278 復興祭の朝
どぉんどぉんと、朝靄に沈む王都の空に、決行を知らせる花火があがる。
ついに、復興祭の日がやってきた。幸いに天気もよく、澄んだ青空に、綿菓子のような白い雲が浮かんでいる。
王都の民たちは、今日の復興祭を、どのような気持ちで迎えているのだろう。
いままでの苦しみの終わりとして、楽しみに待った催し物として迎えるのか。
日常の生活の忙しさの一部として、あるいは日々の一服の清涼剤として迎えるのか。
はたまた自分には関係のないことと、冷めた気持ちで迎えるのか。
あるいは、王城側、統治者たちの欺瞞だと糾弾する対象なのか。
王都のみんなが、どう思うのかはわからない。
もちろん、人によって違うのだと思う。
それでも、この先に、未来に、少しでも明るさを感じてもらえれば。ーーと、わたしは願う。
がたん。乗っていた車の、車輪が動きはじめる。
わたしが乗る車だけでなく、何台も連なる騎走鳥獣車の御者たちが、朝もやを振り払うように、次々に手綱をぴしりぴしりと振る。
こうして、わたしは、復興祭の会場へと向かう。わたしを補佐、支援してくれる家宰のチェセ・侍女頭のレーゼを中心とする侍女団と、アセレア・クローディアが率いる護衛騎士たちが一緒だ。
魔王の導きの精霊であるミステは、今日はバウと一緒に、わたしの影のなかに入ってもらっている。今回はバウは護衛のために一緒に来てもらう必要があったためだ。ただミステはひとり離宮に残ることを嫌がるので、この提案は苦肉の策だったのだけれど、案外とあっさり受け入れてくれた。わたしとしても、変に目を離さなくて良いので、多少は気が楽でになった。
さて、まずは、パレードの出発点となる外壁門への移動が、今日の最初の予定になっている。オーギュ様とも、今日はパレードの始点で顔を合わせる。
病床の王は、当初からこの復興祭には不参加として、予定が組まれている。ゆえに、この復興祭の主役は、次世代を担うオーギュ様。そして、その彼を補佐する役割を期待されている、わたしだ。
その姿を王都の民に見てもらい、オーギュ様とわたしを、次世代の王だと認めてもらい、王国の未来に期待をしてもらうのが、今日の復興祭の真の目的。
本当にうまくいくのかどうか。責任は重大だ。不安で仕方がない。
人の心はわからない。まして、数万の民の心など、わかったものではない。聞こえてくる良い話とは別に、悪い話もある。誰もが賛成してくれるわけではないし、ただ反対だけをする人ばかりでもない。
結局のところ、賛否どちらが多いかが問題なのだとわかっているけれど、事前にそれを正確に知ることはできない。過激な反対があれば、うつろいやすい人の心はそちらに流れてしまうことだってあり得る。
結局のところ、閉じられた箱の蓋を、勇気をもって開けてみなければ、箱の中身はわからない。
それに・・・。わたしが魔王になってしまうのではないか、という心配事は、いまだ解決せずに残っている。
これは当然のことで、船上レストランでの相談がついおとついのことなのだ。
それに、異界の神を再封印しなければならない、という、さらに大きな問題も見つかった。
けれど、問題は特定されたし、そのうえで、その対応はすでに決まっている。
ならばまず、わたしは、自分のやるべきことをこなすだけ。
そのひとつが、今日の復興祭なのだーーと、話がまたここに戻ってくる。
幸いかどうかはわからないけれど、わたしがやるべきことはたくさんある。
だからわたしは、心配事は、ひとまず脇におき。
眼の前のやるべきことに対して、ひとつひとつ順番に向き合って、全力を尽くそうと思っている。
■□■
「いやはや、まったく。我々のご主君は、とっても真面目でいらっしゃいますです。ねぇ、そう思いませんかです? モルシェ殿」
「はぁ。うーん・・・、そうですねぇ。そうかも知れませんねぇ」
緑の離宮。廊下で立ち話をするのは、リュミフォンセ付きの情報官であるマーリナと、リンゲン自警団団長のであるのに、侍女兼護衛を務めるモルシェである。
今日は復興祭ではあるが、このふたりには本日主君付きの任務はない。なので、他の残された者と一緒に、いまは離宮に残っている。
もちろん復興祭に参加しないということではなく、日が高くなればロンファーレンス家の者として、普通に復興祭のパレード見物に加わって、広場で演説を聞く・・・という予定になっているものの、それまでまだ時間がある。
一部の侍女と護衛以外はみな離宮に残っているので、この早朝の時間は、家臣、使用人、それぞれ自分の仕事をしているのだ。
とは言うものの。このふたり、マーリナとモルシェは、最近、状況が変わって、とくに手空き気味である。
ひとつは、リュミフォンセと、王城側ーー具体的にはフルーリー枢機卿との和解に伴い、緑の離宮のロンファーレンス勢にかけられていた人員要件が、大きく緩和されたことがある。
具体的には、離宮に入れる使用人の人数制限がなくなったし、自前の護衛もリンゲンから連れてこれるようになった。
