261 目醒め
「んっ・・・・・・」
寝台のうえ、レーゼに揺り起こされて、目を開いたとき。わたしの意識は、ずいぶんとすっきりとしていた。
だいぶ疲れていたのだけれど、少し眠っただけで、かなり楽になった。
窓の外を見れば、うす白い朝の光。澄んだ青空、これから日中に向けて暖かくなっていくのだろう。
起きたあとは、着たまま寝てしまっていた軍用装束を脱いで、準備が整った湯浴みで、戦いの塵を石鹸で落とした。湯浴みからあがったあとは、レーゼをはじめとした侍女の皆さんに、髪を梳いたり編み込んでもらって、またおしろいごく軽くはたいて、よそ行きに整えてもらう。
日常の風景である。お世話してもらうことにも慣れてしまったなあと思いつつ、わたしは、しかし、今日は特別なお願いをする。
「これから王城に向かうのは、とても大事なことなの。わたしにとって、戦場に出向くようなものだから・・・。とっておきに、さいこうに、キレイにお願い」
身支度の最中に、わたしは、そのようにレーゼに伝えた。どういうことか、聞いた彼女は、櫛を手にしたまま、一度身震いし。
「そのお言葉を、どれだけお待ちしたことか・・・。リュミフォンセ様は最高の素材ですのに、いえだからかも知れませんが、ご自身を飾ることに無頓着でいらっしゃって。なんとももったいない・・・と、はたでただ見ていて身悶えする思いでありました。けれど、それが、いま・・・!」
そんな長い独白をしながら、レーゼは、一度さがると、いつかの日のためにと準備していたらしい、いつもよりもさらに大きな化粧箱を持ってきた。留め金を外して化粧台のうえで開くと、白色の階段状のそれは、小さく壮麗な砦にも見えた。
「いまリンゲンにいらっしゃるチェセ様には先んずることになってしまって申し訳ないですが、不肖、レーゼ。腕によりをかけてリュミフォンセ様にお化粧させていただきます」
そう言ってレーゼは手際よく、しかし言うほどに化粧は施さず、ほんのりと匂う程度におさえ。まつげを整え、眉の筆、化粧粉の刷毛を動かす。彼女いわく、わたしには、このくらいでちょうどいいらしい。
最後に、唇に、細筆で紅色をさしてもらう。
このとき、時間軸としては、オーギュ様が第一王子と剣を交える前だったということだけれど。そんなことがこの時点のわたしに、わかろうはずもない。
紫の差し色が入ったとっておきの晴着衣装に袖を通し、装飾品に、白の布条と花葉を宝飾で模した白色の髪飾りと、深翠玉の首飾りを選んだころ。
赤髪のアセレアと、丸眼鏡のマーリナが、支度部屋にやってきた。アセレアのほうは、なにか白い布包みを両手で抱えていた。
わたしが何かを言う前に、天鵞絨の布の上に広げた、選ばれなかった宝飾品を片付けていたレーゼが、叱責するような声をあげる。
「アセレア殿! この部屋にそのような不浄なものを持ち込まないでください!」
「いや、これは・・・」
白い包みを抱き直すようにし、珍しくうろたえるアセレア。レーゼにはその包みの中身が何かわかっているらしい。
「いやもこれもヒレも関係ありません! ここは高貴なる姫君の支度部屋ですよ! さあさあ早く!」
有無を言わせぬ勢いのレーゼに、やはり珍しくアセレアが折れた。素直に回れ右をして戻っていく。
「なんのこと?」
さすがに不思議でわたしが聞くと、レーゼは、お許しください口にするのもおぞましいのです。と言った。わたしが少し困った表情をすると、マーリナは折り目を正して、身をかがめた。
「あれは、『手』ですです」
「『て』?」わたしは首をかしげる。
「私はご説明申し上げても良いのですが・・・。詳しくは、のちほどアセレア殿本人から聞かれたほうがよろしいでしょうです」
そう言ったマーリナが横目で見るレーゼは、よほど何かあるのか、ひとつ身震いまでしている。
「そうね。身支度を早々に終えましょう。少しくらいならお話する時間もあるし、アセレアとは久しぶりだわ」
わたしが言うと、マーリナは、ぜひそのように、と腰を曲げた。
「これはまさに。佳容絶異・・・というものですな」
「なにそれ?」
身支度を終えて、面会したときのアセレアの第一声が先程の言葉だ。意味がわからず、わたしは聞く。
いやなに。久しぶりにお目にかかり、リュミフォンセ様の美しさを再認識したということですよ。
