260 決着
だから、その余裕を消し去ろう。
その言葉と同時、セブールの剣のあたりに詠唱紋が浮かぶ。
まずいーー
オーギュは反射的に、飛び込むようにして反撃の斬撃を放つ。セブールの魔法を止めるために。
魔法はオーギュだけが使えるものではない。相手も使えるのだ。使いようによっては、勝負が決まってしまう。剣の打ち合いの間、ほんのひと刹那に使える魔法などーーよほどの魔法の達人でないかぎり、たかが知れているものだとしても。
だが。セブールの魔法は、無情にも発動する。
ごうっ
炎がまたたき、セブールの持つ剣の刃を覆う。
そして、オーギュの紫電の魔法剣と、セブールの紅炎の魔法剣がぶつかり合う。
結果ーー。押し負けて、オーギュはたたらを踏んだ。しかし、青眼の構えは維持できていて、体勢までは崩さなかった。そんなオーギュの心中を見通すがごとく、セブールが言う。
「ほっとした顔をしているな。オレが使ったのが放出系の魔法だったら、死んでいたかも知れないな? しかし、お前が教えてくれたことだぞ・・・。魔法剣程度の魔法であれば、たいした時間もかからず発動できると」
「・・・まさか、兄上がためらいなく真似をするなんて思わなかったよ」
「良いと判断したことは、誰がやったことであろうと即座に取り入れる。それだけだ」
セブールが軽く紅炎の魔法剣を振る。3歩ほどの距離があるというのに、それだけで熱波がオーギュの顔のうぶ毛を焼いていく。
(私の雷は、炎に遮られることはない。また、炎は雷では防げない。だから、魔法剣の余波を防ぐために、防御の魂力の出力をあげなければいけない・・・。魔法剣の維持に加えると、かなりの消費になる・・・。兄さんはまだ余裕があるようだが、私のほうは・・・)
ーー次が最後の攻防になる。オーギュは覚悟する。
となれば、少しでも体力を回復させておきたいと思い、オーギュは会話をすることを選択した。だが、話題は良いものを選ぶことはできなかった。
頭に浮かんだのは、幼馴染の側近の裏切りのこと。
「マイゼンに・・・。彼に、ずっと貴方の密偵のようなことをさせて来ていたんだな。どうして、あんなことをそそのかしたんだ。当時は、彼だって、まだ幼い子供に過ぎなかったはずだ」
オーギュは、言葉を絞り出す。思い出す怒りで、精神が灼かれるのを感じながら、それでも冷静を保とうとする。
「マイゼン?」
いっぽうで、セブールの反応はにぶい。少し記憶の端をさぐるようにして、
「ああ、『青犬』のことか・・・。そうか、露見してしまったか。まあ、お前もうすうす感づいているものだと思っていたが」
「・・・ずいぶんと扱いが軽いんだな?」
フッ、とセブールは余裕の笑み。
「情報はすべての基本だ。お前の幼馴染とやらの情報も、多くある情報収集の一環でしかない。奴はーーアオイヌは、取りたて、役に立つ情報を持ってきたわけでもなし・・・。まあ、お前がのんびりと学院生活を送れていたのがわかったぐらいだな」
それだけの価値しかない男だ、と呟いて。
「ああ、そういえばヤツは、つい先日、我々が軍を引き連れて王城までのぼる道すがらに、お前が現れるように手配したと、言っていた・・・。してみると、ヤツはあのとき、すでにお前のところにふたたび寝返っていたわけだ。大事な側近に、二重密偵をやらせるとは、お前もなかなかやるじゃないか」
せせら笑うように、セブールは言う。
「寝返らせていたのは、そちらだろう・・・!」
隠しきれない怒りをにじませてオーギュが言うと、セブールは、わかってないなと鼻を鳴らす。
「寝返る寝返らないの意識など、あいつは持っていない。あいつは、自分の欲しい未来のために動いていたんだ。それが最善だと信じてな」
セブールが王になり、王弟となるオーギュが、ポーリーヌと結婚し、それを助ける。そこにマイゼンの姿もある・・・。それがマイゼンの理想の未来。
