280 暗がり
復興祭の華やかな行進が始まった王都。ファンファーレと歓呼が鳴り響くその裏側。
影の落ちる無人の廃墟に、ソンムは、距離をおいて警備兵と視線を向かい合わせていた。
「もう一度聞く。ここで、何を、している?」
その警備兵が立っているところは、ちょうど廃墟に一条の光が差し込むところだった。ただの警備兵の軽鎧装束と槍が、強く照らし出されて、神々しくすらある。たいして、ソンムは、暗がりの溜まりに囚われているかのように立っている。
(ちっ)
ただの立ち位置の問題のはずなのに、それが何かの暗喩のようにも思えて。ソンムは、心のなかで舌打ちしながら、けれど、逆にことさらに余裕のあるふりをしつつ、体の方向をゆっくりと変えた。
「いえ、ね。ちょっと・・・。言いにくいことなんですが」
「言いにくい?」言葉尻に反応して、警備兵は反問するように言った。
あ、いやそうじゃないんですよ。あまりにもくだらないことで。
と、慌てた善人ように、ソンムは説明を付け加える。むろんこの場を取り繕うための嘘だ。警備兵の興味を引くようなことを言い、そして否定する。この演技は、すでに彼が一瞬で練った芝居の一部だった。
「逃げた猫を追っていて、こんなところに来てしまったんです。・・・あるでしょ、そういうこと」
「猫ぉ・・・? 猫、ねぇ」
警備兵はいぶかりながら、少しだけ前にーーつまりソンムのほうに、一歩進んだ。自然な感じで槍を斜めにして、周囲にぶつからないようにしながらも、とっさのときは使える構えが残してある。
つまり、警戒は解いていないということだ。
「なあ、アンタ。ひょっとして、逃げた猫っていうのは、そこの娘のことかい?」
警備兵が問うた。
地べたには、がりがりの少女が、がれきに隠れるようにして、床にぺたんと尻をつけた姿勢で座っている。さきほどソンムが振り払った、口のきけない、ボロをまとった娘だ。警備兵が少し移動したことで、この少女も視界に入ったのだ。
ソンムは、大げさに苦笑してみせる。
「いや、違う。そいつは見ての通り、ただの浮浪でしょう? 俺が探しているのは、れっきとした猫だ」
「フゥーン・・・」
警備兵は、槍の柄で自身の肩を叩きながら、疑わしげな視線をソンムに向ける。
「じゃあ、この浮浪の娘。アンタの知り合いだったりするのかい?」
(チッ・・・明らかに、怪しんでるな・・・)
ソンムは善い人にしか見えない笑顔を表情に貼り付けながら、心のなかで舌打ちをする。
(この廃墟にもともと居たらしい、知らない娘・・・と言えば、言い抜けられるだろうが)
ソンムは、ちらっとボロをまとった少女のほうを見た。
少女はと言えば、何かを期待するように、すがるように、ソンムのほうを伏し目がちに見ている。家も見よりもなく下水で生きるしかない少女にとって、この街の警備兵は味方ではないのだろう。
(俺がどう言っても、この娘がこの場で妙なことをしでかすこともないだろうが・・・。万が一、何かのはずみで、こちらにすがってこられでもしたら、言い逃れが難しくなる)
ソンムは、少し考え。けれど、考えると同時に、言葉は口から出ていた。
「さて、知り合いともいえるかどうか。どうも、同じ野良猫をかわいがっていたようでね。それで顔は知っている。それだけの縁さ・・・」
「浮浪と仲良くする男・・・。悪いが、アンタ、慈悲者には見えんな。カタギじゃない裏の者だったりするのか?」
(うるせえよ)
胸のなかだけで呟いて、ソンムの顔は、張り付いた笑顔のままだ。
「平凡な一般市民ですよ。ただね。この王都には、モンスターの襲撃ですべて失った者がいる。幼子が親兄弟を失えば、どうなるか・・・。明日は我が身とね。その点、あんたは運がいい。王都の警備兵っていう、立派な職があるんだから」
この浮浪少女と警備兵の立場は、紙一重のめぐり合わせの差なのだと、ソンムは暗に言う。
「・・・。からかってんのか?」