それは、アセレアらしからぬ殊勝なもの言いで。しばらく会っていなかったあいだ、どうも苦労をしたようだった。
身内に、自分の美しさを讃えられるのは、どうも気恥ずかしい。わたしは話題を進めるべく、さっきアセレアが持っていた白い包みについて質問する。
「これは、賊が持っていた封霊環です」
そう言ってアセレアが白い包みを揺らすと、じゃらと硬質な音がする。確かにそのようだった。
応接の部屋、わたしと向かい合うのは、アセレアとマーリナ。アセレアは、この封霊環を手に入れた経緯を語る。
伯母様に依頼されて、アセレアが王都に滞在していたこと。そして情報どおり有事が起こり、精霊襲撃に出くわしたこと。そして、『賊』ーーセシル、ソノム、どの呼び名でも良いけれどーーが、封霊環を解いて、精霊をときはなったのを、じかに目撃したこと。さらにその賊を追い、賊の持っていた封霊環を手に入れたことーーを話してくれた。
「それは、大変だったわね」
ねぎらいつつ、わたしは考える。アセレアが見た事実は、精霊襲撃が、人の手引によるものだということを裏付けるものだ。賊が、わたしについての流言を流していただけでなく、精霊も王都に放っていたことの直接の目撃者というのは、重要な証言になる。
その賊から、またより深い黒幕にたどり着くことも可能だろう。わたしは精霊たちを鎮圧しただけで、犯人の手がかりもつかめなかった。
「これが、いまの話を裏付ける、証拠になります」
アセレアが白い包みを解くと、そのなかには、賊の手に握られた鎖ーー封霊環が入っていた。なぜかマーリナはこの封霊環を直接みないように、目を逸しているけれど・・・。
わたしはまた考える。アセレアはわたしに立場が近すぎて、証言者としてはあまり説得力がない。でもその証言を裏付け物証があれば、なんとかなるかも知れない。
「いいでしょう。これからわたしは、自らのむじつを訴えに、王城に出向き、フルーリー枢機卿と面会するつもりです。マーリナと、それからアセレア。貴女も供をお願いするわ」
わたしがそう告げると、ふたりは深々と頭を下げる。
「おそれながら、私も同行させていただきます。同行がこのふたりで、非礼があってはなりませんから」
その声は、正面に座るふたりのものではない。いつの間にか部屋に入ってきていた、レーゼのものである。この会話の間に着替えたのだろう、彼女はいつもの侍女服姿ではなく、よそ行きの晴着衣装を着ている。使用人らしさを失わない、華美すぎないが品の良いものだ。
そして、彼女は両手に抱えていたものを、わたしの前にある卓の上に置いた。それは、長細い宝箱と、宝飾のついた宝剣だった。
「アセレアさん。その白い包みは、この箱の中に入れて持っていってください。それから、その腰のものを、この宝剣に佩きかえてください。王城でリュミフォンセ様をお守りするのに、いまの格好はあまりにも貧弱ですから」
「王城の内々に入るには、どのみち武器は預けなければならない。剣の良し悪しなど」
無用のことだ、とアセレアが肩をすくめると。レーゼはきっと細い目を鋭く光らせる。
「そのときは、捧げものだなんだと言い張って、近くに置いておけばよいでしょう。ご主君は、今回の登城、フルーリー枢機卿との面会は、敵地に赴かれる覚悟なのです。護衛騎士たるもの、敵の喉笛を食いちぎる気概がなくてどうします」
「喉笛を食いちぎるうんぬんを語る人に、非礼を心配されてしまうとは・・・。やれ、さいきんの侍女とは物騒なものだ」
そう言ってアセレアはまた肩をすくめるのだが、その口端が楽しそうにつり上がっているのは気の所為だろうか。もちろん本当に食いちぎれという話ではありません、気概の話です。とレーゼは言う。
「それに、礼と勝負はまったく別のこと。両立するものです」
レーゼとアセレアは、互いに笑みを交わす。真面目なレーゼと、礼よりも実利を取るアセレア、このふたりは水と油の関係だと思っていたけれど、意外に気の合うところもあるみたい。
話を聞きながら、わたしは、レーゼが空の宝箱とともに持ってきた宝剣を眺める。卓のうえに置かれた宝剣は、柄と鞘は金の地金に白色の宝石を散りばめてあり、細工も精密で、いかにも宝剣といった感じだ。
すごく高価そうだけれど・・・どうしたの、これ?
