279 その裏で
復興祭の当日。早朝も過ぎて、春の陽光がだんだんと地面の熱をあげる。今日の王都は、少し暑いくらいの陽気になりそうだ。
魔王という大きな外敵の攻撃から、人間たちが立ち直ったことを祝う、復興祭。まだ催しは始まっていないのに、朝の王都の空気は、どこか楽しげにざわめいている。
白い鳥が、空を飛ぶ。その過ぎる影の下、王都の郊外に、緑の離宮がある。
その離宮の窓の奥の廊下には、丸眼鏡の情報官マーリナと、おっとりとした自警団団長のモルシェ。彼女たちは、まだ立ち話を続けている。
「ところで、最近、リュミフォンセ様のところに、また新しい顔が増えたのをご存知です?」
「ああ。紫髪の。可愛らしい娘ですよね」
魔王の導きの精霊、ミステのことを、モルシェはそんなふうに表現した。むろん彼女たち家臣は、ミステが何者かなど知らされていない。というよりも、この離宮の誰にも、ミステについてのーー名前すら、説明はなされていないのだ。
けれど、ミステはずっと離宮の部屋に居るし、容姿が整っているから人目を引くし、さらに主君のリュミフォンセが話しかけているところを目撃する使用人は居る。突然現れた紫髪の娘がなんなのか、疑問に思う者が出るのは、しごく当然の成り行きだった。
けれど、その疑問の持ち方もいろいろある。
モルシェなどは、下唇の下に指を当て。街で偶然大道芸を見かけた、くらいのニュアンスで付け加えた。
「そういえば、あの娘、黒狼さんと一緒にいるところも、よく見かけますねぇ。仲良しなんですかね」
モルシェのおっとりとした反応に、こくりとマーリナはひとつ頷いた。会話の前提を相手が了承していることが確認できた、という少々込み入った意味の頷きであり、情報官である彼女の癖でもある。
なにはともあれ、ひとつの間を置いて、マーリナは訊いた。
「あれが何者か。モルシェ殿はご存知です?」
「さあ・・・? でも、気がついたら居たじゃないですか。あの突然さ具合からすると、精霊かなにかなんじゃ、ないでしょうか?」
モルシェの推測は正解だった。むしろ、精霊でないかぎり、あの唐突な出現と、主君との距離の近さは、説明ができないものだった。だから、モルシェに限らず、この離宮で働く人々は、
(あの紫髪の娘は、きっとなにかの精霊なんだろうな・・・)
と思いつつも。主君には聞きにくく、かといって聞いたからなんだという話であるため、家臣や使用人から放って置かれている案件になっているのである。
本来、人形の上位精霊が人間界に現れるなど、大異変であり大事件なのだが、リュミフォンセのもとで長く務めた者たちほど、そういうことはよくあることになってしまっている。しかも、水の精霊サフィリアや命の精霊クローディアといった前例もある。そのため、不幸にも、家臣たちは、そのあたりよほど鈍くなってしまっている。
彼女たちふたりのやり取りも、その例にもれないものになった。
「ふむ、精霊・・・。本来なら、大事件です」
思わしげにつぶやくマーリナ。対して、モルシェはゆっくりとした動きで頷くだけだった。
「まあ、本来なら・・・。でも、リュミフォンセ様におかれては、よくあることですからね」
「世間一般の水準からすると、その軽い反応はありえないのですです・・・。でもその気持ちがわかってしまう私も、この家にかなり染まってきたということですです」
奇妙な語尾で話しながらも遠い目をしたマーリナに対して、モルシェが少し話題をずらした。
「でも、最近は。精霊だけでなく、人間・・・貴族の方の、来客も増えましたね?」
それはその通りです。マーリナは強く頷く。
「ご主君は、王太子妃になろうというお方です。しもじもである下級貴族が、自分たちの方からひっきりなしに挨拶に来るのが、当然なのです」
マーリナは丸眼鏡を指先でかけ直して、続ける。
「えらくなると、好むと好まざるに関わらず、善悪問わず、色々な人が集まってくるものです」
「善悪問わず、色々な人・・・」
モルシェは、思い出をたどるようにして、そして、自らを抱くようにして、身を震わせた。
「暗殺者だけは、もう来てほしくないですね。あのときは、恐ろしいし、危ないし、大変でしたから。こうして思い出すだけでも、恐くなってきます」
そうですね、と。マーリナも、さすがにこれには同意した。
「統制だった組織が、リュミフォンセ様のお命を狙う者は、もういないでしょうです。ただ、奇妙な思想の個人が襲ってくることもありますです。注意が必要ですです」
やはり、油断はできませんね、とモルシェは頷く。