「お前が王太子となることを諦めて、ポーリーヌとお前が縁付いていれば、無い話ではなかった。だが、お前はその話を蹴った」
「それは・・・」
オーギュは何かを説明しかけて、しかし、セブールは遮るように続けた。
まあ、わからんでもない。王太子になること、つまり、自分の権利を求めるのは普通のことだ。良い子ちゃんのお前は、地位と役割によるものだとか説明したいのかも知れんが。
しかし、自分よりも劣ったものを王としてあがめて生きていく。俺だったら、そんな未来には耐えられない。
「要するにだ。オーギュ。お前はもう少しバカであるか、あるいはとても強く賢くなければならなかったんだ」
俺の敵にならないところに居ればよかった。
セブールはそう言って、足場にあった石くれを邪魔そうに蹴飛ばした。それは近くの大きな水たまりに落ちて、とぷん、と沈む。
「中途半端だから・・・お前は、俺の前に立ちふさがる。立ち塞がれればーー」
少し溜めをつくって、セブールが重心を動かし、クリアになった足場に左足を滑らせ、ゆっくりと前傾に構える。
「殺すしかないだろ? こっちは、たかが妾腹が正嫡を上回ろうという覚悟なんだ。いくら今の王の後押しがあるとはいえ、王がいなくなったら、半端なことじゃあ、ダメなんだよ」
「・・・・・・」
もはや言葉は必要ない。兄の真意は知れた。そう感じて、オーギュもまた、剣を構える。教科書どおりのお手本のような型だ。
(まだ自分は甘い。兄に届いたつもりで、届いていなかった。けれど、もう舞台の幕はあがってしまっている。だから、この劇は続けられなければならない。それがどんな結末であれ)
対峙することで生まれる緊張感と静寂。呼吸をはかるオーギュの耳に、遠く地鳴りのような音が届く。騎走鳥獣の蹴爪が、地面をひっかき進む音。救援部隊が、複数の方向から迫っている。
同時、空を覆うばかりの水弾が、飛沫を撒き散らして、オーギュたちの頭上を飛び越えていく!
これまでとは比較にならない数の城壁から飛び出すそれら水弾は、サフィリアのものだ。それは終わりがないようで、しかし、救援部隊を完全に足止めするには至らないのは、不殺の指示を出したオーギュ自身がよくわかっている。
さあああぁぁぁぁぁ・・・・・・
飛翔する水弾が落とす水飛沫が、まるで雨のようにオーギュたちの上に降り注ぐ。水弾を増やしたことで、制御が弱くなっているのだ。あたりに立ち込める水煙に、セブールの紅炎の魔法剣の威力は弱まるが、オーギュの紫電の魔法剣は、誤爆の危険のために、より慎重な扱いを求められる。
ぬかるみに足場が悪くなるのはお互いさま。落ちる水しぶきに波紋を立てる、人が入れるほどに広く、意外に深そうないくつかの水たまりーー。
地形を頭に叩き込んで、先手をとったのはオーギュ。
対するセブールは、ぶおんと炎の剣をひと振りして回転させると、受ける構えを取った。
腰を粘らせて大股に踏み込みつつ、オーギュは、切先をぬかるんだ泥につっこみ。それらを巻き込むように、下から上へと切り上げる。
水を吸った泥は、紫電を帯びる。雷をまとった泥の飛礫がはね飛ぶ。そして、さらに全身を使って跳ね上げた刃で、オーギュはセブールを狙う。卑怯だなんて言っていられない。もちうる手札をすべて切って、それでも勝てるかどうかという相手だ。
だがセブールは驚くべき対応を取った。まず、泥の雷を警戒して、守りの魂力の出力をあげる。そのうえで、泥の目潰しを防ぐために、目をつむったまま、両手で剣を切り下ろしたのだ。
がきんっ!
ふたりの刃が思い切り噛み合う。
「ぐっ!」うめいたのは、仕掛けたオーギュのほう。
(普通は腕で顔をかばって泥を避ける。剣は片手で持つことになるから、力が入らない。だから腰が引けるか、受け流しになるものなのに!)
それを、泥は目を瞑って避け、剣は両手持ちのまま思い切り切り下ろして来た!
(私の剣の軌道がいくら読みやすかったと言っても、普通やらないだろ!)
