされている。そして、演台には、結婚を発表されて、いまは幸せの絶頂であろう、復讐相手もいる。


その娘が、うまく火傷でも負ってくれれば良いがーー、それがうまく行かなくても、起こった混乱に乗じて、暗殺を狙うこともできる。


そこまで上首尾でなくとも、ヤツの・・・リュミフォンセの晴れの場を、汚し踏みにじることができれば。


歪んだ笑みのまま、空間の出入り口を、準備していた土砂で塞ぎ終えたソンム。そして今度は、彼はその場からできるだけ遠ざかろうと足を動かした。


そこで、ソンムは、自分の足が、鉛のように重いことに気づいた。動かそうとしても、足がまともに動かない。さらに、首筋を流れる汗が、ひどく冷たい。地下の暗闇のなかという以上に、眼の前が暗い。


ーー作業に夢中で、ここまで動くことができたが。


腹のあたりを探ると、まるでおもらしでもしたように、ねっとりとした自分の血が滴っていた。


ソンムは、暗闇のなか、真っ赤に染まったはずの自分の左手を、見つめようとしてーー。闇が深すぎて、自身の手すら、見ることがかなわなかった。


「ああーーーー」


そのつぶやきは、なんの感情を映すものだったか。


想う間もなく、轟音と衝撃と灼熱が。塞いだ土砂の向こう、地下空間を、満たした。







■□■







ゴゴゴゴォオオオオオオォォ・・・ンンンンン!!!!!


大轟音とともに。


わたしの立つ演台の隣にあった鐘楼が、一瞬で黄色い焔に包まれた。


ゴォォッ!!


激しい熱波。


鐘楼の周囲にも観客はいる。歓声だったものが悲鳴に塗り変わる。いま広場に集まっているのは、万を超える数の観客たち。何が起こっているのかを全体が知るには、時間がかかる。


理解がさざなみのように広がると同時に、混乱と恐怖も同様に。炎上する鐘楼を中心として、中央広場にいるものたちに、同心円状に伝わっていく。


ガシャガシャッ!


「ーーーー!」

「王太子! 姫様! 我々の、盾のかげへ!」


護衛騎士の、誰の声だったか。演台のうえ、わたしの周囲。オーギュ様が何か言おうとしているのを遮り、護衛騎士たちが炎上する鐘楼に向け盾を構えて列を作る。人の城壁が、オーギュ様とわたしとを取り囲む。


「!!!」


ずるり。そんなとき、わたしの影から、黒大狼ーーバウが抜け出て来てきた。護衛騎士たちの隙間に四ツ足で立つ。


ここに至るまではほんの数瞬ーー。


ついさっきまで平和に演説をしていたはずなのに、中央広場は緊迫どころか、危機に瀕している。


石造りの塔、鐘楼が、黄色の焔をあげて燃え、油でも注いだかのように、火勢は急速に膨れ上がる。よほど多くの燃料で燃やしているようだ。けれど、()()()焔? 違和感を感じる。なにか特殊なことをしていることは見当はつくものの、じゃあどう対処すべきかということについて、残念ながら、わたしには知識がなかった。


ーーでも、このままでは、鐘楼が爆発するのでは?