そこに、ひとりの男性騎士が、通りかかり、モルシェへと話しかけた。
「モルシェ殿。今日は、貴殿も街警備でしたよね?」男性騎士は言う。
「おはようございます。ええ、そうです。もうすぐ出ようとしていたところでした」
本日は復興祭で、王軍がすでに警備警らの体制を敷いているのだが、ロンファーレンス=リンゲン家の騎士たちは、祭りで民衆が治安を乱したりすることを見張るために、私的に、街の警備の補助に出ることになっている。でもそこに祭りの手当が前金ででるところを見れば、私的な警備の補助といっても、半分仕事、半分遊びのようなものである。
これは、家宰チェセの発案による処置だ。本気で警備をしたら王軍の仕事と干渉してしまうが、祭りのように規律が緩みやすい場で、騎士が遊んでいるのもよろしくない。そこで、この半私半公のこの処置である。ロンファーレンス=リンゲン家の騎士たちは、真面目な者もそうでない者も、動きやすくなったとこの処置を喜んでいる。
男性騎士は言う。
「モルシェ殿、よければ自分が王都をご案内しますよ。このところ王都の細かい地理を頭に叩き込んだので、細い路地でもへっちゃらです。一緒に警邏に参りませんか」
「えっ、そうなのですか? ・・・それなら助かります。今日は人手も多いし、迷子になってしまわないか、心配でしたから」
モルシェの控えめな発言に、ははは、と男性騎士は白い歯を見せて笑った。
「それならよかった。美味しい揚げ物を売っている屋台も目をつけてありますから、期待していてください。では、あとで門のところで落ち合うことでいいですか?」
モルシェが頷くと、男性騎士は爽やかな笑顔を見せて去っていった。それをモルシェは、手を振って見送る・・・。
その様子をずっと脇で見ていたマーリナが、がっくりと、その場に膝をついてしまった。
「わ、私が、夢の美青年逆ハレムを作れず、傷心になっているその目の前で・・・! あっさりかつこれほど堂々と、逢引の約束を成立させるなんて・・・」
というか、逆ハレムなんて作ろうとしてたんですか・・・。と、モルシェもさすがに呆れた表情になる。
「逢引だなんて、そんな艶っぽいものじゃないですよ。あの方は、精霊が王都を襲ったときに助けてくれた騎士の方なんです。だからいまも、ただの仕事の話で・・・」
「自慢ですか? 自慢ですよね? です? ただの仕事だったら、一緒に行く必要はないじゃないですか? それもあんな綺麗な顔の男性と」
「綺麗な顔っていうか・・・、まあ、爽やかなかただと思いますけれど。というか、マーリナさんはその、殿下をお慕いなされていたのでは?」
以前のことを思い出しながら、モルシェが言う。かつて、のマーリナは、身分もわきまえず、主君のお相手であるオーギュ殿下を口説こうとしていたのだ。モルシェはあとで何が起こるか、肝を冷やしたものだが。
「好きですです。というか、誰でも美形は好きでしょうです」
すん、としごく冷静にマーリナは言い放つ。
「あ、そういうことですか・・・」
要するに、マーリナは美形男子ならば誰でも良いのだーーと、モルシェは理解する。初めて知った、仕事仲間の性癖である。それにしたって、もう少し節操を持ってくれても良いのにと彼女は思う。
そういえば、このマーリナは、リンゲンに情報官として来る前に、セシルという男に罠にかけられたのだ。あれは、逆ハニートラップに引っかかった結果なのではなかったのかと、改めて思い出すモルシェだった。
「どうして! モルシェ殿にあって、私にだけ艶っぽい話がないのですです? 私は、これほどまでに切実に望んでいますのにです!」
「えっと、うん・・・、えっと」
なんと言ってよいかわからず、言いよどむモルシェ。戸惑う彼女が体を揺らし。そのとき、彼女の豊満な胸がゆさりと揺れた。それを見たマーリナは、突然、脊髄反射的な動きで、がつっと真正面から掴んだ。
「この格差の原因はこれですか! これですね! やっぱり、これの差なんですね! です!」
「うあっ、ちょっ! なにするんですか、マーリナさん! やめてくださいぃぃぃ!」
「諸般の格差の根源が、いまここに・・・、です! くぅっ、悔しいです! うああぁぁん!」
主要な者が出払ったあとの離宮。もむ側ともまれる側。それぞれの悲鳴があがって。悲鳴を聞きつけた離宮の使用人の何人かは様子を見に来て、ふたりがじゃれていると捉え、踵を返して去っていく。
この日の離宮はある意味で、とても平和だった。
■□■
わああああぁぁぁぁっ!