これは大きな変化になった。護衛も侍女も、離宮の人数を、本来必要な数と陣容に改めたのだ。とき同じくして、家宰のチェセが、リンゲンから王都へと出てきたので、効率の良い指図が行われた。足りない人材は、ロンファーレンス本家から借り受けることなどもしたのである。
結果、リュミフォンセまわりの人材の、顔ぶれが大きくかわったのだ。この陣容の適正化で、護衛と侍女を兼ねるという変わった任務をこなしてきたモルシェも、辞令がないものの、事実上、兼務の任が解かれた状態にある。
またさらに。
枢機卿との和解に加え、第二王子オーギュが、第一王子のセブールに勝利し決着ことも、大きな変化だ。これで、貴族のあいだの情報戦に加え、リュミフォンセへの謀略の案件が大幅に減った。
もっと言えば、第二王子の王太子指名が内定し、多くの貴族がそれを知ることになったため、貴族同士の暗闘もなくなった。いま、第一王子派だった貴族は、雪崩をうって第二王子派に鞍替えしようとしている。
これはつまり、敵対勢力、あるいは潜在的な敵対勢力が、消滅したということになる。
こうして状況が安定してくると、しかし。情報をくまなく集め、小さな断片から大きな背景を見出すような、情報分析の仕事の重要性はさがってくるものだ。
これまで情報官として、ひろくつぶさに情報を集め、敵方の情報を分析し、陰に陽に主君の行動指針を具申していた情報官のマーリナも、街のうわさや新聞情報を確認するくらいしかやることが無くなってくる。
つまりそれだけ世の中の方向性が固まり、平和になった。良いことなのだ。たとえるなら、犯罪が減って警備の仕事が減ったというような、そういう話である。だが、情報官の仕事が減り、マーリナが暇を持て余し始めたということは一面の事実である。
そういうわけで、仕事が減ったふたりが、こうして世間話に精を出すというのは、ごく自然な成り行きなのだ。
「真面目ですよです。王太子妃になるということは、現状からすれば、ご主君は、この国の王妃になることが内定していますです。ならば、もっと好き勝手にやっても、遊んでも、咎めることができる人はいないのです。ですけれど、ご主君はお仕事にいっさい手を抜きません」
マーリナの言葉に、そうですね、とモルシェは頷いた。声を潜めるようなことでもない。使用人が主君の噂話をするのはご法度だけれど、いまマーリナが語った、リュミフォンセが近い将来に王妃の地位につくということは、誰もが知っていることだ。使用人だけでなく、王都の上下、みんなが知っている。
リュミフォンセ自身は、なぜか、自身が栄達するような話を好まないので、臣下たちはそういう話題をリュミフォンセに出さないだけで、噂話には戸を立てることはできないものだ。
「貴族の女性として至上の地位まで栄達しても、求められる役割をきちんとこなし、世の中の民草の心情に寄り添おうとする。残念ながら、理想を胸に抱き、改革に燃えるまでのお方ではありませんですが・・・。しかし、それはそれで、ひとつの良い支配者のありかたですです」
モルシェは主君の論評は避けたかったので、マーリナの言葉に曖昧に頷いておく。
「これが、もっと自分の権勢を大きくしたいとか、諸侯から権力を奪いたいとか、もっと野心が強いお方でしたら、私も腕のふるいようがあったのですが・・・残念ですです。欲望のままに、好きなように、振る舞っていただいて良いのですのに、です。たとえば、王妃どころではなく、『女王』を目指すと語っていただいても、私は一向に構いませんのにです」
「は、はぁ・・・」
ここは、さすがにマーリナは声を潜め、モルシェだけに聞こえるように語った。同僚の愚痴として聞いているけれど、護衛や侍女役のような政治向きではない任務のモルシェからすると、政治ど真ん中の任務に携わるマーリナは、思考が過激に見える。
いや実際、マーリナの言っていることは過激なのだけれど、それがどの程度過激なのか、冗談で許される範疇なのか、判断をつけられない人の良さがあるのが、モルシェである。
そんなモルシェの性格を見ているのか、マーリナはといえば、モルシェを見つけると、進んで話かけて、不満とも冗談とも、いずれにもとれるきわどい話をしている。
今日のこのときも、モルシェは、よくわからないまま、
(またいつものマーリナさんの愚痴だ。なんかすごいことを言っているような気もするけれど。きっと冗談、うん)
と思って聞いている。
そんな冗談であるはずの愚痴を、マーリナはぶつぶつとつぶやいている。
「野心どころか、政治家としては、夫婦そろって、甘いところのあるお方々ですです・・・。ご存知でしょう? 第一王子の処分も、処分決定まで長引かせたわりに、けっきょく処刑をせずに、幽閉刑で済ましたのですから、です」
第一王子の処分。きわどい話題が続く。モルシェは、曖昧に頷くにとどめた。
マーリナのいう通り、復興祭を前にして、王都の精霊襲撃を自作自演した罪に問われていた、第一王子の処分がくだされた。