わたしの直感が告げ、思わずあたりを見回す。中央広場には、観客が隙間なくひしめいている。逃げ出すような隙間はない。


このまま鐘楼が爆発すれば、焔が四方に飛び散り、観衆の上に降り注ぎ、大惨事になる。


炎上は進行しているけれど、燃え始めてから数秒程度の時間でしかない。


事態に反応できているのは、警戒態勢にあった護衛たちのみだ。


ほかの大多数、多くの観客は、何が起こっているのか、把握もできていない。


これが祭りの演出の一環でもなんでもないと理解し、逃げ出そうとする動きもーー勘の良い個人は別にしてーーまだ起こっていない。


あとほんの少しの刹那のあと、理解が広まると同時、大惨事、そして、万の人間の大恐慌が起こる。


逃げろ、という指示が正しいのかもわからない。下手な指示は、人間が将棋倒しになって圧死する危険があるからだ。誰もが、状況把握と判断に時間を使っている。


それでも、もし、鐘楼が爆発したとなれば。この復興祭ーー、大きな政治的意味を持つ祭典も、失敗に終わる。その影響がどの程度にまで及ぶのか、想像もつかない。


悪いことばかりが、脳裏を駆け巡り。わたしのーーきっとこの場に居る誰もの動きを縛っている。


ふと見れば、バウの黒い毛皮の体から、魂力が立ち上っている。大きな魔法を準備しているのが知れた。けれど、その魔法の内容を見て、わたしはとっさに、


「だめよ、バウ!」


それを制止した。


黒大狼が準備していた魔法は、爆発の魔法ーー。威力、規模を考えれば、鐘楼の爆発の方向を、わたしたちから逸らすためのものだった。


でもそれだと、わたしたちは無事でも、観衆たちに、より大きな被害が出る。


(しかし、あるじ! ではどうする!)


魔法を停止したバウが、わたしに問うて来る。


「ーーーーー」


しかし、わたしもすぐに指示が出せない。でも自分たちが民を犠牲にして助かったとなれば、もしそれがあとで振り返ったときに最善の結果であったとわかったとしても、別の大問題につながるだろうことだけはわかる。


つまり、観客も助けなければいけない。けれど、それにはどうすれば? 何が正解か? できることと、目標の定義との相関で、正解が異なってくる。


立場があがって人を統べる立場になり。それにともない、絡み合う状況が複雑になればなるほど、できることが増えるほど、目標の定義が複雑になる。まるで空を覆うように広がる樹木の枝のように、幾筋にも、多岐に渡る選択肢。


そのうちのひとつをどうやって選び取る? そして何を指示する? 