ファンファーレが王都の空に鳴り響き、民衆の歓呼がそれに和す。
籠から放たれた白い鳥たちの羽ばたきが、煉瓦色の屋根の下の青い空を横切っていく。
いよいよ復興祭がはじまった。
美々しく飾った王軍と騎士団が、城門から中央広場へ向けてパレードをする。そのパレードのなかには、病身の王はいないが、名代として、第二王子が、その婚約者とともに参加している。
第二王子は王太子となることが内定していて、重篤の病に冒された王がいるいまとなっては、その第二王子が次の王になるのだということは、耳の早い王都の民衆は皆知っているところだ。
次なる王と、そのお相手の美姫をひとめ見ようと、王都の広場までの大通りは、群衆が鈴なりになっていた。
王が変わるような機会など、そうそうない。王都っ子であれば、富みしも貧しきも問わず、次なる王と婚約者を見る好機を、逃すことはできない。復興祭の今日というこの日が、きっとのちのちまでの語り草になるだろうことは、王都に住む者なら誰もが思うところだった。
しかし。
ーーだからこそ、ひとの目が、届かなくなる。
と、逆の発想をする者がいることもまた、事実だった。
皆が注目するものがあれば、その裏で、目が行き届かない場所が出る。
民衆の歓呼が、街の辻まで風に乗って響いてくる。
その歓呼に背を向けて、崩れかけた廃墟のような民家の一棟に、すべりこむ影があった。
頭布を巻いた、一見女性のようにも見える優男。だがその男は、実際、カタギではない闇の世界に生きる者だ。
だがその影を、ぱたぱたと不器用そうに追った、小さな影がある。ぼろぼろの服とも言い難く傷んだ布をまとい、がりがりに痩せた少女。
民家の廃墟に先に入り込んでいた優男ーーソンムは、ついてきた少女をみとめ、顔をしかめた。
ソンムはつい立ち止まり、そのあいだに、がりがりの少女は息を切らせて追いついてきた。
その少女を、ソンムは無言で足蹴にした。
「!!!」
埃ーーというよりも、野ざらしの廃墟ために砂だらけの床のくらがりに、転がる少女。彼女は口がきけないため、悲鳴も出ない。
「いい加減にしろ。もうついてくるなと言っているだろう」
低声で、しかし脅すようにドスをきかせ、ソンムは言った。
少女はしかしすぐに立ち上がり、首をぶんぶんと横に振り、すがるようにソンムへと近づいた。
その少女をのけ払うように、ソンムは腕を振る。
「もう準備は終わったんだ。お前の仕事は終わりだ。金もやったろう。そいつを持って、どこへでもいっちまえ」
けれど、少女は、ふたたび首を横にふり。懇請するような視線を、ソンムへと向ける。
ここでソンムが少女を放っておいたら、少女はあとについていくだろう。そんなことが容易にわかる瞳だった。
ちっ、とソンムは舌打ちをする。威嚇ではなく、腕を振り上げる。
「いい加減にーー」
しかし、その行動は、廃墟への突然の闖入者によって、妨げられた。
「おい! ここで、何をしている!」
廃墟に差し込む外光を背に立つその闖入者は。槍と甲冑をまとった、王軍警備兵だった。