通常、反逆の罪は死刑なのだが。もろもろを考慮し、大法廷ーー実質的に第二王子派の意志を受けた機関だと誰もが知っているーーから、第一王子は、幽閉刑を宣告された。
王都の北郊外に、古い砦ーーというより物見の塔がある。ここを改修し、第一王子を永年幽閉するというのが、オーギュたち第二王子派が出した結論になった。
この寛大すぎる処分は、第一王子派はもとより、第二王子派の貴族からも批判されることになったが、処分を決めた第二王子は、この決定を貫き通した。病床の王が、第二王子の決定を支持したこともあって、復興祭を前にして、第一王子の身柄は、すみやかに北郊外の砦へと移された。すでに幽閉刑は執行されていることになる。
第一王子の命を助けたことで、その妃でリュミフォンセの友人でもあるディアヌ=ポタジュネットが、礼のために緑の離宮を訪れ、リュミフォンセと面談することもあった。そのときのリュミフォンセいわく、
「幽閉刑ですので、誰も第一王子と面会することは許されません。けれど、時間が経てば、限られた時間、親しい親族だけが会えるなど、条件が緩和されることもあるでしょう」
リュミフォンセのその言葉を聞いて、ディアヌ妃は、喜びに涙を流し。リュミフォンセの手を押しいただくようにして、感謝を表したのだった。
そしてそのことは、主君のあり方を示す逸話のひとつとして、離宮の家臣、使用人たちのあいだに、ぱっと広まった。そして、主君の寛大さと優しさを知ることができる挿話として、好んで語られているところだ。
「第一王子派は敵だったかも知れませんけれど、その妻同士は、友人として交流していた。これだけでも良い話なのに、加えて、もとはと言えば、王子同士はご兄弟ですから、お互いに親愛の情が無いはずもないんですよ。いちど決着がつけば過去は水に流して、気持ちを汲み取った処分をされたことは、ご主君たち本当にお優しい心根によるもの。とても良い始末だったと思います」
モルシェが、つい先日あったことを、我がことのように嬉しそうに語る。これは、使用人たちの間で語られている、一般的な評価であったが。
しかし、当然というべきか、家の知恵袋たるマーリナの見解は、また別のものだった。物事を良い面や正面から見てばかりでは、情報官という役職は成り立たない。むしろ斜めから裏から、物事を見る視点が必要だし、それを得意とする役職だ。
「ふむふむ。しかし、そうは思わない人もいるでしょうねです。そも、第一王子御本人が、今回の処置をどう感じているかは、わからないわけですから。私自身は、リュミフォンセ様が、ご自身への未来への禍根の種を残したのは、深く懸念するところです」
かこんのたね、ふかくけねん・・・。と、モルシェは口のなかで繰り返す。自分が思っていたのとは正反対の意見を返されて、一時的に、彼女は理解の消化不良を起こしたのだ。
「えっと・・・。そうなんですか?」
「ですです」戸惑うモルシェとは反対に、マーリナは力強く頷く。「リュミフォンセ様ご本人にも、私の意見はお話してありますです」
「ええっ」
モルシェは絶句する。主君の判断に対して、反対意見を述べるというのが、彼女の意識のなかでは考えられないことなのだ。
一方で、マーリナは、反対意見をしっかりと述べ伝えることが情報官としての職責だと考えているし、どれほど主君と違う視点からモノが言えるかを、自身の存在価値だと捉えている節がある。
「ですが、さすがご主君さまでしたです。同じような意見はすでにお聞き及びになられていて、そして、お覚悟のうえで、今回の第一王子の処置だと伺いましたです」
覚悟されている以上、なんらかの手を追加されるでしょうです、とマーリナは言う。
さらに、とまたこの情報官は話す。
また、精霊襲撃事件の共犯と思しき東部公爵について、第二王子派は、彼の事件への関わりを示す証拠は出すことはできなかった。なので、王国からの東部公爵への沙汰は、一度棚上げになったことになる。
このあたりは、自身の領地に引っ込んだままの東部公爵ーーかの老翁の政治力が、いまだ健在だと見ることもできる。
勢力図が大きく変わっているといっても、第二王子派にとって、東部公爵は、油断ができる相手ではないということだ。
ならば、慎重な手の打ち筋も、まったく理解しないとは言わない。そんなことを、マーリナは語った。
「はぁー・・・。すごいですねぇ」
いろいろな意味で、自分の想像の遥か上を通り過ぎていくことが多すぎる。そんなことを、モルシェは溜息とともに思う。
マーリナはといえば、モルシェの態度を称賛の一種だと受け取り。得意げに、自身の丸眼鏡をクイッとあげた。
「いずれにしろ、大きな問題は、ひととおり目処がついているです。王太子指名と婚約を民に宣言する、復興祭の今日は、ご主君にとって、大きな区切りとなる大切な日なのですです。--大過なく、なにごともなく、平穏無事に、終わらなければならないのです」