「宝物庫にあったものです。いわくを調べましたが、リュミフォンセ様がむかしロンファからリンゲンに移られた際に、ロンファーレンス本家から持ってこられた宝物群のひとつだということです。今回、王都に移る際、手元資金が入り用になるかも知れないということで、リンゲンから持ってきたのです」
レーゼがすらすらと答えてくれる。というか、そんなのあったんだ・・・。知らなかった。
「抜いてみても?」
聞くと、もちろん、とレーゼは頷く。「お怪我にはお気をつけください」
「華美な装飾がある剣は、儀礼用で、刃が潰してあることもしばしばだが・・・さて」
アセレアの呟きを聞きながら、わたしは親指で思い切り押し上げるようにして、剣のつばを外す。宝石飾りの鞘からなかば覗いた刀身は、氷湖のような冷たい青。さらにゆっくりと鞘と柄を動かして、刃のすべてを抜き放つ。
「ほう・・・これは美しい剣だ」この面子のなかでは一番刀剣に詳しいだろうアセレアが断言する。
刀身は細身。刃渡りはわたしの腕ぐらいの長さ、取り回しを重視した短めの剣ということになるのだろう。重さはあまり感じない。速度重視、いかにも女性向けの剣という感じだ。
かつて住んでいたロンファのお邸から持ってきたものなら、誰かがーーお祖父様が、わたしが剣を使う可能性を考えて、宝物群のひとつに加えてくれたものに違いない。
わたしは魔法師の道を選んだために、剣には用事はなかったけれど、剣を武器に選んでいれば、いつか出会っていた剣なのかもしれない。
「・・・・・・」
たしかに、綺麗な剣だ。
さっきまでは柄や鞘の宝飾の素晴らしさに目が奪われていたけれど、いまは南海の氷のように青白い刀身から目が離せない。
見ただけでもその鋭さがわかる。もし指先で触れれば切れる。そういう危うさと見た目の美しさが相まって、奥深い美を生み出している。
「まるで、いまのリュミフォンセ様のような美しさの剣ですね」
「へっ?」
妙なことをアセレアに言われて、わたしは油断した声をあげてしまう。けれど、レーゼと、そしてさっきから黙ったままのマーリナも、アセレアの言うことに賛同して頷いている。
「もう。とつぜん、へんなことを言うのはやめてちょうだい」
それでもいろいろ言い募ってきたレーゼとアセレアたちの言葉には、わたしは取り合わず。慎重に青白い刀身を鞘へと戻した。
しゃきん。と刃が収まる音が鳴る。
そうこうしているうちに、侍女のひとりが部屋に現れて、騎走鳥獣車の準備ができたと連絡に来た。いよいよ登城のために、わたしは立ち上がる。
フルーリー枢機卿・・・。会ったことはないけれど、どんな人だろう。