セブールの攻撃は切り下ろし。体重が乗っている分、威力も高い。一方でオーギュは地面を救うように切っているので、刃の勢いが弱まっている。このままではーー
「・・・っ。あああああああぁぁぁ!」
しかし、オーギュは全力で剣を押し上げ、十字に重なり合った刃を滑らせる。青く火花が飛ぶ。鍔迫り合いへと持ち込んだ。これで押し負けることをいったん回避。だが、オーギュが狙ったのは、それだけではなかった。
真の狙いは、鍔迫り合いによって生まれる時間的な硬直。
その僅かな時間を使って、オーギュは自身の魔法剣へと魂力を注ぎ込む!
バツンッ!
剣の紫電が膨張し、雷が踊る。
鍔迫り合いの至近距離での、魔法剣の暴発じみた膨張。
さすがにこれは避けられず、セブールの体に、蛇ほどの太さの雷槌が何本も突き刺さる。
「・・・・・・!!!」
体中に巡らせていた防ぎの魂力を通り抜け、電撃がセブールの体を駆け巡る。電撃は衝撃だけでなく、体を一時的に麻痺させる。歯を食いしばり、セブールは必死に自分の体の制御を取り戻そうとする。
(あいつは・・・? この至近距離で魔法剣を強化したら、自分も被害を受けるはずだ・・・)
果たして、セブールの考えた通り、紫電の魔法剣を強化した、オーギュ自身にもダメージが通っていた。オーギュは全身を痙攣させながら一歩後退し、いまにも膝をつきそうだった。
だがーー
ぎらり、と顔をあげたオーギュの目が、髪の隙間で光る。
(くそったれ、相討ち狙いか! 目が死んでいない。次が、来るぞ! 備えろ、動け、動け俺の体ーー!)
「おおぉぉぉおおおお!」
何が起こるかわかって覚悟していたぶん、自爆を仕掛けたオーギュのほうがごくわずかに立ち直りが早かった。
振り上げられた魔法剣は、まだ紫電を保っている。
(あれだけは、もう食らうわけにはいかないーー)
セブールは、オーギュの剣を受け止めるのではなく、跳ね上げることを選択する。力の戻り始めた両足を踏ん張り、腰が動かない分は腕の勢いで補い、切り上げを仕掛けるーーと。
オーギュは紫電の剣を振り下ろしを止め。しかし、体ごと肩からセブールに向けて体当たりをした。切り上げの姿勢で上体を起こしていたセブールは、その体当たりをまともに喰らい、体勢を大きく崩す。
ばしゃあっ!
両者はもみ合うようにして、近くにあった水たまりに倒れ込んだ。セブールの魔法剣の炎が、水に触れて水蒸気を立てる。
両王子とも全身を泥だらけして、水たまりのなかでもみ合う。
「このっーー」
下になったセブールの拳が、オーギュの顔面を打ち据える。しかしオーギュもやり返す。
だがその争いも、ほんの少しの時間だった。なぜなら、オーギュ王子が、自分の紫電の魔法剣を、ためらいなく水たまりに突き刺すように引き入れたからだ。
バリバリバリィッーーーー
雷は水を伝わり、容赦なくふたりを蹂躙する。
(こいつ、まさか、本気で最後まで相討ちを狙ってーー? いや、自分だけ水たまりから逃げるつもりか?)