そのようなことを考えて、貴重な一瞬を、また無為に失い。


わたしは、何もできず後手にまわった。


鐘楼を包む黄色い焔は、さらに大きくなり、強い熱波と光を放ちだした。


累乗的に輝きを強める、攻撃的な光。膨らむ魂力。


眩しさに目を開けていられなくなり、わたしは、思わずまぶたを閉じて顔をそむける。


そしてーーーー。




「・・・・・・・・・・・・・」


次に襲ってくるはずの爆発の轟音は、数瞬を過ぎてもやってこなかった。


息を飲むような静寂。そこから、ざわ、ざわと、戸惑う人のざわめき。


きせき・・・奇跡だ・・・。


そんな声が、ざわめきのなかに聞こえる。


おそるおそる。わたしは瞳をあけ、改めて眼の前の鐘楼を見上げると。


目に飛び込んできたのは、これまでとは一変した景色。


一足早く春が過ぎたかの如くに生い茂る、樹木の葉だった。


「・・・・・・・・・!!!」


葉の青さを強調するように、さわさわ涼しげに揺れている。


黄色い焔をあげていた鐘楼は、巨樹によって覆われて、いまは静謐をたたえている。


黄色い焔は、すでに鎮まり。あとかたも見えない。


ただ、余熱のようにただよう風が、そこに焔があったことだけを教えてくれる。


人では抱えることのできないほどの太さの枝が、幾本も。ちょうど、棒に針金でも巻きつけでもするように、鐘楼に巻きついき、一本の巨木のようになっていた。


一見すると、南国の大木が鐘楼に置き換わったかのようだ。


しかも、それだけでなく、わたしたちの居る、木製の小砦といった風情の演台もまた、同様に緑に覆われていた。


小城のごとき、3階建ての木製の演台から、にょきにょきと太い枝が伸び。枝の先は鮮やかな新緑に覆われている。


まるで演台自体が、小さな森の塊に変じたかようになっていた。


「・・・・・・・・・」


わたしは、自分の目を疑う。何度も自分の目を擦って、目の前のことが現実だと確かめて、そして、こんなことができる、ひとりの名前を思い出す。


そう思ってみれば、その精霊は、大魔法の余韻を漂わせたまま、息を荒げて静止していた。


わたしは、思わず、()()の名前を呼ぶ。


「クローディア!」


クローディアは、わたしから4歩ほど離れたところ、護衛騎士たちによる盾壁の、そのすぐ外側にいた。


台から飛び降り、わたしは、護衛騎士の隙間を抜け、クローディアのところに駆け寄る。


護衛騎士の儀礼用の白銀の鎧で身を固めた、麗人にしか見えない命の精霊クローディア。その本人は、青く血の気のひいた端正な顔を、わたしのほうへと向けた。


「び・・・びっくりした・・・。樹木の栄養に使った、『ヴェトの焔』の魂力が、思ったよりも豊富で」


もごもごと、クローディアはまるで言い訳するように言う。ヴェトの焔とは、鐘楼を燃やしていた、黄色いの炎のことだろうか。


「鐘楼のまわりの人間は助けたんだけど、樹木の成長が、早すぎてさ・・・。ちょっと、止めきれなくて」


・・・わざとじゃないんだよ?


そんな彼女の言い訳にはかまわず。わたしは、クローディアのその右手を、両手で包み込むようにして持ちあげ、捧げるようにして、自分の額へと近づける。


クローディアが何を気にしているかわからないけれど、彼女がいまやったことは、奇跡同等の偉業だ。そう思った。



「・・・ありがとう存じます。貴方のおかげで、多くの人命が救われました」


「・・・へっ?」



自分自身で成したことを、まったく理解していないクローディアは、きょときょとと周囲を見回す。


だが何が起こったのか、理解をしたのはわたしだけではないようで。周囲にいた護衛騎士たちも、憧憬の目でクローディアを見ている。


「これってーーーー」


なにか言おうとしたクローディアの声は、突然の、どよめくような大歓呼によって遮られた。


観衆たちが、なにが起こったのかを理解しーー理解していなくても、突如、広場に大樹が生えればすごいことだと言いたくなるーー、称える声をあげたのだ。


まるで、空が驚いて落ちてくるのではないかというくらいの、大歓声。


(なんてこった! 一瞬で大樹を生やして、鐘楼の大火を消しちまった!)

(ほぼ森だぞ? とんでもない大魔法!)

(いったい誰が?)

(決まってんだろ! あんな魔法を使えるのは、精霊だけだ!)

(あの精霊姫(リュミフォンセ姫)が使役する精霊だ!)

(うぉぉスゲー!)

(王都の襲撃のときも、ああやって戦ってくれたのか!)

(万歳! リュミフォンセ姫、バンザイ!)

(ーーーー新国王夫妻、バンザイ!)



うわあああぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁ!



み、みんなの反応がすごい・・・。


鐘楼が燃え上がったときは、復興祭は大失敗でおしまいで。


もう取り返しがつかないと思った。


新しい世代の政治も、マイナスからスタートになると思った。


けれど、この、みんなの反応・・・。逆に、大成功になってるんじゃない?


わたしは、軽く手をあげてみる。



うわあああぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁ!



軽く、はにかんで、手を振ってみる。



うわあああぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁ!



すごい! ものすごい反応。人の前に立つ仕事を結構やってるけど、こんな反応初めてだわ。


でも・・・。


すごいけど、これ・・・、盛り上がりすぎじゃない?


どうやって、この場を収めたらいいのかしら・・・?!



うわあああぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁ!



鯨波のような歓声に、それに応えるわたしの笑顔が、少し引きつってしまっていないか心配になる。ちらと周囲を見回すと、護衛騎士たちも、なにかを期待するような目でわたしを見ているーーこれ以上、わたしからはなにも出ないんだけど!


「リュミフォンセ」


ぽんと肩を後ろから叩かれ、はっとして振り返る。


そこには、穏やかな微笑みを浮かべたオーギュ様がいた。金の前髪が、はらと揺れた。



わあああぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁ!



歓声は、一段と大きくなった気がした。


その声の迫力にひるむことなく、オーギュ様は自分のペースで、にこりと笑みを深める。


「頼みがあるんだ。あの狼くんの背中を、少し貸してくれないかな?」


バウを?