警備兵は、下から睨め上げるようにして。ドスを効かせた声を出す。
「いえいえ。街の平和と治安を守る立派なお仕事だと。そう言っているのですよ。悪く聞こえたなら」
謝りますよ。この通り・・・。あえて辞を低く構えながら、ソンムは言う。王都には正義を志す立派な警備兵もいるが、一皮むけばごろつきのような警備兵も少なくない。むしろそちらのほうが多数派で、目の前のこいつは、そのなかでも質が悪そうだと、ソンムは感じていた。そのような相手には、正論を構えつつ、下手に出るべきだ。
「チッ」
そのガラの悪い警備兵は、わかりやすく舌打ちすると、がりがりと、兜の下に手を突っ込んで後ろ頭を掻いた。
「まあ、なんでもいい。今日は復興祭! どの廃墟も立ち入り禁止のお触れが出てる。事情はわかったが、即刻ここから出ていけ」
「そんな・・・、乱暴な」善人のていで、ソンムが言う。
「触れは数日前から出ている。お前らごときは知らんだろうが、今日は王都の大通りを、偉い方々が練り歩く。そのときに不逞の輩が廃墟におっては、具合が悪い。復興祭をぶち壊そうと、襲撃を企んでいると、人は思うだろう」
(まあ、実際。俺は、その不逞の輩とやら・・・、そのものなのだがな)
剣呑な胸中とは裏腹に、ソンムの卑屈さを装った笑顔は変わらない。
だらだらと語った警備兵は、話は終わりとばかりにぶんと腕を振った。
「ーーでだ。わかったら、さっさとここを出ていけッ! 親切にここまでべらべら喋ってやったんだ、まさか拒否はしねーよなー?」
(・・・・・・。地下への入り口は、ここだけではない。浮浪娘が他の入り口から時間的にも、まだ間に合う)
手をあげて無抵抗であることを示しながら、胸算用をしたソンムが、ため息とともに言葉を落とす。
「わかりーー」
プワーーーーーーーーーーッ!
そのとき、管楽器の音が高らかに風に乗って聞こえてきた。
ドンドンツクツク ドンドンツクツク・・・
続けて、太鼓などの打楽器の音が高らかに打ち鳴らされる。
「あーっ! もう行進が来ちまったかぁーー!」
警備兵が、叫んだ。
「クッソ、だから裏町の見回りなんてしたくなかったんだよ! こんなときに当番だなんて、貧乏くじ引いちまったナァー! 俺、見たかったんだよ、行進!」
「・・・・・・」
我を丸出しにした警備兵に、ソンムはかける言葉を失って、ただ様子を見守る。
「行進にはさ、リュミフォンセっていう偉い貴族の娘が出るんだろ? これがすげぇ国一番の別嬪だっつーじゃねぇか! そんなの、聞いたら見てみたくなるだろぉー!?」
ぶつん。
ソンムの視界が、その言葉を聞いた瞬間、真っ赤になり。
そして一瞬。ソンムの意識が途切れた。
「・・・・・・なんっ・・・だっ、オマエっ!」
気づけば、ソンムは。まばたきほどの速さ、慣れた動きで警備兵の後ろを取り。先っぽがない右手で警備兵の首を器用に絞め、そして反対側の左手に持った鋭い短剣で。警備兵の脇腹、鎧の隙間を、正確に貫いていた。
本来なら、標的に声を出させる間もなく、殺らなければならない。右手で相手の口を押さえるか、もっと強く首を絞めて意識を刈り取るか、短剣を正確に急所に突き刺すべきだった。
ソンムにとって、復讐相手の名前を聞いたことによる一種の脊髄反射。激情に駆られた行為だったため。自分の失策に気がつくのが、一瞬だけ遅れてしまった。
「我ながら、衰えてしまっているな。異常だ」
彼はつぶやき。警備兵の脇腹に差し込んだままだった短剣を、ぐりっとひねって警備兵の腹をかき回した。
「〜〜〜〜〜〜!!!」
警備兵が痛みで悶絶してもかまわず、しかし短剣を素早く引き抜くと、同じその刃で、さっと警備兵の喉を切り裂いた。
「・・・・・・!!!」
喉笛を切り裂けば、声も出ない。
廃墟の影のなか、びしゃっと血が飛び散り、その匂いが充満する。
崩れ落ちる警備兵。その死体を廃墟の地面に転がして、刃の血を簡単に拭って鞘に収め、ソンムは身を翻した。廃墟の奥へと進む。