水たまりは完全に帯電している。
お前だけ逃がすか、とセブールは雷の衝撃に耐え、泥水のなかでめくらめっぽうに腕を振り、オーギュの顎を拳で打ち抜いた。そして、セブールは、雷から逃げさせまいとオーギュの体を掴んで紫電が踊る水たまりに引き込み、互いの上下を入れ替えようとした。
顎への一撃でオーギュの意識はなかば飛んでいて、抵抗する力は弱い。
だが、セブールの体も動かなくなってきている。
そして、限界が訪れる。
全身を駆け巡る電撃に、セブールの意識は朦朧とし、やがてぷつりと、視界が、暗転した。
いや、暗転という言葉は正しくない。
彼の視界は、とつぜん虹のような輝きに塗りつぶされたからだ。
次の刹那、セブールが目を開いたとき、一瞬だけ青い空が見えた。
そのあと、天地が逆さまになり、見える世界がぐるぐると回る。平衡感覚が死んでいる。とても何かを思える状況では、もうなかった。
「やはり、機転が利くのう」
そんな女の声が、セブールに聞こえた気がしたが、もはや彼の意識はかすかにしか残っていない。
女の声のあとに、げはっごほっと咳き込む音。
セブールの隣で、オーギュが。水のなかから、起き上がろうとしていた。
(ああ・・・。俺は。まさか。負けたのか)
遠くなる意識。セブールはぼんやりと思い。
(こいつに負けるなど。痛恨の失策だな・・・)
そして、かすかに残っていた自我を手放した。
そこは、東門城壁のてっぺん。城壁の通路は、水で満たされている。それはサフィリアが召喚した水なのだが、王子たちが知るよしもない。
「ハァ・・・ハァ・・・最後まで自分で・・・、ゴホッ!」
「無理をするでない」
城壁の通路を走る水の上から足先を浮かせ、サフィリアが言う。
起き上がるのもままならない王子たちに、ヴィクトとメアリがざぶざぶと水を脛でかきわけて駆け寄り、体を起こす。
帯電した水たまりの王子たちを、『水渡り』の魔法で。城壁の上まで、サフィリアが引き上げた。
それがたったいま、起こったことだった。
水渡りには、入口と出口に水がなければいけない。出口側の城門の上は水弾を増すために水をたたえていたし、そして、入り口側は、王子たちが水たまりに落ちることで、条件が揃ったのだ。
ただ、『水渡り』は、物質を一度魂力に分解して移動させて再構成する魔法。よほどの魔法の達人が行使しても、人間の被移転者に命の危険がある魔法でもある。あまり事例がないことながら、無事だったとしても、魂力に浸されるため、被移転者は、強度の魂力酔いとなる。
まさにいま水渡りによって移転したオーギュとセブールは、魂力酔いによって、おそらく数日まともに動けないだろう。
水中から引き起こされたオーギュが、胸壁にもたれて上体を起こす。
「ハァ・・・最後まで自分で、やり通したかったが・・・。やはり、難しかったな・・・」
髪からしずくを落としながら、オーギュがつぶやく。
「いや。だがさいごに勝ったのは殿下、貴方だ」
ばしゃと水をかき分けなががら、かがむ影、オーギュの肩に置かれた手。それはヴィクトのものだった。
その様子を横目で見ながら微笑み、だが声だけは辛辣を偽ったサフィリアが言ってみせる。
「ふん。わらわが『水渡り』を使うかどうか、どうせ賭けのつもりだったのじゃろうが。わらわの観察力に感謝せい」
「ああ・・・。『水渡り』の魔法のことは、リュミフォンセに聞いていて知っていたけれど、貴女が状況を読んでそれを使ってくれるかどうかは、まったくわからなかった。ありがとう。貴女は、恩人だ」
当然、と胸を張るサフィリアに、オーギュは逆らわない。かすかに口角があがった。
実際、危機に陥ったオーギュが思いついた策どおりだったからだ。それでも難易度があるやり方だった。技量も残りの体力も上回っているセブールとともに水たまりに落ち、さらに相手を強制的に行動不能にしなければならない。紫電の魔法剣を暴走させたのは、実力差を考慮した、意図的なものだった。
「・・・ヴィクト。頼みがある。私を。・・・立たせてくれないか。まだやるべきことがある」
ああ、とヴィクトが肩を貸す。オーギュの隣には、セブールが同じような姿勢で座らせられているが、こちらはもう意識がない。
肩を借りて、がくがく震える膝に手をつき、無理矢理に立ち上がりながら、オーギュは隣に座る腹違いの兄を見ている。
(兄上。初めて、貴方との喧嘩に勝った・・・)
そして、オーギュは、城壁の前に立つ。ちょうど、敵の救援部隊が到着したところだった。ほんの少しの時間差。
もし、救援部隊が少し早いか、水渡りが少し遅ければーー。勝敗の結果は、逆だっただろう。
だが結果はすでに出た。拡声の魔法具を前に置き、第二王子は大きく息を吸う。
我はオーギュ=ド=アクウィである! 我は、第一王子セブール=パドールをーー。ここに捕らえた!
「これ以上の戦いは無益であるーー。兵を引かれたし!」
第二王子の勝利宣言に、東門側は、勝鬨を和す。どよめきが、天地を走る。