ーーもちろんですわ。わたしはすぐさま答える。


答えたけれど、バウが、わたし以外を背に乗せるのを嫌がる素振りを見せたため、わたしとオーギュ様が相乗りするかたちになった。


牛ぐらいに体の大きさを調整したバウ。その背の前のほうにわたしが横座りし、オーギュ様がその後ろにまたがるようにして乗る。そして、わたしたちを載せた黒大狼は、床を軽く蹴り。音もなく空へと浮かび上がる。


(おおお、すげぇ! でけぇ黒狼が、空飛んでる!)

(噂で聞いてたけど、マジだったんだ!)

(あの黒狼も精霊? 魂力が伝わってくる)

(恐ろしい黒狼を、当然って感じで、平気な顔して使役してるぞ、あの姫・・・)


とても珍しいものというように、観衆からどよめきがわく。


「上へ。鐘楼のてっぺんに向かってくれないか?」


『・・・・・・・・・』


オーギュ様の頼みに、バウが応えないので。わたしは、三角の毛皮の耳をくいと軽く引っ張ってやって、バウに動いてもらう。


黒い毛むくじゃらの足、その歩をひとかきするごとに、わたしたちは、上空へと進む。結構高くまで来ているのに、まだ上昇気流を感じて、地上の観衆の熱気のすごさがわかる。


そして、鐘楼のてっぺんへと来た。上空を雲が渡っていく。わたしは、流れる自分の髪を、なかば無意識に押さえた。そこは、王都が一望できる高さで、中央広場から八方に走る大通りにも、人々が集まり、混雑する様子が見える。


「狼くん。鐘のほうへ近寄ってくれないか・・・そう、このくらいがいい」


オーギュ様はバウに指示し、今回はバウも言うとおりに位置を動かした。わたしの目の前に、鐘楼の大鐘がある。さっきの焔の影響か、少し傾いてしまったけれど、磨かれた青銅の大鐘は、大人5人ほどで囲むような大きさで、近くで見るとよほど大きい。さすがに、王都中にときを告げることができるだけの鐘だ。


この鐘、さすがに、下から動かすための機構は、無事かどうかわからないけれど、直接鐘だけを鳴らすには、問題なさそうに見えた。


そして、失礼するよと言いながら、オーギュ様は、バウの背中の上に、立ちあがった。


しゃきん。


音を立てつつ、腰の儀礼用の剣を抜き放った。晴天に、微細な彫金細工が施された、白い刀身が輝く。それは下の観衆にも見えるのだろう、またどよめきが湧く。


『ーーーー聞きたまえ、諸君!』


若き王子の朗々とした声が、青空に響き、そして地上の観衆へと、慈雨のように染みわたっていく。


ーーこれまで、我々の道のりは、けっして平坦といえるものではなかった。そして、たったいま、この鐘楼が燃え尽きようとしたように、残念ながら、これからも、苦難は訪れるだろう。しかし! 我々は、これまでみごと苦難を乗り越えてきた。だから、これからの苦難も乗り越えられる。そのちからがあるはずだ!


ときに、幸運に見放され、力及ばず、膝を折ることもあるだろう。しかしそのたびに、立ち上がろうではないか。我々には、その力がある。そして、再び、歩みだそうではないかーー何度でも!


『ーーこれは、その誓いの鐘の音だ!』


そして、若き王太子は、振りかぶった儀礼用の剣を、思い切り振り下ろし。大鐘を打った。


鈍い金色に輝く青銅の大鐘は、鈍重な振り子のように大きく揺れ。



りん ごーん りんごーん りんごーん・・・・・・



清らかな鐘の音が、王都中に響き渡る。


もう何度目かわからない。わっと沸き立つ歓声。


その歓声に応え、美貌の王太子が、高らかに儀礼剣を掲げる。


きらめく光が、ことんと、わたしの胸に落ちる。


そして、わたしはといえば、なんだか夢を見ているような心地で。


その自信に満ちた王太子の横顔から、なぜか目を逸らすことができなかった。














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