奥には、地下道へと降りる、入り口があった。ただその入口は、ただの穴にしか見えないし、さらに、瓦礫やら岩の下になって隠されていた。
まずはそれらを動かして、ソンムは地下への入り口を作る。瓦礫をのけると、ひゅうと冷たい風が、地下から吹いた。
そこからは、ソンムは黙々と作業をした。死体を隠すため、地下道のなかに警備兵の亡骸を蹴り込んだあと、自身も地下に潜った。
そして、地下に身をいれつつ、瓦礫や岩を動かして、入り口を再び塞ぐ。
途中、ボロを着た少女が地下道までついてこようとしたので、ソンムは少女の首根っこを掴んで、遠くへ放り投げてやった。軽い少女は、投げられて遠くへ飛んだ。そして、起き上がったその少女が、また地下の入口に取りついたときには、岩で入り口を塞いだあとだった。
岩は、やせ細った少女のちからでは動かせない。
岩の隙間の影。ソンムの視線と、少女の視線がかち合う。
口がきけないボロの少女は、ばしばしと岩を叩き、自分を中に入れろと、動きで主張する。少女の汗が飛び散る。
「ふん・・・。これでお別れだ。あとは勝手に元気でやってくれ。あばよ」
そのへんの瓦礫で、もっとしっかり、穴を隠しておけよ。ソンムは、ボロの少女への最後の指示を呟いて。身を翻す。
ボロの少女は、思いっきり首を横に振る。涙と鼻水と汗で顔をぐしゃぐしゃにしながら、全力で首を横に振りつつ、地下道の入り口をふさぐ岩を退けようとする。
だが、その岩は、無情なほどに、びくともしない。
もう何もいうことはない、という様子で、ソンムは地下へと潜っていく。
と、その背にーー。
「・・・ダメ!! けが!!」
いままで聞いたことのない、声。
口のきけないはずの少女が、声を出した。
「!!」
(あいつ、気がついていたか・・・。案外、鋭いな)
まるで呼び止められでもしたように、一瞬だけ動きを止めたソンムだったが。
しかし彼は、声にかまわず、地下の闇へと、溶けていった。
彼が自然に押さえる腹のあたりから、じわりと血が滲み、滴っていた。
たん。たん。たん。たん。と。
必死に二言だけを発した少女が、岩を叩く音。本人は全力だが、軽い音。その音が、闇に溶けて、消えていく。
たん。たん。たん・・・
■□■
パパパッ! パパパンパンパンバババババババ・・・!!!
(うふぁっ! こわっ! これ怖い!)
音楽や花びらだけでない。行進を彩る小道具には、魔法爆竹も混ざっている。小さな爆発の連続は、景気づけにはなるようで、沿道に鈴なりの皆さんのボルテージが、わっと再び高まる。そのあいだも、楽器を奏でる音は続いている。
(リュミフォンセ。ほら、大丈夫だから。笑顔で手を振り続けて・・・)
(ええ。オーギュ様。ありがとうございます・・・)
小声で応答しつつも、わたしたちは明るい態度を崩すことはない。絶対にない。
そうして、観衆の歓呼に答え続けなければならない。
多頭立ての騎走鳥獣車の上、オーギュ様とわたしは立っている。行進の列は、楽隊と着飾った騎士と官僚貴族たちが列をなし。花びらが撒かれて、ひどく華やいでいる。
それを見る王都の民たちは、ひどく喜び、鳴り物でまともに音が聞こえないほど、盛り上がっている。
その行進のなかで、主役はといえばーー、こうして説明するのは、くちはばったいけれど、次世代の王国を担うと言われる、オーギュ様とわたしである。
突き刺さってくる視線の数が、半端ない。皆が、わたしたちを見ている。善意も好意も期待も誉れも妬みも憎悪も悪意も、一緒くたになって、波のように襲いかかってくる。
わたしたちは、それらに対し、微笑みと礼節と明るさでもって、お返ししなければならない。
ーーうわあぁぁぁぁぁ! 王国万歳! 新国王夫妻万歳! バンザイ!
行進は順調だ。わたしたちは、歓呼に包まれながら、最終地点である中央広場へと向かっている。